羽衣伝承には籠神社の御祭神の豊受大神と塩土老翁が関わる。

彼は住吉神であり、高良神=武内宿禰。

二柱は夫婦であった。

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★目次

☆1 羽衣伝承

☆2 羽衣伝承の織女神

☆3 住吉大社の二柱

 

  羽衣伝承

(「儺の國の星」30、阿賀星(あがのほし)より引用)

駿河国風土記 三保松原の条に

 昔、神女あり、天より降りてきて、羽衣を祀の枝に曝(さら)しき。漁人、拾ふ得て見るに...

 織女(たなばたつめ)の機中(はた)の物か。

天女の衣掛けの松の伝説は、黒潮が礒を洗う地に多い。...海幸がいつしか山幸に居を移した永い歳月が山姥の物語に感じされる。

 

この文章は、まるで暗号だと感じる。

すべて神に繋がっていく。

 

上記の駿河国風土記の「羽衣」とは、「羽衣伝承」のこと。

神の由緒を示唆するものであった。

神が勧請されたと同時に、伝承もその土地の物語として移る。

 

ゆえにその地には同じ神が祀られていることになる。

これは、京都丹後の籠神社にもあった。

 

以下の記事に書いている。

 

「丹後一宮籠神社縁起」には、

天女が豊宇賀能売命であり、羽衣を盗んだ老翁の名は塩土老翁(しおつつのおじ)とある。
 

天女は豊宇賀能売命。

籠神社のご祭神、豊受大神である。

 

羽衣を盗んだ老翁は、塩土老翁(しおつつのおじ)。

住吉大社の奥宮の神であるので、住吉神そのものを意味する。

 

住吉神は、高良神と同神と、「高良玉垂宮神秘書」にある。

更にその書には「物部の神」とあった。

 

断定するが、物部氏は、彼らの祖神以外を祀らない。

饒速日命と后の御炊屋姫である。

 


饒速日命は、籠神社のもう一柱の神、天火明命

また、住吉大社の社家の祖神も天火明命であった。

天火明神は、饒速日命=住吉神=高良神となる。

 

つまり、「天女の羽衣」の神は、籠神社の豊受大神と天火明命(=饒速日命=住吉神=高良神)。


 

  羽衣伝承の織女神

 

籠神社の天火明命が饒速日命であり、住吉神=高良神ならば、女神は何者か。
 

籠神社の御祭神は天火明命、豊受大神。

絵馬では饒速日命と市杵島姫命と名を変えている。

 

天火明命は、前述より饒速日命であった。

絵馬の神はご祭神を意味していた。

 

出典*籠神社HP*導き絵馬

 

では、豊受大神は市杵島姫命=宗像神なのだ。

 

豊受大神の別名は、御膳津神(みけつかみ)。

(宇迦之御霊も同神=豊宇賀とはこれを意味する)

彼女は大神神社の摂社、御炊社の神。

 

饒速日命の后の御炊屋姫、その人が豊受大神ということになる。

 

籠神社の天火明命と豊受大神とは、饒速日命と御炊屋姫になり、二柱は夫婦であるということになる。

 

ゆえに「丹後一宮籠神社縁起」が解かれる。

豊宇賀能売命は祭神の豊受大神であり、御炊屋姫。

塩土老翁は、天火明命であり、饒速日命。

 

その縁起は、祭神が住吉神であり、二柱は夫婦だと告げるものであった。

 

 

御炊屋姫の社は、弁財天=市杵島姫命と呼称されている。

 

この市杵島姫命は棚織神=織女神。

前述の「籠神社縁起」にその名がある。

 

二つのヒメコソ神社(七夕神社)から織女神に繋がった。

 

 

棚織神(織女神)=栲幡千千媛=市杵島姫命=宗像神

 

さらに、ヒメコソ社のもう一柱から、

磐舩神=饒速日命=高良神=住吉神=八幡神

 

ヒメコソ神は、牛斬岳麓の現人神社のツヌガアラシト神が追って来た神。

周辺に香春岳(=高良峰)があり、「高良玉垂宮神秘書」にある高良神が異類を倒した所。

彼は神功皇后と共にそれを退治しており、彼女が后。

 

