【転記】+今時、南京事件がなかったなどと中二でも言わない+ | 矯正知力〇.六

矯正知力〇.六

メモ的ブログ

以下、mixiの猫王さんの日記より転記。

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『今時、南京事件がなかったなどと中二でも言わない』

今時、南京事件がなかったなどと中二でも言わない
そんなことを言って許されるのは、小学生までだ

以下のように歴史学の研究の成果を示すと
誰一人、それに反証した者もおらず
反証しようともせず、関係のない話をもってきて
反論や反証と称する、非論理的でオカルトなコメしかつかない

そして否定できなくなると
こんどは、「どさくさ」とか言って印象操作しようとするが
ちゃんと日本側の、当時者の史料にも残っているので
そんな見苦しいいい訳すら通らない


「南京事件」は歴史事実
歴史認識問題と言われるモノは
歴史学という学問、科学が扱う対象

歴史事実そのものを無かったことにしようとしたり
そこから汲み取るべき歴史の教訓を
「日本は悪くないから、その必要ない」などという
オカルトな居直りをする、オカルトな風潮がある

そういう連中の、絵図面を書いているやつは
意識して詭弁を弄しているし
そうやって、問題の本質をずらそうとしているんだけどね

んじゃ、以下本題


まず、歴史学者で南京事件を否定する者は一人もいない

小林よしのりなんかと仲の良い秦郁彦ですら
事件があったこと、そして日本側の「なかった」という電波を批判している

『南京事件―「虐殺」の構造』  秦郁彦  中公新書

この秦郁彦という歴史学者は
どちらかというと、右巻きで
「新しい教科書をつくる会」や小林よしのりなんかとも仲が良くて
積極的に、従軍慰安婦問題を否定する活動をしている人です
ネトウヨお得意の、「サヨク学者」というレッテル攻撃は通用しませんよ

南京事件の真実を知りたい方は、お読みになってはいかがでしょう?


<1>日本側だけの史料を見ても否定できない

◆歩兵第七連隊戦闘詳報
 2月15日
極秘 歩七作命甲第111号
歩兵第七連隊命令(12月15日午後8時30分、於 南京東部連隊本部
一(略)
二、連隊は明十六日全力を難民地区に指向し徹底的に敗残兵を捕捉し殲滅せんとす。
  憲兵隊は連隊に協力する筈。
三、各大隊は明十六日早朝よりその担任する掃討地区内の掃討特に難民地区掃討を続行すべし
 第三大体は部下各中隊よりかく一小隊を出し第一大隊長の区署を受けむべし
四(略)
五(略)
 連隊長 伊左大佐

上海派遣軍第9師団歩兵第6旅団「南京城内掃蕩要領」「掃蕩実施に関する注意」
(旅団長 秋山義兌少将)
一、遁走せる敵は、大部分便衣に化せるものと判断せらるるをもって、
その疑いある者はことごとくこれを検挙し適宜の位置に監禁す
一、青壮年はすべて敗残兵または便衣兵と見なし、すべてこれを逮捕監禁すべし


◆第9師団作戦経過の概要 第5章 南京城攻撃戦闘
三、城内掃蕩
師団は爾後右翼隊主力を以て城内の掃蕩に当り七千余の敗残兵を殲滅せり

四、本戦闘に於ける彼我の損害左の如し(淳化鎮附近を含む)
   友軍 死者 将校以下 四六〇名
       傷者 将校以下 一、一五六名
   敵軍 死体 四、五〇〇他に城内掃蕩数 約七、〇〇〇


◆井家又一日記
第9師団 第6旅団 第7連隊 第2中隊 上等兵

拾弐月拾六日(12月16日)
 拾弐月も中を過ぎ去ってしまった。金沢招集を受けて満三ヶ月になってしまった。只無の世界の様である。午前拾時から残敵掃蕩に出かける。高射砲一門を捕獲す。午後又で出ける。若い奴を三百三十五名を捕らえて来る。避難民の中から敗残兵らしき奴を皆連れ来るのである。全く此の中には家族も居るであろうに。全く此を連れ出すのに只々泣くので困る。手にすがる、体にすがる全く困った。
(略)
 揚子江付近に此の敗残兵三百三十五名を連れて他の兵が射殺に行った。
 この寒月拾四日皎々と光る中に永久の旅に出ずる者そ何かの縁なのであろう。皇軍宣布の犠牲となりて行くのだ。日本軍司令部で二度と腰の立て得ない様にする為に若人は皆殺すのである。 (略)


