■大江さん「主張読み取ってくれた」元少佐側は「控訴審ある」
(読売新聞 - 03月28日 15:37)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=445193&media_id=20
自決を軍が命じたという公文書は、ちゃんと存在しますよ
もうほんっといつもいつも
否定派は嘘ばかり言いますね!
◆歩兵第77師団による「慶良間列島作戦報告書」 1945年4月3日付
この作戦報告書には
約100名の民間人を捕らえていることが記されており
「尋問された民間人たちは、3月21日に、日本兵が、
慶留間の島民に対して、山中に隠れ、米軍が上陸してきたときには
自決せよと命じたとくりかえし語っている」
と書かれている
この日本兵は複数形で、何人かの日本人が何度か命令したことが伺える
◆同師団の別の作戦報告
これには、座間味島での状況が記されおり
「一部の民間人は艦砲射撃や空襲によって傷ついたものだが、
治療した負傷者の多くは自ら傷つけたものである。
明らかに、民間人たちは捕らわれないために自決するように指導されていた」
と記述されている
◆軍政府分遣隊の「作戦報告」 4月1日付
一人の女性は砲弾(訳者注-手りゅう弾か?)の破片によって
首に深い傷が口をあいていた。
ジョン・マッカートニー軍医大尉が最初に治療したのは、
父親の手によって殺されようとして、
あるいは自殺しようとして首を切られた母親と赤ん坊であった。
殺人あるいは自殺を試みた―そして実際に死んでしまった―ケースは
たくさんあり、そうした行為は、日本の宣伝、
つまりアメリカ軍は殺人者であり、
男たちは殺し女は強かんすると教え込んでいた宣伝に
従ったものであることが、すぐにわかった」
と書いてある
軍の自決命令は、戦後創作などという意見があるが
これらをみると、戦時中からあった話なんだよね
※ここまでの内容は
「沖縄タイムス」の2006年10月11日付の
林博史氏の文章を参考にしています
◆軍の命令は、遺族年金を受給するためについた嘘?
戦傷病者戦没者遺族等援護法による遺族年金の受給は
戦闘死傷者者という地位を獲得すればよく
軍の自決命令の有無や軍属かどうかは,直接は関係ないそうです
これは、こちらから引用
http://www.geocities.jp/torikai007/1945/kerama.html
もひとつ、面白いブログあったので紹介します
http://d.hatena.ne.jp/dj19/20080328
「あれ?捏造してたのはこっち?」
と、ネトウヨが慌ててるAAには笑った
判決要旨
1 「沖縄ノート」は座間味島と渡嘉敷島の元守備隊長を原告梅澤及び赤松大尉だと明示していないが、引用された文献、新聞報道などで同定は可能であり、本件各書籍の各記載は、原告梅澤及び赤松大尉が残忍な集団自決を命じた者だとしているから原告梅澤及び赤松大尉の社会的評価を低下させる。
2 「太平洋戦争」は、太平洋戦争を評価、研究する歴史研究書で、「沖縄ノート」は日本人とは何かを見つめ、戦後民主主義を問い直した書籍であって、原告梅澤及び赤松大尉に関する本件各記述を掲載した本件各書籍は、公共の利害に関する事実に係り、もっぱら公益を図る目的で出版されたと認められる。
3 原告らは、梅澤命令説及び赤松命令説は集団自決について援護法の適用を受けるためのねつ造だと主張するが、複数の誤記があるものの、戦時下の住民の動き、非戦闘員の動きに重点を置く戦記として資料価値を有する「鉄の暴風」、米軍の「慶良間列島作戦報告書」が援護法の適用が意識される以前から存在し、ねつ造の主張には疑問があり、原告らの主張に沿う照屋昇雄の発言は、その経歴等に照らし、また宮村幸延の「証言」と題する書面も、同人が戦時中在村していなかったことや作成経緯に照らして採用できず、「母の遺したもの」によってもねつ造を認めることはできない。
