モン・サン=ミシェル(仏[フランス]) | 神産巣日神(かみむすびのかみ)のブログ

神産巣日神(かみむすびのかみ)のブログ

古来、日本では、「愛」と云う字を使わないで、「産巣日(むすび)」と言いました。「むすび」と云う言葉は、「愛」と云う言葉よりも非常に深遠な意味を含んでいるのです。ときに、神産巣日神は「造化の三神」の内の一柱の神であり、獨神(ひとりがみ)で御座います。唯々感謝。

 リンクを貼(は)らせて頂いております。紫色のブログタイトルをクリック(click)(もしくはタップ)して頂きますと、過去のブログに移行します。(^O^)


 さて、去る1月16日(金)の「一枚の絵画(ブルージュ[ベルギー])」のブログ の最後に、「(前略)ブルージュ滞在は半日で、夜行列車で仏(フランス)方面に向かいました。ブルージュ(英語:Bruges)(ブルッヘ、ブリュッヘ、ブルグ、または、ブラヘなど[フラマン語【蘭〖オランダ語〗】:Brugge ]、そして、ブリュージュ[仏【フランス】語:Bruges]とも発音されます。)では、日本人に会いませんでした。機会がありまして、宜敷(よろし)ければ、続きを記させて頂きます。(後略)」とぉ伝え申し上げまして、誠に有り難いことに、「いいね」を頂きましたので、今回、その続きを記させて頂きます。


 ベルギーの古都であるブリュージュ(仏[フランス]語:Bruges・蘭[オランダ]語:Brugge)から、ユーレイル・パスを用いて、途中、夜行列車を利用して、翌日、すなわち、昭和63年(1988年)(菜食を始める前のことです)8月26日【金】に、モン・サン=ミシェル(仏語:Mont Saint-Michel)に到着しました。因(ちな)みに、ユーレイル・パスのことは、去る1月24日(土)の「アテネ(ギリシャ)へ」のブログ の中段やや下に記させて頂きました。 


 仏(フランス)の滞在ビザ(英語:visa)の画像を、下に掲載致します。因(ちな)みに、事前に東京・広尾にある仏(フランス)大使館に、ビザを発行してもらうために行きました。モン・サン=ミシェルに到着しました前の晩、すなわち、画像の左下に昭和63年(1988年)8月25日【木】と仏(フランス)に入国した日付が入っております。画像をクリック(click)(もしくはタップ)して頂きますと、拡大致します。



フランス・ビザ
仏(フランス)の滞在ビザ(英語:visa)と出入国印



 当時、仏(フランス)の首都であるパリ(仏[フランス]語: Paris)から、モン・サン=ミシェル迄は、個人旅行を致しますと、乗り換えが2~3回あり、たいへんでした。下に、その途中の列車内の写真を掲載致します。因(ちな)みに、写真の右下に、前述致しましたように、昭和63年(1988年)8月26日【金】と日付が入っております。
 この写真の中の、手前のテーブル(英語:table)に置いてある本は、「トーマス・クック 欧州(ヨーロッパ)鉄道時刻表(Thomas Cook European Rail Timetable)」です。この本を見乍(なが)ら、列車の接続を考えていました。因(ちな)みに、この時刻表は、平成25年(2013年)9月号を以(もっ)て廃刊になりました。

 日本から最初にパリに到着して、未(いま)だ旅行慣れしておられない方(かた)でしたら、パリからモン・サン=ミシェル迄は、パッケージ・ツアー(package tour)(全般的に管理されながら行う旅行プランのこと)を利用した方(ほう)がいいように、当時は思われました。後年、モン・サン=ミシェルに行った姉はそう致しました。

 但し、現在、パリからモン・サン=ミシェル方面には、T.G.V.(フランス国鉄[S.N.C.F.] が運行する高速鉄道のこと)が開通しています。勿論、それでも、途中、乗り換える必要があります。T.G.V.で、レンヌ(仏[フランス]語: Rennes)駅に行き、そこでバスに乗り換えて、モン・サン=ミシェルに行く経路です。今では行き易くなりましたね。



モン・サン=ミシェル
列車内(テーブルに置いてある本が前述の時刻表です)



 この列車を降りて、バスでモン・サン=ミシェルに向かいました。御承知のように、今日(こんにち)、モン・サン=ミシェルは、ユネスコが登録する世界遺産に指定されています。そのため、当時よりも観光客が増えたのか、現在では、夏場は道路がたいへん混雑するので、モン・サン=ミシェル手前で渋滞することがあるそうです。但し、昨年の7月22日、モン・サン=ミシェルの手前に新たな橋が開通したそうです。モン・サン=ミシェルの全景の写真を添付致します。因(ちな)みに、1・2番目の写真に写っています仏(フランス)国旗(トリコロール)(仏[フランス]語: tricolore)(三色の意味)は、去る4月10日(金)の「豆腐の和(あ)えもの」のブログ の上段に記させて頂きましたように、海上用であり、色比率が均一でない国旗で御座います。



