五島美術館で「一休―とんち小僧の正体―」を観た! | とんとん・にっき

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五島美術館で「一休―とんち小僧の正体―」を観てきました。今回は「五島美術館 開館55周年記念特別展」だそうです。観に行ったのは11月12日のことです。だいぶ秋めいてきました。思っていた以上にたくさんの人が見に来ていました。やはりご婦人方、それも着物を着た人が多かったように思います。五島美術館には着物姿が似合うんですね。


大人から子供まで、一休さんはおそらく日本で一番有名なお坊さんでしょう。絵本からテレビアニメまで、愛嬌たっぷりのくりくり頭のルックスは、一目見たら虜になってしまいます。そのルックスを見ると、アニメの主題歌「好き好き 好き好き 一休さん」がつい口元から出てきますし、頭に手を載せながら「慌てない 慌てない」という決めのポーズは、あまりにも有名です。また「このはし渡るべからず」のとんち話でもよく知られています。


が、しかし、実は室町時代の乱世に実在した禅僧・一休宗純です。10数点も並んだ一休の肖像画が出されていましたが、絵の数だけ逸話が語り継がれた人物です。すっきりした顔立ちのものから、ぼさぼさ頭に無精ひげのものまで、漫画やアニメの可愛い小坊主とはかけ離れたイメージです。酒と女性を愛し、数々の奇行を繰り返したことから、「破戒僧」とも呼ばれていました。


しかし一休は、後小松天皇の子という伝承を持ちながら徹底して栄誉を嫌い、多くの僧侶が権力におもねり贅沢な暮らしをするなか、粗末な身なりで民衆の中に入り、生活を共にしています。晩年の奔放な生活は、77歳、盲目の女性、森女と出会います。一休は森女との情愛を赤裸々に綴りました。この行動について、後世、さまざまな解釈がなされました。肖像画も1点だけ例外的に、一休宗純像とともに、森女が描かれたものがありました。


いま、思い出しました。水上勉の「一休」という単行本を読んだ記憶があります。が、どこを探しても見当たりません。たぶん、押し入れの奥の方に入っているのではないでしょうか。調べてみると水上勉の「一休」は、第11回谷崎潤一郎賞を受賞しています。昭和50年/1975年4月に中央公論社より刊行されていました。なんとか探し出したいと思います。










「一休―とんち小僧の正体―」

破戒の禅僧一休宗純(1394~1481)。社会への鋭い風刺に満ちたその奔放な書画や詩が人々を魅了する一方、「とんち小僧」という虚像はどのように生まれてきたのか。肖像画・墨蹟・著作・所用の品を中心に、近世の絵入本・浮世絵等、変貌を遂げつつ現代にまで続く一休伝説にも光をあて、その全貌を捉えようとする展覧会(会期中一部展示替あり)。


「五島美術館」ホームページ


goto1 「真珠庵」

真珠庵は一休宗純禅師(1394~1481)を開祖として、その遺志を継いだ堺の豪商尾和宗臨や当庵墨齋藤禅師をはじめ一休和尚の高弟子達により、延徳3年(1491)に創建された大徳寺の塔頭である。方丈は寛永15年(1638)に再建されたが、中央の何似塔(かじとう)に室町時代作の有髪の一休禅師像を安置する。ほう助愈三室の襖絵は曽我蛇足筆(1491)の水墨画で、他二室は長谷川等伯筆(1601)である。方丈東庭は一休和尚の参徒の一人、茶祖村田珠光の作と伝えられ、15個の石を七五三に配する。書院通仙院は、正親町天皇女御の化粧殿(かわいどの)を移築したものである。付属の茶室庭玉軒(ていぎょくけん)は金森宗和好みの二畳大目席で、雪国造りの内蹲居(うちつくばい)が特徴である。通仙院内の襖絵には墨齊禅師、伝相阿弥、狩野元信と室町中期の名筆が揃い、他に土佐光起筆の花鳥図がある。当庵の庫裡、方丈、書院、茶室、襖絵等はそれぞれ国の重要文化財に指定されている。



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