第百九十八話 猫に牡丹、そして蝶(下) | ねこバナ。

第百九十八話 猫に牡丹、そして蝶(下)

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 第百十九~百二十一話 はぐれ猫の如く (上)(中)(下)
 第百七十三~六話 鮑の貝殻、珊瑚の簪 其一其二其三其四
 もどうぞ。


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三日の後。
湯長谷城内で、剣術の御前試合が行われる事となった。相対するは、同藩勘定方金原仁右衛門の長男、輝良と、山田浅右衛門門下の浪人、長内半兵衛その人である。

「殿はこのところ体調を崩しがち。にもかかわらず、剣術の試合をご覧になるのが殊の外お好きでしてな。金原殿はそこにつけ込んだのでしょう」

試合への出立の直前、山田浅右衛門吉睦の実父三輪源八は、こう半兵衛に語った。
第八代藩主の内藤政偏は、兄の病死によって突然藩政を担う事となったが、兄同様生まれつき身体が弱かった。にもかかわらず剣術に非常な興味を示していたのは、自ら為し得ぬ境地への憧れであったのかも知れない。

「ですから、勝敗は殿にとってはどうでもよいのです。不正の無き様に殿には進言しておきます。長内殿、お判りですな」

三輪はじっと半兵衛を見据えて言う。

「良く判っております。しかしそれも、相手の心得次第。私は生きて江戸に帰る所存」
「そうですな。では、私も最善を尽くす事と致しましょう」

半兵衛は、その三輪の言葉に、少なからぬ安心感を抱いたのだった。

  *   *   *   *   *

大きく開け放たれた陣屋の中央。
其処に大儀そうに座すのは、藩主内藤政偏。
その脇には重臣達がずらりと並ぶ。
白砂の敷き詰められた庭の両脇には、槍を携えた藩士達が並び。
庭の中央には、二人の男が。

内藤政偏は、向かって右の男をじろりと見、にんまりと口の端を持ち上げた。
そうして今度は左の男を見、ふふん、と鼻から息を吐き。
細い右手を、すう、と上げた。

「はじめい」

藩剣術指南役が声を張り上げる。

内藤の右に見えるは金原輝良。額当に襷掛、鎖襦袢を着込んでよろよろと立ち上がる。
相対するは長内半兵衛。襷を掛けただけの、至って粗末な服装である。
蒼白い顔をして刀を抜こうとする輝良の様子を見ながら、半兵衛は、この姿はまるで戦の様だと、他人事の様に思っていた。

「何故抜かぬ」

剣の切っ先を震わせながら、輝良は言う。

「構えは出来ております故。何時でもどうぞ」

憮然としか言いようのない表情のまま、半兵衛は輝良に応える。
庭の隅で三輪が、齋藤忠兵衛が、固唾を呑んで見守っていた。
そして千代もまた、遠い廊下の片隅に座り、ぎゅっと手を握ったまま、半兵衛の背中を見ていた。

