松岡美術館で「水墨画への誘い展」と「能面展」を観た! | とんとん・にっき

松岡美術館で「水墨画への誘い展」と「能面展」を観た!

松岡美術館へ「陶俑の美展」を観に行きました。その際、展示室⑤では「水墨画への誘い展」を、展示室⑥では「能面展」を、同時に開催していました。僕が観に行ったのは10月10日、もう1か月も前のことです。従って、「水墨画への誘い展」の方は「前期」ということになります。「陶俑の美展」に圧倒されて、「水墨画への誘い展」と「能面展」の方は、サラッと観て回ったので、「陶俑の美展」と比べると極端に少ない画像です。以下の文章は「備忘録」とするもので、松岡美術館のホームページから引用したものです。


「水墨画への誘い展」

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松岡美術館所蔵の室町時代~近現代の水墨画を、中国明清時代絵画(前期展示)も交えて、前期・後期合計約30件を展示致します。

前期 2010年10月6日(水)~11月7日(日)
室町時代、都会の寺院に勤める禅僧が夢見た、深山に結んだ庵での生活を描く「書斎図」と、江戸時代以降日本で盛んに描かれた「文人画」に加え、室町時代から近現代に至る様々な「花鳥画」をご紹介します。
前期出品作品
(伝)周文《竹林山水図》室町時代
田能村直入《松谿閑話図》江戸時代
金農《紅白梅図巻》中国 清時代
拙宗等揚《翡翠図》室町時代
円山応挙《鷹猿図》六曲一双屏風 江戸時代


後期 2010年11月9日(火)~12月23日(木・祝)
雲谷等益の山水図屏風に、橋本雅邦、横山大観、堂本印象ら近現代の水墨風景を並置して古今の「山水表現」を紹介するとともに、水墨画における「白」に注目して、白い絵具を塗るのではなく、白く描き残すことで積雪や鳥獣の白さを表現した作品をご覧頂きます。
後期出品作品
雲谷等益《山水図》六曲一双屏風 江戸時代
横山大観《黎明》昭和4年(1929)頃
酒井抱一《月兎》江戸時代
川合玉堂《白鷺》昭和13年(1938)頃
円山応挙《山水図》六曲一双屏風 江戸時代



円山応挙 享保18年(1733)~寛政7年(1795)。通称 主水、字 仲選。別号 円一嘯、円夏雲、仙嶺。丹波の農家に生まれ、奉公に出た京都で狩野派を学びました。奉公先で眼鏡絵を制作し、西洋画の透視遠近法を修得。三井寺円満院門主 祐常の庇護を受け、和漢の画を学び、中国の画家 銭舜挙に私淑して応挙と号しました。伝統的な装飾画法に平明な現実感を融合させた応挙の写生画法は新興町衆の人気を博し、円山派の始祖となり、門下に呉春、長沢蘆雪など、その影響は明治時代にまで及びました。「鷹猿図」は、六曲一双屏風の円山応挙が水墨で描いた鳥獣画です。鷹の鋭い嘴や爪と羽毛の質的表現、猿の体毛の柔らかさと、栗の木の力強さ、栗の実やイガ、葉の描き分けなどに注目。





 
右は、松花堂昭乗の「一本松」と通称される作品の一つ。昭乗は、京都男山石清水八幡宮で真言密教を修め、阿闍利法印という高位に上った江戸時代初期の僧侶。書は本阿弥光悦、近衛信尹とともに「寛永の三筆」に数えられ、画にも優れ(一説に狩野三山楽に学んだとも)、茶人としても知られる才能豊かな文化人でした。左は、昭乗の菊図を円山応挙が臨模したもの。石清水八幡宮には、応挙筆の絵馬「松鳩図」が天明7年に奉納されています。



富岡鉄斎(1836-1924)、京都出身。名は初め猷輔のち百練。字 無倦、号は裕軒、鉄崖、鉄斎、鉄道人など。幼少より国学・漢学を、青年期に歌人大田垣蓮月尼の薫陶を受け陽明学・仏教を修め、長崎で中国明清画に触れて文人画を学びます。田能村直入らと日本南画協会を設立、以後展覧会に出品はしても会派には属さず独立独歩を貫きます。鉄斎の水墨画は濃い墨による力強い作風で知られていますが、画業初期には、本作にみられるような潤いのある淡墨の調子を活かした作品を手がけています。「鉄史」はこの頃多用した号です。竹が鬱蒼と生い茂る窓辺、雨音に耳を傾ける文人は、鉄斎その人なのでしょう。



