国立西洋美術館で「光と、闇と、レンブラント。」展を観た! | とんとん・にっき

国立西洋美術館で「光と、闇と、レンブラント。」展を観た!

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「光と、闇と、レンブラント。」展、チラシ2種

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「光と、闇と、レンブラント。」展、案内板

国立西洋美術館で「光と、闇と、レンブラント。」展を観てきました。僕が行ったのは4月5日でした。その後、「オランダ・ベルギー・ルクセンブルク」へのツアーに行ったり、熊澤弘著の「レンブラント 光と影のリアリティ」を読んだりしましたが、それらは別に書くことにするので、ここでは触れません。今回の「レンブラント展」、「光の探求・闇の誘惑」と副題があったり、「版画と絵画 天才が極めた明暗表現」とあったりします。リストによると出品作品は全部で124点、ほとんどが版画作品で、油彩画はざっと数えるとそのうちの13点のみでした。素描も数点ありました。他に参考出品として、国立西洋美術館所蔵の2点が展示されていました。レンブラントと言えば「夜警」ですが。

展覧会の構成は、以下の通りです。

Ⅰ 「黒い版画」:レンブラントと黒の諧調

Ⅱ 「淡い色の紙」:レンブラントと和紙刷り版画

Ⅲ 「とても変わった技法」:レンブラントとキアロスクーロ

Ⅳ 《3本の十字架》と《エッケ・ホモ(民衆に解放されたキリスト)》―2点の傑作版画


展覧会の構成を見れば分かる通り、キーワードは「黒い版画」、「淡い色の紙(和紙刷り)」、「とても変わった技法・キアロスクーロ」の3つです。そのどれもがレンブラント版画の真骨頂である「明暗表現」を生み出すものです。レンブラント在世当時、その名声は絵画よりも版画に負うところが大きいかった、という説もあります。レンブラントにとって、光の探求は生涯の課題でした。光の照射が生み出す明と暗との世界と、光を反射する事物のテクスチャーをどのように描くかという問題。17世紀オランダ版画の中で、その一部が「黒い版画」と呼ばれて、コレクターたちの熱心な収集対象となったものです。レンブラントは夜景や暗い室内、また逆光で陰に沈む人物や事物を好んで描きました。


色彩を持たない版画では、微妙な明暗表現を探求することはレンブラントにとって決定的な意味を持ちました。また、西洋の「白い紙」に対して、「和紙」は薄いクリーム色や象牙色を地色とします。和紙は既に薄い色をまとった着彩紙であり、レンブラントはこの中間色をことのほか好んだという。著述家バルディヌッチはレンブラントの版画を「とても変わった技法」と形容詞、その「深く力強い明暗表現」と「絵画性」とを高く評価したという。「とても変わった」ものとしたのは、銅版を腐食させるエッチングという技法のことのようです。いずれにせよレンブラントは、同じ題材のものでも、技法を変えて、何枚も、その表現を追求しています。


今回の展覧会では「2点の傑作版画」として、新たな章をつくり、その表現を比較しています。「3本の十字架」と「エッケ・ホモ(民衆に晒されるキリスト)」がそれです。またレンブラントは肖像画の名手でもあります。今回も自画像に加えて、「書斎のミネルヴァ」「ハンドリッキェ・ストッフェルス」や「旗手(フローリス・ソープ)」など、腕の冴えを見せています。ほとんど何もない部屋に、仕事着に身を包み、つばの広い帽子をかぶった画家を描いた「アトリエの画家」、真ん中には大きくイーゼルの背面が暗く描かれています。画家はイーゼルを遠くから眺めて、描いた絵を見ています。が、しかし、他のレンブラントの作品と違って、なぜか空虚な印象を受けるのはどうしてなのでしょうか?


Ⅰ 「黒い版画」:レンブラントと黒の諧調


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左:ヘンドリック・ハウト
「エジプト逃避」(エルスハイマーによる)1613年
右:「羊飼いへのお告げ」1934年

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左:「3本の木」1643年
右:「松明に照らされる十字架降下」1654年

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左:「東洋風の衣裳をまとう自画像」1631-33年
右:「旗手(フローリス・ソープ)」1654年

Ⅱ 「淡い色の紙」:レンブラントと和紙刷り版画


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左:「ヤン・シックス」1647年
右:「病人を癒すキリスト(百グルテン版画)」1648年頃

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左:「イタリア風景の中の聖ヒエロニムス」1653年頃
右:「フェニックスあるいは倒された彫像」1658年

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左:「聖母の死」1639年
右:「木の下に座る4人の東洋人」1656-61年頃

Ⅲ 「とても変わった技法」:レンブラントとキアロスクーロ


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左:「音楽を奏でる人々」1626年
右:「アトリエの画家」1628年頃

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左:「書斎のミネルヴァ」1635年
右「ヘンドリッキェ・ストッフェルス」1652年頃

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左:「放蕩息子の帰還」1636年
右:「石の手摺りにもたれる自画像」1639年

Ⅳ 《3本の十字架》と《エッケ・ホモ(民衆に晒されるキリスト)》

―2点の傑作版画


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左:「3本の十字架」1653年 大英博物館
右:「エッケ・ホモ(民衆に晒されるキリスト)」

参考出品

(国立西洋美術館所蔵品)

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左:ヘンドリック・テルブリュッセン(派)「聖ペテロの解放」1625-26年頃
右:ホーファールト・フリンク「キリスト哀悼」1937年

版画と絵画 天才が極めた明暗表現
レンブラントには「光と影の巨匠」という形容が与えられ、光の探求や陰影表現がこの画家にとって重要なテーマであることが繰り返し語られてきました。しかし、あまりに広く人口に膾炙したためでしょうか、この形容は、逆に、レンブラントが試みた明暗表現の真の革新性を理解させることを困難にしてしまったようです。「黒い版画」、「淡い色の紙」、「キアロスクーロ」 という三つの言葉を中心にして構成されるこの展覧会は、レンブラントが1647年頃からその版画制作のために使い出す和紙に関する議論を出発点としています。レンブラントがなぜ和紙を使うようになったのか、異なる版画用紙の使用はステートの変化とどのような関係にあったのかといった問題を最初の枠組みとし、これにふたつ目の枠組み、すなわち、レンブラントはどうして夜景や暗闇の描写を繰り返したのか、どのようにして差し込む光や反射する光を描こうとしたのか、光や影は物語を構成する上でどのような役割を果たしたのか、といったより大きな問題を重ね合わせることで、レンブラント版画の、そして、レンブラント芸術の「光と影」の真の意味を再検討したいと思います。また、数はそれほど多くはありませんが、版画と深い関わりをもつ絵画と素描も展示され、版画で見られる明暗表現が、色彩をもつ絵画においてさらにどのような錯綜した試みにつながるのかを確認していきます。本展において展示される多くの和紙刷り版画を通じ、レンブラントの時代の日蘭交流の一端を広く知ってもらうのも、本展開催の大きな意義のひとつでしょう。


「国立西洋美術館」ホームページ


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