4 座間味島及び渡嘉敷島ではいずれも集団自決に手榴弾が使われたが、多くの体験者が、日本軍の兵士から米軍に捕まりそうになった際の自決用に交付されたと語っていること、沖縄に配備された第32軍が防諜に意を用いており、渡嘉敷島では防衛隊員が身重の妻等の安否を気遣い数回部隊を離れたために敵に通牒するおそれがあるとして処刑されたほか、米軍に庇護された2少年、投降勧告に来た伊江島の男女6名が同様に処刑されたこと、米軍の「慶良間列島作戦報告書」の記載にも日本軍が、住民が捕虜になり、日本軍の情報が漏れることを懸念したことを窺わせること、第1、第3戦隊の装備から手榴弾は極めて貴重な武器であり、慶良間列島が沖縄本島などと連絡が遮断され、食糧や武器の補給が困難だったこと、沖縄で集団自決が発生したすべての場所に日本軍が駐屯しており、日本軍が駐屯していなかった前島では集団自決が発生しなかったことなどの事実を踏まえると、集団自決については日本軍が深くかかわったと認められ、島で原告梅澤及び赤松大尉を頂点とする上意下達の組織であったことからすると、それぞれの島における集団自決に原告梅澤及び赤松大尉が関与したことは十分に推認できるけれども、自決命令の伝達経路などが判然としないため、本件各書籍に記載された通りの自決命令それ自体まで認定することには躊躇を禁じ得ない。
原告梅澤及び赤松大尉が集団自決に関与したものと推認できることに加え、2005年度までの教科書検定の対応、集団自決に関する学説の状況、判示した諸文献の存在とそれらに対する信用性についての認定及び判断、家永三郎及び被告大江の取材状況等を踏まえると、原告梅澤及び赤松大尉が本件各書籍記載の内容の自決命令を発したことを直ちに真実であると断定できないとしても、その事実については合理的資料もしくは根拠があると評価できるから、本件各書籍発行時に、家永三郎及び被告らが本件各記述が真実であるとと信じるについて相当の理由があったものと認めるのが相当であり、それは本訴口頭弁論終結時においても径庭(けいてい)はない。 したがって被告らによる原告梅澤及び赤松大尉への名誉棄損は成立せず、それを前提とする損害賠償はもとより本件各書籍の出版等の差し止め請求も理由がない。
5 「沖縄ノート」は赤松大尉へのかなり強い表現が用いられているが、「沖縄ノート」の主題等に照らして、被告大江が赤松大尉に対する個人攻撃をしたなど意見ないし論評の域を逸脱したとは認められない。
①藤岡氏の主張の、どの部分を正当と思われておられるのか?
この英文史料は、沖縄の集団自決の問題で
軍の強要を示す公文書です
藤岡氏の訳についての注釈についても
軍の強要を否定しているわけではありません
いろいろ証拠のない想像をまじえて、この問題全体を否定しようとしている向きはありますが
英文を自分で解釈しても、どこにもこの問題を否定する要素がありません
おめぇさんがおっしゃるような、反論になっているとは、思えないです
②実際に林氏の著作をお読みになられたでしょうか?
同時に、あの英文を、おめぇさんはどう訳されたのでしょうか?
あの本は、軍の強制、関与でもなんでもいいですが
そういうモノを否定しているわけではありません
逆に、それを肯定するモノです
『「赤松隊長から自決せよという自決命令は出されていないと考えられる」(p.161)という記述』
これだけを切り取って
この軍の強要によって集団自決が起きたことを
否定しようとすることは、詭弁でしかありません
林氏は、このそれを肯定していたからです
再度いいますが、上の英文は
「軍の強要」を示す公文書であって
藤岡氏が指摘するような
赤松隊長の命令自身がどうのという内容ではありません
であるにもかかわらず
赤松隊長が命令を出したかどうかという一点だけにしぼり
この問題全体、本質部分である
「軍の強要によって集団自決は起った」
それを、否定できることにはなりません
これが、藤岡氏らのやる論理のすり替えなのです
おわかりいただたでしょうか?
