国立西洋美術館で「プラド美術館所蔵 ゴヤ 光と影」展を観た! | とんとん・にっき

国立西洋美術館で「プラド美術館所蔵 ゴヤ 光と影」展を観た!




2007年12月19日に行った「プラド美術館」の正面外観写真です。


プラド美術館といえば、なにはさておき、フランシスコ・ホセ・ゴヤの作品です。「オスナ公爵一家」(1788年)や「カルロス四世一家」(1828年)を描いた宮廷画家ゴヤが、なぜに「1808年5月2日:マムルーキュの突撃」1814年や「1808年5月3日:マドリード市民の処刑」を描くに至ったのか?そして「巨人」(1808年-12年頃)や「我が子を喰うサトゥルヌス」(1821-3年頃)のようなものまで描くとは?また、「裸のマハ」(1800-3年頃)や「着衣のマハ」(1800-3年頃)は、どうみても首から上、つまり頭部が曲がってついている、等々、ゴヤについては様々な疑問があります。


プラド美術館を案内してくれた現地のガイドさんは、異常なほどにゴヤについて解説をしてくれました。そのおかげでプラド美術館の他の作品を、ゆっくり観る時間がなくなってしまったほどでした。 ゴヤの人生、後半に行くほど描くものは暗く、荒んで、グロテスクになっていきます。画家が老いていくにつれて、テーマは「無意味な争い」や「人間の邪悪で愚かな行為」を繰り返し描いていきました。ゴヤの「巨人」が弟子の作品だったとは、驚きです。「後出し」や「結果論」で言うのではないのですが、ゴヤの「巨人」はどうみても描き方が粗雑、荒っぽい印象はしましたが。


ここまでは以前、ゴヤに関連して、このブログに書いたものです。


今回の「プラド美術館所蔵 ゴヤ 光と影」展、チラシには「着衣のマハ」、40年ぶりの来日、とあります。1971(昭和46)年に国立西洋美術館(巡回:京都市美術館)で開催された「ゴヤ展」以来、40年ぶりとなる「ゴヤ展」だそうです。40年前は「着衣のマハ」と「裸のマハ」が来日したそうですが、今回は「着衣のマハ」のみです。今回、ブラド美術館からは、油彩画や素描など72点、国立西洋美術館が所蔵する版画が約50点、合計123点の「ゴヤ展」です。やはり素描や版画類が多いので、ゴヤの油彩画を期待する人には、やや肩すかしの感があります。下に上げた油彩画が観られただけでも良しとしますか。


40年前のことは僕は知りませんが、2002年には国立西洋美術館で「プラド美術館展」が開催されました。2006年3月から6月にかけて、東京都美術館で開催された「プラド美術館展」のことはよく憶えています。ムリーリョの「エル・エスコリアルの無原罪の御宿り」が来ていました。ムリーリョには「ベネラブレスの無原罪の御宿り」という作品もあり、共にプラド美術館で駆け回って見つけたときのことが思い出されます。今回、ゴヤの「無原罪の御宿り」がありましたが、この主題で20点以上描いているといわれるムリーリョに軍配が上がります。


2006年の「プラド美術館展」では、ムリーリュの他に、エル・グレコ、カラッチ、ティエポロ、ティツィアーノ、ベラスケス、ヨルダーンス、ルーベンス、等々の他、Ⅴ章として「ゴヤ 近代絵画への序章」があり、油彩画7点が出されていました。プラド美術館には現在多くのゴヤの作品を所蔵しています。そこには150点に及ぶ油彩画の真作、工房作が、また約500点の素描と版画類があります。プラド美術館で購入した美術館の図録をみると、33点ものゴヤの作品が載っています。それにしても海外の図録は、例外なく写真の色がよくありません。


ゴヤは早熟な画家でも、短期間で成熟した画家でもなく、特徴的な作品を生み出したのは40歳を過ぎてからでした。長い人生をまっとうした画家でしたが、何度か病に倒れ、そのたびに回復しました。唯一の例外は、1792年から93年にかけて重い病に倒れ、生死の境をさまよった後、聴力をすっかり失ったことです。全聾のために周囲から隔絶されて深まる孤独、これがゴヤの感覚をさらに研ぎ澄まし、それが作品にはっきりと反映されるようになりました。


