複数の疑問点や、記録のない走行写真の編成を構成する形式車番などを調べていくには時間がかかりました。
今回はそのなかで数的にも多く撮影していた、戦前型国電で前面が半流線形をした車両をかき集めてみました。
まずは前面非貫通の郵便荷物旅客合造車からいきます。
まずはクハユ二56形
56011になります。元はモハユ二61002でした。
この車両は横須賀線に投入されたモハユニ61形としてデビューしたのですが、1943年という戦争中のデビューだったため3両製造がやっとで、しかも電動車を名乗っているのに部品調達ができなかったため制御車代用で登場するという、散々なデビューとなりました。
翌年に61001だけが電装されましたが、残り2両にモーターが装備されることはありませんでした。
002は赤羽線、横浜線を経て1952年飯田線入り。同時にクハユ二56形として再出発して引退までここで過ごすことに。
郵便室、荷物室が前面にあるので、正面は非貫通です。
56011の側面です。
荷物ドア、郵便ドアに特徴があり、郵便室の直ぐ後ろが窓でしたが塞がれています。
こちらはモハユニ61003をクハユ二56012に編入したものです。
側面の様子が違います。ドアの違いは一目瞭然でしょう。
他にもテールライト周囲のステップの位置にも違いがあります。
飯田線入りしたのはほぼ同時期で、こちらは常磐線を担当する松戸電車区からの転属でした。
クハユ二56011を最後部にした編成が辰野へと向かう姿。
伊那松島
クハユ二56011+クモハ54106+クモハ43015+クハ68414
1983年2月撮影 七久保-高遠原
クハユ二56012+クモハ53000+クモハ53007+クハ68042
1982年10月撮影 東上-野田城
011と012は正面からも判別ができます。前面サボ箱の真ん中に板があるのが012で、無いのが011になります。
つづく