ここまでは、日記本文に関するところです
③裁判資料には目を通されたでしょうか?
以前、web上で
ほぼ全文、そして資料も含めて公開していたところがあったのですが
残念ながら、消えてしまいました
なので、私もいますぐご紹介できるところがありません
では裁判で、隊長の命令があったのかどうかというところは
裁判所の判決、それに至るまでのやりとりを
実際に資料に目を通されることをお勧めします
こちらの質問にお答えいただきましたら
またこちらも、その内容に即してお答えさせていただきます
要は、おめぇさんがどう思われておられて
何が疑問なのかなど、それが分からないのです
ちなみに、この裁判の最終的な判決は
自決が軍の強要かどうかの事実には、関係ないと思います
それは、この裁判はそういう事実を問うものではなく
ただの名誉毀損の裁判だからです
また、日本の「三権分立」は、事実上崩壊しており
司法は政治に組み敷かれております
時の政府が、過去の日本軍の悪行をなかったことにしたいことは
教科書検定のことでもあきらかです
司法が政治のいいなりである以上、最高裁では必ず原告側が不当判決で勝つでしょう
これまでも度々、そういう裁判がありました
以前、原告側はなぜ?「鉄の暴風」ではなく
大江の「沖縄ノート」を槍玉にあげたのでしょうと訊かれました
それに対するお返事を、字数の関係で次ぎのコメントで書きます
上記の内容を詳しく説明していますので、参照なさってください
- 英文の精査をお願いしていました、米国人の方から
お返事が届きましたので
その結果をお知らせします
住民が「自決しろと言われた」という証言したのを英訳したなら、それは tell になってごく自然だと思います。
そして、この場合の tell には間違いなく強制性があります。
この tell は単なる「言った」ではなく、「~しなさい、~しろ」という意味です。to be told という活用が、「~を告げられる」あるいは「~を命令される」という意味を持ちます。単なる言ったではありません。
「自決しなさいと言われた」あるいは「自決せよと命じられた」という証言が英語に訳されたと推測できます
「ただ単に言った」というのであれば、「say」になります
この場合だと、「said」になるわけです
結論としては「公式に軍命令を受けた」とは訳せませんが、「命じた」と訳すのはごく妥当です。単に「言った」というよりかなり正確な訳だと思います。
正直、この訳に難癖をつけるのは、こじつけでしかありません。
住民の主観的な解釈が、「命令」であったことがはっきりするわけで、あくまで視点は住民側です。ですから、その「住民の語ったこと」に米軍の用語使用が云々というのは、混同ですよね。
米軍が、日本軍の公式命令について述べるとなると command を使うでしょうが、ここでは「こういう証言があった」ということですから、この訳を問題とするのは、中学生レベルのいちゃもんの付け方だというのが正直な印象です(笑)
という解答でした
藤岡信勝氏は、またも翻訳でインチキなことをしていたようです
◆藤岡氏の、英文翻訳の指摘について
これは藤岡氏の得意技である、意図した誤訳だと思います
林氏の訳のほうが正しいです
実際に、裁判での判断でも判決文を見れば明らかなように
林氏を支持していると言えるでしょう
藤岡氏は
『ここで林氏が「命令する」と解釈した単語は tell であって、「order」、「command」、「direct」、「instruct」のいずれでもないことに注意しなければならない』
として、林氏のいうような
『told』を「命じた」と訳すのはおかしいと言います
それが間違いです
和英辞典に掲載されていた例文を引いて、ご説明します
Do as you are told.
