昔、玄海灘と有明海は繋がれていた。

伊曽良舞の神は磯神であった。

彼は志賀海神社の祭神であり、高良神である。

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★目次

☆1 玄界灘と有明海は繋がれていた

☆2 磯良神と神功皇后

·   *磯羅舞

·   *磯良神

·   *高良神

·   *龍神・安曇磯良神

·   *八大龍王と浦島太郎 

·   *志式神社の天火明命と高良神

·   *祇園の神

☆3 蹈鞴の神*フツ

 

 

  玄界灘と有明海は繋がれていた

(「儺の國の星」11、石籠星(いづらのほし)より引用)

博多の古名を石城府と言う。昔玄海灘と有明海が舟行の水路で茂っていた頃、今の対馬小路(つしましょうじ)から五十川(ごじつかわ)、雑餉隈、水城を経て太宰府に至る間、石籠(いしづろ)或いは石堂即ち灯台が置かれて潮の満ち引きにあわせて夜間も航行を可能ならしめていた。今の井尻なる部落名は石籠のあったところの一つと語られている。

(中略)

これは塩原(しおばる)村の伝説であった。昔は昼夜の別なく塩焼く御明(みあかし)をも見守り見巡る番をかねていたのである。(真鍋,1982,P51)

 

古代、玄界灘と有明海は、針摺(はりずり)で繋がれていた。

(後の記述)

近東の胡語、Khaliteハリチは狭い水路。

針摺は昔の瀬戸。注野の面影はない。

 

上記はその状態を示している。

これに関する土地名が、この後何度も出る。

 

今回は、主に図を中心に。

 

図1 古代の北部九州

 

★1 針摺

★2 水城

★3 四王寺山

★4 雑餉隈(ざっしょのくま)

   井尻(いじり)は灯台があり、夜間の航行を可能にしていた。

★5 塩原(しおばる)は、塩を焼き昼夜火が灯っていた。

 

 

★3 が四王寺山。(後に記載される)

四王寺山は潮路見(しおじみ)山、或いは四明山と呼ばれた。

麓の別院が安楽寺であり、今の天満宮になっている。

今から千八百年前の昔はここで南と北の潮目の満ち引きを見る安楽人の望楼観亭があったと伝えられている。

筑後久留米高良大社の絵巻物がこれを語る。

(真鍋,1982,P82)

 

四王寺山は下の図の左上。

 

図2 左 YAMAP(さすが山ナビ。高低差が出る)

右 Google map

 

☆「儺の國の星」6に記載した図
 

図3 文化財総覧Webより。

図2の針摺辺りの文化財の出土の様子。

ほぼ出土していないと言える。

下の写真は、宝満山から針摺を見た所。
図2の四王寺山の右に宝満山
 

図4 宝満山から南東を見た所(玄界灘は右方向)
針摺*写真の真ん中辺り
その奥、小高い山が天拝山
正面奥の高い山が基山
 
この間に海があったことになる。

(詳細記事)

 

神話に登場する竺紫とは、この状態を示す。

 

図5 左 海面上昇シミュレーションシステム

右 Google map

 

図6 糸島教育委員会制作「古代の海」

 

根拠の一つである、糸島教育委員会制作の「古代の海」

 

この状態は標高3mだそうだが、この状態になるには、標高が分かるwebで見ると4m。

瀬高が標高5m辺りなので、海の瀬が一番高い時が5mと推察し、図1、2は5mとした。(普段は3~4mでは)

 

尚、海の合間の小高い場所は反映されないので、真っ青になっている。

 

これに関わっているのが、神功皇后と高良神の伝承。

彼は武内宿禰であり、住吉神でもある。

常に彼女の側におられた。

 

 

神話の最初の方にある「筑紫島の四つの面」の白日別は、筑紫の国魂、筑後国一之宮の高良大社の高良神。

では神話は、彼に関わりがある者ということになる。

 

彼の后は神功皇后。

大社合祀の豊姫=豊日別が彼女

彼らは異類(羽白熊鷲・熊襲)を退治していた。

これが建日別になる。

 