ちなみに、防衛省保管の資料です


◆簡単に解説

南京が陥落したのは13日
これら殲滅命令が出たのや日記は15日、16日
陥落より後の殺害行為は
通常の戦闘行為ではなく不法な殺害で、虐殺と言える

殲滅とは皆殺しのこと(辞書みてね)

>一、青壮年はすべて敗残兵または便衣兵と見なし、すべてこれを逮捕監禁すべし

もう何がなんでも青壮年なら「便衣兵」に仕立て上げて
逮捕監禁しまえという命令

ちなみに、便衣兵(ゲリラ戦術みたいなもん)による抵抗にあって
戦闘したという史料は存在しない


◆ 便衣兵について面白いモノがあったので紹介

「便衣兵」
日本軍の中国私服(便衣)による先行斥候は、各部隊とくに砲兵部隊で1937年11月ごろから
行われ、北支派遣軍の流行先方となりました。
同年12月14日第2軍沼田部隊は、中国人民家より中国私服を徴発して翌日、作戦地の偵察を行
いました。(黄河作戦で)

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東中野修道「1937南京攻略戦の真実」(小学館文庫)P156より
軍服を脱いだ兵士を「便衣兵」と呼ぶことも間違いである。「便衣兵」とは、敵兵を欺くため出撃
時から便衣(市民服)を着て戦闘に従事している正規兵のことである。「便衣兵」も不法戦闘員で
あったから、捕らえられた場合は処刑されたがそれも合法であった。しかし南京城内に便衣兵がい
たという指摘はない。
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否定派の学者ですら、南京には中国軍の便衣兵はいなかったと・・・。


<2>南京事件の日本側の証拠資料、証言

その一

◆元教育総監 真崎甚三大将の日記
軍紀風紀頽廃し、これを建て直さざれば真面目の戦闘に耐えずということに帰着せり。強盗、強姦、掠奪、聞くに忍びざるものありたり。

陸軍省人事局長阿南惟幾少将(のち大将、終戦時陸軍大臣)
 「中島師団婦人方面、殺人、不軍紀行為は、国民的道義心の廃退、戦況悲惨より来るものにして言語に絶するものあり。」


◆松井石根元大将
「さういふやうな勢で捕虜も相当出来たけれども、捕虜に食はせる物もない。
さういふ状態で戦闘しつヽ捕虜が出来るから捕虜を始末することが出来ない。
それでちょん斬つてしまうといふことになつた。それで大したことではないのだが、
南京の東南方の鎮江との間で一万余の捕虜があつたのだけれども、
そんなのは無論追撃中だから戦闘中と見てもよろしい、又捕虜となつても逃亡する者もあるし
、始末が付かぬものだからシヤーシヤーと射つてしまつたのだ。」


◆岡村寧次大将
それなのにこのたび東京で、南京攻略戦では大暴行が行われたとの噂を聞き、
それら前科のある部隊を率いて武漢攻略に任ずるのであるから大に軍、風紀の維持に
努力しなければいけないと覚悟し、差し当り「討蒋愛民」の訓示標語を掲げることにした、
それはわれらの目的は蒋介石の軍を倒滅することであって無辜の人民には仁愛を以て
接すべしというに在った。
 上海に上陸して、一、二日の間に、このことに関して先遣の宮崎周一参謀、中支派遣軍特務部長
原田少将、杭州特務機関長萩原中佐等から聴取したところを総合すれば次のとおりであった。
 一 南京攻略時、数万の市民に対する掠奪強姦等の大暴行があったことは事実である。
 一 第一線部隊は給養困難を名として俘虜を殺してしまう弊がある。


◆石射猪太郎氏(外務省東亜局長)
上海から来信、南京に於ける我軍の暴状を詳報し来る。掠奪、強姦、目もあてられぬ惨状とある。
嗚呼これが皇軍か。日本国民民心の頽廃であろう。大きな社会問題だ。
これが聖戦と呼ばれ、皇軍と呼ばれるものの姿であった。
私は当時からこの事件を南京アトロシティーズと呼びならわしていた。暴虐という漢字よりも適切な語感が出るからであった。