これは、日本語では
「命令どおりにしなさい」と、和英辞典では訳しております
「tell」は「命令」と訳すことができるのです
『told』を「命じた」と訳しても、なんらおかしいところはありません
また、そういう説明をしなくとも
Civilians, when interrogated, repeated that Japanese soldiers, on 21 March, had told the civilian population of Geruma to hide in the hills and comiit suicide when the Americans landed
この英文を
藤岡氏のいうような
「尋問された民間人たちは、3月21日に、日本兵が、慶留間の島民に対して、山中に隠れ、米軍が上陸してきたときには自決せよと『言った』とくりかえし語っている」
と訳すのは、中学生の直訳のようで
とてもおかしいのです
林氏のように『命じた』と訳すほうが、原文に適しております
ちなみに、日本で育ったアメリカ人の方で、英語と日本語に精通されてる方に
この英文の精査を依頼いております
また、「自決せよと『言った』」と訳そうが
「自決せよと『命じた』」と訳そうが
日本人兵士が、自決を強要していたということを表現していることには
まったく変わりがありません
- 上のコメントの続きです
この裁判は、軍(梅澤・赤松両隊長)が集団自決命令を出したのか
それを問う裁判だと思っている人が多いようですが
それは間違いです
集団自決命令の史実を問う裁判を装う、ただの名誉毀損の裁判なのです
名誉を傷つけたかどうか、それを争うのに
大江が「沖縄ノート」を書くきっかけになった伝聞
そんな又聞きの話で、「集団自決命令」を軍がだしたと言うのは
出したとされる人への名誉毀損じゃないか
そういう裁判で
伝聞の内容を争う事が、自決命令の有無を問うているように見える
そこが、この裁判の世間の勘違いの元なのです
ひょっとしたらそのことは、大江側も彼の支援の会も
支援の会のHPをみる限りでは、気づいていないのかもしれません
大江の伝聞以降、どんな確実な史料が出て
歴史の真実として「集団自決命令」を軍が出していたとしても
それは裁判では、関係ないのです
裁判の判決を出す思考は、論理学に拠ります
論理学では、推論が原告と被告のどちらがより論理的であるか
それで判決が決まるのです
沖縄の当事者から取材して聞いた記者に
「集団自決命令」の話を聞いた
要は伝聞です
その程度のことで、命令を出したとされる隊長が
本当に命令をだしたかのように、本に書いていいのか
そんなあやふやな事で原告に不利益な事を書くなんて
名誉毀損じゃないか!
そういう事です
「鉄の暴風」の方は、記者が直接、当事者に取材して書かれた物です
こちらで名誉毀損で訴えると
「集団自決命令」そのものがあったかどうかを問うことになります
インタビューで得た証言という、自決命令の証拠を争うことになるので!
こっちで訴えたら、負けちゃうかも知れない
集団自決は軍の強要に拠ることは事実ですから!
だから、裁判上ではなく本当の原告である「作る会」系の人たちは
「鉄の暴風」には触れないで
名誉毀損で勝てそうな「沖縄ノート」を選んだんです
名誉毀損で勝っておいて、さも「集団自決命令」が裁判で否定されたかの
ように喧伝するのが、歴史修正主義者たちの目的なのです
この裁判で大江が十中八九、負けるでしょうが
南京大虐殺や慰安婦問題と同じように
「集団自決命令」はでっちあげと、嘘を大声でいいまくる彼らの主張が
若い人たちに真実だと受け入れられるでしょう
大江は腹を切らねばならないかもしれません
少しだけ大江を弁護します
彼はあくまでも文学者であって
ジャーナリストでも歴史家でもありません
文学者の感性で、物事を感じ取り、それを文章にします
彼を軽率だというのは、結果論でしかありません
-
-
- 砲兵隊が尋問したって、どこから出てきたんですか?
また、彼らが民間人と接触する機会がないというのは
ありえないでしょ
沖縄戦の状況は、ぱっとわかる範囲ではこちらが詳しいです
http://www.yomitan.jp/sonsi/
http://www.geocities.jp/torikai007/1945/kerama.html
上の方は、史料も一部みれます
林氏の扱っている史料は、米軍の公文書(一次史料)であること
ちなみに、史料は一次だからただしい、二次だから信憑性が落ちる
そういうことはありません
それを誤解されてる方がおられます
だから、米軍の公文書が、必ず正しいと言えないことは確かです
じゃ~どうすれば歴史の真実を見極めることができるのか
以下に、歴史学の手法を紹介いたします
林氏の主張が、歴史学において正しいと受け入れられるのは
そういう手法によります
また
>林教授の発見した資料を本当にあると断定されたのですか?
