記紀の両書には共通点があり、女性天皇で終わる。

「古事記」は推古天皇、「日本書記」は持統天皇。

 

この両者はそれぞれ、祖神と共通するものがあった。

 

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★目次

☆1 記紀編纂の理由

☆2 女神天照との共通点

 

  記紀編纂の理由

 

前回の時系列を一目見て分かる通り、天武天皇の即位まで、非常に混乱している。

 

記紀(の元となる)は、その天武天皇の号令により、編纂が始まっていた。

 

では、記紀編纂の最大の理由は、天皇の血脈を神に繋げ、確固たるものにする目的があったと思われる。
 

その証に、記紀の両書には共通点があった。

二人の女性天皇と、祖神天照との類似性だ。

 

 

  女神天照との共通点

 

記紀の両書には共通点があり、女性天皇で終わる。

「古事記」は推古天皇、「日本書記」は持統天皇。

 

祖神は女神とされているので、類似性は神との統合を意味する。

 

☆推古天皇

 

天照との共通点は、名と行宮であった。

推古天皇は、炊屋姫(かしきやひめ)、豊御食炊屋姫(とよみけかしきやひめ)。

 

女神天照は御炊屋姫。

彼女は大神神社の摂社の御炊社の祭神の御膳津神(みけつかみ)。

豊受大神、宇迦之御霊と同神であった。

高良大社の本殿合祀の豊姫であり、神話の豊日別が彼女である。

 

筑紫の神話の甕依姫(みかよりひめ)、櫛玉甕姫の甕(みか)のつく名が彼女である可能性があるとみている。

 

また推古天皇は、豊浦宮で即位している。

天照である神功皇后は、筑紫への熊襲征伐に向かう際、豊浦宮を行宮としている。

7年という不可思議な期間。

(討伐に行くのにその期間は不自然)

 

また推古天皇の母方は蘇我氏。

祖神は武内宿禰=高良神=饒速日命。

女神天照である御炊屋姫はその后になる。

 

大神神社*御炊社

 

☆持統天皇

 

天照は、御炊屋姫であり、神功皇后。

二人の伝承が一致している。

 

しかし、おそらく彼女の伝承は事実とは異なるので、持統天皇の伝承に合わせたのだと思われる。

 

持統天皇は大海人皇子(後の天武天皇)に嫁ぐ。

朝鮮出兵の為、天皇と共に九州へ。

筑紫の娜大津(今の福岡市・奴国=那珂川)で草壁皇子を出産。

義理の子(姉の太田皇女*姉妹で嫁いだ)である大津皇子が謀反の罪で自害している。

 

 

神功皇后は、記紀では三韓征伐の為に応神天皇と共に筑紫へ。

三韓征伐の後、筑紫の宇美で出産。

大和に帰還の後、義理の子を謀反の罪で誅している。

 

実際の彼女は、高良神(武内宿禰・饒速日命)と夫婦に。

共に筑紫へ移動した目的は、異類討伐。

約451日と言う妊娠期間も創作であり、大和には戻っていなかったと考えている。

 

 

応神天皇は創作であるから、義理の子の存在も無いのだ。

 

彼らの話が元になった神話の舞台は那珂川。

 

 

持統天皇が出産したとされる奴国。

彼女のそれは、神話の舞台に合わせたのかは分からない。

 

 

持統天皇は、記紀編纂を号令した天武天皇の后。

天照が女神と変えられたのは、女性天皇の正当性を誇示するためだと思われる。

 

果たしてそれだけであろうか。

本当の天照は二柱。

 

彼女の夫である高良神=饒速日命。

「祖神で無くす」ほどの理由とは、足りないように思われる。

 

 

( つづく )

 

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