シリウスは夜渡星であり、伏見星。
二柱の天照神(日神)は、星神でもあった。
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★目次
☆1 志賀海神社の夜渡祭と伏見星
☆2 志登神社と北辰の神
☆3 島は星
☆4 北辰は生命の根源
志賀海神社の夜渡祭と伏見星
(「儺の國の星」10、夜渡星(よどのほし)より引用)
今も筑前糟屋鹿海(しかのわたつみ)神社では夜渡祭(よどのまつり)が執り行われている。シリウスを筑紫では夜門星(よどのほし)、夜通星(よどほしぼし)、恵蘇星(よそのほし)などと呼んでいた。冬の季節に日が暮れると東天に現れ、明け方に西天に没する星(中略)古人は時刻を計るに水平線を出入りする星影を見遣った。この種の星即ち高殿から見下ろす星を伏見星と言った。これとは別に四季を教える頭上の星を天津星(あまつぼし)と区別した。
(真鍋,1982,P47-48)
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更に真鍋氏はこのようなことを書かれている。
昔の人にとって、シリウスは伏見星(水平線を出入りする星)になる。早寝早起きをしていたので、いつも地上付近でしか見ていないから。
要約すると、鹿海(志賀海)神社の夜渡祭とは、シリウスを意味している。
シリウスは、「伏見星」であり、筑紫では夜門星(よどのほし)と言った。
天津星(天頂)とは、シリウス(伏見星)と相対する星ということになる。
淀姫(豊姫)と繋がる。
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*伏見の神
那珂川の伏見神社には、淀姫が祀られており、神功皇后の妹の豊姫と同神とされる。
これは「高良玉垂宮神秘書」にもあった。
この夜渡星の項にも記述がある。
延喜式神明帳の頃には、豊姫或いは、淀姫が筑紫三原と肥前佐嘉(佐賀)に祀られておりました。
(真鍋,1982,P49)
伏見神社は、肥前佐賀の與止日女神社(よどひめじんじゃ)から勧請しており、同神ということになる。
この豊姫は高良大社の本殿に合祀されている。
しかし、高良神の后は「高良玉垂宮神秘書」では、神功皇后。
后を差し置いて共に祀らないので、豊姫は彼女自身となる。
神とは言えど、神ならばこそ、失礼になってはならないだろう。
よって、伏見神社の豊姫は神功皇后。
彼女の夫と「高良玉垂宮神秘書」にある高良神は、饒速日命なので、彼女は御炊屋姫となる。
筑紫三原の豊姫とは赤司八幡宮。
主祭神は宗像神。
宗像神(市杵島姫命)は、御炊屋姫である。
繋がるのだ。
ゆえに、伏見の神は、神功皇后=御炊屋姫
(次回、詳細)
*神まとめ
*天津星
伏見の神に対する、天頂にある星が天津星。
先代旧事本記にある天孫二十五氏の一つ、弦田(つるた)物部の祖が天津彦星。
高良大社の麓に富松神社があり、弦田物部の祖、天津彦星が祀られている。
さらに宮若市の鶴田には天照宮があり、饒速日命が祀られている。
同じ一族が祀った同じ神ということになり、
高良神=天津彦星=天照=饒速日命
饒速日命は、神話の天津甕星である。
ゆえに天津彦星=天津甕星。
対して、后の御炊屋姫は、建葉槌神に繋がっている。
天津甕星を退治する神である。
神話のこの話は、天照の交代、彼らの異類退治を意味していると思われる。
(以下の記事に詳細)
彼らは「儺の國の星」の伏見星と天津星と繋がる。
相対する位置にある二つの星の神が、彼ら。
神話の天津甕星、建葉槌の話は、星の位置からも作られたと言えるのではないだろうか。
*甕依姫と卑弥呼
彼には、櫛甕玉彦の名もあった。
后の御炊屋姫は櫛玉姫であり、櫛甕玉姫。
尚、筑紫の伝承で甕依姫が神功皇后と結びついている。
彼女が御炊屋姫なので、
御炊屋姫=甕依姫=神功皇后
御炊屋姫(みかしきやひめ)は、三炊屋姫とも書く。
御(み)は、敬意を意味するものではないようだ。
みかは、彼女の本来の名にあるのではないかと推測している。
卑弥呼がひみかと呼ぶのなら、彼女のことであっても不思議ではない。
彼女の墓だと想定している祇園山古墳の造営年は、三世紀半ば頃である。
*高良大社の富松神社から弦田物部は、八女の鶴田村と分かった。
おそらく、宮若と両方であると思う。
八女には熊野神社がある。
志登神社と北辰の神
(10、夜渡星(よどのほし)より引用)