これはどこかの「作る会」や小林よしのりの影響を受けた人に言われたのでしょうが
とんでもないデマですよ
彼らは、都合の悪いものは、すぐなかったことにします
実際に私がどういう理由で史料が存在するか、ここで言っても納得できないでしょう
戦争責任資料センターや、林氏に
メールでもなんでも、直接聞いてみるといいですよ
またね、外国の公文書を、勝手に捏造したら
それこそ外交問題ですよ!
学者としても、評価さえなくなって
やめていかざるをえないでしょう
-
-
-
- 『歴史事実の認定の方法』
~一般論と従軍慰安婦について~
◆書や証言などの史料をどうみるか
≫ひとつの証拠品、書や証言で何がわかるか
~単体の場合~
まずそれ単体で、何かが分かるということはまずありえません
その書や史料の「裏を取れ」などと言う人もいますが
それは科学の方法では普通は無理です
心霊術を用いると可能なのかも知れませんが
私はそれを心得ておりませんし、それを信用もしておりません
歴史学がその研究の対象にするものは、当然に過去の出来事です
それをいま現在の刑事事件のように
目撃者や関係する人の証拠を得る事は、不可能に近いからです
それは書物でも同じで
そこに書かれている事象について、その書だけを読んでも
記してあるものが主観によるものなのか
客観的事実なのか、判断する材料がありません
その裏付けをとろうにも、当時の人はもう生きていないか
立証できるほどの証人も生存している事はほぼ稀であります
まずここまでで分かることは、一つの書や証言が
本当の事を表現しているかもしれないし、間違いかもしれない
ということです
そして、そのひとつの史料だけで、その裏を取ることも不可能です
TVなどでお宝が本物かどうか、鑑定する「鑑定人」なる専門家が登場します
番組をみていると、その書や絵画、骨董品など単体をみて
真贋のジャッジを下します
「先ほど単体では真贋ジャッジは不可能と言ったじゃないか!」
と思われる方もいるでしょう
実は、その専門家の真贋に用いた手法は、単体だけをみて判断しているのではありません
次ぎに、彼らがどういった方法を用いたのか、説明しましょう
≫TVの専門家の真贋ジャッジの方法
豊臣秀吉の発給した書が出てきたとします
それ単体だけを見ると、当然にも真贋はこれまで述べたようにわかりません
過去に置いて、すでに豊臣秀吉の書について論証され
どういうものが真であるかの基準が設けられたからです
その基準に照らし合わせることで、真贋の判定が下せるのです
「当たり前の事を言うな」とおっしゃる方もいるでしょうが
回りくどくとも、踏まなければならない手順なので、ご容赦ください
ではその真贋を見極める基準はどうやって設けられるのか
ここからが本題に入ります
◆真贋を見極める歴史学的手法
豊臣秀吉の書が、本物かどうかを見極めるのに
花押(判子のようなもの)が本物かどうかという事が挙げられます
それだけじゃないけれど、わかりやすくするために
それだけをココでは取り上げます
出てきた書に押された花押が本物かどうか、それを鑑定することは不可能です
詳しい説明はいらない自明の事でしょう
ではどうするのか?
