人生の中で「今が一番幸せ」と言えるようになるまでの長い道のりを振り返ります。




これまでの記事
1 私のことを書いていきます 
2 ~高校・大学~
3 ~資格勉強編~
4 ~語学留学編~
5 ~就職編~
6 ~転職編~…この記事



年が明けてしばらくして転職の話が舞い込みました。
自分では直接応募なんて絶対しないであろう大企業の話。



世の中のことや経済のことを知りたいとずっと思っていたので大企業は魅力的でした。視界が広がるようにも感じました。



しかし「大企業だから魅力的」というのとは違う、運命のようなものを感じることになります。



面接を受けるにあたって、創業者の著書を本屋さんで手にした時のこと。



パラパラと読み進めるにつれて涙が止まらなくなりました。
「こんな場所が世の中にあったんだ。私が求めている場所はここにあったのか。
この会社は私が行くためにあるんだ。」と確信に似た運命を感じたからです。



私にとっての最大の魅力は「心をベースに経営している会社」だというところでした。運命と感じただけあって、トントンと話は進み転職が決まりました。



転職するにあたって決めたことは4つ。

・ 「嫌です。知りません。できません」は絶対に言わない。
・ どんなことがあっても5年は辞めない。
・ 嫌だからという理由では会社は辞めない。
・ もし辞めるときは「やりきった」とき。



たった一年半ほどの経理実務経験しかない私のポテンシャルを期待して採用してもらったとわかっているので、とにかく「知りません。できません」は言わないことに決めました。




ほとんど実務経験がないに等しくても、資格保持者で即戦力として中途採用されている以上泣き言は言えません。わからないことを聞けば、こそっとメモして後で調べるということを繰り返す日々でした。



会社としては、新しい法律に対応するために会計士の有資格者を採用して体制づくりを進めていた時期で、実務経験を持った日本の公認会計士も数名採用されていました。彼らは既に持っている実務経験をベースにして、さらりとスマートに仕事をしていました。



彼らの仕事を見て、自分の知識・経験のなさを思い知り焦りました。
毎日がアップアップで溺れ掛け寸前の呼吸困難状態。
そして月の半分以上は、出張で国内外に出かける日々。

頭も体も常に120%稼働でした。



「嫌です。知りません。できません。」を言わないことにしていたので、他の人が嫌がるような手間のかかる仕事もいの一番に回ってきました。



組織自体が発足したばかりだったので、部門として整備できていないことが多々あり、その時に必要だと気づくことがあれば、マニュアル作りから何から必要なことは何でもやりました。



なんでこんなに頑張れたのか。



ひとつは、広い視点から関わるような仕事をしたいという思いが叶ったのでやりきりたいという気持ち。もうひとつは、転職の直前に出会った斎藤一人さんの考え方が支えになったからです。



次回は、目から鱗の衝撃だった斎藤一人さんの本との出会いについて書きます。



斎藤一人さんの本との出会いと転職が、私の人生の最初の光となったのです。まだ先は長いけどね。




続きの記事はこちら
7 ~斎藤一人さんの本と出逢う~
8 ~頭と体の強制終了~
9 ~音色香そして身体と心の学び~
10 ~NLP心理セラピー~
11 ~コーチング&サイキックタロットオラクルカード(完)~


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