飯田線の80系 | 伊勢守の鉄道博物館

伊勢守の鉄道博物館

一応、鉄道博物館を名乗ってはいますが、偏りがあります(汗)
2018年11月4日より現役(?)に復活することにしました。

戦前型、荷物車が一通り終わりました。

80系はおまけ程度で終わらせようかと思います。



1978年10月撮影  駒ヶ根駅

飯田線に転用されたばかりの姿。分かっていたのですが、ここで見ることが違和感だらけでした。




辰野行80系 伊那市駅

先頭のシールドビーム改造車は松本から転属してきたクハ86332ということが分かる写真です。
このブタ鼻シールドビーム改造は広島のEF58などにもみられたようですが、鉄道ファンからは評判が芳しくない改造とされていました。





七久保停車中の80系&クモハ54129

急行【天竜】の通過待ちで80系は対向待ち、戦前型編成は【天竜】を先に通すためにまとまった停車時間がありました。



田切-伊那福岡

有名な撮影地です。ここが好きな場所でした。
ただこの時はバックの中央アルプスが隠れてしまいました。




構図を間違えて編成が切れてしまったボツ写真・・・。

先頭のクハは松本から転入した342と分かりました。横軽対策改造を施した証拠の○印もしっかり確認できました。



1983年2月撮影 七久保

クハ85形を最後部に連結した編成。
クハ85形はサハ87形改造の2両のみが生き延びて、豊橋-水窪での増結編成に充当されました。
前年の11月ダイヤ改正で豊橋に165系が転入したことで運用が変わり、クハ85は基本編成に組み込まれる編成替えが行われました。そのためこれまで姿を見せなかった飯田線北部にも姿を見せるようになりました。

残った2両は104と108。104は松本からの転入でしたので、久しぶりに上諏訪まで顔を出すこととなりました。





クハ85108  平岡駅

車番が架線柱に隠れていますが、これはしっかり108と読めます。

えっ?見えてないじゃないかって?


安心してください。しっかり判断できますよ。

このクハ85、車番の前に○印が付いていません。つまり碓氷峠対策未施工車ということがわかります。
104は松本から転属、108は静岡から来た・・・と既に記述していますので、信越本線に縁がなかったのは静岡からきた108ということになります。





1983年2月撮影  城西
今は交換設備が撤去されてしまった城西駅ですが、この当時はまだ交換設備があり貨物や急行列車と対向列車待ちを経験できました。

80系が停車してる線が撤去されてしまっています。



中部天竜

お役御免の編成は廃車まで疎開留置されます。
日本を有数の電車列車主流の鉄道にした立役者もここに引退を告げられ、姿が見られるのも僅かの期間となってしまいました。

留置編成のバックには佐久間ダムからの水力を利用した発電所が少しだけ見えます。


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