第百七十五話 鮑の貝殻、珊瑚の簪 其三 | ねこバナ。

第百七十五話 鮑の貝殻、珊瑚の簪 其三

【一覧】 【続き物】【御休処】 【番外】

※前回までのおはなし
 第百七十三話 鮑の貝殻、珊瑚の簪 其一
 第百七十四話 鮑の貝殻、珊瑚の簪 其二
------------------------
第七十三話 猫は恨まず咽び泣く その一(35歳 男 浪人)
 第七十四話 猫は恨まず咽び泣く その二(35歳 男 浪人)

 第百十九話 はぐれ猫の如く(上)
 第百二十話 はぐれ猫の如く(中)
 第百二十一話 はぐれ猫の如く(下)

もどうぞ


-------------------------------

「ほいで、おまんらあ、何の用じゃ」

土佐藩中屋敷内の狭い長屋で、露庵と半兵衛は、ひとりの土佐藩士に相対していた。
名は岡元半次。白札と呼ばれる、郷士と上士の中間に位置する身分の男だ。太い眉を目の上に乗せて、じろりと二人を見据えている。

「はい、実は」

と、露庵がオチヨの母アカネと土佐藩士池田光茂の関係について述べる。池田の身分は郷士であった。

「は、そいな下賤の女とうちの者との関わりなどに、いちいち付き合うてはおれん」
「いえ、実は女傀儡師のアカネという女、出自は武家だという事が判りまして」
「なに?」

岡元の太い眉がぴくりと動いた。

「磐城国湯長谷藩の御賄頭、齋藤忠兵衛殿の御息女が、名を茜と言いましてな。幼い頃から妖しい物を見聞きするので、寺に預けておったのだそうです。私はいわゆる柔狂ではないかと思うのですが」
「ふむ」
「それが二十八年前、ええと、そう八つの時、寺から逃げ出したのだそうですよ。齋藤殿は慌てて探し回ったのですが見つからなかった。ところが、諸国を巡る傀儡師の一座によく似た女がおると、大坂から知らせて来る者があったのだそうで」

半兵衛は内心冷や冷やしながら露庵の話を聞いている。湯長谷藩と云えば山田浅右衛門吉睦の実の父、三輪源八の勤める藩である。何処までが本当で、何処までが嘘なのか、さっぱり判らない。

「その女の持ち物の中に、あったのですよ。幼い頃に渡された菱形の縫い守りが。江戸に居られる齋藤殿の奥方は、間違い無く自分が娘に渡したものと認めましてな」
「ぬぬぬ」
「もっと早くに判っておれば、と思います...」

露庵は、ほう、と溜息をついた。

「ほんなもん持ち出しよっても、ほ、本人が死んでしもうたら、後の祭りじゃ」

岡元はそっぽを向いた。

「おや? なぜアカネがこの世に居ないと、お判りで」
「えっ」
「確かにアカネは死んでおりますよ。しかし私はその話はいたしておりませんが」
「そっ、そいは」

露庵の問いに、岡元は明らかに動揺している。しかし露庵は深く追究せずに、

「そうなのです。アカネは三年前のある日、深川で斬り殺されましてねえ。一緒に暮らしている男の話だと、娘の父親が土佐の江戸屋敷に来たと知らせる者があったとか」

と、さらりと流す。しかし岡元の動揺は強くなる一方だ。

「なぜ、殺されねばならなかったのでしょうねえ。齋藤殿が知ったら、さぞお嘆きになるでしょう」
「ちょ、ちょっと待ちいや」

岡元は露庵の言葉を遮った。

「おまん、どうしてそんな確信があるがじゃ。池田とその女の間の関係を、どうやって証明するがじゃ」
「それはあなた、十六年前、一夜の契りの証として、池田殿がアカネに渡した物があるからですよ」

