第百七十三話 鮑の貝殻、珊瑚の簪 其一 | ねこバナ。

第百七十三話 鮑の貝殻、珊瑚の簪 其一

【一覧】 【続き物】【御休処】 【番外】

第七十三話 猫は恨まず咽び泣く その一(35歳 男 浪人)
 第七十四話 猫は恨まず咽び泣く その二(35歳 男 浪人)

 第百十九話 はぐれ猫の如く(上)
 第百二十話 はぐれ猫の如く(中)
 第百二十一話 はぐれ猫の如く(下)

 もどうぞ


-------------------------------

「長内半兵衛」
「はっ」

道場の中に、鋭い声がこだまする。
黒光りした板の上に、二十人ほどの若者が並んで座っている。そのうちのひとりが、ずい、と前に進み出た。

「お主に、山田流免許皆伝の目録を授け、道場師範代とする。今後も精進するように」
「は」

上座で微笑むのは、五代目山田浅右衛門吉睦。未だ若々しい青年である。然しこの時既に、歴代当主随一の「首斬り役人」としての腕前と、名を馳せていた。「首斬り浅右衛門」といえば、江戸中で知らぬ者は無い。
そして、恭しく手を掲げて、三方の上に乗った目録を授かったその男は。
長内半兵衛。
この年丁度二十歳。山田浅右衛門道場でも指折りの腕前と、評判になりつつあった。

「ようし、本日はこれまで」

吉睦の声が響き、一同は礼をして道場から去っていった。

「おう、半兵衛、お主はちょっと来てくれ」
「は」
「見せたいものがある」

吉睦の言葉に、半兵衛は訝りながら後に続いた。
道場から続く長い廊下は、黒く塗られた大きな土蔵に続いている。

「昨日の仕事で斬首し、その後御様御用(おためしごよう)で試し斬りした罪人の身体が、先程届いた。医術狂いが見たいと言うでのう。お主もそろそろ見ておいた方が良いだろう」
「は」
「俺達の、まあ金蔓だ。因果な商売だが、必要とする者がいる以上は、それを提供するのも役目のひとつさ。さあ入れ」

半兵衛は些か緊張しながら、蔵の内扉をゆっくりと開ける。

ずず、ずず、ずずずずず

真っ暗な蔵の中に、所々明かりが点っている。
その明かりに照らされていたのは。
すっぱりと切断された頭。
剥き出しになった背骨。

ごり、ごり、ごり、ごり

骨を切断する音が土蔵内に響く。
此処は山田浅右衛門の収入源、労咳の秘薬「山田丸」の製造所であった。
山田丸の原料は、死人の臓腑である。

  *   *   *   *   *

「皆御苦労。作業を続けてくれ」

吉睦は、黙々と作業する者達にそう声を掛けた。その内の何人かは、恐ろしい形相をしていた。皮膚がむくみ、目が飛び出、肌には無数の傷が付いている。

「先生、この者達は」
「ああ、浅草の弾左衛門に頼んでな、腕のいいのを連れて来て貰っている」

半兵衛の問いに、吉睦は何でもない事のように話した。浅草の弾左衛門とは長吏頭、即ち、非人や貧民、牛馬の皮を剥ぐ者など、貶められた者達を束ねる頭領である。彼等の中には、牢番をしたり、処刑された罪人の後始末を行ったりする者達もいた。

「吃驚したか」
「は」

半兵衛は言葉少なく応える。そんな実直な半兵衛の様子に、吉睦は笑顔を向けた。

「俺達は、彼等と表裏一体だ。諸大名方が刀剣の鑑定を依頼して来る程名を馳せたとはいえ、山田浅右衛門家は浪人だ。御様御用やこういう商売がなくては、俺達は只の人斬り浪人に過ぎない」
「...」
「だからのう、俺は彼等を近しく思うておるのよ。人だけでない、命というものに近しくある彼等をな。判るか」
「は...」
「とまれ、彼等は腕の良い職人だ。これからも世話になるでのう。よう見知っておけ」
「はい...」
「まあそう深刻ぶるな。近い内にお前にも御役目が回って来るだろう。そうなれば、彼等とうまくやっていかねばならぬ。まあ、此処に出入りしてよう話を聞いて置く事だ」

