真鍋氏は、神功皇后の摂政元年を200年としている。

彼女は太歳を3度行っていた。

裂田溝と早鞆門は、彼女に繋がる。

 

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★目次

☆1 伝承の神

☆2 瀬織津姫と饒速日命

☆3 干珠満珠

☆4 応神天皇

 

  伝承の神

(「儺の國の星」17、千早星(ちはやほし)より引用)

 

神功皇后は天皇の一世一代の行事たる太歳を元年のほかに、三十九(二三九)年及び六十九(二六九)年の三度も執り行はれた。いずれも春分が二月朔日の日蝕であり、半月前の一月十五日は月蝕であった。

 

 

「儺の國の星」の著者、真鍋氏は神功皇后の摂政元年を200年とされている。

福岡の神社では、おしなべてそれである。

 

(以下、大意)

故に、天皇一世一代の太歳を、元(200)年、39(239)年、69(269)年の三度執り行ったとある。

いずれも日蝕月蝕が相次いであり、そういう年には(陰暦)の三月朔日に高潮があるという。

 

(彼女が太歳を3度行ったのは)裂田溝、早鞆門の工事完成間もないことからこれを祈念してのことではないかと記されている。

 

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裂田溝(さくたのうなで)は那珂川市にあり、神功皇后と武内宿禰が指揮して造られたとの伝承がある。


裂田溝

 

 

早鞆門とは、関門海峡のこと。

元は陸続きであり、水門のような穴があったという伝説がある。故に穴門。

 

ここには二つの伝承があった。

☆神功皇后の三韓征伐の際に、山が崩れて通れるようになった。

「儺の國の星」の早鞆門との工事とは、これを示しているのであろうか。

 

☆天火遠命が龍宮から承った満珠を投げ入れると、穴門が砕かれ海になった。(詳細後に)

 

 

どう考えても、あの関門海峡を通したとは考えられない。

これは神の由緒に繋がる話である。

 

後の記事

彼らが通したのかもしれない。

当時は今より4mほど海面は上昇している。


 

  瀬織津姫と饒速日命

これらの伝承の神は、関門海峡の門司(福岡)側の和布刈神社の祭神からも、二柱の神に繋がる。

 

☆二つの伝承

神功皇后➡山が崩れ海峡になる

天火遠命➡満珠(竜宮からもらう)➡穴門が崩れ海峡になる

 

 

☆和布刈神社の御祭神。

 

福岡県神社誌から。

長い由緒が記載されているので、それについては後に。

 

祭神、豊玉姫神、日子穂々出見尊、多紀理毘賣命、市杵島姫命、多岐都比賣命、ウガヤフキアエズ尊、安曇磯良神。

  

しかし、和布刈神社のHPには主祭神にもう一柱の名があった。

 

撞賢木厳御霊天疎向津姫(つきさかき いつのみたま あまさかる むかつひめ)

その神を女神天照である瀬織津姫とし、月の女神とされている。
 

 

名の違いは同神であるゆえ。

神をすげ替えたりはしない、名が変わっているだけである。

 

☆女神

撞賢木厳御霊天疎向津姫は、神話では神功皇后の香椎宮での神がかりの時に登場している。

 

女神天照=撞賢木厳御霊天疎向津姫=瀬織津姫

 

福岡県神社誌にある祭神の多紀理毘賣命、市杵島姫命、多岐都比賣命は、宗像三神。

宇佐神宮などの比賣神もこの神になる。

 

宗像神は、一柱の神であり、女神天照と同神。

神話の「天照が、一振りの剣を三つに折り、口に含んだ息から現れた」とは、四柱が同神であることを示唆するもの。

 

市杵島姫命は弁財天と習合されており、奈良の天河弁財天は伊勢の内宮の女神=天照=瀬織津姫を勧請している。

 

つまり、

女神天照=撞賢木厳御霊天疎向津姫=瀬織津姫=弁財天=市杵島姫命=宗像神

 

弁財天が祀られている社で、市杵島姫命が後に合祀されたりするのは同神だからである。(逆もまた然り)

 

 

☆男神

祭神の日子穂々出見命は、伝承の天火遠命と同神であり、神話の「海幸彦山幸彦」の山幸彦。

 

安曇磯良神は高良神であり、龍宮である志賀海神社の志賀神とも同神。

龍神・安曇磯良神(高良神)には、浦島太郎に酷似の伝承があり、その話は神の由緒を示唆していた。

つまり、その伝承がある地の神は、すべて「彼ら」になる。

 

(上記より)

志賀海神社の社家阿曇連の祖先伝承は姓氏録、右京神別に「海神綿積豊玉彦神子」とある(岩波文庫「日本書紀」注釈)