モン・サン=ミシェル
モン・サン=ミシェル


モン・サン=ミシェル
モン・サン=ミシェル


モン・サン=ミシェル
モン・サン=ミシェル




 上の2番目(真ん中)の写真を御覧頂きますと、車が停(と)まっています。モン・サン=ミシェル島の門近くの駐車場に停(と)めているのです。

 平成24年(2012年)、モン・サン=ミシェル島へ通じる道路(堤防)の工事により、麓(このすぐ下に記させて頂きましたように、モン・サン=ミシェルの「モン(仏語:Mont)」は山という意味ですので、「麓(ふもと)」と記させて頂きました。)まで車では行けなくなり、対岸の駐車場に停(と)めて、そこからシャトル・バスで行くようになっているとのことです。但し、前述のように、昨年、新たな橋が開通したそうです。

 また、同じく上の2番目(真ん中)の写真、そして、以下の写真を御覧頂きますと、ウィンド・ブレーカー(英語: windbreaker)を着ています。夏のこの時期でも曇りが多い地域であり、この日も曇りでした。更に、海風が強かったので、体感温度が下がり、このような服装になっています。因(ちな)みに、御承知のように、夏のこの時期、パリも曇りの日が多いです。そこで、パリの住人は、夏のヴァカンス(仏[フランス]語: vacances)(長期休暇)に、太陽を求めて、南仏のニース(仏[フランス]語:Nice)やカンヌ(仏[フランス]語:Cannes)などのコート・ダジュール(仏[フランス語]: Côte d'Azur)に行くのです。そのため、夏のパリには、パリの住人が減少して、代わりに旅行者が増えます。日本人も多いです。南仏のコート・ダジュールの街を追加致しますと、去る11月23日(日)の「アロマ・テラピー」のブログ の上段やや下に記させて頂きました、香水の都グラース(仏[フランス]語:Grasse)があり、このブログ で紹介させて頂きました。

 話しを戻しますと、パリのオペラ座(仏[フランス]語:l'Opéra)(パリにある歌劇場のこと)も、夏はオフ・シーズン(英語:off-season)です。秋から冬にかけて本格的なシーズン(英語:season)を迎えます。このブログの最後にも記しますが、今回、パリを素通り致しました。


 このブログが、これから、モン・サン=ミシェルにぉ行きになられる方々(かたがた)への情報になりましたら幸いで御座います。


 モン・サン=ミシェルは「聖ミカエルの山」という意味であり、旧約聖書にその名が記されている大天使・ミカエルの仏[フランス]語読みに由来するとのことです。海抜157mの、モン・サン=ミシェルの尖塔(せんとう)の頂(いただき)に今日見られる大天使・ミカエルの彫像は、1897年に作られたとのことです。高さ4mの同・大天使像は、打ち出し銅板製で、鉄の骨組みにボルトで留められており、重量は450kgとのことです。この同・大天使像の写真を、下に掲載致します。



モン・サン=ミシェル
大天使・ミカエルの彫像




 信仰の対象、そして、美術的価値の両面がみられますね。このことは、後述致します、モン・サン=ミシェルの建築様式の美術的価値、そして、信仰の対象としてのモン・サン=ミシェルの両面と同様であるかと思われます。


 ときに、モン・サン=ミシェル湾では、欧州(ヨーロッパ)最大級の潮の満ち引きが観測されます。伝説では、このことは、潮の満ちる速さを駆(か)け足で走って来る馬に喩(たと)えられています。太陽と月の引力が重なる春分・秋分の大潮では、潮差15mにまで達します。このとき、海は一旦(いったん)18kmも引いた後、一分間に62m、すなわち、毎秒約1mの猛スピード(英語:speed)で満ち、瞬(またた)く間に砂泥の浜は海面下に沈みます。下に、干潮時のモン・サン=ミシェル湾の写真を添付致します。1番目の写真の看板に、DANGER(危険)と記されていますね。画像をクリック(click)(もしくはタップ)して頂きますと、拡大致します。