◆重光葵(外交官・事件当時、駐ソ連大使)
「しかし、駐支大使として南京に赴任(一九四二、一)して南京事件の実相を知るに及んで、
我軍隊の素質、日本民族の堕落に憤りを発せざるを得なかった。」

法眼晋作(外交官・元外務事務次官・元国策研究会理事長)
「電信専門の官補時代に最もショックを受けたのは、南京事件(後述)であった。
敗走する中国軍を追って南京を占領(昭和十二年十二月十三日)した日本軍が、
筆舌を絶する乱暴を働いた事実である。」


◆徳川侯爵
「ぼくが慰問を終えて帰国の途についた数日後のことだが、日本軍が南京で大殺戮を行なった。
殺戮の内容は、十人斬りをしたとか、百人斬りをしたとかいうようなものではない。
今日では、南京虐殺は、まぼろしの事件ではなかろうか、といわれるが、当時ぼくが聞いたのは
数万の中国民衆を殺傷したということである。」


その2

◆徳川侍従長
「昭和十二年の南京占領の時、日本軍がひどいことをしたということは、私は当時から知っていました。
中国人捕虜を数珠つなぎにして撃ち殺すとか……南京虐殺があったとか無かったとか論争がある
ようですが、当時も関係者の多くは事実を知っていたんです。陛下が知っておられたかどうかはわかりませんが、
折に触れて「日露戦争の時の軍とは違う」ということはおっしゃっていました。」


第114師団歩兵第127旅団歩兵第66連隊第1大隊 戦闘詳報より

[12月12日午後7時ころ] 最初の捕虜を得たるさい、隊長はその三名を伝令として抵抗断念して投降せば、助命する旨を含めて派遣するに、その効果大にしてその結果、我が軍の犠牲をすくなからしめたるものなり。捕虜は鉄道線路上に集結せしめ、服装検査をなし負傷者はいたわり、また日本軍の寛大なる処置を一般に目撃せしめ、さらに伝令を派して残敵の投降を勧告せしめたり。
[12日夜] 捕虜は第四中隊警備地区内洋館内に収容し、周囲に警戒兵を配備し、その食事は捕虜二○名を使役し、徴発米を炊さんせしめて支給せり。食事を支給せるは午後十時ごろにして、食に飢えたる彼らは争って貪食せり。
[13日午後2時] 連隊長より左の命令を受く。
旅団命令により捕虜は全部殺すべし。その方法は十数名を捕縛し逐次銃殺してはいかん。
[13日夕方] 各中隊長を集め捕虜の処分につき意見の交換をなさしめたる結果、各中隊に等分に分配し、監禁室より五十名宛連れだし、第一中隊は路営地南方谷地、第三中隊は路営地南方凹地、第四中隊は路営地東南谷地付近において刺殺せしむることとせり。(中略)各隊ともに午後五時準備終わり刺殺を開始し、おおむね午後七時三十分刺殺を終わり、連隊に報告す。第一中隊は当初の予定を変更して一気に監禁し焼かんとして失敗せり。
捕虜は観念し恐れず軍刀の前に首をさし伸ぶるもの、銃剣の前に乗り出し従容としおるものありたるも、中には泣き喚き救助を嘆願せるものあり。特に隊長巡視のさいは各所にその声おこれり。


◆サンケイ記者のインタビュー

1994年6月14日の産経新聞のインタビュー記事で
カメラマンが、実際に南京で数百人以上の人を殺しているのを
見たと言っている
そこで私が写真を撮ったら、私の方が殺されると思ったと
写真撮影しなかった事情について説明している

この記事は同時に、否定派の、「たくさん殺してない」という主張の根拠になっているようだが
どんなに低く見積もっても、抵抗する意思のない人を
4万人殺していることは事実なので、そんなことを言ってもどうしようもないw


<3>「当時、誰も報道しなかったから捏造だ」というデマを斬る

◆蒋介石

蒋介石は、1938年1月22日の日記に
「倭寇(日本軍)は南京であくなき虐殺と姦淫を繰り広げている
野獣にも似たこの暴行は、もとより彼ら自信の滅亡を早めるものである
同胞の通苦はその極に達しているのだ」
と書いております