そう言って、吉睦は半兵衛の肩を叩いた。

「ああそうそう、今日は変わり種が来ておるぞ。おうい露庵よ」
「はあい」

気の抜けた返事が聞こえた。半兵衛が眼を凝らしてその声の方を見遣ると、本を片手に、幾つかの臓物を熱心に見ている者がある。
傍らで、顔の大きく腫れ上がった男が、臓物を指差してその男に教えているようだ。

「どうだ」
「いやあ、勉強になります。杉田先生もお認めになっていたとおりだ。この誤りは正さなければ」

露庵と呼ばれたその男は、吉睦の問いに嬉々として応えた後、本の解剖図に素早く書き込みをしながら言った。

「解体新書か」
「ええ。いずれ改訳が出るでしょうが、それまで待ってはおられませんから。しかし牛松さんは、すごいねえ。ちゃあんとどの臓腑が何処に付いているのか、憶えているんだから」
「いやあ、腑分けでいっつも見てるからねえ。おらにはこれしか取り柄がねえから」

牛松と呼ばれた男は、ひ、ひ、ひ、と笑う。吉睦はにこにこしてその様子を見遣り、露庵に言った。

「露庵、お前に紹介しておこう、こいつは」
「あ」

半兵衛は、その顔を見て声を上げた。そして露庵も。

「ああ、小塚原の刑場で会った、あの若い人」
「なんだ知り合いか」
「ええ。腑分けの現場でお見かけしましたが」
「ほう」
「途中で気分が悪くなったようで、すぐ出て行かれたと記憶しておりますが」
「おい、余計な事を」

半兵衛は慌てた。それを見て吉睦はからからと笑う。

「ははは、そうだったのか。露庵、こいつは長内半兵衛。うちの道場でも指折りの腕利きだ。今日師範代になったばかりでな。剣術馬鹿で他には何の取り柄も無い」
「せ、先生」
「半兵衛、こいつは井上露庵といってな、長崎で修業を積んで来た秀才だ。勉強熱心でな、うちにはたまに顔を見せる。じき偉い医者になるだろうよ」
「はあ」
「露庵、以後宜しく頼む」
「勿論です。どうぞ宜しく」
「あ、ああ」

ぺこりと頭を下げる露庵に、半兵衛は慌てて応じる。
吉睦は悪戯っぽい笑みを浮かべ、わざと大きな声で言った。

「おい半兵衛よ。苦手なのは判るが、少しずつでも屍体には慣れておけ。御役目の度に目を回していたのでは困るからな」
「は...」
「山田先生の門下の方でも、屍体が苦手な方がおられるんですね」
「そうさ、尤もこいつは特別だがな、ははは」
「あはははは」

吉睦と露庵に笑われ、半兵衛はただ憮然とするしかなかった。
屍体と臓腑が転がるこの土蔵で。
街の人々が見れば地獄と見まごうような光景の中で、
ふたりは笑い、ひとりは憮然としていた。

  *   *   *   *   *

「長内殿」

山田道場からの帰り道、半兵衛は露庵に呼び止められた。

「何か」
「まあそう怖い顔をなさるな」
「この顔は生まれつきだ」
「だからそうじゃなく」
「何用か」
「愛想が無いなあ。まあいいや。貴殿を見込んでひとつお願いがあるのです」
「むう」
「此処で立ち話も何ですから。さあ行きましょう」

露庵は半兵衛の都合も聞かずに、さっさと歩き出してしまった。随分勝手な男だと半兵衛は呆れたが、内心可笑しくもあった。憮然とした表情は崩さないまま、半兵衛はのそのそと、露庵に続いた。

