第百九十六話 猫に牡丹、そして蝶(上) | ねこバナ。

第百九十六話 猫に牡丹、そして蝶(上)

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※第七十三~四話 猫は恨まず咽び泣く その一その二
 第百十九~百二十一話 はぐれ猫の如く (上)(中)(下)
 第百七十三~六話 鮑の貝殻、珊瑚の簪 其一其二其三其四
 もどうぞ。


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「い、嫌だいやだいやだあああああああ」

劈くような叫びが、伝馬町の牢屋敷に響いた。
髷結わぬ男二人が、その喚きの主を両脇で押さえつける。
喚きの主というのは、某藩藩士の次男坊であり、仲間と共に江戸で数々の狼藉を働いたうえに町人の娘を拐かし、殺してしまったのである。
国許でも悪名高い無頼の輩であり、評定所は断固として処断する事となった。
所謂斬首刑であるから、武士としての名誉は最低限保持される。屍体は御様御用(おためしごよう)、つまり刀の試し斬りなどには使用されない。

「うわあああああああああ」

喚き散らす罪人を、厳然と見下ろす者がある。
首斬り役人、長内半兵衛。
師匠の山田浅右衛門吉睦に命じられ、初めて仕事で、斬首を行う事となった。

「ええい見苦しい。しっかり押さえぬか」

目付が声を張り上げる。控えていたもう一人の男が、罪人の髷を掴んで、ぐいと下に押さえ付けた。

「ひゃあああああああ」

半兵衛はすう、と刀を構える。冷徹な眼が罪人の首筋に狙いを定める。

「よし、やれい」

目付が手を挙げた瞬間。

ひゅん。

半兵衛の手から、一陣の風が走り、罪人の首を駆け抜けた。
喚きはそれきり途絶え、牢屋敷に静寂が戻った。

  *   *   *   *   *

「おう、役目御苦労」

山田浅右衛門の道場に戻った半兵衛を、師匠の浅右衛門吉睦が労った。

「は」

半兵衛は軽く会釈をし、吉睦に相対して座る。

「どうだ、初めての役目は」
「は...どう、と仰いますと」
「うまくやれたか、ということさ」
「はあ...ぬかりは無かったかと...思います」

些か自信なさげに、半兵衛は答えた。

「ははは、お主、謙遜も程々にせい。先程御目付殿から使いが来ての。あの太刀捌きは流石に浅右衛門の弟子よと、褒めておったそうだ。俺の代わりにまた御用を頼む事になろう。よろしくな」
「は...恐縮です」

半兵衛は深々と頭を下げる。吉睦はそれを見て、少しばかり憂鬱そうな声で言った。

「まあ、今回は罪が明らかでもあるし、同情の余地はあるまいな。しかしのう、時折気分が悪くなる時もあるのだよ。この俺でもな」
「せ、先生が」

吉睦の言葉に半兵衛は驚いた。何事にも動じず、冷静沈着に事を運ぶ師匠の言葉とは思えなかったからである。

「ああ。まだ年端もいかぬ少年や、直訴に敗れた武家の妻女などの首を斬るのは...俺でも気が引けるものよ。此が役目と判っていてもな」

ほう、と吉睦は息を吐き出した。見慣れぬ表情を見せる吉睦に、半兵衛は只戸惑うばかりである。

「いずれお主にも、そうした辛い役目が廻って来よう。しかしこれも俺達の生きる道だ。よう心がけて置いてくれ」
「は...」

半兵衛は短く答えて、俯いた。
このところ、吉睦は半兵衛を自室に招き、他愛もない話に興じる事が増えていた。それが自分に向けられた期待の表れだと、半兵衛は薄々気付いてはいたのだが、幸いなことに半兵衛は、そうした師匠の思いに乗じて奢るような男ではなかった。
先代の浅右衛門吉寛が他界して早十四年。彼に拾われるようにしてこの道場へと転がり込んだ半兵衛にとって、当時から群を抜いて傑出した存在だった吉睦は、純粋に憧れの人物でもあった。そして、その頃から自分が仕えるのはこの人だと、勝手に決めていたらしい。
決して吉睦を貶めたり、辱めてはならない。彼が山田浅右衛門の名を継ぐ事が決まって以来、半兵衛は常に、その事を考えて生きて来たのだ。
そしてこれからも、そうであるに違いない。