「能面展」
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室町時代、観阿弥・世阿弥によって大成された能楽は、江戸時代には幕府の式楽(儀式用の芸能)に定められ、将軍家や大名家の保護を受け隆盛を極めました。しかし、明治維新によって幕藩体制は崩壊し、能楽は一時その庇護者を失います。やがて復興運動が起こり、明治半ばから大正、昭和前期にかけて新たな黄金時代を迎えます。松岡美術館所蔵の能面、狂言面は、鉄道敷設などで財を成した実業家久米民之助(1861-1931)が大正2年にあつらえた能・狂言面一式で、近代の能楽復興隆盛の一端をうかがい知ることができる貴重な能楽関連資料といえます。当館創立者松岡清次郎も義太夫など日本の古典芸能に早いうちから親しんだことから、この能・狂言面一式を蒐集したと考えられます。本展では、そうした館蔵の能・狂言面から、能面15面、狂言面9面を初公開し、あわせて能の謡曲にちなんだ江戸時代から近現代にかけての絵画作品も展観し、能楽の持つ独自な幽玄の美の世界をご紹介いたします。


能は、平安時代の猿楽に端を発し、室町時代に観阿弥、世阿弥親子が大成した歌舞劇です。謡という声楽と、笛、小鼓、大鼓の4種類に楽器による音楽(囃子)、さらに能面、能装束をつけて舞う舞踊がとけあった舞台演劇ということが出来ます。能で用いる仮面を能面と呼びます。シテと呼ばれる主役の役者が使用し、そうした能を演じる人たちの間では、能面を「おもて」と呼び、畏敬の念を持って大切に扱われます。多くは檜で作られ、表面に白い胡粉を薄く塗り重ね、その上から彩色を施します。能面の種類は、翁や尉、神、霊、鬼をはじめ、様々な年齢の男女の面など約200種類あります。





渋谷佳代、昭和10年(1935)生。福岡県に生まれる。両親は高知県出身。昭和45年(1970)、35歳の時、日本画を習い始める。当時日本美術院同人であった福王寺法林に師事し、濤林会に参加。翌年第56回院展に「白髭神社」で初入選。以後、院展では、千葉県・白浜の海女を題材としたシリーズや、働く女性をモティーフとした作品が入選。昭和58年(1983)春の院展に「夕顔」が入選。この頃より能の幽玄な動きに魅せられ、能を題材として取りあげる。同年第68回院展に「夕顔」、翌年第69回院展に「紅葉狩」が入選し、代表作となる。本作は、能「紅葉狩」の一場面で、紅葉見物に来た美女が男(平維茂)を酔わせ、舞いを終えてまさに鬼女に変わろうとするところ。


伊東深水、明治31年(1898)~昭和47年(1972)。東京深川に生まれる。13歳で鏑木清方に入門。10代で巽画会、院展、文展に次々と入選し才能を発揮する。版画や挿絵も手がけ、大正5年(1916)新版画運動に参加。昭和2年(1927)、4年(1929)と帝展で特選を得る。22年(1947)日本芸術院賞受賞。33年(1958)芸術院会員。美人画のジャンルにあって、深水の作風は力強く、画題も現代女性から採ったものが多い。仕舞とは能の略式の舞で、謡曲「熊野」は平家物語を典拠としている。



「大原御幸図」は、「平家物語」に取材したもので、後白河法皇が京都・大原の寂光院に隠棲する建礼門院を訪れるという「平家物語」灌頂巻の大原御幸の情景を描いたもの。この大原御幸図屏風は、同じ図様のものが幾つか知られ、室町末期から桃山、江戸時代にかけて連綿と制作されてきたことがうかがえます。一方で「大原御幸」の説話は、能の謡曲の題材ともなっており、屏風絵として描かれたのも、謡曲の流行の影響が考えられます。



「松岡美術館」ホームページ


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