第百十九話 はぐれ猫の如く(上) | ねこバナ。

第百十九話 はぐれ猫の如く(上)

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ざわざわ、ざわざわ。

山の木々が風になびいて音を立てる。
昼なお暗い峠の裏街道。
その中を歩く、親子連れがあった。

親子共擦り切れた旅装束に帯刀。父の方は浅黒い肌に無精髭を生やし、眼を爛々と光らせている。息子もまだ線は細いが、眼の輝きは父に劣らない。

ざわざわ、ざわざわ。
どどどっ、どどどっ。

木々の音に混じって、馬の駆ける音が聞こえる。
旅の親子は振り向いた。見ると五頭の馬が、細い山道を駆け上って来るのが見える。
父は無言で息子に目配せした。息子は少し怯えた様子で、こくりと頷く。
五頭の馬から侍が五人、ひらりと飛び降りて親子の方へと走った。

「長内! 貴様の悪運も此迄だ」

侍の一人が父の方に向かって叫ぶ。父は表情ひとつ変えずに応えた。

「お主等に追われる筋合は無い。樋口殿は何を思って儂等を襲うのか理解出来ぬ」

侍達はぐるりと親子を取り囲む。

「ふん、師範のご子息にあれだけの怪我を負わせておいて何をほざく」
「あれは殿の御前での尋常の勝負。それを恨むなど笑止千万」
「なにを」

ざあっ、と五人が抜刀する。父は音も立てずに刀を抜いた。
息子は恐怖に足を震わせながらも、するすると刀を抜き、構える。

「打ち落とされる前に手首を狙え。いいな」

父が息子に微かな声で語りかける。息子は震えながらも、こくり、と頷いた。

「死ねぇ!」

五人が一斉に親子に斬りかかる。父は先頭の侍の刀を弾き、刀の切っ先で頸動脈をするりと切断した。
噴き上がる鮮血に侍達は動揺する。そこへ父は飛び込み、一人を崖の下へ蹴倒し、もう一人に当て身を喰らわせておいて、心の臓へと刀を突き刺した。

「うわああああああッ」

最後の一人が息子に斬りかかる。息子は無我夢中で刀を伸ばし、大振りになった侍の打ち下ろしの真下から、右の手首を切り裂いた。

「ぎゃあああ」

侍は悲鳴を上げて刀を落とす。

「今だ、止めを刺せ」

父が息子に向かって叫ぶ。
しかし息子は、動けない。
初めて人を斬った、その感触に、恐怖を覚えた。
足が竦んで動かない。

「お、おのれえええ」

侍が左手に刀を掴み、息子に斬りかかる。
息子は呆然と眼を見開いて、襲い来る侍を見るばかりだ。

「うらあああッ」

ぎいん。

激しい金属音がして、侍の刀は弾かれた。そしてその脇腹から右の肩口まで、大きな血飛沫が上がった。

ぶん、と刀を振って血を払い落とすと、父は息子を怒鳴りつけた。

「戯け者め! いざという時に手足が動かんでどうするか。武士の生くる道は己の手で掴むものと、常々言うておろうが」

息子は、はっとして刀を仕舞い、父に頭を下げた。

「申し訳...ございません」
「まあよい。だが、よいか。これが人を斬るという事じゃ。よう見ておけ」

そう言われて、息子は辺りを見回した。
山道は血で赤黒く染まり、既に動かなくなった屍体が四つ、道のあちこちを塞いでいる。
息子はまた足が震え出した。それを見た父は困り顔で鼻を鳴らす。

「ふん。全くお前の臆病さにも困ったものじゃ。腕は申し分無いのだが、まだ修行が必要じゃのう。どれ、刀を見せてみい」

そう言って父が息子に近付いた時。

「うらああああああ」

息子の背後から、崖の下に落としたはずの侍が斬りかかって来た。
父は息子を脇に突き飛ばす。だが刀を抜く間が無い。

ざくっ。

父の左肩を刀が深く切り込んだ。父はその痛みなど感じぬかのように、右手で脇差を抜くと、侍の鳩尾から上へと一気に突き刺した。

「ぐあっ」

脇差は心の臓まで一気に達し、侍は一瞬で絶命した。
そして、左肩から胸のあたりまで食い込んだ刀を見つめながら、父はどさりと崩れ落ちた。

「ち、父上!」

息子が駆け寄る。父は震える手で懐から一片の書付を取り出し、擦れた声で息子に言った。

「これを持って、関所まで走れ。後は...何とかなるであろう」
「ち、ち、ちちうえ」
「早う走れ、また追っ手がかかるかもしれぬ」
「父上えええ」
「早う行け!」

父はありったけの力で叫んだ。息子はやっとの思いで立ち上がり、関所目指して夢中で駆けだした。
その姿を、父は見ていた。次第に暗くなる視界の向こうに、息子の後ろ姿を。

