さて、今日は、「昭和の日」です。祭日ですので、
ときに、去る11月19日(水)の「バチカン(ローマ)」のブログ の上段に、「(前略)昭和61年(1986年)(菜食を始める前のことです)8月24日【日】午前10:15、アムステルダムに到着しました。(後略)」と記させて頂きました。機会がありまして、宜敷(よろし)ければ、続きを記させて頂きますと お伝え申し上げまして、誠に有り難いことに、「いいね」を頂きましたので、今回、その続きを記させて頂きます。
振り返りと致しまして、バス(英語:bus)で、アムステルダムに着く前の写真を、下に添付させて頂きます。バス内から撮影(と)った写真です。道路の標識にRotterdam Europoort(蘭[オランダ]語であり、ロッテルダム・ユーロポート。)と記されています。画像をクリック(英語:click)(もしくはタップ)して頂きますと、拡大致します。ここには、ロッテルダム港と隣接する工業地域があります。
ここで、蘭(オランダ)語と英語のスペル(英語:spell)(単語の綴[つづ]りのこと)の違いにつきまして気が付きましたことを記させて頂きます。すなわち、すぐ上の蘭(オランダ)語の"poort"と英語の"port(港)"のスペルの違いです。お気付きのように、蘭(オランダ)語の方(ほう)が"o"がひとつ多いですね。
因(ちな)みに、写真の右下に、前述致しましたように、昭和61年(1986年)8月24日【日】と日付が入っております。
また、途中の干拓地(英語: polder、ポルダー)で、牛の農牧がなされていました。これらの写真を、下に掲載致します。その光景を見て、わかったことが
「(前略)
「(前略)特に、語学や地理が、現実に際して役に立ちました。(後略)」と記させて頂きましたが、地理の知識が現実に
同じ欧州(ヨーロッパ)でも、デンマーク(デンマーク語: Danmark)などではジャージー(英語:Jersey)種(牛の品種のひとつ)が見られますが、上の写真を御覧頂きますと、日本でも
そして、前述のように、アムステルダムに到着しました。前述の、去る11月19日(水)の「バチカン(ローマ)」のブログ の上段やや下に、
「(前略) 同じくハプニング[happening]と致しましては、アムステルダムに到着致しましたときに、バスに預けた荷物がありませんでした。車掌にきくと、ダム広場(蘭[オランダ]語:de Dam)の"holland international office"にあるとのことでした。そこで、5分歩いて行くと、ラッキー(誠に有り難いことに、)ありました。日本ですとバスに預けた荷物は降車する際に受け取りますので、ここでもそのつもりでいました。(後略)」と記させて頂きましたが、その"holland international office"の写真を、下に添付させて頂きます。看板には、"holland international excursions"と記されています。因(ちな)みに、ダム広場は、アムステルダムの中心部にある広場であります。元は、アムステル川(蘭[オランダ語]:Amstel)をせき止める堰(せき)(英語: dam、ダム)のあった場所であります。アムステルダム中央駅(蘭[オランダ]語:Station Amsterdam Centraal)から約750mも南にあります。
一苦労して、また、アムステルダム中央駅に戻りました。最初、アムステルダム中央駅にバスで到着して、そこからダム広場迄の往路は急いで行きましたので、前述致しましたように、5分の所要時間でしたが、復路は荷物がありましたので、10分以上かかりました。因(ちな)みに、当時は、東京駅の丸の内駅舎は、オランダのアムステルダム中央駅をモデルにしたと云われていました。アムステルダム中央駅の写真を、下に掲載致します。
前述の、去る11月19日(水)の「バチカン(ローマ)」のブログ の上段に、
「(前略)トラベラーズ・チェック(以下、T/Cと記させて頂きます。)のことを言及させて頂きましたので、因(ちな)ませて頂きますと、この欧州(ヨーロッパ)旅行のとき、初めてT/Cを利用しましたので、よくわからず、米ドル($)のT/Cを持って行きました。これは米国に行くのでしたらいいのですが、欧州(ヨーロッパ)の西側諸国に行く場合は、2回両替するということになります。その度に手数料(英語:commission)(コミッション)(銀行に支払う手数料もあります)をとられることになり、T/Cの買い取りレートのこともあり、計算しますと、一万円の元金が8,500円位になることがありました。(後略)」と記させて頂きました。この文章の続きに、翌年の欧州旅行の際に、日本で、このことにつきまして準備した対策を記させて頂きました。しかし乍(なが)ら、このときは日本を発(た)った後ですので、対処方法としてキャッシング(英語:caching)しました。すなわち、銀行にて、 蘭(オランダ)で必要と思われます150ギルダー(蘭[オランダ]語: gulden)(当時の蘭[オランダ]の通貨)を、クレジット・カード(英語:credit card)でキャッシングしました。前述のように、2回両替する程の手数料(英語:commission)(コミッション)ではありませんでしたが、やはり手数料のことはあります。それでも、海外の銀行でキャッシングすることは初めてのことでありましたので、取り敢(あ)えずキャッシング出来てよかったです。その銀行で、日本人男性2人に会い、ゴッホ美術館の側(そば)に泊まっているとのことで、シングル(英語:single)で一泊70ギルダーと教えられました。そして、宿を探(さが)しました。某・ガイドブックを見て、初め、hotel(ホテル) Winstarに行きますが、満室でした。現在のように、インターネットで予約する時代では御座いません。去る11月8日(土)の「プラハ(東欧)」のブログ の上段に、
