管理栄養士の柴田真希です。


女子栄養大学短期大学部を卒業し、栄養士としての活動をスタートするわけです。

「栄養士になる」までは目標があったのですが、「どんな職に就きたいか」は結局2年間で見つけることができなかったのですが、そのまま働かない訳にもいかないので、社員食堂の栄養士として社会人生活が始まります。


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なんで、社員食堂か、と言うとわたしの「栄養士」の原点が「料理がすき」からなんですね。



きちんと「食事」としての形で、提供したい。(流動食とかではなくて)

また病気になる前の1次予防としてのはたらきかけをしていきたい。


そうして消去法でいったら (というととても失礼なのですが) 社員食堂だったんです。




初めての会社は必ず3年勤めようと心に誓っていました。

どんなに、嫌な仕事でも、辛くても、3年勤めないと何も見えないし、周りに認めてもらえないと思ったからです。



毎日20kg、30kgの野菜を切って、揚げ物で火傷だらけになって、パートのおばさんには最初ひどい扱いを受けたし(でもこれに関してはすでに免疫ができているので、乗り切った!)、夏は暑いし、冬は寒いし、何よりオシャレじゃないし(笑)、すぐに辞めたいって思いました。



でも、嫌々働いても3年。

楽しく働いても3年。



この経験の中で吸収できるもの、全て吸収してやる!




そう心に誓って仕事に取り組みました。


早く・短時間で食材を切る技術、調理方法、パートさんへの指示の出し方・コミュニケーションの取り方、人気メニュー、不人気メニューは何か、作業動線を考慮したメニューの組み立て・・・

本当にいろいろな事が、今の糧となっています。




幸い、親身になってくれる上司にも恵まれ、2年間の実務経験を経て1回で管理栄養士の国家試験をパス!

公言通り、3年間勤めました。



そして、次のステップアップを!と初めての転職活動を開始します。







今、仕事にいろいろな不満を抱えている人、たくさんいると思います。

「でも」「だって」「どうせ」 この言葉を使わないで、仕事に取り組んでいますか?



嫌な仕事も、後で自分のためになること、絶対ある。

そう信じて、前向きに取り組んだら、何かが変わるかも。






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