サンケイ新聞社が1976年に出版した
「蒋介石秘録」12巻の70ページに記載されております

1938年12月14日の「中央日報(中共の機関紙」の
南京陥落一周年の記事で
「同胞20万の血を奪った」と書いてあります


◆海外の報道

ニューヨークタイムズが1937年12月7日から
翌1938年1月31日まで
「南京大虐殺」を報道しておりますね
「シカゴディリーニューズ」も報道しております

決定的なモノを紹介しましょう
旧内務省警保局「出版警察報」(不二出版 1982年)

そこには
戦時中、警保局が「南京大虐殺」を報道した外国の新聞や雑誌を
検閲し発禁処分にしたリストが記載されております
ちなみに、警保局とは
言論、出版の弾圧と統制をしていた役所ですね


◆ドイツの公文書(上で紹介したけどね)

「『資料 ドイツ外交官の見た南京事件』/石田勇治編・訳/大月書店/01.03.19」という資料集


◆国連と中国政府も知っている

一九三八年二月一日付
国際連盟理事会第六会議議事録
内容-中国政府の声明
議長による決議案(C・六九/一九三八/七)
の提示に続き、(1)顧維釣氏の演説-

<南京に関する部分を抜粋>

高い軍紀を誇りにしてきた日本兵が占領地で繰り広げる残虐で野蛮な行為は、戦火に打ちひしがれた民衆の銀難辛苦をさらにいっそう増大させ、礼節と人道に衝撃を与えています。あまりにも多くの事件が中立国の目撃者によって報告され、外国の新聞で報道されているので、ここでいちいち証拠をあげるには及ばないでしょう。ただ、その一端を物語るものとして、日本軍の南京占領に続いて起こった恐怖の光景にかんする『ニューヨーク・タイムズ」紙特派員の記事を紹介すれば十分でしょう。このリポートは一二月二〇日付の『ロンドン・タィムズ』紙に掲載されたものであります。特派員は簡潔な言葉で綴っています。「大がかりな略奪、強姦され

る女性、市民の殺害、住居から追い立てられる中国人、戦争捕虜の大量処刑、連行される壮健な男たち」。
日本兵が南京と漢口でおこなった残虐行為についての信頼できるもうひとつの記録は、米国人の教授と外交使節団による報告と手紙にもとづくもので、一九三八年一月二八日の「デイリーテレグラフ」紙と「モーニング・ポスト」紙に掲載されています。南京で日本兵によって虐殺された中国人市民の数は二万人と見積もられ、その一方で若い少女を含む何千人もの女性が辱めを受けました。
金陵大学緊急委員会の米国人議長は一九三七年一二月一四日、日本大使館に書簡を送り、「私たちはあなた方にたいして、日本軍と日本帝国の名誉のために、そしてあなた方目身の妻、娘、姉妹のために、あなた方の兵士から南京市民の家族を守っていただけるよう強く要請します」と書きました。
しかし、「この声明にもかかわらず、残虐行為は野放しで続いた」と特派員は書き記しています


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この歴史事実を否定した連中が
「虐殺があったというが証拠がない、死体がない」などと言う

それに対して、どうあがいても否定できない史料がある
そのひとつが、遺体埋葬記録だ

紅卍字会の埋葬記録では、約4万3千
崇善堂の埋葬記録では、約11万2千


紅卍字会について
「導院」という宗教団体の社会事業実行団体で
大雑把な言い方だが、日本軍ともそれなりにつきあっていた団体だ

崇善堂について
中国には昔から「善堂」という事前団体があって
これも18世紀から続く善堂である


◆紅卍字会の埋葬記録について

東中野先生は、あいもかわらずこの記録を必死で否定したいようだが
それは無理な話だ

日本の史料として、ハッキリとそのことは記載されている


●日本側の公文書

南京特務機関、1938年3月の工作報告書に
「然して積極的作業にとりかかりたる結果、著大の成績を上げ
3月15日現在を以て既に城内より・・・」と以下に続いて
城内1795体、城外3万5099体、それを合わせて3万6894体の埋葬について書かれている


