福岡県福岡市西区
登志(とし)神社

志登神社のある糸島半島の東に位置していた。

 

右の赤マークが志登神社 

その斜め左下が登志神 

(地図はGoogle map)

志登神社とよく似てるその名前。

関係あるはず!

側には、行きたかった毘沙門山がある。

 

 

正面の鳥居 住宅街にあるので、車は浜の方の空き地に止めて5分ほど歩いた。

 

拝殿

 

御祭神。

 

 豊受姫大神  中筒男命  姫大神 

 

境内社に 

陰若神社   息長帯姫命(神功皇后) 

稲荷神社   倉稲魂神 宇賀竜神 大己貴神 

志賀神社   表津綿見神、中津綿見神、底中津綿津見神 

五十猛神社  五十猛神 

 

としの名から、歳神である稲荷神としての名が祀られていると推測していたが、やはりあった。

 

 

配祀されている神は、寄せ集めではない。 

名を変えた同神を示す。 

 

☆御祭神解説 

 

中筒男神(住吉神)は、高良神。 

 

高良大社(福岡県久留米市)は、物部氏の祖神・饒速日命を祀る社。

彼は大己貴神であり、歳神・稲荷神

 

志賀神、五十猛命は、高良神と同神。(高良玉垂宮神秘書) 

神秘書では神功皇后と夫婦。

 


豊受大神姫大神は宗像神のこと。 

市杵島姫命であり、豊受大神である御炊屋姫。 

*大神神社の御炊社=豊受大神(御膳津神・みけつかみ)=御炊屋姫=弁財天=市杵島姫命(宗像神)

彼女は饒速日命の后。 

 

 

住吉神である高良神は饒速日命で、 

その后は豊受大神であり宗像神である御炊屋姫。 

彼らは夫婦であった。 

 

ゆえに神秘書で住吉神と夫婦であったという神功皇后は彼女。   

 

 

彼らは、豊玉彦、豊玉姫のモデル。 

「豊玉彦の伝承」の干珠満珠を操っていたのは高良神(住吉神)。
 

高良玉垂神の名は神功皇后に玉を垂れた(授けた)ことを意味する。 

玉を垂れられた(授けられた)のは神功皇后であった。。
息長垂(足)姫の名はそれを示唆。

 


ご祭神・豊受大神は、豊玉姫でもあり、豊姫でもあった。 

高良大社の本殿には、豊姫が共に祀られている。 

「豊姫」が后であるからだ。

 

 

筑紫には、大己貴神と宗像神との伝承もある。 

それは大神神社の饒速日命と、宗像大社の市杵島姫命。

 

住吉神と神功皇后や、名を変えた彼らの伝承地に重なる。

それぞれ同神であるからだ。 

 

社の神、伝承からは、真実へとたどり着く。 

 

各神社の伝承はでたらめの話ではない。 

後利益があるからと人の都合で神を寄せ集めたわけではない。

 

 

社の裏にある毘沙門山を登る。
頂上までこんな林道が通っている。
20分ほどで頂上。

上宮

 

 

拝殿の横には毘沙門天さまがおられる。

 

高良山の別名も毘沙門山。 

高良の神は毘沙門天と習合されていた。 

 

ここには高良神である住吉神が祀られている。 

だから毘沙門山なのだ。

 

 

糸島の港を守る神として、海の神である住吉神が祀られ、彼が高良神であるので毘沙門天としても祀られていたのだ。

 

 

 

 

 

 

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