人生の中で「今が一番幸せ」と言えるようになるまでの長い道のりを振り返ります。



これまでの記事

1 私のことを書いていきます 
2 ~高校・大学~
3 ~資格勉強編~
4 ~語学留学編~…この記事



両親の影響で英語が好きになり、小さい頃からアメリカ留学をしたいと思っていました。でもその機会はなく、英語も話せないまま、前回書いた米国公認会計士(USCPA)の資格勉強を始めてしまったのです。



米国資格なので、試験問題は英語。
受験地もアメリカ。(最近は、日本でもPC受験ができるようになったみたいですが。)



始めて受験した時は、全く英語を話すことができずに空港とホテルと試験会場を往復しただけでした。



言葉を話せないというのは、自分の意思を伝えられないということなので、初回受験でのアメリカ滞在中はずっと恐怖感を感じていました。



米国資格を取るのに、それでなくても実務経験も持っていないのに、英語が話せないのはいかんということで、2回目の試験を受けた帰りにお隣のカナダに語学留学することになりました。



ずっと留学したくて、英語環境で生活して英語に浸りたいと思っていたのですが、いざ生活が始まってみると言いたいことがまったく言葉にならない壁にぶち当たり撃沈する毎日。



さらに、留学先で出会う人たちに「日本では何してたの?」と聞かれるのがすごい苦痛でした。



だって「何者にもなれていなかったから」



「◯◯に就職して◯年で会社辞めて留学に来ました」とか答えている人達が羨ましくて仕方なかったです。



「社会人」という肩書きを持っていたということがすごいことのように見えたのです。



途中一旦日本に帰り、3回目のUSCPA受験の後もカナダに滞在し、トータル9ヶ月ほどカナダで過ごしました。



小さい頃からの夢である留学をしているという喜びとは裏腹に、常に日本に帰った後の不安がつきまとっていました。



「資格を持っていても実務経験がないとね。。。」という声が頭から離れず、社会人にもなりきらずに海外で過ごしているという不安定感と自立していない罪悪感に苛まれていました。



トンネル真っ最中。



ただ、英語の方は少しずつ話せるようになり、帰国前に受けたTOEICではレベルAに届くスコアを取ることができました。



言いたいことを英語で話せるようになって、TOEICのスコアも取ってしまった。



「USCPAに合格して、英語が話せるようになったら、スーパーな自分になっている」と信じて進んできた、その2つともを手にしてしまったのです。



でも、実際は何もスーパーではなかった。
見える世界は変わらなかった。



さらに高校時代からずっと私のことを大事にしてくれていた彼と別れることになったのです。



あと数ヶ月で日本に帰ろうと思っていたときに。



私は、自分で自分のことを大切にできていなかったので、なんでそんなに私のことを大事に思ってくれるのか不思議に思うくらいの愛情をくれた人でした。



「そのままの私でいいよ」って言葉ではなく態度で示してくれた人生で始めての人でした。



だから、私からしたら「魔法が解けた」としか思えない別れ方。



「彼も頑張っているから私も頑張らないと」という思いもあり、何かを手にした自分になろうとしていたのに、「何もできなくてもいいから、自分の側にいてくれる子の方がいい」と言われたときのショックと驚き。




でも、自分で選んだんだよね。
USCPA受けることも、カナダに行くことも。



青天の霹靂。



私から別れることはあっても、彼から別れるなんてことは絶対にないと思っていた。横柄な私。



自分のことを大事にしていなかったので、人を傷つけることを何とも思っていなかった私に「傷ってこんなに痛いんだよ」と経験を通して教えられたように思います。



次回は、就職編です。




続きの記事はこちら

5 ~就職編~
6 ~転職編~
7 ~斎藤一人さんの本と出逢う~
8 ~頭と体の強制終了~
9 ~音色香そして身体と心の学び~
10 ~NLP心理セラピー~
11 ~コーチング&サイキックタロットオラクルカード(完)~


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