管理栄養士の柴田真希です。

初めての転職で大きな壁にぶつかります。



まず、3年間社会人経験がありながら、全く社会人マナーがないことに気がつくのです。




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社会人生活、社員食堂での3年間 を終えて「パーソナル栄養コンサル」を業務とするベンチャー企業に就職します。


栄養コンサルをする相手は、会社の社長さんや役職のついている方々。



でも、社員食堂で勤めているときに話すのって、材料を配達してくれるドライバーさんや得意先の担当者数名。

自分の名刺もなければ、パソコン・メールアドレスもない。

仕事でメールを使うことすらなかったんです。

おまけに仕事着は白衣・長靴。




そんなわたしが、いきなり社長さんに栄養アドバイスをするんです。

まずはビジネスマナー、女性としてのふるまい、そんなところから叩き直しです。





・・・そして、

気が付いたでしょうか?


2社目、6か月しか勤めていないんです。



自分では、1年以上いたような、そんな感じなのですが。
(時間にしたらそれくらい、会社にいたような気はしますが。苦笑)



栄養カウンセリングをしたのは、2~3か月であとは別の仕事を、毎月違う仕事をしていました。
包丁しか握ったことのない わたし でしたが、パソコンを使って資料を作ったり、プロジェクトに参加して新しいビジネスモデルを考えたり。



会社に泊まって仕事したこともあったし、土日も出てたし、明け方タクシーで帰って10時にはけろっと出社したりしてました。



大変だったけど、辛いよりも得ることが多くて楽しかった。




ただ、こんな生活長くは続きませんよね。

わたしの精神的にもそうですが、会社全体があまり思わしくない方向に向いて、退職を決めたんです。
(ここは、多くは触れないことにしましょう!)



次(仕事)を何も決めずに・・・。




ここで、仕事をしていた時、周りの人は

おんなのこ「早く辞めて良かったね」

おんなのこ「大変だったね」

そう言うのですが、わたしは、ここで働けて本当に良かったと思います。




ここでの経験がなければ、ここで今でもお世話になっている多くの人と出会わなければ、今のわたしはないと思っているので。



人生、無駄なことなんて何ひとつない。

そう改めて思いました。







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