学部生の頃(昭和63年の夏・菜食を始める前のことです)、エコノミー( economy)(経済的)に、大韓航空で、欧州(ヨーロッパ)に参りました。去る10月11日(土)の「海外のこと」のブログ の上段やや下、そして、去る10月28日(火)の「スイス」のブログ の冒頭に記しましたように、南回りですと、相当な時間が掛(か)かるので、学習致しまして、北回りの航空会社を用いようと思いました。当時、格安航空券で利用できるマイナー航空会社の中では、アエロフロート(当時のソ連の航空会社)を除いて、日本から欧州(ヨーロッパ)に、北回りで就航しているのは、この頃、ソ連に撃墜(1983年9月1日)されたりして、リスク (risk)があると思われましたが、大韓航空のみでした。学部生でしたので、安全よりも エコノミーであることが優先されました。前述の去る10月11日(土)の「海外のこと」のブログ の下段やや上に記させて頂きましたように、学習致しまして、格安の航空券でも、信頼出来る代理店を選ぶように致しました。(^O^)
往路、東京(成田・8月23日【火】発)から、途中、韓国の首都であるソウルに所在する 金浦(キンポ)国際空港で、 トランジット (transit )(一時寄港)があり、ここで、ボーイング747(御承知のように、ジャンボの呼称。)に乗り換えて、スイス最大の都市であるチューリッヒ(独[ドイツ]語: Zürich)(翌日、すなわち、8月24日【水】着)に到着しました。
因 《 ちな 》 みに、機内で、日本人 と 年配の韓国人が もめていました。日本人が 飲み物を 機内の床にこぼしたことを、後ろの座席に座っていた 年配の韓国人が 大声で叱ったからでした。当時、「今日 ( こんにち ) でも、年配の韓国人には、日本に対する感情的なものがある。」と思われました。
さて、中学生のとき、国語の教科書で、北回りの機上から北極海を見た光景のことが書かれてある文章を読んだことがありました。そのこともあり、機上から北極海を見ることを楽しみにしておりましたが、北極圏を通りましたのは夜であり、見ること適(かな)いませんでした。
一方、チューリッヒ着陸直前に、機体左翼の前方に見えましたアルプスの山々の光景を機上から撮影致しましたので、この写真を下に掲載致します。写真の右上の機影は、機体左翼のジェット・エンジンです。
機上からの光景
主に、ユーレイル・パス(当時、欧州[ヨーロッパ]以外の地域で購入出来る、欧州の鉄道のパスのこと。日本にも、日本以外の地域で購入するパスがあると聞きました。)を用いて、二学期が始まる9月7日【水】迄、欧州(ヨーロッパ)中を旅しました。
因 《 ちな 》 みに、この年は、10日後の9月17日【土】から 、ソウル・オリンピックが開かれました。出発の1ヶ月以上前に予約しました。復路も、金浦(キンポ)国際空港で、 トランジット (transit )(一時寄港)がありました。しかし乍(なが)ら、復路のチューリッヒ(スイス)・ソウル(韓国)間は満席であったものの、それ程、予約に手間取ったということは御座いませんでした。確かに、前述のように、かなり前に予約したということもありましたが、同・オリンピック開会式迄の間が10日あったことも関係しているのかもしれません。それとも、周囲は想像以上に前述のリスク (risk)を感じていたのかもしれません。少なくとも、日本人の利用者は減少していたと思われます。機内にも、日本人が少ないと思われました。
ときに、下に、チューリッヒ付近を流れる リマト川(独 《 ドイツ 》 語: 仏 《 フランス 》 語: 英語: Limmat)の写真を掲載致します。
リマト川
チューリッヒから、前述の ユーレイル・パスを用いて、夜行列車で、 ベルギーの古都であるブルージュ(仏 《 フランス 》 語:Bruges・蘭 《 オランダ 》 語:Brugge)に、翌日、すなわち、8月25日【木】に到着しました。北方のヴェニスと言われる古都です。
御承知のように、後年、すなわち、平成10年(1998年)に、ユネスコの世界遺産に登録されたグラン=プラス(仏 《 フランス 》 語:Grand-Place)は、ベルギーの首都であるブリュッセルの中心地にある大広場です。
このグラン=プラスと似た大広場を、ブルージュでも見掛(か)けました。その写真を添付致します。
ブルージュの大広場
ベルギーに行くのであれば、首都のブリュッセルよりもブルージュに行 ( い ) った方 ( ほう ) がいい、と言われましたし、某・ガイドブックにも書かれてありました。まだ、前述のグラン=プラスが世界遺産に登録される前のことです。
