第百二十話 はぐれ猫の如く(中) | ねこバナ。

第百二十話 はぐれ猫の如く(中)

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※前回 第百十九話 はぐれ猫の如く(上)


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翌朝、半兵衛が目を覚ますと、猫はまだ懐で丸くなっていた。
昨晩は暗くてよく見えなかったが、黒に赤茶が細かく入った錆模様だ。指でちょいちょい、と眉間を擦ってやると、猫は半兵衛を見上げて、

「みゃう」

と鳴いた。そしてするりと懐から抜け出し、大きく伸びをした。
半兵衛もそれにつられて立ち上がる。狭い物置小屋の隅に押し込めた身体は随分固くなっていたが、うーん、と伸びをすると、冷えた手足に血が通っていくのが判る。半兵衛は猫を見遣って言った。

「お前のお陰だな、有難う」

それに応えて、猫は、低い声で鳴いた。

  *   *   *   *   *

物置小屋から出て井戸に向かうと、半兵衛は冷たい水で顔を洗った。
猫はその足下で、零れた水をぴちゃぴちゃと舐めている。

「おめえ、なにもんだ。どっから来ただ」

不意に声を掛けられて、半兵衛はびくっと震えた。慌てて振り返ると、継ぎ接ぎだらけの着物を着た娘がひとり、呆けた顔で立っていた。
顔を拭うのも忘れて、半兵衛は娘に向き直った。

「せ、拙者、長内半兵衛と申す者。昨日からこの番所で世話になっている」
「ああ、おれとおんなじくれぇのお侍さんてのは、おめえか」

箒を抱えたまま、娘は、ぽん、と手を打った。

「気の毒になあ。おっとうが殺されちまったそうだなあ。ほんに悪い奴らがおるもんだ」

余りに馴れ馴れしい物言いに、半兵衛は少し可笑しくなった。

「お主の名は」
「ああ、おれはサトってゆうだ。この番所でばさまの手伝いしてるんだ」
「そうか。もう暫く、厄介になる」
「なあに構わねえ。んでも、そこの物置では寒かんべえ。あてがねえなら、おれん家に泊まるといいだ」

サトの意外な申し出に、半兵衛は驚いた。

「...いいのか?」
「ああ、どうせおれとばさましかいねえし。ただ少しは家の事も手伝ってくんねえと」
「家の事?」
「決まってらあ、野良仕事だべ」

鍬や鎌など握ったことは無いが、物置小屋で凍えるよりはましだ。半兵衛がその旨を番所の役人坂下仁兵衛に話すと、仁兵衛は厄介払いが出来たとばかりに、二つ返事で承知した。

「但し、朝晩は必ず此処に顔を出せ。早ければ明日にでも、江戸から何かしら言って来るだろうからな」

そう釘を刺されて、半兵衛が退出しようとすると、

「ああ、そうそう、お主の親父どのだが、隣の寺でこれから墓を作るぞ。サトの家に行くのはそれからにしろ」

朝飯を片付けるような口調で、仁兵衛は言った。

  *   *   *   *   *

番所の直ぐ隣にある寺の、無縁仏が集まる墓の一角に、半兵衛の父、長内宗則は葬られた。
父の形見となった一振りの剣、固山宗次の銘刀は、半兵衛にはちと大きく、そしてずしりと重かった。
父の墓に手を合わせながら、半兵衛はぼんやりと考えていた。武士ならば、此処で父の敵を討つと誓わねばならないのだろう。仇を討って武士の本懐を遂げると。

しかし何故か、半兵衛の胸の内には、その心持ちが湧き上がって来なかった。敵への憎しみよりも、父を失った悲しみと、突然この世に一人きりで放り出されたことへの戸惑いが勝っていた。自分はこれからどうなるのだろう。果たして生き延びることが出来るのだろうか。

そんな情けない思いに駆られたまま手を合わせていると、背後で猫の鳴き声がした。
振り向くと、あの錆猫が、ちんまりと座ってこちらを見ている。

「みゃーお」
「ちっ、あいつめ、また来やがった」

半兵衛の背後に立っていた仁兵衛は、舌打ちをすると足早に猫の方へと歩き、するりと刀を抜いた。
それに気付いた半兵衛は、弾かれたように走りながら、叫んだ。

「駄目だ!」

刀を振り下ろそうとした仁兵衛の動きが止まる。半兵衛は猫を急いで抱きかかえた。

「駄目です」

仁兵衛はいまいましそうに言う。

「何だぁ? 猫ってのはな、死人の魂を喰らうって話だ。お主の親父どのの魂も、喰われてしまうかもしれんのだぞ」
「そ、そんなことは無い、きっと無いに違いない。だから」

