【転記】韓国併合・合法論を斬る! 第二部 ~力を背景にして強制された調印の実態~ | 矯正知力〇.六

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メモ的ブログ

以下、mixiの猫王さんの日記より転記。

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(日本の犯罪性は、第二部に詳細に解説してあります)

『日本側の史料だけを見ても侵略は明らかだ!』

『韓国併合・合法論を斬る!』 第二部
~力を背景にして強制された調印の実態~


■はじめに

①なぜ「第二次日韓協約」を扱うのか

今回は、「第二次日韓協約」の調印がどのようにして行われたのか
それを書いていきます

韓国併合を諭じるのに、なぜこの協約を扱うかについては
前回も述べましたが、もう一度、簡単に触れておきます

この協約は、武力で脅しながら強制的に
韓国の主権(外交権、韓国独立の地位)を奪ったものでした
韓国併合の起点となったことから
併合は合法か否かを問う論議において、中心となるモノなのです

それゆえに
日本と韓国、朝鮮それぞれとの歴史問題での交渉の場でも
いちばん中心になるテーマなのです


②今回の日記を書くにあたって

必ず、「左翼学者の論文はバイアスが掛かっているから」などと
ネトウヨから反論がきます
今回に限らず、いつもそれを最初から想定して
私は、左翼系のモノは使いません
国の正式な文書(資料や史料)を中心にしております

今回も、韓国側の歴史史料は一切使わず
日本の公式文書、当時の交渉に当った日本側の史料のみを扱います(※ココ重要)

歴史学の見解、定説、学術意見を利用する場合も
嫌韓者が、韓国人や彼らのいう反日者とディベートするときの模範解答集を出しているのですが
そういう連中が、合法論としてお勧めしている本を書いている
海野福寿先生の本のみを扱います
(要はネトウヨ側に言い訳させない為の、徹底的な配慮です)


■第二次日韓協約、調印までの過程

調印までの過程を、日本側の史料を通じて
追っていきます


◆外交交渉、調印交渉についての問題点

◇伊藤には外交交渉の権限がなかった

交渉を担当した日本側の全権は
林権助です(特命全権公使)

伊藤博文の身分は、勅使でした
天皇の意を伝える役目のことで、交渉する権限はなかったのです
外交上の正式代表としての資格はありませんでした(この一文は、上述の海野氏による)

日本は、一九〇五年一〇月二七日の閣議において
基本方針を定め、条約交渉全権に林権助を任命することを決めました
それを受けて十一月一日、天皇は伊藤に勅使を命じました

権限のない伊藤が、協約締結の交渉の場において
主導的役割を果たしたのです
そもそも、ここからして「合法」という意見に
疑問が生じます


◇そもそも交渉ですらなかった

これは最初から韓国側の意思を無視しており
最初に結論ありきの交渉でした

この協約締結交渉に望む日本側の目的は
日本が韓国を支配することを、宣言するための場であり
交渉という形式を取ることによって
諸外国の干渉を避けるのが狙いで行われた
外交交渉にすぎなかったのです

上述した内容を繰り返しますが
一九〇五年一〇月二七日の閣議で
協約締結に向けての基本方針が決定されました

その中の項目には、以下のような文がありました
「到底韓国政府の同意を得る見込なき時は、最後の手段として
一方韓国に向ては保護権を確立したる旨を通告」

これは、韓国政府の同意がえられない場合
一方的に韓国に対して※保護権設定を通告するという意味です
これに続いて、これを列強に事情説明を行うというものが続きました
(海野福寿による)


※「保護国」とは?

ある国を侵略し、武力占拠や植民地支配するときに
帝国主義国側の言い訳として使われた言葉です

古くから使われてきた「保護国」という言葉があったのですが
帝国主義国がそれを利用しただけで
歴史学、学術の場では、前者と後者を区別しております

もちろんこれも海野先生(以下略)


◆伊藤と、韓国皇帝高宗とのやりとり

協約締結のため、まず最初に漢城に入った伊藤は
韓国皇帝に謁見します
そこでのやり取りを、日本政府の正式な外交記録である
『日本外交文書』の「伊藤大使内謁見始末」から見てみます

皇帝は終始外交権の委譲、すなわち独立国家の地位を失うことを拒んだ(海野)

拒む皇帝高宗に対し伊藤は
「最早寸毫も変通の余地なき確定案」といいます

要は
日本が韓国の外交権を奪い、韓国は独立の地位を失うことは
既に決定済みであって、寸分も変わらないと
伊藤は言ったのです


更に伊藤は、次ぎのように高宗に言い放ちます
「之を御承諾あるとも、又或は御拒みあるとも勝手たりと雖も、
若し御拒み相成らんか、帝国政府は已に決心する所あり、
其結果は果たして那辺に達すべきか」