日陰横町と呼ばれる不景気な通りの一角、通りに面した小さな建物に、半兵衛は案内された。

「まあ一献」

露庵は座を勧めるが早いか、徳利と猪口を持って来て半兵衛に突き出す。半兵衛は訳が判らずに猪口を受け取り、酒を注いで貰った。

「ぐっとあけなされ」

言われるままに、半兵衛は杯を空けた。

「ほう、いい飲みっぷりだ。じゃ俺にも」

と、露庵は猪口を突き出す。
雰囲気が、変わっている。
浅右衛門屋敷の土蔵で見た、あのへらへらした調子は何処かへ置いて来たようだ。
代わりに、研ぎ澄まされた凄味がじわじわと半兵衛を襲う。
半兵衛は一瞬躊躇ったが、意を決して徳利を掴み、露庵の猪口へ酒をなみなみと注ぐ。
露庵はそれを、一気にあおった。

「ぷーっ、うまい」

そうして、じっと半兵衛を見た。

「お前さん、なかなかの度胸だ。見ず知らずの男にいきなり酒を勧められて、警戒もせずに空けてしまうんだからな」
「武士たる者、死とは常に隣り合わせだ。これで死ぬなら俺もその程度の男だ」
「ほう...」

露庵は目を細めて半兵衛をしげしげと眺める。

「若いのに、お前さん、随分と修羅場を潜ってるね」
「ふん、貴様も俺と大して変わらぬではないか」
「まあね。だがそれを言えばお前さんの師匠だってそうだ。聞けば山田浅右衛門の名は血筋ではなく、技量が後継の条件になるとか。現に吉睦殿は湯長谷藩士の子と云うではないか。お前さん、師匠に取って替わるような野心は無いのかい」
「なに」
「例えばの話さ」

何気なくとんでもない事を言う男だ。半兵衛は驚いたが、しかし返す言葉は決まっていた。

「俺は山田先生の足許にも及ばぬ。後継など考えもせぬわ」
「ふふん」
「それにな、山田浅右衛門の名は、剣術の技だけで継げるものではない。刀剣の鑑定、大名方への政治工作、幕府の重臣達への根回し。そういう事も必要なのだ。しかし俺には、それは無理だ」
「ふふふん」

露庵は鼻で笑うような素振りを見せていたが、突然、

ばん!

床を手で打った。

「気に入った!」
「なに?」
「お前さん、気に入ったぞ。物事の道理がよく判っておる。無骨だが筋道は正しい。今時そういう男が少なくてのう。さあ、もう一献」
「ちょっと待て」

半兵衛は露庵の徳利を手で押し止めた。

「俺は酒がそんなに強くない。酔っぱらってしまう前に、貴様の用向きを聞こう」
「おお、そうだった。俺としたことが」

へらへらと笑う露庵だが、腕組みをすると、途端に表情が曇った。

「お前さん、今日山田殿の屋敷で、俺が教えを乞うていた、牛松という男を憶えているかい」
「ああ」
「あの男に、ひとつ頼まれ事をしたのだ。娘の事でな」
「娘?」
「そう、牛松のひとり娘の事で」

露庵は自分の猪口に手酌し、くいとひと口飲んで、続けた。

「名前をオチヨというのだが、今年十六になる。牛松と女傀儡師との間の子でのう。ところがだ」
「ふむ」
「そのオチヨが、ある藩士の子ではないかという話があっての」
「なに?」

半兵衛は混乱した。

「しかし、あの者達は...」
「そう、人ならずと呼ばれ、蔑まれる者たちよ。普通ならばこんな話は誰も信じるまい。だが、これには幾つか根拠があるのだ」
「ほう」
「ひとつ。牛松には子種が無い。病の所為とも考えられるがな。ふたつ。アカネという名のその女傀儡師は、三河国から江戸へ向かう途中、遠江の宿場近くで怪我をした某藩士を助けた。そして一夜を共にしたのだそうな。それから暫くして、アカネが身籠もっていることが判った。みっつ、アカネはその藩士から簪を貰っている。見事な珊瑚の簪だそうな。そんなもの江戸では滅多に買えぬ」
「むむう」
「まあ、そんなわけで、牛松はオチヨの行く末を案じ、出来ればその藩士の家族に、一族の子であると認めさせようと考えている。何故かといえば」

