このために途中区間では路線に並行する道路そのものが存在しないところがあります。完全に全線で並行する道路が存在しないというケースは他にあるのでしょうか。
この道路事情の悪さの為に、鉄道荷物輸送は欠かせないものとして長く存在していました。
本来なら役目を終えていそうな形式が生き長らえていた理由の一つともいえます。
夕方、辰野へ向かう最終列車、1227Mの最後に連結されたクモニ83103
クモニの運用で一日で辰野まで一往復する運用の一つです。この1227Mに連結される運用にはクモニ83が主に充当されていましたが、稀にクモニ13が入ることもあったようです。
湯谷(現湯谷温泉)を発車した1227M
この日はクモニ83101が入ってました。
クモニ83101は他の2両と屋根上の避雷器の位置が違っていましたので判別は簡単です。
クモニ83形とはいえモハ72改造の車両とはまったく出自が違い、100番台は80系一族の一員であるクモユニ81形の郵便室を撤去して荷物室に改造したものです。
このため新性能電車と協調運転できる他のクモニ83形とは外観、性能とも全く違います。
クモニ83100番台はなぜか車体の「荷物」標記の位置に違いがありました。それで番号の判断がつきます。
荷2042Mで天竜峡に向かう荷物列車。
このような違いがあるのです。なぜ統一されてないのかは不明です。
写真はありませんがクモニ83101は103と同じ位置に標記があります。
改造そのものは前年に行われていましたが、改番が遅れて実施されています。
飯田線北部では午後に辰野を出発する荷物列車のスジがあり、それを狙う撮り目的の方も多かったようです。
伊那松島
荷2042M
クモニ83103+クモニ13025
通常はクモニ83+クモニ13で組まれていましたが、検査などの関係でクモニ83×2という場合もあったようです。
なぜか形式車番標記が車体左右で位置が違うのが不思議です。
こちら側から見ると荷物ドアの前になってますが、反対側は中央寄りの荷物ドアの後ろに標記があります。
101と102ではこのようにはなっていないと思いました。
このような書き方をしていたのが、北松本にいたクモユニ81003でした。
どっちが正しい標記位置なのかは分かりませんが・・・。
飯田到着 荷2042M クモニ83102
ここまで来ると遅い時間になって、季節によっては撮影が難しかった列車でもありました。なるべく北側で撮影するのがよかったと思います。
飯田
新宿行急行【こまがね】との並び。
飯田駅の荷物扱い所は貨物扱いと同居のような感じになっていたので、豊橋寄りにあるその位置の近くが停車位置になっていました。
245M辰野行
245Mは中部天竜始発の辰野行列車でしたが、豊橋から荷2041Mとしてこの編成のまま発車して、中部天竜から旅客営業をする変わった列車でした。
飯田線山間部区間の通学の足となる列車だったようです。
編成の半分が荷物車という他の路線では見られない形でしたので、この列車も狙い目だった列車ともいえます。
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