それは、丁度 ( ちょうど ) 、日本観光するのであれば、首都である東京に行くよりも、古都である京都、あるいは、奈良に行く方 ( ほう ) がいい(このことは、client ( クライエント ) の方 ( かた ) も同意してくれました。)、というようなものであるかと思われました。
ブルージュには、小さな街の中に世界遺産が3つもあります。
ブルージュ駅から、海岸の方(ほう)に歩いてみましたら、オランダでは御座いませんが、風車が見えましたので、これらの写真を掲載させて頂きます。
ブルージュの街並み
風車のある光景
ブルージュ
ブルージュの街には、この文章の下の写真のように、運河が流れています。去る11月19日(水)の「バチカン(ローマ)」のブログ の上段に、オランダのアムステルダムのことを記させて頂きましたが、街中に運河が流れています光景は似ていました。前述致しました風車のことといい、隣国同志であり、同じベネルクス(Benelux)3ヶ国に属する国々で御座いますので、環境も似ていて、風車や運河のようなインフラ(インフラストラクチャー[infrastructure]の略)(国民福祉の向上 と 国民経済の発展に必要な公共施設のこと)も似ているのかとも思われました。
因(ちな)みに、ベネルクス3ヶ国のもう一つの国であるルクセンブルクは、夜間、夜行列車で通りました。
運河の光景
運河の光景
前述の 去る10月28日(火)の「スイス」のブログ に記させて頂きました最初の欧州おうしゅう (ヨーロッパ)旅行のときには、三脚を用いて 自みずか らの写真を撮影と っていたのですが、帰国して、同級生に この話を致しましたら、現地の人に撮影と ってもらったらいい とのことでしたので、今回は、そう致しました。
“Excuse me,would you take a picture of me?” 、すなわち、「すみませんが、宜敷よろし かったら、写真を撮影と って頂けますか?」と申しました。“will”の過去形である“would” を用いると、仮定法で、条件節の内容を言外に含めた婉曲えんきょく 的な表現になると辞書に書かれてありました。すなわち、「仮に、宜敷よろし かったら・・・」という条件節の内容が含まれますので、“will”よりも、“would”を用いた方ほう が 丁寧な表現になるという訳わけ で御座ござ いますね。勿論もちろん 、撮影と って頂いた後は、“Thank you so much”、すなわち、「たいへん有り難う御座ござ いました。」と心を籠こ めて 感謝の言葉を伝えました。
海外を一人旅していて、言葉が通じることが適かな わないとき、本当に 何なん とかしなければ、と思ったことが 度々たびたび ありました。感謝の言葉のみでも伝えたいと思いました。そこで、取り敢あ えず、10数か国の挨拶と感謝の言葉のみは覚えて、用いるように致しました。
ところで、ブリュージュには、下の写真の中央に撮影されているような、手工業で作られたレース (lace )の製品があります。
レース(手芸)
また、御承知のように、隣国・オランダの画家であるヨハネス・フェルメール(Johannes Vermeer)の「レースを編む女」の絵は有名ですね。下に添付致します。
レースを編む女
本日のタイトルである「一枚の絵画」は、次に掲載させて頂きます絵で御座います。
すなわち、ブルージュのグルーニング美術館(Groeningmuseum)にある、ベルギーの画家・ジャン・デルヴィル(Jean Delville)の “the God Man”という絵で御座います。こ の絵の前で、足が止まりました。
“the God Man”
“the God Man”
“the God Man”
“the God Man”
“the God Man”
今迄、これらの写真は、去る10月07日(火)の「ボランティア・地域医療」のブログ で記させて頂きました、母校の医学部と某・看護の大学が主催しています地域医療研究会の学部生の方々(かたがた)、数名以上の男性の友人達、そして、身内 にプリントして、更に、説明を添えて差し上げて参りました。誠に有り難いことに、インパクト(impact)があることに共感して頂きました。
ブルージュ滞在は半日で、夜行列車で仏(フランス)方面に向かいました。ブルージュでは、日本人に会いませんでした。機会がありまして、宜敷(よろし)ければ、続きを記させて頂きます。
本日も、最後迄 ( まで ) ぉ読み頂き、誠にありがとうございました。唯々感謝。(^-^)