露庵はぐいっと猪口をあおった。酒の雫が顎を伝う。

「オチヨは、近々弾左衛門の許へ差し出されるのさ。良くて吉原、悪くて夜鷹ってとこだな。要するに金蔓にされるというわけだ」
「なんと...」
「器量はいいそうだが、口がきけぬらしい。ある出来事をきっかけにしてな」

半兵衛は、すっかり露庵の話に夢中になっている。ぐいと身を乗り出した。

「どんな出来事だ」
「うむ...母親を、目の前で斬り殺されたのさ」
「なんと」
「アカネがその藩士に、自分の子だと認めさせようと画策したのだろう。江戸勤めに来ていると聞いて、会いに行ったのだろうさ。しかし」
「しかし」
「何時まで経っても帰って来ない。牛松が心配になって探しに行くと、道端に倒れたアカネと、それを呆然と見つめるオチヨがいたんだそうな」
「むうううううう」

腹の底から半兵衛は唸った。露庵はそれをじいと見ながら話す。

「可哀想に、それ以来オチヨは口をきかないのだそうだ。牛松以外の男には心を許さぬし、いつもひとりでおるそうな。ただ」
「ぬ」
「猫...猫と言うておった。何匹もの猫と一緒におるとな。猫と戯れて、ぼんやりと日を過ごすのだと」
「猫」
「そう猫だ」

猫か。
半兵衛は何故か猫と縁がある。
幼い頃には猫を飼っていたし、江戸に出て来る時にも、猫にまつわる悲しい事件を経験した。住んでいる長屋の周りにも猫が多い。

「む」

半兵衛は気付いた。

「何だ」
「貴様の話はよく判った。しかし、俺がそれにどう絡むというのだ」
「いやだからさ」

露庵は口元を拭うと、膝に手を突いて肘を張った。

「お前さん、オチヨの身請け人にならんか」
「な」

突拍子もない依頼に、半兵衛は動転した。

「な、なんで俺が」
「その方が話をつけやすかろう。それに、いやあ、年頃だしなあ。俺の周りには良さそうな奴がおらんしのう」
「貴様が身請けすればいいだろうが」
「俺は駄目だ」
「何故」
「俺は年増が好みなんだ。初な女は好かん」
「そういう話ではなかろう」
「まあそう言うな。形だけの事だ。それにな」

ずい、と露庵が顔を突き出す。半兵衛は少しのけぞった。

「な、何だ」
「俺はこの件、少し裏を調べたい。お前さんが身請けを引き受けてくれれば、俺も仕事がしやすいというものだ」
「...貴様、何者だ」

露庵は口の端をぐいと持ち上げて、奇妙な笑い顔を作った。

「お前さんには知っておいて貰おう。俺のもう一つの顔は、公儀隠密だ」
「なっ」
「もうひとつ重要な事実がある。最近判った事だが、その藩士の男、国許で原因不明の死を遂げていたそうな」
「何ぃ」
「ある藩の大きな不正が、この一件には絡んでいると見た。是非、お前さんの力を借りたい」

露庵は半兵衛を凝視した。
半兵衛は。
その視線を逸らす事が出来ず、只呆然と、座っていた。

「なおうー」

木戸の外で、猫が啼いていた。


つづく




ねこバナ。-nekobana_rank

→携帯の方はこちらから←

にほんブログ村 小説ブログ ショートショートへ
にほんブログ村

いつも読んでくだすって、ありがとうございます

$ねこバナ。-キニナル第二弾
アンケート企画
「この「ねこバナ。」が、キニナル!第二弾」
開催中です。ぜひご参加ください。





トップにもどる