 

  磯羅と神功皇后

(「儺の國の星」10、石籠★より引用)

 

宋(九六〇~一二七九)から元(一二七一~一三六八)の頃、大陸は博多津を五龍山と称しました。今津から姪浜あたりのことであります。これを倭人は”いそら”と誦んでおります。かってのいそらに言寄せた名であります。昔は石籠星(いずらほし)はもっと明く、もっと眩く凝視していると目が疼くほどの輝きでありました。鹿海の伊曽良舞には神が白布で顔を被ういであります。まさに石籠星の象徴であり、舟人にとっての無上の目標であったことになります。

 

*磯羅舞

上記、「鹿海(しかうみ)の伊曽良舞」の鹿海とは、志賀島のこと。

伊曽良舞は、福岡一帯の社で奉舞される神楽の「磯羅舞」。

志賀島(半島)の付け根にある志式神社で、磯羅舞が奉舞されており、かの書はこれを示している。

地元那珂川の伏見宮の祇園祭でもあった。

 

伏見神社
 

内容は、志式神社とほぼ同じ。

 

登場するのは、武内宿禰(白い方)と、磯羅神。
後に豊玉姫。
海神。

(神功皇后は解説でのみ)                   
神功皇后が武内宿禰らと共に三韓征伐に行く。
武内宿禰が干珠満珠を、海神から授かりたいと思う。
 

磯羅神が行くが、なかなか渡してくれない。

 

豊玉姫が行く。

海神は、干珠満珠が欲しければ舞を舞えと豊玉姫に言う。

 

 

豊玉姫が舞うと渡してくれた。

(詳細は、下の記事で)

 

*磯良神

「儺の國の星」の鹿海の伊曽良舞の神は白い布で顔を覆っていた。(おそらく、志式神社の神楽がそれ)

 

理由は、鹿島神の由緒を記した「琉球神道記」にある。

 

「鹿島明神はもとはタケミカヅチの神なり。人面蛇身なり。常州鹿島の海底に居す。一睡十日する故に顔面に牡蠣を生ずること、磯のごとし神功皇后、三韓に征し給う時に九尾六瞬の亀に乗りて、九州にきたる。勅によりて、梶取となる。 また筑前の鹿の島の明神。和州の春日明神。この鹿島。同じく磯良の変化なり。」

 

磯良が、白布で覆っているのは、顔が磯のようであったから。

 

磯良は、鹿の島の明神、奈良の春日明神、鹿島明神と同神であると言う。
鹿の島は、「儺の國の星」の鹿海、志賀海神社がある志賀島。
祭神の志賀神は、綿津見神である。
 
 
*高良神
彼は高良神であった。
「高良玉垂宮神秘書」にも上記と同じ文言がある。
 

安曇磯良神とは筑前国にては志賀大明神

常陸の国にては鹿島大明神

大和の国にては春日大明神

 
さらに武内の宿禰も彼
つまり、
高良神=安曇磯良神=志賀神(綿津見神=海神)=鹿島神=春日神=武内宿禰=磯良神
 神楽の神は、みな、同じになる。
 
 
*龍神*安曇磯良神 
 
神楽「磯羅舞」の元となる話は、この志賀海神社にある。
 

 

神功皇后が三韓征伐の際、勝馬の海(玄界灘)で祈ると、金色の亀に乗った志賀明神、勝馬明神が出現。
神功皇后に千珠万珠を授け、船の航路と舵取りをした。

(境内の案内板より)

 

勝馬の海とは志賀島の海。

伊曽良舞の神は志賀神の磯良であり、高良神であった。

 

この社は龍宮と呼ばれていた。

彼が龍神であるからだ。

 

京都の祇園祭では、龍神・安曇磯良神として登場する。

「祇園祭船鉾保存会」のHPには、このようにある。

 

京都の祇園祭の主役の一人は神功皇后。
住吉明神は、神功皇后を助ける副将。
鹿島明神は、船鉾のかじ取り役。
そして、龍神・安曇磯良神は、船鉾の案内役。
満珠・干珠を持ち、海流を自由にできるという。