●当時のマスコミ報道

大阪朝日新聞の1938年4月16日付けの記事でも
「最近までに城内で1793体、城外で3万301体を片付けた
約1万1千円の入費となっている。苦力も延5,6万人は働いている
しかしなお城外の山かげなどに相当数残っているので、
さらに8千円ほど金を出して真夏までにはなんとか処置を終わる予定である」
これは、紅卍字会と日本山妙法寺の僧侶が埋葬に従事していることを
報じた記事だ

紅卍字会の埋葬記録については、動かしようのない事実で
どうあがいても「南京大虐殺」を否定することはできない
今確実にわかっている犠牲者数はこの埋葬記録から
少なく見積もっても4万前後はいることが証明できる


◆崇善堂の埋葬記録について

こちらの史料は、日本側からの裏づけ史料が発見されていないので
犠牲者の「数値としては」絶対的な真実とは言えない
あくまでも数の上ではってことです

崇善堂の埋葬隊隊長の、「南京市自治委員会」に宛てた
1938年2月6日の書簡で
埋葬活動に自動車の修理部品が必要なので送って欲しい旨を書き送っている
この書簡に対して、「南京市自治委員会」は2月8日に返事を送っている

東中野先生が、「紅卍字会以外の埋葬活動はなかった」などと言っているようだが
呈よく上の史料を無視している

偕行社とういう旧日本軍人の親睦組織(?)で
財団法人が出している
南京戦史編集委員会『南京戦史資料集II』に

「紅卍字会な市西部の埋葬を担当し、本堂(崇善堂)は市東部の埋葬を担当した」
とある

崇善堂と紅卍字会の埋葬記録を合わせると
おおよそ15万人の死体があったことになる
まあ、崇善堂の数字はなんとも言えないけどね~


偕行社は、「南京大虐殺」について
「名誉ある皇軍がそんなことをするわけがない!」と憤り
自ら兵士の証言や史料をあたって調べたのです
その結果
それがあったことは事実と認めたのです
その後、横槍が入って紛糾しますけどね

この資料集は貴重な史料がたくさんあります
ネットで読めるものと絶版のものがあり
身の周りに所有する人がいない場合は
かなり大きな図書館でしか、すべてを見ることはしづらい状況です

※これに関して、私の情報が古かったら誰か訂正してください


◆結論

最初に書いた通り「南京事件」は否定しようがない歴史事実だ
埋葬記録を覆せないから
それには触れずに、本当かどうかもわからない少数の証言をとりあえげ
それを論拠にこの事件全体を否定する主張は
論理的ではないし、もはや歴史とは言えない


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否定派の、「南京は安全だ」とか「日本軍によって秩序は守られていた」
そういう主張の根拠になっている
金陵大学病院医師マッカラム氏の日記について


-12月29日-
「礼儀正しく、而も尊敬して、私共を処遇して呉れました若干の大変愉快な日本人がありました」

-1月3日-
-私は若干の日本兵によって為された善行を報告せねばなりません。
最近七、八名の大変に立派な日本兵が病院を訪問しました。私共は彼等に病人に与へる食物の欠乏を語りました。今日、彼等は若干の牛肉を附けて一〇〇斤の豆を持って来ました。我々は1箇月も病院で肉なんか食べなかったので、此等の贈物は大いに歓迎されました。彼等は我々に他に何んなものが欲しいかと尋ねました


典型的な史料の曲解ですwww
都合のよい部分のみを抜書きしてます

以下、当該部分の抜かされた文も含めて紹介します

-12月29日-
それは全然信ぜられぬことでありますが、然し数千の人々が残忍にも屠殺されました。 ───幾人あるか想像するも困難です。───其の数が一〇、〇〇〇人に近いだろうと信じて居る人々も有ります。
礼儀正しく、而も尊敬して、私共を処遇して呉れました若干の大変愉快な日本人がありました。
他の者は非常に残忍で、私共を脅迫し殴打したり、平手打等をやりました。「リィグス」氏は最もひどく平手打をされました。
私は時々、一日本兵が、若干の支那人を助けたり、又、遊ぶ為に支群人の赤子を拾ひ上げて居るのを目撃しました。 日本兵が一人ならず、戦争は嫌だ本国に帰還したいと私共に語りました。
日本大使館員が親切で、私共を救ひ出さうとしましたが、彼等は無力でありました。
而して良心的な日本兵は極く少く、全然有るか無いかです。