「山田先生、息子を...頼みましたぞ...」

  *   *   *   *   *

「全く、厄介な事よ」

関所の番人のひとり、坂下仁兵衛はぼやいた。

「他所の藩内の揉め事など、持ち込まんで欲しいな。お陰でこちとら、奉行所への報告だの、屍体の処分だの、いらん手間を取らされる」

それを、あの息子は黙って聞いていた。
事実その通りなのだ。某藩内の剣術指南役を競って御前試合をした長内道場と樋口道場。長内が勝ったものの、密かに賄賂を送って政治工作をしていた樋口は、試合に不正があったと告発、長内一家を追い出した上に、江戸に向かう途上で殺害しようと企てたのだ。
そして、父は殺されてしまった。残る自分にまで追っ手が掛かるだろうか。父を失った悲しみと、この先待ち受けるであろう苦難に、若い息子の心は押し潰されそうになった。

「んで、お主、ええと、何ていったかな」

仁兵衛は息子に訊いた。

「半兵衛。長内半兵衛です」
「年は」
「十三です」

蚊の鳴くような声で、息子、即ち半兵衛は応えた。

「おう、半兵衛よ。一応な、この書付はな、書いてあるとおり江戸の道場とやらに送ってやるぞ。もしお主らの話が確かならば、数日のうち迎えが来るだろう。もし来ないなら、お主は国元へ帰れ」

半兵衛は驚いて仁兵衛を見た。

「そんな」
「仕方あるまい。こちとらこれが仕事よ。いくら他所の藩の刃傷沙汰とはいえ、事件がこの管轄内で起こったのは事実だ。その関係者をすんなりと江戸へ入れる訳にはいかんのだよ」

仁兵衛はそう言うと、とことこ半兵衛の側まで近付いて来た。

「まあ、なんだ、俺達もこう見えてなかなか物要りでな。何か心付でもあれば...そう、考えてやらんでもないが...」

そうして半兵衛をじろりと見て、溜息をついた。

「見た処、お主にゃそんな余裕は無さそうだ。父親は殺されちまうし、路銀もあれっぽっちじゃあなあ」

そう言って天井を仰いだ仁兵衛であったが、ふと何か思い出し、また半兵衛ににじり寄った。

「そうだ、なあ、お主の父が持っていたあの刀、あれはいい物だのう。あれを俺にくれれば、ほれ、八王子の宿まで籠を雇ってやるぞ。どうだ」

半兵衛はきっと仁兵衛を睨んだ。

「いいえ」
「そんな堅い事を言うな。仏が刀を振り回せる訳でもあるまい。それにあれはお主にはまだ大きいだろうが」
「駄目です」

頑として譲らぬ処を見て取った仁兵衛は、ふう、と息を吐いた。

「よし、それならば、お主のその刀を置いていけ。矢鱈と刀を持たせる訳にはいかんでな。判ったか」

半兵衛は、ここは譲らねばならないと悟り、こくりと頷いた。

「うむ、ではもういいぞ、下がって休め。ああ、お主の寝床は、ほれ、そこの物置小屋だ」

と、仁兵衛は今にも崩れそうな、関所の物置小屋を指差した。
半兵衛はぐっと唇を噛み締め、無言で物置小屋へと向かった。

  *   *   *   *   *

物置小屋は隙間だらけで、夜中に強くなった北風が、ひゅうひゅうと吹き込んで来た。
半兵衛は掛けてあった蓑を身体に纏って、小屋の隅に身を押し込んだ。それでもしんしんと冷気が襲って来る。半兵衛の身体は小刻みに震えた。

震えながら半兵衛は考えた。江戸の道場の何とかという人は、父とどんな関係だったのだろう。本当に自分を迎えに来てくれるだろうか。もしそうならなかったら。

再び心細さと悲しみが襲って来た。ぎゅうと膝を抱える。その爪が膝小僧に食い込む。
真っ暗な物置小屋の中が、底なしの闇のように見えた。

「みゃう」

その鳴き声に、半兵衛ははっと顔を上げた。
姿は見えないが、何かこの中にいるらしい。

「みゃおう」

その鳴き声は近くなってくる。

「みゃーおう」

そして、足下で止まった。
半兵衛は恐る恐る、声のする方へ手を伸ばした。するとその手に、硬い毛を擦り付ける感触があった。

「みゃうん」

猫だ。

「みゃーうん」

何故自分の処に猫が来たのか。餌でも欲しいのだろうか。
そう考えた途端。

ぐーう

半兵衛の腹が鳴った。思えば今朝から何も食べていなかった。

「ぷっ。くふふ」

自分の腹の音に、半兵衛は笑った。腹が減ることすら忘れていたとは。

背負っていた袋の中から干鱈を取り出すと、半兵衛はそれを小さく裂き、猫の方へ差し出してやった。すると猫はそれを直ぐに咥え、ぐるぐると喉を鳴らしながら食べている。
半兵衛は自分も干鱈に齧りつきながら、猫の頭を撫でてやった。そして、猫が求める度に、干鱈の切れ端を差し出してやった。

ぐるぐる、ぐるぐる

猫の喉を鳴らす音が、物置小屋に響く。

ひゅうううう、ぴゅうううう

隙間風は相変わらず、半兵衛の身体を苛む。

干鱈を食べ終えると、猫は半兵衛の膝によじ登り、そして懐へともぐり込んだ。
ぐるぐる、ぐるぐると喉が鳴ってくすぐったい。
そして、じんわりと温もりが伝わってくる。

半兵衛の哀しさで溢れそうな心の中に、ちいさな明かりが点された。
そして、程なく半兵衛は、深い眠りに落ちていった。


つづく






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