天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命 | あき&みっちゃんの好きなことを好きなように好きなだけ

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新地亜紀と同居人みっちゃんです。


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いよいよ「天孫降臨」の項目に入ってきました。
『古事記』では、全3巻中の上巻が、もう少しで終わろうとしています。
『日本書紀』では、全30巻中の2巻が・・・。

・・・思っていた以上に、先は長そうです・・・・・・。

気を取り直して、
「天孫降臨」の主役と言えば、
天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命
ーあめにぎしくににぎしあまつひたかひこほのににぎのみことー

別名
天津彦火瓊瓊杵尊ーあまつひこほのににぎのみことー

 

正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命と、

万幡豊秋津師比売命の御子神です。
兄神に、天火明命がいます。

 

 

高天原で栽培した稲を携えて降臨し、
その神聖な稲が、にぎにぎしく成熟し、地上で豊かに実る様を表しているため、
稲穂の神、農業の神、五穀豊穣の神とされています。

手間取っていた「国譲り」も、やっと一段落し、
忍穂耳命に、いざ降臨を!  と、天照大御神は言われましたが、
その間に生まれていた天火明命と、邇邇芸命の内、
邇邇芸命を降臨させようと、忍穂耳命は進言します。

 

邇邇芸命は、生まれたばかりだったので、

真床覆衾ーまことおふすまー※1という布団に包まれて降臨しました。



その時、邇邇芸命を助けるようにと、
五伴緒ーいつとものおーと呼ばれる

天児屋命 ー朝廷の祭祀を行う中臣の連 ( むらじ ) の祖神ー
布刀玉命ー神事の道具を作る忌部の首  (おびと ) ※2や忌部の連の祖神ー
天宇受売命ー神楽を奉仕する猿女の君の祖神ー
伊斯許理度売命ー鏡を作る作鏡連 ( かがみづくりのむらじ ) 達の祖神ー
玉祖命ー玉類を作る玉祖 ( たまのおや ) の連達の祖神ー

の五柱と、三種の神器 ( 八尺瓊勾玉・八咫鏡・天叢雲剣 )
に伴って、思金神天手力男神天石門別神ーあめのいわとわけのかみー

随伴しています。

 

天照大御神は、
「鏡を私の御魂と思って祀るように。
そして、思金神は、御魂の言うことを聞いて政を行うように」
と仰られ、八咫鏡を思金神に渡したので、
思金神が、内宮にて鏡を祀る事になりました。

 

また、共に随伴していた登由宇気神は、
外宮へとおさまったそうです。

 

一般に伝えられている、内宮と外宮の起こりとは違いますね。
『記紀神話』が編成された時代には、
既に内宮、外宮が、現在の地にあったということでしょうが、
こういう感じの編成の甘さが多くある ( と言ったらいけないのでしょうが ) のが、
後世の人々の頭を悩ませている要因になっている気がします。 

 

 

高千穂へと降臨した邇邇芸命は、すくすくと育ち、
( これも、何故出雲への降臨ではなかったのか、議論の尽きない点です )

ある日、一柱の女神と出会います。
大山津見神の娘 木花之佐久夜毘売ーこのはなのさくやびめー

 
一目で恋に落ちた邇邇芸命は、その場でプロポーズ。
「父の許しがないと・・・」

と、色よい返事はもらえませんでしたが、
邇邇芸命は、即座に大山津見に使いを出して、
OKの返事をもらいます。



木花之佐久夜毘売の姉の、岩長比売ーいわながひめーも、

父の命で、共にお嫁に来たのですが、
醜いからと言う理由で、すぐに帰されてしまいました。

木花之佐久夜毘売と結ばれた邇邇芸命は、
まぁ、いろいろあって、
火照命ーほでりのみことー

火須勢理命ーほすせりのみことー

火遠理命ーほおりのみことー

という、三人の御子神に恵まれました。

三柱の内、末子の火遠理命が、天皇家へと続いていくのですが、
皇室の祖が、日向にあった三代、
邇邇芸命、火遠理命、鵜草葺不合命ーうがやふきあえずのみことーの、

三柱の神々、またはその時代を
日向三代ーひむかさんだい/ひゅうがさんだいーと呼びます。



ご神徳 国家安泰
    子孫繁栄
      五穀豊穣
    交通安全
            海上安全

    航空安全

            大漁祈願    など

 