拒むと、韓国はもっと「困難な状況」に陥ることになるぞ
「覚悟されたい」、「日本にはその決心がある」と
伊藤は高宗を威嚇したのです

高宗は、なおも「一般人民の意向をも察するの要あり」と抵抗しますが
「定めて是れ人民を煽動し、日本の提案に反抗を試みんととの御思召と推せらる」
と語気を荒げ、高宗が動揺したのを期に
韓国の外部大臣に、協議を取りまとめるよう要請しました


◆開かれた御前会議

◇最初の御前会議

『日本外交文書』第三八巻一冊「奉使記事摘要」の第四号「日韓新協約調印始末」
これによると
「参政(※)始め各大臣の意見は終に之を拒否するに決定したり」とあります

皇帝をはじめ、大臣みんなが会議で反対しました
そのことを全権の林権助は
不法であるけれど、事実上の責任者の伊藤に報告します

これを聞いて、反対のまま内閣総辞職を恐れた伊藤と林は
交渉不能の事態に陥ることを恐れ
いっきょに調印を強行することを決意し「君臣間最後の議を一決する」ため
更なる御前会議の開催を要求しました


◆軍隊による脅迫のもと開かれた御前会議

調印当日(正確には調印は深夜零字を越えているので前日)の朝
伊藤は長谷川司令官(大将)と佐藤憲兵隊長をともなって参内し
御前会議の再開を求めました

皇帝が病気を理由に出席を拒絶したので
閣議の形式で会議を強引に開かせます


◇日本の外交ルール違反

再開された御前会議に、林全権、伊藤、長谷川大将、佐藤隊長は出席します

韓国が、日本の申し出た協約を受けるどうかを決める会議に
外国の使者が、武官をともなって出席することは
異例のことで、ルール違反です


◆力によって脅迫した状況を、日本側史料からみる

◇城内外での威圧

●『朝鮮最近史』(戸叶薫雄・楢崎観一 一九一二年刊)

「日本警察官のみにては全市の安寧秩序を保持する能はざる状態に陥りたるを以って、
日本憲兵の増員を行い、且つ竜山に駐屯する日本騎兵の一部を
入城せしめて厳重なる警戒を加へ、
満都の人心為めに戦々競々たりき」

京城内に、日本軍が満ちあふれていました
全市の秩序を守るため、警察だけでは足りないので
憲兵時兵を増員したとあり
合法論者は、これを「韓国過激派から会議を守るため」と言いますが
「満都の人心為めに戦々競々たりき」
合法論者は、都合よくこういう一文を無視するのは常套手段ですねw

この日と翌日、日本の歩兵一大隊、砲兵中隊、騎兵連帯が
王宮まえや目抜き通りで
演習と称して示威をおこない
日本兵が騒然とする市中を巡回し、市民を脅かしました


城内の情景については

「満場水を撒きたるが如く静まり返り、伊藤大使(本当は大使じゃない)、
長谷川大将(脅迫のため、会議に軍人を入れた)は厳然として各大臣の前に立り。
時夜既に深うして万○音を秘め、○に護衛兵士の剣○○々たるを聞くのみ」

会議を開いている宮中の中にまで、日本軍が銃剣を持って入り込み
直接的な脅迫をしていたってことです
○は、漢字が変換できず


●『わが七十年を語る』(林権助、一九三五年刊)

※林権助は、先にも述べましたが、この交渉の最高責任者で全権です
当然、交渉の席にいました

これには、先に『朝鮮最近史』で書かれていた
なぜ交渉の席に長谷川大将がいたのか、宮中に日本軍がいたのか
その理由が書かれています

「用慎のために憲兵か何かを予め手配しておいて、
途中で逃げ出さぬやうに監視して貰ひたい。
勿論、名目が護衛といふ形をとる」

調印を拒んで韓国の大臣が逃げないよう
軍隊が監視するよう長谷川大将に頼みます

伊藤が結論をせかし、「席上は委譲な緊張を示してゐる」


●『韓末外交秘話』(西四辻公堯、一九三〇年孔版)

※西四辻公堯は陸軍大佐で、伊藤の幕僚として現場に居ました

「吉報を待ちあぐんで居た二人侍ならぬ伊藤侯と長谷川大将は~(中略)~
小山憲兵隊長以下多数の憲兵を引具して午後一時と云ふに馬車を飛ばして
王宮へどっどばかりに乗り込んだ。」