半兵衛はきっと仁兵衛を睨む。

「こ奴は、斬ってはいけない」

仁兵衛は不貞腐れて刀を仕舞い、

「けっ、勝手にしろ」

そう言い捨ててさっさと番所に戻ってしまった。
半兵衛は猫を抱いて、ゆっくり立ち上がると、

「さあ、行こうか」

教えられたサトの家へと、とぼとぼ向かった。

  *   *   *   *   *

サトの家で、半兵衛は持って来た米を全て渡して、暫しの宿を乞うた。サトとその祖母ミネは喜んで引き受け、かいがいしくとはいかないまでも、何かと世話を焼いた。夕飯には、米に芋を混ぜた飯をたんまりと炊いて、山盛りにして半兵衛に突き出した。

ぶっきらぼうな言葉遣いの中にある温かさを、半兵衛は快く思った。半兵衛は母の感触を知らない。自分が生まれて直ぐに亡くなったと父に聞かされて来た。物心ついた頃から、厳格な父の元で修行に励む日々。母の、家の温かさとは、こういうものなのだろうか。
サトは喋り好きで、色々半兵衛の事を訊きたがった。小さい頃からずっと剣一筋だったと話すと、

「おめえ、野良仕事したことねえだか。ここいらではお侍も百姓もねえだ。皆野良仕事に精を出すんだで」

とサトは言う。事実、仁兵衛も他の番所の役人も、武士でありながら農民のような生活をしている。身分の境が取り払われたように見え、人々の間にもよく通じ合う何かが感じられた。
此処はいい処だと、芋の入った飯をかき込みながら半兵衛は思った。このように生きられたら、どんなに心持ちが楽になれるだろう。

「みゃう」

半兵衛に貰った干鱈を喰い終えたあの錆猫が、囲炉裏の近くまで上がって来た。そして半兵衛の横でくるりと丸くなる。

「こいつ、おめえの事が好きなんだべな」

サトがにこにこして言う。

「そうだな」

半兵衛は丸まった猫の背中を撫でてやった。

「番所の周りでずっと暮らしてるみてぇだ、この猫。何処から流れてきたんだべなあ」

ミネがしげしげと猫を見ながら言う。
そうか、この猫は、まるで自分のようだ。
何処からともなく現れて、そして行き場を失い、ふらふらと漂うように此処に居る。

似た者同士、寄り添ってみるのもいいだろう。

半兵衛はそう思い、猫の眉間のあたりを指で擦った。
猫は、さも気持ち良さそうに、ぐるぐると喉を鳴らした。

  *   *   *   *   *

暗闇の中、半兵衛は走っていた。
得体の知れない物が半兵衛を追いかける。

「早う行け!」

父の叫び声が聞こえる。
足が縺れる。
ぎいん、じゃりん、と刃の音がする。血の臭いがする。
足が重くなり、動かなくなる。
無数の腕が、刀が、襲いかかる。
叫ぼうとするが、声が出ない。
声にならない絶叫。

「みゃーおう」

「うわっ」

がばと半兵衛は起き上がった。
ぜいぜいと荒い息が響く。
額と背中に、じっとりと汗をかいている。
夢か。

「ふうーう」

大きく息をついて、半兵衛は横を見遣った。
猫が行儀良く座って、半兵衛をじっと見ている。

「猫ってのはな、死人の魂を喰らうって話だ」

仁兵衛の言葉が頭を過ぎる。
真逆。

「みゃーおう」

「真逆な」

そんな筈はあるまい、と半兵衛は決めつけた。
現に、この猫は、悪い夢から自分を救ってくれたではないか。

半兵衛はまた横になると、薄っぺらい布団を持ち上げた。猫はするするとその中に入り、とぐろを巻く。
その背中を撫でながら、半兵衛は先程の嫌な夢を反芻していた。
逃げていた自分を、襲い来る何かの姿を、反芻していた。

あれは何だ。自分はどうすればよい。

夜がしらじらと明けて来ても、半兵衛は悶々として、寝付くことが出来なかった。


つづく






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