武内宿禰は300年生きて、天皇家に五代仕えたと言う。

しかし彼は筑後国一之宮高良大社の高良神。

この国のほとんどの神は、彼ら二柱の天照。

 

では、景行天皇とは。

 

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★目次

☆1 武内宿禰

☆2 高良玉垂命

☆3 景行天皇の熊襲征伐

☆4 暗号

 

 

  武内宿禰

 

300年というと、14代ほど変わる期間だ。

以下の記事の時に触れた。

 

300年も生きてて五代しか経ていないとは、そこから矛盾している。

(間が空いているわけではなく、天皇がそれだけ変わっている)

 

よって、「武内宿禰」は継承された名であり、何人もいたという説も無いであろう。

 

(酷似の伝承は神の由緒を示す。浦島太郎(塩土老翁と同じ者)が300歳とは、武内宿禰と同神だと示唆するもの。彼は住之江から来た者(=住吉神と同神)なのだ)

 

 

 

彼が登場する期間のほとんどは、同じ時間軸なのである。

 

 

  高良玉垂命

武内宿禰は、筑後国一之宮の高良大社の高良神である。

 

高良大社

 

大社が伝える「高良玉垂宮神秘書」によると、神功皇后と夫婦であり、共に筑紫で熊襲退治をしていた。

 

彼は物部神、饒速日命であった。

 

 

彼女がその后の御炊屋姫(みかしきや・みかしや)=宗像神。

神話の神のほとんどが彼らに集約される。

 

高良神と宗像神は筑紫の神。

彼らは大和から筑紫へと異類(熊襲)を征伐しに訪れ、この地の神となったのだ。

 

 

神話の同神を示唆するものとして、これらのことが上げられる。

 

☆似たパターンの話がある。

☆同じような地名が出る(土地の起源譚など含む)

☆名を変えた彼らが関わっている。

 

よって、神功皇后までの天皇の逸話には、彼らの行動パターンのトレースがある。

それに加え、彼らの名を変えた神々が登場する。

 

神武天皇から後の時代は、主にこの三柱。

 

  大物主神

  天日槍(あめのひぼこ)

  武内宿禰

 

景行天皇の「熊襲征伐」は最たるものである。

 

 

  景行天皇の熊襲征伐

「日本書紀」の彼は、熊襲征伐をしに九州へ。

その後、武内宿禰を東国巡察させている。

 

ここまでの物語は「古事記」には一切無い。

 

景行天皇の熊襲征伐は、彼らの行動のトレースであり、事実ではないと推測している。

 

 

参考にしている岩波文庫の「日本書紀」の注訳にはこうあり、まったく同意見になる。

 

書紀の景行天皇の九州巡幸、熊襲征伐について、津田左右吉氏の説を上げている。

 

(1)書紀の行幸経路について地理上の錯誤が多く認められるが、それは地理的知識が明確でない遠方の地名を机上でつなぎ合わせたことによるものと思われる。

 

(2)物語を構成する種々の説話は主として地名説明のためのもので、事実とみなすのは困難であり、この種の説話を除けば物語の大部分は空虚なものとなる。

 

(3)登場する人名も地名をそのまま用いたものや、二人ずつの連称が多く、これらは物語を作るために案出されたもので、実在の人物とは思われない。

 

(4)中国思想に基づく修辞が認められる

(中略)

 

また物語の本旨たる熊襲征伐についても、熊襲の二人を、女子の計を用い、酒に酔ったところを殺害したとする書紀の所伝は、景行天皇記に見える倭健命(日本武尊)の熊襲征伐の物語と異工同曲で(以下、略)

 (岩波文庫「日本書紀」引用)

 

彼らの「熊襲征伐の為に大和から九州へ」、その物語を継承しているのだ。

 

これは日本武尊も同じである。

 

  暗号

 

☆彼らを物語に絡めている。

それが暗号のように、繋がっていく。

 

その視点で見ると、あちこちに彼らが関わる(関わらせている)のが分かる。

これらはその一部。

 

☆景行天皇の九州巡幸の際、肥前国風土記には高羅行宮に滞在したとある。

今の高良大社だ。

(風土記などの書は記紀を元にしているものがある)

 

☆日本武尊の東方巡幸の前に「武内宿禰」が赴いている。

彼は九州へ「熊襲征伐」に赴いた饒速日命である高良神。

(武尊の巡幸、討伐も彼の行動のトレースであるとみている)


☆日本武尊の草薙横刀は、熱田神宮へ。

熱田神宮の神、天照大神は饒速日命。

(彼の伝承の熱田神宮に祀られる草薙剣の価値を高めるものではないか)

 

☆武尊は、伊勢神宮に蝦夷を連れて来た。

それらが騒ぐので、三輪山の麓へと連れて行った。

また騒ぐので、大和から出した。

これらの者が、播磨、讃岐、伊予、安芸、阿波の五国の佐伯部の祖となった。

 

➡伊勢の神、三輪の神は同神と示唆。

五国の祖は、大和から分かれた者である。

石が飛んで他の社に行った、

鹿が神を乗せて行ったなど、関連付けられているものは同神を示唆している
 

 

☆土地や国の祖の起源譚に、彼らが関わる。

 

*水沼別(みぬまのわけ)の始祖

豊戸別皇子の兄。

 

水沼は福岡県の三潴(みずま)。

高良神が三島神として、多く祀られる地域である。

そのほとんどに配祀神に神功皇后の名もある。

水沼の一族が祀る神ゆえ。

 

豊神である豊姫は、高良大社本殿合祀の豊姫。

高良神の后の神功皇后である。

 

 

*日向国造の始祖

景行天皇は御刀媛(みはかしひめ・弥波迦志)を后として

豊国別皇子を生む。


豊神は、上記の通り。

またイザナギ、イザナミ神の国産みにある「筑紫島の四つの面」の一つ、「豊日別」神は彼女だ。

 

「筑紫の日向」である建日向豊久士比泥別の「豊」も彼女を意味する。

(久士は櫛玉饒速日命)

 

彼の后は御炊屋姫(みかしやき・みかしや)。

(これが神功皇后)

 

その名の酷似は偶然ではないだろう。

 

他に

☆志我神は、志賀海神社の志賀神。

高良神と同神。

 

 

よって、景行天皇は存在しないか、彼らの後の世の人物と推測される。

存在したなら「空白の4世紀」と言われるその時代の方ではないだろうか。

 

 

 

( つづく )

 

*参考

岩波文庫「日本書紀」

角川文庫「古事記」中村啓信 著

 

 

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