クモハ43015他、戦前型2ドア車 | 伊勢守の鉄道博物館

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一応、鉄道博物館を名乗ってはいますが、偏りがあります(汗)
2018年11月4日より現役(?)に復活することにしました。

今回は戦前型の旧形国電の中で2ドア車をピックアップしてみようかと思います。

飯田線本長篠駅に留置されている編成。

戦前の京阪神間を疾走し、戦後は横須賀線に転じモハ32形の後を70系と共に受けて、伊東線でも活躍したクモハ43形の晩年の姿になります。

1983年5月撮影




戦後になって更新改造を受けていますが、その後もHゴム化大好き(?)浜松工場が検査を担当する飯田線に転属になってからも、いくつかの細かい箇所の改造がなされています。



1985年3月撮影 長門本山

小野田線の本山支線にいたクモハ42形

この車両が根幹形式となって42系と通称(正式には旧形国電に系列は無し)されていきます。
この車両はクモハ43と違い両側に運転台があります。



片隅式運転台と呼ばれる前面車内です。



荷2042Mに増結された工場入場車

編成内全部が電動車という強力編成(?)で天竜峡に向かう様子です。
後2両が臨時増結で、クモハ61003とクモハ53000になります。

クモハ53形はクモハ43形のモーターを70系の性能に近くするため、強力なものに取り替えてクモハ43800番代を経て形式変更された車両です。
外観はクモハ43と区別がつきにくいですが、53000はパンタグラフが違いPS13を搭載しています。また運転台の向きが違う(下り向き)ので判別が容易です。



東海道・山陽の急電(今の新快速に相当)から阪和線を経て飯田線に来たクモハ53008。


飯田線旧形国電最後の営業運転にもこの車両が活躍していました。
その後ろはクハ47009で2ドア車同士で編成を組んでいました。

クハ47は横須賀線でデビューしたモハ32形一族の制御車で、電動車のモハ32形は17m車でしたが制御車クハ47形と付随車サハ48形は20m車で登場してます。

モハ32→クモハ14形は17m車だったので早くに廃車になってしまいましたが、同族のクハは長生きをしてこうして最後の舞台にも立っています。



サハ48形に運転台を設けてクハ47に編入したクハ47069

サハ48015を1956年に改造したものです。
2両のクハ47は共にデビューから50年を過ぎていました。




伊那松島機関区
ドアが1位側と2位側で違いがあるのがお分かり頂けるでしょう。




北殿駅

クハ47009
クハ47形の元祖。生涯にわたって形式変更されることがなかった車両です。
初代スカ線の顔がここに生き残っていました。


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