今回のゴヤの作品も、やはり、1993年以降の油彩画の作品に、みるべきものが多いように感じました。「着衣のマハ」も、そして「裸のマハ」も、首から上、つまり頭部が身体とずれて置かれている印象が強く感じました。僕は、これは以前から感じていましたが、どうなんでしょう。顔つきや身体の向きが、ゴヤの絵筆を持った女性を描いた「ビリャフランカ侯爵夫人マリア・トマサ・デ・パラフォクス」に似ているように思います。同じ人物を「着衣」と「裸」で描いたのは美術史上でも珍しいが、同じプラド美術館にあるスペイン絵画に先例があったと、「週刊世界の美術館NO.6」にありました。それはファン・カレーニュ・デ・ミランダの「裸のラ・モンストゥlルア」と「着衣のラ・モンストゥlルア」で、太った宮廷の女性を描いたものです。


「ホベリャーノスの肖像」は、なぜか普通の肖像画にはないポーズをしている作品です。新しい時代の、新しい社会人を描いた傑作です。「スペイン王子フランシスコ・デ・パウラの肖像」は、「カルロス4世とその家族」の、カルロス4世と王妃マリア・ルイサの間にいる赤い服を着た子どもをそのまま抜き出したような肖像画となっています。「レオカディア・ソリーリャ(?)」は、「カルロス4世」など肖像画の傑作を次々と描いたゴヤの真骨頂です。1815年に描かれたゴヤの厳しく憂鬱な「自画像」は、当時のゴヤの精神状態を如実に物語っている作品です。同時期の作品に、フランス軍に抵抗した人びとが処刑される場面を描いた「1808年5月3日(プリンシペ・ピオの丘での銃殺)」があります。


ナポレオンに王位を剥奪されたフェルディナンド7世は、1814年に帰還すると自由派への迫害を開始します。ゴヤは78歳、ボルドーへ逃れます。その頃描かれたと思われるのが、映画「宮廷画家ゴヤは見た」の中で出てくる、天使のような無垢な少女イネスを描いた「ボルドーのミルク売りの娘」です。のちの印象派を先取りするような絵の具使いといわれています。1828年、ゴヤは82歳でボルドーで亡くなります。最期を見とった内縁の妻に残されたのは「ボルドーのミルク売り娘」、これが唯一の遺産だったそうです。








「プラド美術館所蔵 ゴヤ 光と影」展

鋭い批判精神によって社会と人間の諸相を捉え、近代絵画への道を開いたスペインの巨匠、フランシスコ・デ・ゴヤ(1746-1828)。その作品はヨーロッパ社会の一大変革期の証言であるとともに、時代を超えて私たちの心に響きます。ゴヤは地方の職人の息子から国王カルロス4世の首席宮廷画家へと登りつめ、王侯貴族や廷臣たちの優雅な肖像画によって名声を得ました。しかし、ナポレオンの侵略によりスペインの平和が覆されると、老年期のゴヤは、戦争と混乱に見舞われた民衆の悲惨な現実を見つめます。さらに、彼のまなざしは現実を超えた夢や幻想の世界へも向けられ、近代絵画の先駆とも言われるユニークな作品群を生み出しました。人間への飽くなき好奇心に支えられたゴヤの創造活動は、82年の生涯の最後まで衰えることを知りませんでした。この展覧会は、ヨーロッパ絵画の宝庫として名高いプラド美術館(マドリード)のコレクションから選ばれたゴヤの油彩画、素描など72点に、国立西洋美術館などが所蔵する版画51点を加えて構成されます。「光と影」というキーワードのもとで、さまざまな切り口からゴヤの画業の断面を示し、その核心に近づいてゆくことが本展の狙いです。


「国立西洋美術館」ホームページ

ゴヤ関連:

ゴヤの「巨人」、実は弟子の作品 プラド美術館近く公表

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