吹田・関大前 「静心庵」・僧侶の淨華です
法事に招かれた時や、急なお葬儀やお通夜の時に、
またお墓の話や諸々の仏事のことを、近くに気軽に聞ける人がいない。
そんな時のお助けになればと思って書いています。
仏事の決まり事などは、各宗派によって様々に違うものです。
ご自身の宗派に従って下さい。
あくまで、こちらに書かせて頂いているのは、浄土真宗の仏事・行事・作法の事
となりますので必要なところだけ、読んで下さいね
さて今回は「彼岸会のこころ」についてお話します。
お彼岸に入っていますね。
昨日は、うちのお寺でも彼岸会をお勤めしました。
お彼岸といいますと、季節を表す言葉として、あるいはお墓参りの時という意味で
使われる場合が多いと思います。
もともと「彼岸」と言う言葉は、仏教行事の彼岸会が元になる仏教語です。
その彼岸会とは春分の日・秋分の日をはさんだ七日間に仏道を修する行事を言います。
仏教徒にとっては、大切な学びの時になるわけです。
彼岸(彼の岸)はあくまでもたとえであって、阿弥陀仏の世界・浄土を意味します。
また彼岸に対して此岸しがん(此の岸)があります。
此岸は迷いの世界、人間の煩悩の世界を言います。
つまり彼岸に至るとは、人間の迷いの世界から阿弥陀仏の覚りの世界に到る
という意味があるわけです。
浄土真宗の教えでは
自らの力や努力で彼岸に到ろうというのではなく、
自らの力や努力をあてにするはからいこそ深い迷いであることを知らされ、
わが身を突き動かすもっと大きな働きに目覚めさせていただく、
それを「彼岸に到る」と説かれるわけです。
ですから、浄土真宗の彼岸会は修行の場・時ではありません。
聞法(仏法を聴くこと)を通して彼岸のこころを知らせていただく場・時なのです。
なお、彼岸にはお墓参りがなされますが、以上のようなことを考えますと
お墓参りは故人の成仏を祈る追善供養ではないことが知らされます。
私たちを仏さまの世界に導き、法を聴く機会を与えて下さった亡き人々に
感謝する日としてお墓参りをするのだと思っています。