飯田線にいた戦前型(制御車)① | 伊勢守の鉄道博物館

伊勢守の鉄道博物館

一応、鉄道博物館を名乗ってはいますが、偏りがあります(汗)
2018年11月4日より現役(?)に復活することにしました。

飯田線の旧形国電を書いていく上でどうしても避けられないのが

『戦争』

です。

昭和前期の戦争が長く続いた不幸な時代を生き抜いた車両のことを書くのですから、この事実から目を背けるわけにはいかないでしょう。
願わくば再びこのような時代が来ないことを切に祈りたいものですし、またそうなるように皆が考えて行動することが大事だと思います。


まずは制御車から見ていこうかと思います。

飯田線に配置になっていたのは、クハ47、クハ68の2形式になりますが、その素性を辿っていきますと出自がまるで違う車両に行き着いたりします。
それの原因が戦争によるものです。



北殿駅
クハ47009+クモハ53008ほか

クハ47形オリジナルで唯一残ったクハ47009の最晩年の姿になります。
最後まで名乗りを変えることなく、生涯を全うしました。1931年製造で1984年3月8日に廃車になっています。

こうした例は珍しいケースで、同族の仲間の多くが改造を経て他形式に改造をされたりしてます。



クハ47069+クモハ54106

サハ48形を制御車改造したものでオリジナルとほとんど変わりませんが、乗務員室の奥行きに違いがあり乗務員室ドアと客用ドアの間の寸法に違いがあります。





表として複雑になって見方がよく分からないかもしれませんが、改番に次ぐ改番を重ねた車両については新しい番号で別項に掲載してあります。

例えばクハ47011の初代はサハ48から改造されて名乗りをあげていますが、後にクハ47051に改番されていますので別にクハ47051の項目を設けて続いて後を追えるようにしてあります。

まとめ方としてはあまり出来の良い物ではないのですが、表の幅を無制限にとれるわけではないので止む無くそのようにしてあります。



フィルムの巻き忘れが招いた失敗写真・・・。この手の失敗は何度も経験しています。

これも少しイジって・・・。



関西急電用42系一族であるクハ58形から編入されたクハ47104が編成に挟まっているのを見つけました。
相方はクモハ54002のようです。

クハ47100番台がクハ58からの編入車でしたが、飯田線では前面の幌を取り外していた車両が生き残り精悍な顔つきの幌付き車が廃車になってしまい残念に思いました。
身延線にも配置がありましたが、こちらも幌を外した車両が多く表面がのっぺりした感じを受けたものでした。

クハ47形に編入したのはWCを取り付けて実質的に同形式にしても問題がない・・・として編入したものと思います。


つづいてクハ68形について。


68042


クハ68042
唯一残ったオリジナルクハ68形
相方を組むクモハ51029も唯一のオリジナルであるクモハ51形で、登場当時のコンビが時を経て再現される光景でした。

オリジナルの姿を保ったのはともかく、飯田線のような長距離運用がある路線でWC無しというのは問題があって、トイレ無し編成だけを長い距離の運用に就かせないように時に運用の変更を行っていました。


68405


クハ68405
伊那松島

つづく

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