モン・サン=ミシェル
モン・サン=ミシェル湾


モン・サン=ミシェル
モン・サン=ミシェル湾



 このモン・サン=ミシェル湾から比較的近い、英国(イギリス)海峡に臨む ノルマンディー(仏[フランス]語: Normandie)(仏[フランス]北西部の地方)は、第二次世界大戦後期、すなわち、昭和19年(1944年)6月6日のノルマンディー上陸作戦で有名ですね。このノルマンディーも、モン・サン=ミシェル湾と同様に、遠浅なのです。崖が無い地域でしたら、地形的に上陸し易いですね。因(ちな)みに、1964年の仏(フランス)映画である「シェルブールの雨傘」(仏[フランス]語:Les Parapluies de Cherbourg)の舞台である港町シェルブール(仏[フランス]語:Cherbourg-Octeville)は、ノルマンディー地域に位置します。上記の作戦で、連合軍は、英国(イギリス)海峡を渡って、シェルブールのある仏(フランス)・コタンタン半島(仏語:Péninsule du Cotentin)のノルマンディー海岸に上陸しました。

 去る10月5日(日)の「ボランティア・高尾山登山」のブログ去る1月21日(水)の「ボランティア・高尾山登山・その2」のブログ で、「(前略)18年間、月二回、日曜日に、・・・ボランティアを、このトップの方々(かたがた)二人に委託されて、行(おこな)って参りました。(後略)」とぉ伝え申し上げましたボランティアにおきまして、年配の既婚のボランティア・スタッフがこの「シェルブールの雨傘」の主題歌が好きとのことでしたので、この映画のD.V.D.を差し上げました。

 モン・サン=ミシェルの建物から見ましたモン・サン=ミシェル湾の景色を撮影(と)った写真を、下に掲載致します。



モン・サン=ミシェル
建物から見たモン・サン=ミシェル湾


モン・サン=ミシェル




 モン・サン=ミシェルは何世紀にも亘(わた)って建設されていますので、この建物内に入りますと、いろいろな建設様式が見られます。初期の時代から見ていきますと、カロリング期(8~10世紀)の様式の教会堂があります。そして、ノルマン様式(11~12世紀)(ロマネスク様式[英語:romanesque][10世紀末から12世紀にかけて西欧州【西ヨーロッパ】に広まった中世の様式のこと]に属する建築様式に分類されます。)の教会堂も見られます。御承知のように、ロマネスク様式建築には、半円アーチ(英語:arch)の特徴があります。下に、ロマネスク様式の教会堂の写真を添付致します。



モン・サン=ミシェル・ロマネスク
ロマネスク様式建築



モン・サン=ミシェル・ロマネスク
ロマネスク建築様式の教会堂



モン・サン=ミシェル・ロマネスク
ロマネスク様式建築



モン・サン=ミシェル・ロマネスク
ロマネスク様式建築



 更に、ゴシック (英語: Gothic)(元々、12世紀の北西欧州[北西ヨーロッパ]に出現し、15世紀まで続いたゴシック建築様式を示す言葉とのことです。)建築様式の修道院が見られました。ゴシック建築様式にも特徴があります。第一には、先の尖(と)がったアーチ(尖頭アーチ[英語:arch])で建物の高さを強調し、天にそびえていくような印象を与えようとしていることです。また、第二には、建物の壁に大きな窓を開けて堂内に大量の光を取り入れていることなどです。モン・サン=ミシェルの主要部は、ゴシック建築様式とのことです。但し、モン・サン=ミシェル内部は、さまざまな中世の建築様式が混ざり合って構成されています。下に、ゴシック様式建築の写真を掲載致します。



モン・サン=ミシェル・ゴシック
ゴシック様式建築



モン・サン=ミシェル・ゴシック
ゴシック建築様式の修道院


モン・サン=ミシェル・ゴシック
ゴシック様式建築



 因(ちな)みに、建築様式につきましては、これ以降、ルネサンス(仏語: Renaissance)を経て、バロック(仏語: 英語: baroque)建築様式があります。バロックとは、16世紀末から17世紀初頭にかけて、伊(イタリア)のローマ、ヴェネツィア、そして、フィレンツェなどで誕生し、欧州(ヨーロッパ)の大部分へと急速に広まった美術・文化の様式のことです。影響は、建築、彫刻、絵画、文学、そして、音楽などあらゆる芸術領域に及びました。バロック芸術は、信仰を目に見える形で表現しょうとする美術や建築から始まりました。バロックという語は、真珠や宝石のいびつな形を指すポルトガル語のbarrocoから来ているとのことです。

 それから、ロココ(仏語:Rococo)建築様式があります。欧州(ヨーロッパ)のバロック建築最盛期の後、18世紀、仏(フランス)に始まり、各国に伝わりました。因(ちな)みに、バロック建築様式やロココ建築様式は、仏(フランス)のヴェルサイユ宮殿(仏[フランス]語:Château de Versailles)に見られます。機会がありまして、宜敷(よろし)ければ、ヴェルサイユ宮殿のことも記させて頂きます。


