管理栄養士の柴田真希です。



実はわたし、これまで試験に落ちたことも、面接に落ちたこともなかったんです。

自慢じゃありません。

能力が高かったわけでもない。



安全なところしか、受けていなかっただけです。



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働きすぎて、アドレナリンが出っ放しの生活から一気に無職になると、本当にこれが「鬱」なのかな?と思う時期を迎えてしまいます。



ベンチャー企業での半年間 が終わり、次の転職を探そうとしますが、土日も、夜も働いていたわたしは習っていた英会話も解約しちゃったし、友達とも疎遠になっていたし、当時付き合っていた彼ともお別れしてしまって本当に何もかも失った状態でした。




一気に 心にぽかーん と穴が空いてしまって、訳もなく涙が出てきたり、やっぱり栄養士として何をしていきたいかがずっとわからなくて、ただただ茫然としていました。




でも、立ち直りは早い。(笑)





家にいてもしょうがない。
何か動かないと。



まず、

果たして栄養士がやりたい道なのか?
大好きなお化粧や(その他いろいろ、いいなと思った職業があって)そっちの道に職業変えた方が良いんじゃないか?




そう思ってある企業主催の転職セミナーで適職検査をした時に、自分の職業を入れないで、様々なチェックをして診断したた結果、自分に最も合っている職業に


「栄養士」

と出てきたんです。




もう、運命だなって思いました。
(ぞくぞくするでしょ?ww)




それからもセミナーや交流会などに参加して、自分のわくわくに触れるものを見つけにいきました。




ただ、無職で昼間にフラフラしていると、いろいろな人に

おんなのこ「今何しているの?」

おんなのこ「栄養士さんだったよね?」
って聞かれるんです。




それが、無職・ニートなわたしにとって、とても苦痛で。

そんな時に、見つけたのが次働くこととなる会社の募集でした。



「スーパーのお惣菜向けの商品開発!企画から開発、提案営業など様々な業務を行います」



なにがやりたいかわからなかったら「企画」だけ、「開発」だけ、だと潰しが利かないのが怖かったんです。


企画・開発・営業、様々な業務・・・

なにかに「すき」が引っ掛かるかも!



そう思って、ここに面接に行き、次のお勤め先となります。




何がやりたいのか、わからないって人、とっても多いと思う。

わたしも、10年位それがみつからなくて、もがいていたけど、探せば探そうとする程わからなくなるんですよね。



でも、大丈夫。

願って、ちゃんと行動していけば、見つかるから。





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