同様の書を多く見比べてみるのです
秀吉から伊達政宗に下された書
同様に、家康に、石田三成に
そういう書を並べて、花押のかたちを見比べるのです
かたちが一致すれば、その花押は秀吉のものであり
それが押してある書は秀吉のものと推定してよいとなるわけです
桃山時代の「多門院日記」、「山科卿日記」など
さまざまな資料がありますが
それらの記述の共通している部分も
上で花押の例えで説明したように、歴史事実と推定できます
これが歴史学の資料判定の手法です
もちろん、示し合わせて家康や政宗、三成などが
架空の人物をでっちあげようとして
共同して偽書をつくった可能性はあります
だから推定止まりでしかないのですが
そんな可能性はほとんどないでしょう
0に限りなく近いけれど、可能性があるからといって全体を否定する事は
論理学のようで論理学でありません
論理学でないということは、その理論が理屈の上で、破綻しているということです
話はそれますが、進化論なども、大雑把にいって歴史と同じです
決定的な証拠がでることは、まず不可能です
客観的事実を丹念に拾い上げ、比較検討し
その結果、事実を推定するのです
ここで、従軍慰安婦の問題に話を移しましょう
-
-
- ◆従軍慰安婦の史料
書や証言、公文書といった史料について
上述した歴史学の一般的な事実認定の手法に基づいてみることにします
≫公文書
まず公文書については、説明することはありません
これを疑う人も、私のブログに来るお客さんでいましたが
問題外です
古い時代のものであれば、その真贋を見極めるのに
印などを検証しないといけませんが
国が直接、関連省庁において保管していたものは
疑いようがないのです
これを否定すれば、世界中の歴史文書、事実が否定されます
合理的な考えとは言えません
その存在を論証しろという主張は論理的ではなく
疑うなら逆に、なぜ偽者なのかを証明しないといけません
ココに、この問題で私と論争している相手の方の間違いがあります
≫日記などの書と証言について
これについては同じ論理で説明できますので、一緒にしてご説明します
はじめの方で述べたように
「ひとつの書」、「ひとつの証言」
それを取り上げて
それらのの真偽を、見極めることが不可能です
ココで分かることは、それが本当かも知れないし、嘘かもしれない
という事です
そこで、既に紹介した歴史という科学の手法に則って
書や証言を集めてみるのです
慰安婦の強制連行が伺える書や証言(もちろん史料)は、たくさんあります
・まずされた側
・日本軍兵士や軍属の側
両方からあります
日本軍兵士の書や証言は
何も「慰安婦という悪行を訴えてやる!」と正義に燃えてという
ものばかりではありません
その記述には、明らかに日本以外のアジアに対する蔑視の表現が記載され
慰安婦についても、悪く思ってないモノもあります
書かれた時期も場所も違います
・陣中日誌のように、リアルタイムのモノ
・終戦後、兵隊さんの同窓会的組織の会誌で書かれたモノ
・この問題が顕著になって、重い腰を上げて書かれたモノ
慰安婦問題に悪く思ってない者も含めて
証言や書を残した人が、時代を越えて「示し合せて」
慰安婦の存在や強制を示す書を書いたり証言することは不可能です
こういった事から、「従軍慰安婦」や、その「強制」が
あったとする事は、合理的なのです
この事は同時に、上で花押の論証の例で挙げたのと同じく
慰安婦関連の証言や書といった史料の論証にもなるのです
(それだけが論証する方法のすべてではないけどね)
こうやって概ね、歴史の事実をあらわしているとみなされた
書や証言を疑うなら
「論証しろ」という主張は、論理的、歴史学、科学のなんでもいいですが
それらに当てはまるものではない事がおわかりでしょう
どうしても主張されたいのなら
逆に、書や証言が嘘だと証明しなければなりません
余談
≫余談その①
私同様、一般のお茶の間の人を対象にして書いたので
できるだけ誰にでもわかるように心がけました
そのため、一般論を主にしたので、大雑把な部分もあるかも知れないです
特殊な事例があるからと言って、ここで紹介する歴史的手法が
間違っているわけではありませんし
一般論からはずれる細かい特殊な事例について詳しくお知りになりたい方は
学術書などを参考にしてください
また、ご質問してくださっても結構です
その場合は、力の及ぶ限りお答えしますが
歴史の研究を生業としているわけではないので
ご希望にそえない事もあるかも知れません
これは
過去に、従軍慰安婦問題のときに
証言がどのような場合、史料となるのか
また、歴史学はどのようにして、歴史事実を認定するのか
それを紹介したものです
-
-
- 参考までに
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-17785-storytopic-1.html
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-101373-storytopic-86.html
こちらなんかは、論争中心の記述で
おもしろいですよ
http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/
http://ni0615.iza.ne.jp/blog/folder/59718/
-
-
- 上で歴史学における、事実認定の方法について紹介しました
それに即してみるなら
林氏のとりあげる資料は、つじつまがあうのですよ
たくさんある証言や史料と、内容は概ね合致するわけです
だから、歴史学で事実だと認められるのです
それは林氏の史料や論文だけでなく
「沖縄の集団自決は、軍に強要に拠るんだ」
そういうことが歴史事実として認められるのです
裁判での梅澤氏の証言も、軍の関与を
一切を否定しておりますが
証言内容は、矛盾しております
それに限らず、否定派の否定理由
まともなものがあるのでしょうか?