「ああそうそう。お主にひとつ相談がある」

不意に顔を上げて吉睦が言う。

「は」
「実はのう。俺はいい話だと思うんだがのう」

頭を掻きながらそう言う吉睦は、困ったような表情を作りつつ、悪戯小僧のように眼を煌めかせた。

「憶えておるか。四年前、湯長谷藩の齋藤殿の処にやった、千代を」
「はあ」

忘れもしない。四年前、半兵衛はある事件に巻き込まれた際、非人宿からひとりの娘を、事実上身請けする事となった。
しかしその娘は、奇妙な縁から、吉睦の実父が勤める磐城国湯長谷藩の御賄頭齋藤忠兵衛の孫娘、ということになり、彼の地へと旅立って行ったのだ。
そうだ。あれからもう四年も経つのだ。半兵衛はぼんやりと年月の早さを想っていた。

「お主、千代を娶る気は無いか」
「...は?」

一瞬、半兵衛は吉睦の発した言葉の意味を、理解出来ずにいた。
しかし。

「そっ、それは」

理解した瞬間、半兵衛は動転した。

「どうなのだ」
「は、いやしかし」

吉睦はじっと半兵衛の顔色を窺う。半兵衛は益々慌てた。

「い、今やオチヨ、いや千代殿は、御賄頭齋藤忠兵衛殿の御息女。私如き浪人風情が」
「おや、俺の妻は藩士の娘だ。そして俺も身分は浪人だ。浪人風情が藩士の娘を娶ってはいかんと言うのか」
「い、いやそんなつもりは」
「ああ判っておる判っておる。つまりそんなに気を回さんでもいいということさ。やりようはいくらでもある」
「しっ、しかし私にはまだ」
「早すぎる事はあるまいよ。寧ろ遅い位だな。俺も今のお前くらいの時に祝言を挙げたしな」
「いやその」

ふと半兵衛は思い至った。

「せ、先生」
「ぬ?」
「何故、今になって千代殿の話が」
「それ、それなんだ」

吉睦は腕組みをして、深厚そうな表情を作った。

「いや実はのう、千代はお主も知っての通り、中々の器量良しだ。言葉や読み書きに不安はあったが、齋藤殿の奥方が随分熱心に教え込んでくれたのでな、今では全く問題無いそうだ。更に踊りの名手ときては、藩士の息子共が放って置く訳があるまい」
「はあ...」
「齋藤殿の処には、縁談がそれこそ降って湧くように次々と寄せられたのだそうだ。しかし当の千代がな。それらに全く興味を示さんのだそうだよ」
「...」
「そうはいっても、年頃の娘をそのまま家に置いておく訳にはいかぬ。齋藤殿も奥方も老い先短い。嫁がせるなら今の内だとな、齋藤殿は藩の勘定方の子息との縁談を進めようとなさったのだ。ところがだ」
「は」

半兵衛はずい、と身を乗り出す。吉睦は口の端を一瞬引きつらせたが、すぐに深刻な表情に戻った。

「その相手というのがなあ」
「ど、どうしたのですか」
「猫嫌い、だというのだ」
「は?」
「そう猫嫌いだ。うんうん」

吉睦は勿体ぶって、ううん、と唸って頭を掻く。半兵衛はすっかり話に夢中になってしまっている。

「何というたか、その、相手方がな。一度齋藤殿のお屋敷へ寄った時にな。千代の飼っている猫に仰天して、家を飛び出してしまったのだ」
「...」
「なんでも、羽織の紐にじゃれようとして飛びついたのだとか。それが怖かったらしくてのう」
「...」
「千代め、齋藤殿の処へ行っても、相変わらず猫を飼って大層可愛がっておるそうな。相手方はそんな生き物は飼えぬと言う。しかし千代は頑として譲らない。そんな押し問答があって、縁談は進まぬままなのだ」
「...はあ」

半兵衛は少し考えて、はたと気付いた。

「先生」
「何だ」
「それと私と、どういう関係が」
「だからさ。猫が原因などと、藩の御殿様に言える訳がなかろう。一度おおっぴらになった縁談をお流れにするにはな、それ相応の理由が必要だ」
「し、しかし」
「しかし何だ」
「断るということは、わ、私と夫婦になるということで」
「そうだな」
「な、何故そうなるのですか」
「何だ不服か」
「えっ」

