管理栄養士の柴田真希です。
いろいろ悩んでニート3か月生活を脱出した
わたしは、スーパーのお惣菜向けの商品の企画・開発・営業の会社に就職します。
スーパーのお惣菜向けの商品の企画・開発・営業・・・と言うと、
「どこのメーカーですか?」
と聞かれますが、メーカーではなくて食品の卸をしている会社です。
メーカー(ニチレイとか、ハウスとか)でもスーパー(IYとか、ジャスコとか)でもなく、メーカーさんの商品をスーパーにお届けする会社に勤めていました。
今PB(プレイベートブランド)の商品がいろいろと販売されていますが、わたしはその務めている会社のPB商品を企画・開発して、それをスーパーに提案営業する、といった仕事をしていたのです。
自社で食品工場を持っていた訳ではないので、全国(時には海外も!)の食品工場メーカーさんにお邪魔して、商品を作っていただいたり、全国のスーパーのバイヤーに作った商品を提案していました。
全く初めての業務ばかり、毎日が勉強・・・。
また、自分が「出張する」ような仕事に就くなんて思ってもみなかったから、本当に刺激的な日々でした。
全国の食文化に触れる事ができたのも、わたしにとって大きな体験。
ただ、毎日の辛いことと言えば、試食。
スーパーのお惣菜ってやっぱり「揚げ物」が多いんですね。
「じゃ、栄養士なんだしヘルシーなものつくればいいじゃん!」
と思いますが、売れないんですよね。
売れるヘルシーなものも、何度か試みましたが、これが難しい。
毎日揚げ物の試食ばかり。
海老フライ20種、メンチカツ15種、カキフライ20種、コロッケ・・・
を1日で食べた日も。
1日何千キロカロリー摂っていたのだろう。。。
土日はジムに行ったりして、体重は±2kgくらいでキープしていましたが、これが大変で;;
大変なこと、辛いこともあるけれど、勉強することもとてもあって、3年半お勤めさせていただだきました。
その間に、本当に栄養士としてやりたいことを求めて、いろいろなセミナーや交流会に参加して、自分探し続けていました。
さて、わたしは自分の誕生日になると1年間を振り返るのですね。
27歳の誕生日に、自分の1年間を振り返ったときに、自分の夢・目標を見据えた上で
「ここであと1年間同じように揚げ物食べてる時間はない!」
そう思って、後先考えず、辞表を提出してしまったんです。
改めて考えたら、よくそんな事できたよなぁ。
無知だったから、できたんだけど、無知じゃなかったら、逆にこわくて辞められなかっただろうなぁ。
どんな夢・目標を見据えた上で行動したかは、また次回。
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