志賀海神社の安曇磯良神は、綿津見神であり、豊玉彦であるということだ。

 

*綿津見神は、八大龍王社の神であり、やはり浦島太郎に酷似の伝承がある。

 

つまり、日子穂々出見命=天火遠命=山幸彦=豊玉彦=志賀神=海神=綿津見神(八大龍王)=安曇磯良神=高良神

 

これらの神話の神はみな同神であった。

(他にもある)

 

 

☆高良神と神功皇后

 

高良神は武内宿禰。

神功皇后の側におられたというその人だ。

 

彼は上記の通り、神話の神。

筑後国一之宮の高良大社は、筑紫の国魂であり、白日別である。

 

高良神の后は神功皇后。

大社合祀の豊姫が彼女になる。

これが豊日別。

 

 

二人は神話の神であり、だからこそ、彼女に住吉神が絡むのだ。

 

彼は饒速日命。

彼女はその后の御炊屋姫=弁財天=市杵島姫命=宗像神=女神の天照=瀬織津姫。

 

 

二柱は

饒速日命と瀬織津姫

饒速日命と御炊屋姫

神功皇后と住吉神

住吉神と瀬織津姫(祓いの神)


それぞれ相手が違うのは同神だからであった。

 

  干珠満珠

 

伝承の満珠は、高良神が所有していたという干珠満珠。

その珠は海の満ち引きを操る力を持つという。

ゆえに高良神は月神とされる。

 

 

彼らは、水利工事を得意としていた。

古代の奈良湖の水を引いたのも彼らである。

この伝承から、豊玉彦、豊玉姫が同神であることも繋がっている。

 

これが二つの珠の象徴でもある。

 

以下、上の記事にもリンクしてあるもの。

彼らに繋がる。

 

平家物語の龍神。

 

能の春日龍神。

 

更に、脊振の伝承もある。

 

ウガヤフキアエズ命も、彼自身となる。

 

和布刈神社の瀬織津姫が天照でありながら月神であるのは、二柱ともそれぞれに同じ性質を持つからである。

 

男天照=歳神=宇迦之御霊=豊受=月神(高良神)

女神天照=豊受=月神(高良神の后の神功皇后)

 

 

関門海峡を通したとの伝承は、祀られている神の由緒を示唆するものであった。

名が違えど、全て二柱の彼らになる。


実際に海峡を通したとは考えにくい。

 

 

  応神天皇

 

応神天皇は初の天皇であり、4世紀後半(350年以降)頃。

彼らは200年前後の3世紀頃と推測。

 

記紀では神功皇后と仲哀天皇との御子であるが、彼女の妊娠期間はあり得ない長さであり、事実でない事を遠巻きに示唆していると思われる。

  


記紀に登場する彼らの御子、応神天皇とは別物であろう。

 

彼女の夫は高良神であり、住吉神なのだ。

その実、皇祖神の天照、饒速日命と御炊屋姫。

 

「応神天皇」を彼らの御子とした理由としては、十分ではないだろうか。

彼らが皇祖神であったからこそ、御子と設定したのだろう。

 

 

彼女の時代の根拠の一つである七支刀の贈与も、偽装だと思われる。

七支刀は石上神宮の所有であり、彼女は摂社の祭神の一柱だ。

それも神の由緒を示唆するものと考えられる。

 

 

神話では、仲哀天皇の父はヤマトタケル命。

推定、西暦100年頃の者。

 

4世紀後半の応神天皇がその孫とは、時代が合わない。

 

 

ゆえに気比神宮で「名を変えた」応神天皇は、その相手の伊奢沙和気大神之命(いざさわけのみこと)=御食津気比大神(御食津神・みけつかみ)と同神になる。

 

御膳津神(みけつかみ)は、大神神社の御炊社の神であり、御炊屋姫を意味するもの。

祭神の大物主神は、彼女の夫神の饒速日命を示す。

夫婦で同じ名(または対応する名)を持つので、気比神社の御食津神も彼となる。

 

彼はツヌガアラシト。

筑紫の伝承から、高良神、饒速日命と繋がっている。

 

 

 

  その他

 

那珂川では水路井堰、あるいは門を”からと”とよぶ。これを筑紫で唐戸或いは韓比(からこ)と書く。Kharait(カライト)は遠い黄泉の国の名称である。樺太は大陸から長い水路を隔てた離島の意であった。

 

関門海峡の山口側は「唐戸」。

広い意味で水路か。

 

 

筑紫の古語に”たつのはえ”がありました。彩雲のことで後に”ちはや”に略化しました。天地が震撼して大雷の後に晩霞として空に映るとも語られました。

 

真鍋氏は地震雲などの宏観異常現象を研究なさっていた。

度々、このような記述がある。

 

 

 

(つづく  )

 

 

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