吉睦はじろりと半兵衛を見る。半兵衛はあたふたとするしかない。

「ふ、不服ではありませんが、その」
「何だ」
「望まれて嫁ぐなら、そちらの方が...私などの半人前に嫁ぐよりは...」
「ああもう、じれったい奴だな」

ぶつぶつと煮え切らない半兵衛の態度に、吉睦は焦れた。

「じゃあ言うてやろう。千代が縁談を断り続けて来た原因のひとつは、お主だ」
「は?」
「いつかはお主の処に帰るのだと、千代は言うてきかぬのだそうだよ。お主、この責任をどう取る積もりだ」
「せ、責任」
「そうだ。この一件を纏めるにはな、お主が、齋藤殿に、千代をくださいと、直々に、頼みに行くことが、必要なのだよ」
「うッ」
「そうすれば、嫁ぎ先が決まって齋藤殿も安心する。相手方も諦めがつく。御殿様にもなんとか報告が出来る。そしてお主も」
「...」
「ようやっと、いい女房が出来る。どうだ、いい話ではないか」
「...は...」
「何だその渋い茶でも飲んだような顔は。千代がそんなに嫌か」
「いっいえそんな事は」
「そうだろうそうだろう。露庵の奴がな、半兵衛と千代はまんざらでもないだろう、と言うておったからな」

露庵とは、日陰横町に住む町医者井上露庵の事である。千代を身請けする羽目になったのも、元はといえばこの町医者が原因だった。
しかも只の町医者ではない。公儀隠密としての顔を併せ持つ、奇妙な人物だ。山田浅右衛門とは浅からぬ仲で、よく屋敷にも出入りしている。

「あの野郎...」

半兵衛は眉間に皺を寄せた。

「兎も角、一度湯長谷藩の齋藤殿の処へ、行って来てはくれぬか。そこで千代に会うて、事の委細を承知しておかねばなるまい」
「はあ...」
「どうだ。早速明日にでも発って、行ってくれんかのう」
「明日ですか!」
「そうだ。おうい」

吉睦が声を張り上げると、すう、と奥の襖が開いた。
現れたのは、吉睦の妻、清である。

「はい」
「支度は」
「調っております」
「そうか。では半兵衛、あとは清によく話を聞いて、明日必ず発ってくれよ」
「あ、いやあの」
「頼んだぞ」

吉睦はそう言い置いて、にやりと笑みを浮かべ、すたすたと座を離れてしまった。

「さあ」

半兵衛はびくっとして、清を見遣った。

「半兵衛殿。お覚悟は宜しいですか」
「えっ」

狼狽える半兵衛の様子に、清は思わず顔をほころばせた。

「うふふふふ、まあ、そう固くなるものではありませぬ。千代に会って、あとはそれからご自分でお決めなされ」
「は...」
「さ、荷物はこちらに整えておきました。手形も路銀も、旦那様が用立てて下さいました。明日の朝こちらに寄って、出立なさいませ」
「は...」
「...どうしました」
「いえ...その...急なことで、まだ何と申してよいやら...」
「半兵衛殿」

強い口調で言われて、半兵衛はちぢこまった。
山田道場内では既に敵う者無しといわれる剣術の達人も、師匠の奥方にかかっては、正に剣もほろろといった風である。

「人生の多くは、自分ではなく、他人の決断によって作られるのです」

清は優しく、厳しく言った。

「旦那様も、私もそうでした。しかしそれをどう活かすかは、己の判断ですよ」
「はい...」
「しっかりなさいませ。そんな姿を見せては、千代が悲しみますよ」
「はっ」

思わず半兵衛は姿勢を正した。

「そうそう、旦那様の実父、三輪源八様にお会いになったら、まずは湯にでも浸かって、ゆっくりなさい」
「湯、ですか」
「ええ。磐城国湯長谷には、よい湯が湧き出ると聞いております」

そう言って清は、にっこりと微笑んだ。

「みゃあ」

清の後ろで、三毛猫が短く、啼いた。

  *   *   *   *   *

翌日、長内半兵衛は江戸を出立した。
向かうは磐城国湯長谷の城下。水戸街道から磐城街道を抜けて、凡そ六日の道程である。
半兵衛にとって、少年の頃父と共に生まれ故郷を飛び出して以来の、長旅であった。



つづく




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