露庵は懐から、一本の簪を取り出した。
其処には。
鮮血の様な色の珊瑚が。

「...」
「見事な品ですねえ。これと同じ形の簪を、私、見た事があります。土佐の彫金師...ええと、名は何と云ったか」
「こ、こいなもんが」
「まあいいや。それにどうですこの珊瑚。池田殿はさぞお金持ちだったんでしょうな。こんな物を買う事が出来るのですから。いや羨ましい...おや」
「む」
「この珊瑚、良く見ると、舶来の物と違うなあ...。鹿の角や象牙で作った偽物とも違う...いやこれまた珍しい」

岡元は口をぱくぱくさせている。これだけでも、露庵の仕掛けは成功したというものだ。

「ときに、池田殿は国許にいらっしゃるので」

露庵が話題を変える。

「い、いや、池田は死んだ」
「亡くなった」
「橋の普請の際にの、事故に遭うたがじゃ」
「はあ...それはまた。で、ご遺族は」
「今年十五になる息子がおる」
「そうですか。じゃあオチヨはその人の妹になる訳だ」
「いやあの、うむ」

岡元は抗議しようとして口籠もる。

「さて、どう始末をつけましょうかねえ。湯長谷藩士齋藤殿の娘が、土佐藩士池田殿との間に子をもうけた。しかし不幸にも二人とも亡くなっている。私が齋藤殿ならば、池田殿のご子息に会って、妹として迎えてやってくれと、そう願うでしょうなあ」
「むうう」
「あるいは、自分の孫として迎え入れるでしょうが、その際には池田殿のご子息とも話し合わなければなりますまいなあ」
「むううう」
「齋藤殿の心中を考えると...ああ可哀想に」
「ぐっ」
「いやそれにしてもいい珊瑚だ」
「ぐぬぬぬ」

鬼瓦の様な形相の岡元を見遣って、露庵はわざとらしく、簪を掲げた。そして

「そうそう、オチヨは、育ての親の牛松という男と一緒に、山田浅右衛門殿の御屋敷で働いております。此処に居る長内半兵衛が二人の事をようく知っておりますよ」
「なっ」
「いいから」

半兵衛は思わず声を上げ、露庵が手でそれを制する。

「だからほれ、この簪は、半兵衛、お前さんがオチヨに返しておくれ」
「む」

しかめっ面をしながらも、半兵衛はそれを受け取った。

「ではこの一件、岡元殿にお預けいたします」
「ぬう」
「私と半兵衛は何時でも伺いますので。良いご返事を、お待ちしておりますよ」

露庵はわざとらしく、ゆっくりと礼をした。

  *   *   *   *   *

「いけませんや」
「駄目かい」
「ええ、いけません」

野太い声が、露庵と半兵衛に投げ掛けられる。
此処は浅草の弾左衛門屋敷。長吏頭として関八州の虐げられた者達を配下に収める弾左衛門は、自らも貶められた身分でありながら、幕府から様々な特権を与えられ、大名にも匹敵する豪勢な暮らしぶりだった。

「露庵さんとやら。オチヨはあたしらの人別帳にも載ってるんですぜ。そのアカネって女傀儡師が元々どんな身分だったか知らないが、あたしのシマに属していた事は確かだ。それにね、此処には以前武士だった者だって居る。罪を犯してその地位を追われた者達でさ。此処に来たからには、あたしらの掟に従って生きなきゃあいけない。こういう身分のきっちりした世の中だからね、あたしらの生きる術ってのがあるんでさ」

弾左衛門はそう言って、煙草の煙を長く吹いた。

「それは判るよ。しかし事が些か厄介だ。二つの藩が絡み合い、互いにオチヨを奪い合って変な具合になったら、あんたらの稼業にも差し障りがあるだろうさ」

その差し障りを拵えたのは露庵本人なのだが。しかしそれも、公儀隠密という役回りの為せる業なのか。
半兵衛は半ば感心し、半ば呆れてもいた。

「そうさねえ、どうしても足抜けさせてえっていうなら、あの娘の目方分だけ、小判を積んで貰わなきゃあならねえ」
「ふうむ」
「あたしの見立てじゃ、あの娘はいい稼ぎをしてくれそうだからね。それ相応の払いは覚悟して欲しいもんだ」
「そうかね」