よって、ヒメコソ神は神功皇后(息長垂姫)。

香春神社の辛国息長大姫大自姫であった。

(「神秘書」の高良峰、概要と関係図)

 

羽衣伝承の神の籠神社の豊受大神は、御炊屋姫であり、市杵島姫命=織女神=神功皇后となる。

 

  住吉神の二柱

 

籠神社の天火明命は=饒速日命=塩土老翁であり、住吉神であった。

 

大阪の住吉大社には、住吉三神と神功皇后が祀られている。

 

住吉大社*第一本宮*底筒男神

 

「住吉大社神代記」には、住吉神と神功皇后が密事を行ったとある。

住吉神は高良神であり、「高良玉垂宮神秘書」では、神功皇后と夫婦とある。

 

住吉大社の二柱も夫婦であるのだ。

 

神話のイザナギ神という一柱により現れた神は同神を意味している。

住吉三神は一柱の神。

「神秘書」では、彼は底筒男神であるので、第一本宮の神がそれになる。

 

 

高良神と神功皇后には、海幸彦山幸彦、浦島太郎に酷似の伝承がある。

神は彼らであり、それらは彼らの物語を元にしている。

上記の記事にもあるが、住吉大社の摂社の大海神社の井戸には「潮満珠」があるという。

神の由緒を示唆するのものなのだ。

 

 

その伝承にも「塩土老翁」が関わっていた。

浦島太郎、海幸彦を竜宮へと導いた者。

 

彼は、籠神社の「天女の羽衣」の神でもある。

 

つまり、「天女の羽衣」も、「浦島太郎」も神話の「海幸彦山幸彦」も、すべて同神を示唆する物語であったのだ。

裏を返せば、伝承を辿って行くと、彼らに繋がるのである。

 

「儺の國の星」では、七夕神について、繰り返し語っている。

すべて彼らに繋がるからだと思う。

 

とくにこの記事の和布刈(めかり)神社の伝承から、

 

 

女神天照=撞賢木厳御霊天疎向津姫=瀬織津姫=弁財天=市杵島姫命=宗像神

 

日子穂々出見命=天火遠命=山幸彦=豊玉彦=志賀神=海神=綿津見神(八大龍王)=安曇磯良神=高良神

 

と、繋がっている。

ここにも山幸彦と神功皇后の伝承が別々にあった。

神話では、時代が違う者とされているからだ。

 

これは、福岡の楯崎神社と波折神社にもあった。

 

 

 

天女の羽衣の神が塩土老翁であり、浦島太郎が最後に翁になるのは、高良神が武内宿禰であるからであろう。

彼は300年、代々の天皇に仕えたとされる。

 

彼の長寿は、記紀の矛盾を埋めるものであり、それこそ彼が鍵なのだ。

 

 

彼女の御子、応神天皇は実在の可能性が高く、4世紀後半とされている。

しかし、その祖父のヤマトタケル命は、実在していれば1世紀頃と推定。

 

その300年の間に、武内宿禰は存在していることになる。

 

彼らは饒速日命と御炊屋姫。
皇祖神である二柱の天照だ。
 
最初の天皇である「応神天皇」を、天照である神功皇后の御子として設定したのではないか。
 
高良大社の祇園山古墳の造営年が3世紀半ばならば、彼らは3世紀前後(西暦200年)頃の者である。

 

 

 

彼らが籠の神である故に、他の言葉も繋がる。

「黒潮が礒を洗う」

彼は磯神=高良神であった。

 

「三保松原の条に...」

奈良の村屋坐彌冨津比賣神社には、大国主神と彼の后の三穂津媛、摂社の物部神社には御炊屋姫が祀られている。

彼は三輪山の大物主神。

こちらは代々物部氏が社家であるので、祖神は彼ら。

饒速日命と御炊屋姫。

 

三保とは、三穂津姫を示唆していると思われる。

神の名が土地の名となることが多いのだ。

 

土地を守護する者という意味があるのだろう。

 

 

 

「儺の國の星」の言葉の全てに繋がった。

 

 

(つづく  )

 

 

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