宮 高千穂の宮ーたかちほのみやー

陵墓 薩摩国一之宮 新田神社内の可愛山陵ーえのやまのみささぎー
    可愛山陵伝説地として、北川墓陵参考地/男狭穂塚陵墓参考地

 

 

天孫降臨は、持統天皇が、
早世した息子、草壁皇子の遺児、
軽皇子 ( 後の文武天皇 ) に譲位したことを暗喩しているので、
息子ではなく、孫の降臨となっているのですが、
何故、長男の天火明命ではなく、
弟の邇邇芸命であったのか、どこにも記載されていません。


火遠理命や、神武天皇と同様に、

これもやはり、以前にも書いた末子相続の影響なのでしょうか?

それとも、軽皇子が、長男だけれど二番目の子供だったからでしょうか?


※1 真床覆衾
火遠理命が、龍宮でもてなされていた際、坐していたのも、
豊玉姫が、生まれた御子を包んだのも、

真床覆衾であったと言われている。
天津系の直系であることを象徴するものだとされており、
現代でも、大嘗祭の祭儀で用いられている。

※2 首姓

天武天皇が定めた、「八色の姓」以前に使われていた。

聖武天皇の幼い頃の名が「首」だった為、

孝謙天皇の時代、「史」と共に、姓名に使う事を禁じ、

「毗登ーひとー」姓に改めさせた。
後に、「首」と「史」の氏族の違いがわからなくなり、

混乱をきたしたので、元に戻された。

 

※3 日向三代の陵墓伝説地
日向国に陵墓がある事は、文献に記されていたが、
日向国は、現代の宮崎県と鹿児島県を含む広域に渡っていた為、
南九州各地に候補地があった。
調査を行った宮内庁が認定した地以外にも、とても信仰の篤い地があり、
地域住民の反論により、参考地として認定した経緯がある。
 


 

ここからは亜紀がお送りします。

天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命

長っ。

通称は邇邇芸命ですな。

 

布団というか、おくるみに包まれた状態・・・。

つまりは本当に赤ちゃんの時、降臨してきた邇邇芸命。

周りは大人ばっかり。

しかも、その大人達からすれば、

邇邇芸命は上司 ( 天照大神 ) のお孫様。

きっと叱ってくれる神様はいんかったんやね。

 

と、揶揄するような書き方をする(笑)

 

だってな~。

かなり木花佐久夜毘売に対しても、

石長比売に対しても結構な仕打ちやからさ。

 

さて、コンタクトしてみよ。

 

意外に精悍!

( ど失礼 )

 

「俺様」

なんやね。

「選ばれし者」

であるという自覚というか、

自分は他のものとは違うんだ。

て、いう感覚が凄くあるにゃね。

 

キリッとしていて、

でもどこか空虚な感じも漂わせる。

重責を、生まれてすぐから担ってるって

どんな感じなんやろうか・・・。

 

木花佐久夜毘売と石長比売にした事とかにばっかり、

今まで目が向いてたけど、

邇邇芸命の側に立ってみると、

なんでそんな仕打ちをするに至ったか・・・。

を考えてしまう。

 

「邇邇芸命大好きー!!」

ってファンの言う事は凄く聞いてくれそう。

そして何度も何度も頼まれると、それも聞いてくれそう。

基本的に育ちが良いって事かな。

( 空気は読まないが押しには弱そう )

 

罰当たらんかな・・・この文章(笑)

 

 

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