-1月3日-
-私は若干の日本兵によって為された善行を報告せねばなりません。
最近七、八名の大変に立派な日本兵が病院を訪問しました。私共は彼等に病人に与へる食物の欠乏を語りました。今日、彼等は若干の牛肉を附けて一〇〇斤の豆を持って来ました。我々は1箇月も病院で肉なんか食べなかったので、此等の贈物は大いに歓迎されました。彼等は我々に他に何んなものが欲しいかと尋ねました。 
然し毎日毎日、気持の悪い報告の連続です。

-1月8日-
四、五名の新聞記者が収容所の入口へ来て菓子や林檎を配給し、避難民へ若干の金銭を手渡した。そして活動写真が此の親切な行為を映写しました。
同時に日本兵の一団が囲内の裏壁をよぢ登って来て十二人位の女子を強姦しました。これが写されることは少しもありませんでした。-


◆解説

12月29日の、日本軍が礼儀正しいという部分は

「他の者は非常に残忍で、私共を脅迫し殴打したり、平手打等をやりました。「リィグス」氏は最もひどく平手打をされました」

「而して良心的な日本兵は極く少く、全然有るか無いかです」

要は礼儀正しくて親切な人もいましたよ
でも、それはごく僅かでした
あとは乱暴だったってことですね


-1月3日-の日本軍の善行の報告ですが

「私は若干の日本兵によって為された善行を報告せねばなりません」

「然し毎日毎日、気持の悪い報告の連続です」

たくさん日本軍がいて、若干、善行をした人がいた
(当然にも、日本人にも立派な人がいたんでしょう)
そういう愚行を隠して僅かな善行のみを無理矢理報告させられて
「気持ち悪い報告」と言っております


1月8日については
日本軍が収容所で、菓子や林檎を配給し、避難民へ若干の金銭を手渡したところを
従軍記者に撮影させ
その裏ではレイプしてたって話ですね


南京事件の否定派に限らず
歴史事実を捻じ曲げようという者の史料操作は
こんな感じですね

直接、史料や学術書を読みましょう


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元軍人で組織する偕行社ですら
南京事件を認めている

「名誉ある皇軍兵士がそんなことするわけがない」
そう言って、独自調査をした結果
事実であることが分かり、認め、謝罪した
後に横槍が入って
編集者個人の意見とされたが
偕行社の集めた史料は、南京事件に関する研究に必要不可欠なものだ


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◆アメリカ人教師の日記

埋葬記録が虐殺によるものだという、記録そのもの以外で裏付ける史料だと
当時、南京にいたアメリカ人教師の日記があります
そこに色々書かれておりますね
一部紹介しますと

きょう、紅卍字会だけで、一月二三日から三月一九日までに三万二一〇四体の死体を埋葬し、そのうち三分の一は民間人の死体であったという報告が作成された

補足説明しますけど
じゃ~2/3は兵士が戦闘して死んだのかというと
そういう訳ではないのです
まして否定派が言うようなゲリラでもなく
戦意をなくして戦闘をやめ、兵士でもなく市内に逃げ込んだものなどです
そういうものを、裁判なしで問答無用で殺害したので
それも含めて虐殺と言われているのです

そのことは、同じ日記にも書かれており


一月二〇日 木曜日

 中国赤十字会のG氏の話では、彼は、一月一七日、米を手に入れに出かけたさい、漢中路の外側に男の死体が堆く積まれているのを目撃した。付近にいた人たちが言うには、一二月二六日ごろ現場に連行されてきて、機関銃で射殺されたそうだ。登録のさいに、かつて兵士であったことを告白すれば、労務要員として賃金を支払ってもらえるという約束で、おそらく、事実を認めた人たちなのだろう


もう民間人として生活している者を
かつて兵士だと言えば「労務要員として賃金を支払ってもらえる」
と誘い出して、騙して殺したのです
しかし、戦闘後のことですから
城内の生活も大変だったことが予想されます
申し出た者すべてが元兵士だとか、南京防衛戦に参加したという証拠もありません


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◆補足・便衣兵の問題

この問題になると必ず
「便衣兵」なるものが出てきて
ゲリラと戦ったんだから民間人を虐殺していない
民間人にゲリラがまざってたんだから、民間人の死は
便衣兵に側にある
そういうオカルトな意見が出てきますが
そんなまとまった数の便衣兵が南京にいて
日本軍と戦闘したなどという、史料は存在しません