 モン・サン=ミシェルの建物内に居(い)ましたら、自称・某・青山学院大学の建築学科・講師と一緒になりました。建築学を専攻していますと、モン・サン=ミシェルは見るべき建築物が多いのだそうで御座います。前述のように、建築様式の美術的価値を見ているのかもしれません。但し、信仰の対象としてのモン・サン=ミシェルでも御座います。因(ちな)みに、帰国して調べましたら、同・大学に建築学科はありませんでした。

 ところで、歴史的には、百年戦争の期間は、モン・サン=ミシェル島全体が英仏海峡(前述のように、英国[イギリス]海峡とも言われます。)に浮かぶ要塞の役目をしていたとのことです。因(ちな)みに、百年戦争とは、仏(フランス)の王位継承をめぐる英国(イギリス[イングランド])と仏(フランス)の戦いのことであります。歴史家によって開始年が1337年とも言われますが、1339年の英国(イギリス)による宣戦布告が行われて、戦闘が開始された1339年から1453年のボルドー陥落までの114年間の対立状態を指(さ)すとのことです。因(ちな)みに、御承知のように、ジャンヌ・ダルク(仏[フランス]語: Jeanne d'Arc)が活躍したのも、この百年戦争のときですね。


 また、同じく歴史的には、18世紀末の仏(フランス)革命時に修道院は廃止され1863年まで国の監獄として使用され、その後荒廃していましたが、1865年に再び修道院として復元され、ミサが行われるようになったとのことです。因(ちな)みに、去る12月14日(日)の「聖フランシスコ」のブログ のコメントの回答、すなわち、コメント2で、

「(前略)御承知のように、カトリック教会でのミサ(ラテン語: missa)は、正教会では聖体礼儀に、そして、聖公会及びプロテスタントでは聖餐式に相当するとされていますね。(後略)」と記させて頂きまして、ミサのことを言及させて頂きました。


 さて、前述の門からモン・サン=ミシェルに至る通路には、土産物屋やレストラン(英語:restaurant)がありました。この路(みち)を通る際に、店頭のメニュー(英語:menu)が目に入りました。某・ガイドブックを見ましたら、フワフワしたオムレツとのことでした。レストランには入りませんでしたが、ここの名物のようです。但し、前述致しましたように、後年訪れた姉によりますと、ここのオムレツは美味(おい)しくなかったとのことでした。


 ときに、学部生のときに、同期生にも話したことですが、海外旅行には、いろいろな、アプローチ(英語:approach)する方法がありますね。哲学、数学、物理学、化学、生物、地学、医学、地理、歴史、政治、経済、社会、音楽、美術、文学、倫理、宗教、料理、そして、語学などです。因(ちな)みに、この同期生は、現在、母校の女性診療科・産科の准教授になっています。

 学部生の頃、英語科教授によりますと、同学部の先輩で、6年間毎年、語学修行のために海外に行(い)っていた方(かた)がいたとのことでした。この方(かた)は、語学を介して、アプローチしたのですね。

 また、それまで机上で勉強したことが、有機的に繋(つな)がっていくような気が致しました。すなわち、別々に勉強していた学問が、二次元的に、縦と横の関係のように有機的に絡(から)まっていくような気がしました。例えば、前述のバロック様式建築を見て、美術、音楽、文学、そして、宗教などが繋(つな)がっていきました。

 更に、特に、語学や地理が、現実に際して役に立ちました。

 それから、欧州(ヨーロッパ)社会の背景には、宗教である基督(キリスト)教の存在がありました。目に見える絵画、そして、彫刻などには、ハッキリとわかる形で、基督(キリスト)教の影響がありました。


 去る10月28日(火)の「スイス(海外のこと)」のブログ の中段やや下に、「(前略)当時、感性のある20代に、海外に行(い)っておこうと思いました。(後略)」と記させて頂きましたが、その通りであると思われました。


 ところで、このブログの冒頭に記させて頂きましたように、この前日はベルギーの古都であるブリュージュに居(い)まして、この日、モン・サン=ミシェルの滞在は半日であり、夜行列車で、前述のようにパリを素通りして、蘭(オランダ)方面に向かいました。モン・サン=ミシェルのために往復したような行程になり、この次の日は、蘭(オランダ)の首都であるアムステルダム(蘭[オランダ]語:Amsterdam)に到着しました。当時、ユーレイル・パスを用いて夜行列車に乗ることは、ホテル・ユーレイルと言われていました。夜行列車を用いることで、時間と宿泊費を節約することが出来ます。但し、これは若い頃に出来ることであり、年輩の方(かた)にはぉ勧めしません。やはり宿泊所で、たとえ短時間でも睡眠をとることが望まれます。

 機会がありまして、宜敷(よろし)ければ、続きを記させて頂きます。唯々感謝。(^-^)