露庵はそう言って、ふう、と息を吐いた。

「これは少々先走ったかな。残念だったな半兵衛」
「え?」

いきなり話を振られて、半兵衛はきょとんとして露庵を見る。

「あ、ああ」
「しかし、長内様、あんたも物好きだねえ。非人宿の女を身請けしようなんざ」

そう言って弾左衛門は、引きつるように笑う。半兵衛は返す言葉も無く、只憮然としていた。

「まあ、山田先生にはお世話になっているからね、別の用なら何なりと言っておくんなさい」

にたりと笑う髭面の弾左衛門の膝の上には。

「みゃーお」

毛の長い、鼻の潰れたような猫が一匹、とぐろを巻いていた。

  *   *   *   *   *

「さて、仕掛けは済んだ、と」

荒川の土手を歩きながら露庵が言う。

「俺には判らん」

半兵衛はすっかり混乱していた。
日がな一日、露庵の動きに付き合ってはみたものの、事の収め処がさっぱり見えて来ない。

「そうか? まあ俺の仕事はこれでひと区切りだ。あとは草の連中が動いてくれる」
「草?」
「はしっこい連中さ。今頃土佐藩邸でごそごそと動きが出て来ているだろうからな。尻尾を捉まえたら、あとはお上に報告するだけだ」
「むう」

矢張半兵衛には判らない。

「おやオチヨ」

露庵が手を振る。
その先には、こそこそと歩いて来るオチヨの姿があった。

「芝居小屋はもう終わったのかい」

と露庵が聞く。オチヨはこくりと頷いた。

「おや、それは」

オチヨは手に何か抱えている。

「見せてごらん」

露庵の言葉に、オチヨは手を開いた。
それは鮑の貝殻だった。

「ほう、これはいい」

そのひとつを手に取って、露庵はしげしげと眺める。そして、

「ほれ」

と半兵衛に手渡す。

「どうだ、外見はごついが、中は虹色に光って、美しいじゃあないか」
「うむ」

半兵衛は生まれて初めて、鮑の貝殻を手に取って見たのだった。
光の加減で移ろうその輝きは、半兵衛の心を魅了した。

「猫の餌入れにするのかい」

と露庵が訊くと、オチヨはにこりとして頷く。

「猫の餌入れ」
「おや、お前さんは知らないのかい」

露庵は笑って半兵衛に言う。

「昔から、猫を飼うなら鰹節と、鮑の貝殻があれば良いと言うではないか」
「そうなのか」
「そうともさ」
「俺も...猫が好きでな」

半兵衛の口元が綻んだ。

「きれいなもんだ」

そうしてオチヨに返そうとした。するとオチヨは、その手を押し止める。

「くれるのか」

呆けて半兵衛が訊く。オチヨは満面の笑みで、頷いた。

「済まぬな」

半兵衛はまた、しげしげと鮑の貝殻を見る。
血の色の珊瑚よりも、こっちの方がずっと美しい。
半兵衛は、そんな事を考えていた。

  *   *   *   *   *

「ふう、うまかった」

露庵は夜鷹蕎麦の丼を空け、息をついた。
半兵衛もそれに付き合って、ずるずると蕎麦を啜っている。
結局、この日は朝から晩まで、この男に付き合わされた。引っ張り回す露庵も酷いものだが、付いて行く俺もどうかしている。そんなことを半兵衛は考えていた。

「ごちそうさん」

露庵は代金を蕎麦屋に支払おうとして、

「おっととと」

銭を道端にばらまいた。

「ああお客さん、しょうがないねえ」

蕎麦屋が露庵と一緒になって、銭を拾うのを手伝う。半兵衛は汁を飲み干しながら、その動作を見ていた。
蕎麦屋のぼんやりした明かりが届くか届かないかという辺りで、二人の男がもぞもぞと這い回っている。
程なくして露庵が立ち上がった。