まったく0だとは私も言いませんよ
南京の便衣兵については
南京陥落直後に撃墜された日本軍機の搭乗員の証言など(本になってます)
陥落直後は戦意などなく、ゲリラじゃない
と言ってます

偕行社の戦史史料にも
便衣兵を論拠に否定する側の言うような
抵抗を否定する記述や証言が記載されてます

「便衣兵との戦闘で多数の死傷者がでた」
この主張がそもそもデマなのです


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◆被害者数

>肯定派の中でも有名(?)な30万人説のように突飛なものが

これ、中国の一部が云っているのを
否定派が、大きく取り上げているだけで
歴史学からすれば、全く問題外の俗説ですね

日本にも、そういう極端なことを唱える方がおられるかも知れませんが
やっぱり、学術的ではないですね

殺された被害者数については
現在、分かっているのは数万人で
その中でも諸説ありますが(2~4万)
日記で紹介した本の著者である秦郁彦なんかは
4万人くらいと見積もっております

でも、これは分かっている犠牲者数であって
犠牲者数の総数が
現在分かっている数が数万人であって
総数は何人いるかわからない
神様の視点で真実が分かったとして
4万人かも知れないし、15万人かも知れない
そういうことです

現在、推定されている数字は、ミニマムだということです


時間も立っているし
日本は、敗戦が決まった瞬間に
大量の資料を焼却しているので
そして、戦争の混乱も現地でもありましたから
正確は犠牲者数は、この先も
よほどの新資料でも発見されない限り
分からないでしょう


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学術の成果を無視した
ペテンな否定論が出てくるかというと
以下のような流れなんだよね

今の経済は、構造上
右肩上がりに成長を続けないと壊れちゃう

成長するためには、常に右肩上がりに利益を上げないといけないが
そのためには、商品を売りまくらないといけない

だけど、市場のキャパには限界があるので
これ以上、売り続けることは出来ない

そこで、利益を上げるためには
人件費を削ることを思いつくわけだ
だけど、人は生きるために働くわけだから
働く者を守る法律がある

人件費を削るには、そういう法律、もっというと人権が邪魔になる
【転記】自殺や貧困は政財界による人災

そこで!
「愛国心」を利用するわけだ
そのためには、日本は美しい国で
何も悪いことはしてないと、嘘をつかないといけなくなる

歴史事実の否定は、愛国心を悪用した人権侵害と結びついているわけだ


そのために、ありもしない有事
【転記】日本がどこかの国に侵略される可能性は絶対にない
を煽った憲法9条や

これまた嘘の「押し付け憲法論」
【転記】改憲の必要性はどこにもない
による改憲だ

なにを改憲するかというと
「国民の義務」という抽象的な文言を織り込むことによって
いかようにも人権を侵害できるようにする
「(お国のために)がんばろうチームジャパン!」ってことだね

お国のためなんだから、国民の義務なんだから
ちょっと頑張って(無理して)
身を粉にして働きなさいよってこと

でも、その上がりは既得権を持つ側が全部受け取り
見返りはない
見返りはないが、お国の役に立ったんだからと
搾取をごまかしたいんだよね


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【転記】みんなどうやって生きていくのだろう?


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参考になるサイト
南京事件-日中戦争 小さな資料集/ゆうのページ yu's page
ja2047 memorial @wiki 第2部 足跡
南京事件FAQ
南京事件の真実
Apes! Not Monkeys! はてな別館

参照
【転記】韓国併合・合法論を斬る! 第一部 ~日記に現れた合法論者の反論を中心に~
【転記】韓国併合・合法論を斬る! 第二部 ~力を背景にして強制された調印の実態~
【転記】韓国併合・合法論を斬る! 第三部 ~日本は韓国支配で大損をこいた?~

【転記】「日本が侵略戦争しなければ、外国の植民地にされた」諭を斬る

【転記】証言を歴史学はどう扱うのか
【転記】歴史学における数の意味・出し方

【転記】今の時代の感覚で、歴史を観てはいけない?

【転記】財界が格差政策を進める理由~今の政治経済の流れ