「ええい」

苛立ちながらも、輝良は周りに目配せをする。
すると。

半兵衛の背後に並んでいた藩士達が、槍を構えて、半兵衛を取り囲んだ。

「なっ」

齋藤忠兵衛は慌てふためいて立ち上がる。

「こ、これは、尋常の勝負でござりまするぞ。金原殿、ご乱心めされたか」
「乱心ではござらぬ」

震える声で輝良は言う。

「江戸からの使いによれば、弟の首を斬ったは、こ奴じゃ。どんな厄介者の弟とて、身内は身内。敵を取らせて貰う」

齋藤は更に慌てて、

「金原殿、これはどうした事でござる」

輝良の父、金原仁右衛門を詰問するが、仁右衛門は俯いて目を閉じたまま応じない。

「とっ、殿」

そして内藤を見るが、内藤は奇妙な笑みを浮かべたまま、じっと成り行きを見ているだけである。
八本の槍の切っ先が、半兵衛にじり、じりと近付く。

「敵とな」

半兵衛が呟いた。

「あれは御役目にござります」
「黙れだまれえッ」

搾り出すように、輝良は叫ぶ。

「貴様のような賤しい輩に、千代殿は遣れぬわ」
「ぬう」

半兵衛の左眉が、ぐいと上がった。

「さあ抜けっ。その位の情けは呉れてやる。さあッ」

輝良はなおも叫ぶ。半兵衛は左手で刀の鞘を掴み。

「長内殿ッ」

三輪が叫ぶ。
半兵衛は。

鞘ごと刀を抜き、砂の上に座した。そして刀を目の前に置いて、藩主内藤に向かって、平伏した。

「な」

輝良は半兵衛を見て、只驚いている。
内藤は左手で、ちょいちょいと合図を送る。半兵衛を取り囲んでいた藩士達は、するすると元の場所に戻った。

「どうした、長内とやら」

内藤はひきつったような、不機嫌そうな声で問う。

「何故戦わぬ。その方、首斬り浅右衛門の弟子の中でも、指折りの腕利きというではないか。貴様に掛かれば、こ奴らなどさっさと片付けられるであろうに」

成程。藩主は血に飢えておられるようだ。半兵衛は得心したが。

「尋常の勝負でなければ、これは只の仇討ち。しかもそれがお門違いとあれば、是非もありませぬ」
「ほう」
「この勝負、ご辞退申し上げます」

内藤は一層不機嫌になって、ぎろりと半兵衛を睨んだ。

「そうか。ではその方、負けを認めるのか」
「殿の、お考えのままに」

半兵衛は静かにそう言って、一礼した。
輝良はおろおろとしながらも、ひきつった笑いを見せた。
齋藤は蒼白くなって、半兵衛と輝良を交互に見て居る。三輪は黙って半兵衛を凝視する。
千代は、顔を覆ったまま、ぐらりと揺れた。