乗り込んで伊藤は、長谷川大将や小山憲兵隊長と憲兵を背後にし
その圧力をもって、大臣たちに早急に決議を取ることを求め
伊藤自ら、大臣一人ひとりに賛成か否かを問い
強引に議決させます

「韓圭○参政大臣は泣き相になって絶対に反対だと云った
『然うか』と伊藤侯は韓圭○と書いた上に×をつける。」

次ぎの、先の会議で反対だった林斉純大臣が色々と意見を言うのに対し
伊藤は、「絶対反対ではないから賛成の部にいれられて○印」
と、賛否を言う前に強引に賛成にしてしまいます

その後、もう一人の大臣が反対したので×をつけたあと
「種々条件や文句があったが結局全部賛成で○印で」と
もう一人が賛成するには条件や文句を言ったが
これまた伊藤、条件や意見を無視して全面賛成にしてしまいます

こうやって、強引に決議を取り、会議は賛成と意を決したとし
伊藤は韓参政大臣に、皇帝の裁可を求めるよう促し、拒否するのであれば
「予は我天皇陛下の使命を奉じて此任に膺る。
諸君に愚弄されて黙するものにあらず」と恫喝しました

「突然韓参政大臣が声を揚げ哀号しだし遂に別室に連れ出された」と
強引に連れていき
「余り駄々を捏ねる様だったら殺ってしまへ」と
直接的に脅迫の言葉を発します

しばらくして韓参政大臣が姿をみせないので
大臣たちがいぶかるのを見て伊藤は
「殺ッタダロウ」と言います

伊藤のこのような憲兵に対する
暴力的な指示は、列席の閣僚中には日本語が分かるものが2~3人いたので
それぞれが隣の大臣にその意味を伝えたので
調印は難なく終わったと
西四辻公堯は書き記しています


◆調印へ

この御前会議の後、この協約は調印さるのですが
そこでも色々と問題が起るのです

ここに関しては、韓国側の史料に頼るところが大きいのと
調印協約文書への調印が、韓国の国印と皇帝の署名がが偽モノか本物か
印鑑に関しては、偽モノであっても、印鑑がなくても
当時の慣習では必要なくてもよい
署名が偽モノでも、元首の署名は必要ない
そういう意見もあり、日韓双方で決着がついていないモノあるので
省きました


◆まとめ

このように、日本側の史料をみただけでも
日本が直接的な力による脅迫をもってして、協約調印にこぎつけたことは明らかです

市内には軍隊が市内警備と軍事演習という名目で、脅しました
軍事演習をわざわざ韓国の主権を奪う会議の当日
そのすぐ側で行う必要なんてありませんよね

警備であれ、軍がそこに居たという時点で
脅しは成立しているでしょう


宮中にも、憲兵が入り込みます
韓国側の会議にも、軍人とともに日本側は乗り込み
力を背景に、会議を牛耳ります

会議が進まぬのをみて
伊藤は大臣一人ひとりに賛成・反対を聞き
反対と取れる意見を、強引に賛成と決めつけたり
本音は前日の監獄側だけの会議では全員反対だった
反対意見を持つ大臣が、なんとか譲歩させようと意見をいってるところを
「反対じゃないから賛成」として
強引に、賛成の決議がなったとしてしまいます

皇帝の裁可が必要なので、その任を担う大臣が
泣いて反対するのを強引に連れ出し
韓国側に聞こえ、ちゃんと意味が伝わるのを分かった上で
「駄々をこねるなら殺せ」と言い
強引に賛成の決議がなったとする伊藤に、意見を言わせなくしてしまい
とうとう、調印にこぎつけます

その調印も、十分に問題はあるのですが


先にも同様のことを述べましたが

・史料の、私が入手できずに読むことの出来なかった部分
・史料解釈
・学説や当時の慣習の解釈など

これらは、併合は形式的には合法だったと主張する
嫌韓勢力(ネトウヨじゃなくて大元ね)お勧めの歴史学者、海野福寿先生の意見に拠りました


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【転記】韓国併合・合法論を斬る! 第一部 ~日記に現れた合法論者の反論を中心に~
【転記】韓国併合・合法論を斬る! 第三部 ~日本は韓国支配で大損をこいた?~

【転記】「日本が侵略戦争しなければ、外国の植民地にされた」諭を斬る
日本の植民地支配・史料集

【転記】「朝鮮半島植民地化は問題無かったんだ!」と正当化する詭弁の例


【転記】今の時代の感覚で、歴史を観てはいけない?
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