クハ68形いろいろ | 伊勢守の鉄道博物館

伊勢守の鉄道博物館

一応、鉄道博物館を名乗ってはいますが、偏りがあります(汗)
2018年11月4日より現役(?)に復活することにしました。

飯田線に最後まで残った旧型国電の内で、両数的に大きな勢力を保っていたのがクハ68形でした。
相方となる電動車は数形式の車両がいましたが、制御車ではクハ68形が大きな比重を占めていて、クハユ二56形よりも多く見かけることが多かったはずです。

とはいえ同じ形式を名乗ってはいますが、実物を見るとこれが大違いだったりするのがこの形式の特徴だったかもしれません。元々のクハ68形と他形式から改造編入されたものまで多種多様な車体をしてました。

でもあまり撮影してないのは、電動車を主流に狙っていた好みが影響しています。


1982年撮影



本長篠駅
留置してあった編成の辰野方の先頭車。

元はクハ55形の半流線形車体を持つ後期形で、セミクロスシートに改造されクハ68形に編入されたものです。
クハ55から編入された車体はドア間の窓の数が5枚しかなく、オリジナルの6枚との違いがすぐに分かります。このため窓とシートの位置がちゃんと合っていませんでした。
車番はクハ68414です。



宮田ー赤木

雪が降る中を行く。
上と同じ編成になります。
側面が戸袋窓も含めてHゴム化されていません。この時はクモハ43015と編成を組んでいました。

正面窓の横桟と正面貫通ドア下側左右にヒゲのような塗り分けが特徴的です。
新製配置は関西は宮原で、明石を経て伊那松島に来てます。



三河大野駅

これもクハ55形の初期車からの改造編入車です。外観はまるで違いますが、製造年度で同じ形式でも車体の設計が変わっていますので同じ形式に見えないこともあります。

逆光気味の撮影で正面がややつぶれてしまったのは残念なことですが、時間帯からして止むを得ない撮影でした。
正面が平妻車体ではクロハ改造のクハ55からの編入車もいましたが、これは撮影していなかったようです。

車番の確認はしてませんが、形態から判断してクハ68409と推定します。奇数番ですが辰野方に運転台がある変り種でもあります。
大きな幌枠に運転士側だけがHゴム化された前面、ヘッドライトの取り付け方、クハ55形一次車からの改造である経歴から運転士側直ぐ後の窓の枚数が決め手です。

新製配置は淀川電車区で、宮原、高槻を経て伊那松島へ。




1983年2月撮影 七久保-伊那本郷

同じ平妻クハ55から改造されたクハ68418。固定窓はすべてHゴム化されていて409とは対照的な存在でもありました。

新製配置は淀川電車区で宮原、高槻までは409と一緒に異動してますが、こちらは岡山に一度転属して豊橋に。80系が入った時に伊那松島へ転属してます。



この編成の先頭が本来のクハ68形になります。
ドア間の窓が6枚あるのがクハ68形オリジナルの姿です。

クハ68042です。唯一トイレ付きに改造されてなかった、飯田線では稀有な車両でした。

編成は前から
クハ68042+クモハ53007+クモハ53000+クハユ二56012+クモニ83102か103
になります。




1983年撮影 豊橋

飯田線旧形国電最末期にはオリジナルクモハ51029との編成組み変えとなり、廃車までデビューした当時のような編成に戻って有終の美を飾りました。

新製配置は明石電車区で、高槻、明石と動き、豊橋を経て伊那松島へきてます。




実はこの記事をまとめる為に記録を抜き出していたのですが、どうも写真と記録が合致してないのでは???
そんなものがあったので、改めて調べ直してみました。すると記録間違いと思われたものはやっぱり間違い・・・という結論に達しました。
どうしてこういうことになったのか、今となっては原因の調べようが無いのですが・・・自分で疑わしい点だと思ったなら、できる範囲で調べ直すことは大事なことだと思った次第です。

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