初夏の佐賀~福岡の旅
- その5 -
1日目:2010年6月4日(金) 天気:
その4・JR吉野ヶ里公園駅から歴史浪漫気分
のつづきです
日本100名城スタンプラリーNo.88 吉野ヶ里
約600年間もつづいたとされる弥生時代。
吉野ヶ里遺跡は、この長い弥生時代のすべての時代の遺構が発見され、
“邪馬台国の出現か?”と、一時は大騒ぎになった遺跡です。
工業団地計画が、弥生時代最大の“環壕集落跡”が確認されたことで一転!
あっという間に「特別史跡」に指定され、
現在では、国と県が管理する“吉野ヶ里歴史公園”として整備されています。
<北内郭>主祭殿
北内郭は、“クニ”全体の儀礼やまつりごとが行われた重要な場所。
復元された建物は、発掘された遺跡を保護しその上に建てられているため、
当時の集落の様子が想像しやすくなっています。
環濠・竪穴住居・高床住居・物見櫓・柵・逆茂木・高床式倉庫・墳丘墓などが
発掘調査の結果を元に復元され、リアルなスケールで見学することができます。
吉野ヶ里遺跡の特徴となっているのは、集落の防護に関連した遺構。
弥生時代の後期になると、V字型に深く掘られた総延長約2.5mの外壕で周囲を囲み、
壕の内外には木柵・土塁・逆茂木(さかもぎ)といった敵の侵入を防ぐ柵が施されます。
防衛機能を持った“環濠集落”。
これはもう「城郭建築のルーツ」ですよね!
<南内郭>
南内郭は、吉野ヶ里の集落や“ムラ”を治めていた支配者層が住んでいた場所。
中心に広場があり、見張りのための物見櫓があります。
竪穴式住居って、
ちょっと地面を掘り下げた「半地下」住宅なので、夏は涼しく冬は暖かいんですって。
<北墳丘墓>
わたしが今回の吉野ヶ里遺跡探訪で、ハマってしまったのが「発掘遺跡展示」。
北墳丘墓は、吉野ヶ里を治めていた歴代の王の墓。
高度な技術で、しっかりと固められた人工的に造られた丘の内部では、
本物の遺構や甕棺が発掘された状態で展示されています。
北墳丘墓 内部
「土」も「甕棺」も、発掘された状態の“本物の遺構”です。
土には特殊な薬品を散布し、遺構面の湿度を80%程度に保つことで
この貴重な状態を見学することができるのです。
弥生時代中期前半から中頃に埋葬されたものというのですから、
今から2200年~2100年前の「本物のお墓」を見せていただけるなんて
展示館の自動ドアが開き、ふわっ~と「土」の香りがした瞬間から
わたしの“意識スイッチ”が、変換されたのが分かりました。
お墓なのに、なぜか怖くはなかった。
でも不思議と涙があふれてきたのは、「王」たちのパワーに圧倒されたからかな。
甕棺墓列
こちらは一般の人々の墓地。
「甕棺」は、佐賀や福岡を中心とした北部九州の特徴的な埋葬方法だそうです。
吉野ヶ里遺跡を日本100名城スタンプラリーに選出したことには、
「城マニア」の意見がそれぞれ分かれるようですが、
防衛機能を持った“環濠集落”が、やがて「城郭」に発展したのだと捉えれば、
「日本の城のルーツ」として、100名城に選ばれた意味も理解できますね。
吉野ヶ里遺跡の面積は、約40ヘクタール(福岡ドーム6個弱)。
弥生時代の終わり頃の竪穴式住居・物見櫓・高床式倉庫など98棟の建物が
発掘調査の結果を元に復元された歴史公園は、ほとんどテーマパーク
しばし古代歴史ロマンにひたって、
当時の空気を想像できないと、ただの公園で終わってしまうかも・・・
このレポは、「日本100名城スタンプラリーNo.88」の視点でまとめましたので、
次の記事では、「吉野ヶ里歴史公園」を探索する目線でレポします!
平日のみ公開されている「遺跡発掘現場」も見学してきましたよっ
吉野ヶ里歴史公園で弥生人の声を聞く(2)
へつづく・・・
吉野ヶ里歴史公園
*** 初夏の佐賀~福岡の旅レポ ***
1・ ボンバルディアで福岡へ飛ぶ
2・ JR長崎本線で出会ったデザイナー電車
3・ SUGOCAはすごかぁ~
4・ JR吉野ヶ里公園駅から歴史浪漫気分
5・ 日本100名城 No.88 吉野ヶ里遺跡
6・ 吉野ヶ里歴史公園で弥生人の声を聞く(1)
7・ 佐賀県産和牛ハンバーグ定食@吉野ヶ里
8・ 吉野ヶ里歴史公園で弥生人の声を聞く(2)
9・ 福岡名物?皮なし冷凍みかん『むかん』
10・ 日本100名城 No.89 佐賀城
11・ 佐賀のおいしいゴマ屋さん『まんてん』
12・ 博多とんこつラーメン『一蘭』
13・ 福岡・長浜ラーメン『元祖ラーメン長浜家』
14・ 「漢委奴國王」国宝の金印@福岡市博物館
15・ 日本100名城 No.85 福岡城
16・ 佐賀県のB級グルメ『シシリアンライス』
17・ ご当地キティ 佐賀限定「邪馬台国の卑弥呼」
18・ 福岡空港の絶品クロワッサン『三日月屋』
<番外編> TUBE シーサイドLive in シーサイドももち海浜公園