 

 

神功皇后以外は、高良神なのだ。

 

 

*八大龍王と浦島太郎

志賀海神社の神は、高良神であり、龍神。

かの社の祭神は、綿津見神(彼と同神)。

 

佐賀の八大龍王社の神は綿津見神であるので、彼は「八大龍王」となる。

 

同名の社には、志賀海神社、伏見神社と志式神社の磯羅舞と酷似の伝承がある。

これが、浦島太郎の話の元であり、その伝承がある社の神は彼らであることが分かった。

神が勧請された時に、伝承もその土地の神の話(由緒)として移されるのだ。

ゆえに、全国に同じような伝承がある。

 

 

 

*志式神社の天火明命と高良神

 

磯羅舞は志式神社でも奉舞されていた。

神事は祭神の為に行われる。

 

祭神は、天火明命。

籠神社の神であり、かの社では饒速日命としている。

 

磯羅舞の磯良は高良神であった。

では彼は、饒速日命と言うことになる。

 

 

 

「高良玉垂宮神秘書」からも、繋がっている。

彼は饒速日命だ。

 

 

*祇園の神

磯羅舞は伏見神社の祇園祭で奉舞されていた。

京都の祇園祭でも主役は彼らだ。

 

神事は祭神の為に在る。

彼は高良神であり、祇園の神とは彼になる。

 

高良大社の下社は、祇園さんと呼ばれている。

彼がそれであったからだ。

 

高良神は祇園神(スサノオ命=海神)。

月神(月読神)ともされる。

また、饒速日命は天照、日の神。

 

同神の住吉神は海の神、星の神。

饒速日命=布留神は星の神(隕鉄の剣=蹈鞴の神でもあるだろう)。

 

神話の三貴神(日月海)、その他も神も彼らであった。

 

彼の伝承には必ず神功皇后があった。

彼女は高良神の后であり、饒速日命の后、御炊屋姫なのだ。

 

子孫が移り、そこで名を変えた神を祀る。

全ては二柱の神になる。

 

 

舟人にとっての無上の目標であった石籠星、シリウス。

磯羅(磯良)神である高良神がその人であった。

 

故に「夜渡星」志賀海神社には夜渡祭(=シリウス)があるのだ。

 

彼は住吉神。

海の民にとっての希望の神であった。

 

 

 磯羅舞の彼の顔が、磯のようであったとは、その名からであろう。

 

 

  蹈鞴の神*フツ神

 

(以下、「儺の國の星」11、石籠星 要約)

シリウスの別名には湯面星(めつらぼし)もあった。坩堝(るつぼ)の中の焔色(えんしょく)反応に例えられていること。(真鍋,1982,P82)

 

これは、多々羅(蹈鞴・たたら)の職人が見て感じたもの。

 

「夜渡星」にもあったが、シリウスの輝きは蹈鞴の火に重ねられている。

 

また、”フツ”も火であった。

その名は、火を扱う民が神とした、彼の名の一つなのである。

 

 

布都留(ふつる)物部とは、先代旧事本記にある饒速日命と共に天降った、物部の一族の一つ。

 

布津神、布留神とは、石上神宮の神である。

 

社がある天理は、昔、丹波市(たんばいち)との地名であった。

 

丹波氏は、「神部物部を秘す為に名を変えた五氏」の一つ。

 (あくまでも饒速日命のお供。彼は高良神であり、筑紫の神)

 

布都留物部は丹波氏と名を変え、更に石上神宮の社家として現代までそこに在る。

 

石上は、磯神。

 

安曇磯良神である高良神は、饒速日命なのだ。

 

伊勢は古来、磯宮であり、彼は磯神。

天照が彼なのだ。

 

神話の神は、みな彼らに繋がる。

 

 

 

(ちょっと長くなりました!あえて分けませんでした)

 

(つづく  )

 

 

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古代や神のこと、少しずつつぶやきます。

小分けなので分かりやすいかもです爆  笑

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