海面が静止した時にシリウスが水平線から離れる瞬間に上下互にとけ合ったように連る時は必ず地震津浪が現れると語られておりました。/昔の人は外界の波に動じない海淵を沼津域は、志登と呼び、星影のゆらめきを見て海の異変を察しておりました。/図七(とし)或いは七斗(しと)を萬葉仮名で写した地名であり、怡土もその派形であります。志登(しと)なる社は妙見の祠が建つ天平以前の昔の信仰の存在を示しております。(真鍋,1982,P49-50)
怡土(いと)である糸島には志登(しと)神社と登志(とし)神社がある。
その名の神社は他になく、この両社のことであろう。
志登神社
両社は、彼らに繋がっている。
(リンクは記事の下)
境内には太陽観測石がある。
もしかすると、星の観測にも使っていたかもしれない。
妙見とは、北極星、北辰神の天御中主神でもある。
ここに祀られている神は、彼に繋がるのだ。
住吉神と北辰神が新嘗祭で繋がる。
この場所は、糸島水道と呼ばれる場所にある。
出典 ITOKOKU(ITOKOKU (inoues.net))
海が繋がっていたかは微妙だが、上記の海面標高になるには今の標高4mまで海があったことになる。(詳細、志登神社の記事)
この場所は内海になり、(地震津波を予測する為の)伏見星の観測に適していたということであるだろう。
それが志登であるから、社が志登神社。
祭神が伏見神社の神である「よど姫」につながる。
志登神社の祭神は、豊玉姫命
和多津見神(わたつみのかみ)
彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)
息長帯姫命(おきながたらしひめみこと)・神功皇后
武内宿祢命(たけのうちすくねのみこと)
伏見神社の祭神、淀姫は豊姫と同神であった。
彼女は神功皇后。
夫の高良神は、志賀神=綿津見神と同神。
(「高良玉垂宮神秘書」より)
社家の安曇氏の祖神は、「新撰姓氏録」で「海神綿積豊玉彦神子」。
祭神の綿津見神は、豊玉彦である彦火火出見命と同神ということになる。
彼が豊玉彦なので、彼女は豊玉姫。
さらに安曇氏は「神秘書」で、「物部を秘す為に名を変えた五氏」のひとつ。
祭神は饒速日命であった。
高良神である武内宿禰が、彼なのだ。
よって、二柱の祭神が祀られていることになる。
また豊玉彦の神話は、山幸彦海幸彦。
同神であるので、志賀海神社の伝承の高良神(安曇磯良神)と神功皇后。
同神を意味する「浦島太郎」「八大龍王」の話は、神の由緒を意味する。
次の記事でも繋がる。
島は星
(10、夜渡星(よどのほし)より引用)
舟人は洋上で島影を見つけると舟を寄せた。
”しま”の言葉の陰に”ほし”があり、星に命を預けて海を渡すところが察せられる。
(真鍋,1982,P50)
島と星は同義語という文言もある。
空の星のように、海上の島を星と見立てて(目印)としていた故であろう。
前回も書いたが、三星は住吉神を意味する。
大和では三島神は布留神、石上神宮の饒速日命。
筑紫では高良大社の高良神。
高良神は住吉神と同神であり、物部の祖神の饒速日命であった。
星辰は命の根源
(10、夜渡星(よどのほし)より引用)
古人は星辰を生命の根源と信じていました。
(真鍋,1982,P50)
☆彼ら(二柱の天照・饒速日命と御炊屋姫)は、星神であった。
☆神話の神は全て彼らに集約される(同神)。
☆神々の名は、「儺の國の星」にある星の名でほとんどが説明がつく。
☆彼らの子孫は、それぞれの神を持つが、すべて彼らと同神になる。
(子孫が祖神を祀るので)
➡大元の神が星神であるから、神々のほとんどは星の名から付けられたもの。
と言えないだろうか。
また、神話はそれぞれの一族が祀る神を、場面ごとに登場させ、彼らの伝承のトレースなど意味を持たせている。
最も重要な「天照の交代」、これに関わる時、名を変えた二柱は相対する者になる。
それが天照神とスサノオ命(日と星)
イザナギ神とイザナミ神
天津甕星と建葉槌など
同時に彼らの「異類退治」=祓いも意味していた。
では、上に書いた仮定が成り立つ。
夜渡祭がある志賀海神社の神と、淀姫が祀られる伏見神社の神はシリウスを意味するということになる。
志賀海神社の神は高良神と同神。
伏見神社の神は豊姫であり、神功皇后。
彼らは夫婦であり、星神。
志賀海神社で夜渡(=シリウス)祭があるのは、彼らが星神ゆえであった。
日神である天照が星神。
前回より、スサノオ命は星神であった。
彼は高良神である月神=月読神。
日、月、星の神は同神。
よって、イザナギ神の禊から現れた三貴神は同神なのだ。
それが、三ツ星の神である住吉神=高良神。
饒速日命と高良神が三島神であるのは、同神ゆえだ。
(つづく )
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