「(前略)メジャーな某・ガイドブックによりますと、宿泊の予約をするのは日本人位で、欧州では宿の予約は必要なく、ユース・ホステルの場合は、午前中に到着した方(ほう)がいいと書かれてある程度で御座いました・・・(中略)因(ちな)みに、欧州の西側諸国では、見掛けで、ホテルの部屋の格を決めるということなので、トレーナーとGパンのような恰好(かっこう)ですと、エコノミー(英語:economy)(経済的)な部屋にしてくれます。(後略)」と記させて頂きましたように、街に到着してから宿を探すのです。そして、ホテルの受付に行きますと、身形(みなり)で部屋の格を知らせてくれます。
そこで、アムステルダム中央駅から比較的近いcentrum hotel(ホテル)(以下、centrum hotelと記させて頂きます。)に宿泊を決めました。途中、8人同室のドーミトリー(英語:dormitory)(寄宿舎のこと)がありましたが、スルー(英語:through)しました。そのcentrum hotelの受付には、黒人の親切なぉ爺(じい)さんがいました。因(ちな)みに、去る11月2日(日)の「時差ぼけについて」のブログ の中段やや下にも、
「(前略)朝起きて、メガネが無いと、隣のAfrican American(アフリカ系アメリカ人)のぉ年寄りが床に落ちていると教えてくれたり、誠に有り難い交流が御座います。(後略)」と記させて頂きました。
その受付の黒人のぉ爺(じい)さんは、日本のことをよく知っているか?のようであり、夫婦で居(い)ました。親切に宿帳を書いてくれ、一泊40ギルダーでした。ツイン(英語:twin)部屋を一人使用とのことでした。某・ガイドブックに書かれてあります、このcentrum hotelの紹介をこのぉ爺(じい)さんに見せると、意気投合しました。部屋は、3階の19号室でした。この部屋の写真を、下に添付致します。因(ちな)みに、英国の首都であるロンドン(英語: London)で宿泊したB&B(英語: bed and breakfast、ベッド・アンド・ブレックファスト)(民宿のような、小規模な宿泊施設で、宿泊と朝食の提供を料金に含み、比較的低価格で利用できる宿のこと。)のような、それでもホテルでした。但し、このときは、素泊まりの、朝食無しのシステム(英語: system)でした。最近、このホテルのことを検索致しましたら、まだ存在し、当時は掲(かか)げていませんでしたが、B&Bという名称になっていました。
尚(なお)、このホテルの宿泊を勧めている訳では御座いません。前述の、ゴッホ美術館周辺の方(ほう)が、まだ治安がいいとされています。因(ちな)みに、ロンドンでも、アムステルダム中央駅と同様に中心的な駅であるヴィクトリア駅(英語:Victoria station)周辺の、宿泊したB&Bよりも、去る11月1日(土)の「東ベルリン(旧・東独[ドイツ])」のブログ の中段やや下に記させて頂きました大英博物館(英語:British Museum)周辺の宿泊施設の方(ほう)が、まだいいとのことでした。因(ちな)みに、ここアムステルダムと前述のロンドンで宿泊した当方の体験は、反面教師が伝えていることとぉ思い頂きました方(ほう)がいいかもしれません。
このとき、時刻は12:15でした。再度、アムステルダム中央駅に行きました。荷物を預けるために、コイン・ロッカーは旧式で危ないと思われました。そこで、同・駅の荷物預かりを利用しました。このときは、有人の荷物預かりで、1、20ギルダーでした。そこで、英国在住の男性日本人に会いました。伊(イタリア)の紹介をされました。そして、一緒に行動しました。centrum hotelに戻り、その後、ダム広場に行きました。その場所で、Bron water(ボトル・ウォーター [英語:bottled water]のこと)と記されている製品を買いました。ミネラル・ウォーター(英語:mineral water)かと思いましたら、炭酸水でした。日本人男性によりますと、炭酸水でない水を購入したいとの旨でした。
次に、アンネ・フランク([ドイツ]語: Annelies Marie Frank)の家に向かいました。御承知のように、「アンネの日記」の著者として有名ですね。このブログの冒頭に「昭和天皇・誕生日」のことを言及させて頂きましたことに因(ちな)ませて頂きますと、実は、当方の誕生日が、アンネ・フランクの生誕日である6月12日と同じ日なので御座います。
ところで、機会がありまして、宜敷(よろし)ければ、この続きを記させて頂きます。
本日も、最後