内藤は、へえええ、と息を吐いて、輝良に言った。

「ふん、つまらぬ。ほれ金原。止めを刺せ」

「...は?」

輝良は一瞬、呆けた顔を内藤に向けた。

「止めじゃ。その長内とやらを斬れ。それでその方は勝ち。ほれ、さっさとせんか」

輝良の顔が、茫然自失から、恐怖へと変わっていった。

「わ、私が」
「その方が望んだ勝負であろう。その方が決着をつけぬままでどうする」
「ああ、あの、誰か」
「誰かではない。よいか、他の者、手出しはならんぞ」

内藤は肘掛けに凭れ、じいと輝良を見る。
輝良はおろおろと周囲を見回す。
半兵衛は。

じり、と、座したまま輝良に向き直った。
そうして、じっと輝良の眼を見る。
恐怖に彩られた輝良の眼を。

「ひいっ」

輝良はのけぞりながら、刀を構える。
全く気の毒な話だ。そう半兵衛は思った。

その時。
何処からか、黒い揚羽蝶が、ひらひらと、白砂の上を舞ってきた。
ふわふわ、ひらひら、蝶は半兵衛の周りを飛び、

「ひえっ」

輝良の顔に向かって、舞い上がっていった。

「ひゃあっ」

蝶に向かって。
輝良は刀を振り回した。

ぺしん。

軽い乾いた音がして。
蝶は。
白砂の上に落ちた。

「ふう」

内藤が面倒臭そうに顔を覆う。
輝良は内藤の態度に、一層顔を引きつらせる。

半兵衛は。
白砂の上に落ちた揚羽蝶を。
黙って見ていた。

「う、うあ」

輝良が叫んで。

「うわあああああああああああ」

半兵衛に向かって、刀を振りかぶる。

「あああああああああああああ」

ぶうん。

千代は、顔を覆ったまま、気を失いかけた。


ぱしっ。

「痛ッ」

妙な声が、陣屋の庭に響いた。
千代は。
恐る恐る眼を開けてみる。

輝良の刀は。
半兵衛の左肩の直ぐ上で、止まっていた。
半兵衛は左手で持った扇子ひとつで、輝良の振り下ろす刀の柄を、押さえてしまっていたのだ。

どさり。

輝良が刀を落とす。
内藤が、ほう、と声を上げ、身を乗り出す。

「残念ながら、金原様、それでは人は斬れませぬ」

地獄の底から響くような声で、半兵衛は言った。

「ひいッ」
「いえ、人どころか、犬も猫も、虫すら斬れませんぞ」

ずい、と半兵衛は前に出る。

「人を斬るには、お覚悟が必要です」
「ひええ」
「自らの命を賭す、お覚悟が」
「ひゃああああ」
「お判りか」

輝良は尻餅をついて、後ずさりする。半兵衛は。
傍らに置いてあった、刀を抜いた。
ぎらりと刀が光を放つ。

「ようくご覧なさい。人を斬るとは」
「たっ、たすけ」
「こうするのです」

「長内殿!」

三輪がまた叫んだ。
内藤が、腰を浮かせた。

ぴしゃん!

光が庭に踊り、一陣の風が、輝良の顔を駆け抜けた。


ぱちん。

「失礼つかまつった」

半兵衛は、内藤に向かって、平伏した。
その時。

「う、うわああ」

輝良の額当が、ぱっくりと割れて、地に落ちた。
そして輝良は、仰向けに倒れ、気を失った。

「ほほ! 見事じゃ見事じゃ」

内藤は子供のように声を張り上げた。

「これが、首の皮一枚残して切るという、浅右衛門の技かの! 儂は良い物を見たぞ、ほほほほ」

ぱしぱし、と膝を扇子で叩いて喜ぶ内藤は、しかし、やがて不機嫌な顔に戻った。

「だがのう。儂はのう、人を斬るのが見たかったのじゃ。のう長内とやら」

半兵衛は平伏したまま、良く響く声で、言った。

「拙者が斬るのは、罪人だけでございます故」
「むう、つまらんのおう」

内藤はそう言って、足を投げ出した。そして。

「ああもう、仕舞いじゃ仕舞いじゃ! 儂は疲れた。寝るぞ」

そう言って、よろよろと奥へ引っ込んでしまった。

「長内殿!」
「輝良!」

仰向けに倒れた者、平伏したままの者それぞれに、わらわらと人が群がった。

  *   *   *   *   *

「お世話になり申した」

半兵衛は、三輪源八に深々と頭を下げた。

「いやいや、其程の事は致しておりませぬ」

とはいえ、半兵衛の窮地を救ったのが、三輪から藩主内藤への口添えであった事は疑いない。
半兵衛が刀を置いたその時、内藤が輝良に斬れと命じなければ、半兵衛は大立ち回りを演ずるか、その場で藩士の誰かしらに斬られるしか無かったのであるから。
試合の後、金原家から齋藤家へ使いがあり、千代との縁談を解消する旨の書状を寄越した。
これで、半兵衛と千代の行く末が、決まった。

「明日にでも、江戸へお発ちになりますか」
「はい」
「千代殿も一緒に」
「...はい」

半兵衛の後ろに控える千代は、晴れ晴れとした笑顔を、三輪に向けた。
半兵衛はといえば、大して面白くなさそうな表情のままである。
矢張この二人は似合いだ、と、三輪は微笑ましく思った。

「そうそう、お渡しするものがあります」
「は」

三輪は背後の戸棚を開け、ひとつの桐箱を持って来た。

「私は祝言の宴には伺えませんのでな。祝いの品です。どうぞ、お持ちくだされ」

ゆっくりと開けられたその箱の中には。
一枚の皿が、入っていた。

「まあ」

横から千代が覗き込む。
その皿には。
中央に染付の微睡む猫。その周りには牡丹の花と、蝶が配されていた。
古来、長寿と富貴を表す、縁起の良い文様である。

「どうぞ、末永くお幸せに」

三輪はにこりと微笑んだ。

千代は幸せを満面に湛えた。
半兵衛は。
憮然とした表情の奥底に、ちらりと歓びを、滲ませた。



おしまい




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