「いや、済まないねえ。ごちそうさん」
「毎度どうも」

明るい声で、露庵は店を後にする。半兵衛も慌てて代金を支払い、露庵に並んだ。

「何か判ったのか」

半兵衛が訊く。

「ああ、どうも薬が効き過ぎた様だ。俺はひとっ走り荒川に行く。お前さんも気を付けろ。後を尾けられてるぞ」

露庵が小声で注意を促した。矢張先程の蕎麦屋は、隠密の手先か。流石に公儀の情報網は只事では無い。

「判った」
「簪を盗られるなよ」
「ああ」

すうと露庵は半兵衛から離れる。

「じゃまた明日な」
「ああ」

大きな声で、互いに声を掛け合った。
そして半兵衛は、ひとりで暗い路地を歩き始めた。

しんと寝静まった暗い路地。
遠くで犬の吠える声がするだけの、静かな路地だ。
其処に、ざわざわと不快な気配が入り交じる。
二人、いや三人か。半兵衛は歩みを早めた。後ろからその気配も尾いて来る。
半兵衛の歩みは、次第に駆け足となっていた。全速力で路地を走り抜ける。
まだ尾いて来る。相当の手練れだ。
橋の上でぴたりと半兵衛は止まる。振り返ると、頭巾で顔を隠した浪人風情の男が三人。一斉に刀を抜く処だった。

「しぇええええい」

一人が走り来る。その後ろから立て続けに男達が、迫る。
半兵衛は刀を抜かずに、先頭の第一撃をかわし、そのまま足を払って堀に突き落とした。

「うわっ」

ざばああああん

水飛沫が上がる。

直ぐさま二人目が大上段から振りかぶる。
半兵衛はその手を取って右に捻り、相手の顔面に肘を喰らわせる。

「ぐっは」

鼻の直ぐ下、人中に一撃が中り、男は崩れ落ちた。半兵衛はその隙に男の刀を拾う。

「うっ」

最後の一人は、半兵衛の余りの早技に面食らった様子で、刀を小刻みに揺らしながら立っている。
半兵衛は、じり、じりと間合いを詰めた。

「くっ、くそおおお」

絶叫しながら男が襲い来る。

「うらああああああ」

ぶん、と刀を振り下ろした。
しかし。

「なっ」

男は妙な感覚に襲われた。
天地が、逆転している。

「うわああ」

くるりと一回転し、男は地面に激しく叩きつけられた。

「ぐあっ」

その目の前に、月明かりを受けて蒼白く光る、刀の切っ先が。

「ひいいいい」
「貴様、何者だ」

半兵衛の声が、男の耳に突き刺さる。

「山田浅右衛門の弟子、長内半兵衛と知っての狼藉か」
「し、知らん」
「ほう、ならばそれ相応の報いが待っておるぞ」

ぐい、と襟首をねじ上げ、半兵衛は氷のような眼差しで男を見た。

「評定所に突き出してくれるわ。言い訳があれば其処で言え」
「ま、待て」
「それが嫌なら、此処で首を落としてくれるわ」
「ひいい、ちょっ、まま待ちいや」
「待てぬ」
「お、おまんさあを斬れと言われたがじゃ。斬らねば厳しい沙汰が待っちょる」

土佐の訛だ。

「命じたのは誰だ」
「そ、そいは」
「言わぬなら覚悟せい」
「...」
「死にたいようだな」
「おっ、おお岡元様じゃ」
「あの眉の太い男か」
「そ、そうじゃ」
「何故俺を狙う」
「知らん。他には何も知らんぜよ」
「そうか」

半兵衛は、すう、と刀の切っ先を下ろした。そして。
男の襟首を両手でぐいと締めた。

「ふぐっ」
「暫く寝ておれ」

男はじたばたと足を動かしたが、やがてぐったりと地面に寝転がった。

「さて」

取り敢えず急がねばなるまい。
半兵衛は長屋に帰らず、浅右衛門屋敷へと走った。


つづく




ねこバナ。-nekobana_rank

→携帯の方はこちらから←

にほんブログ村 小説ブログ ショートショートへ
にほんブログ村

いつも読んでくだすって、ありがとうございます

$ねこバナ。-キニナル第二弾
アンケート企画
「この「ねこバナ。」が、キニナル!第二弾」
開催中です。ぜひご参加ください。





トップにもどる