歴史事実は、歴史という科学の手法によって
事実を認定されるのです
自然科学が、何かの事実を認定するときには
自然科学の方法を用いて、それを認定するのと一緒です
否定派の方で、ちゃんとした科学的手法で
否定の理由を提示したものは
これまでみたことがありません
曽野綾子など、主な否定派の意見は
ことごとく嘘がばれております
以下、彼女について書かれたものを
紹介いたします
-
- 曽野綾子の取材したという嘘
なお、曽野綾子がその著書「ある神話の背景」で、渡嘉敷島での住民へ取材をした際には、富山真順には話を聞いていないことが、1990年代の家永教科書裁判での証人尋問で明らかになっている。曽野綾子は島に10日程度滞在した取材を元に住民への自決命令は確認できないと書いたが、最も重要な人物には取材していないことになる。
しではら氏の参考になる言葉
死んでいった者たちへの敬意の名の下に、彼らはなぜ死ななければならなかったのか、その「理由」をぼやかそうとする下衆共こそ、最も死者を冒涜しているという明白な事実である。
歴史的事実を、現在の日常感覚から類推する者は愚かである。
例)集団自決は戦時に特有の異常な集団心理から生じた。
例2)日本人が○○○○のような残虐なことをするはずがない。
我々は、太平洋戦争において米国が行った民間人虐殺を決して赦すべきではない。
と同時に、他民族がやりそうなことは、程度の差こそあれ概して我々もやるのである。
それが歴史の教訓である。
ゴーマニズム以降、イナゴの如く増殖したウヨの多くは人格障害者です。脳の機能の一部(共感能力、他者への想像力など)が確実に欠損しています。
沖縄に関する書き込みを見て確信しました。
赤松隊の住民殺害
戦闘が終わった伊江島から渡嘉敷島へ移住させられた「住民」の中から 米軍に選ばれた青年男女(女性数人含む)6名が 赤松隊への投降勧告の使者として派遣されたが
赤松隊長はこれを拒絶して使者を全員処刑。
集団自決の時、負傷して米軍に収容され
死を免れた16歳の少年2名(小峰武則、金城幸二郎)は
避難中の住民に下山を勧告しに行き、途中で赤松隊に捕まって射殺。
渡嘉敷国民学校訓導(大城徳安、召集隊)は 妻子を心配して自宅に数度帰るが これを、スパイの恐れがあるとみて斬殺。
8月15日、終戦を知らせに 米軍からの使者4名(新垣重吉、古波蔵利雄、与那峰徳、大城牛)が 投降勧告に行き、赤松隊に捕えられる事を恐れて 勧告文を木の枝に結んで帰ろうとしたが 内2名は赤松隊に捕まって射殺。
***************************************************
- 曽野綾子の本にもハッキリ書いてあること。
赤松部隊は
1.自宅に帰りたい=敵前逃亡で処刑
2.夫がスパイ容疑で処刑された=妻も赤ん坊も処刑(自殺幇助であって処刑ではない)
3.米軍の依頼で投降を呼びかける使者になった学生=利敵行為で処刑(自殺幇助)
4.処刑されたのを見て米軍の投降を呼びかけるビラを置いておこうとした住民=スパイ容疑で処刑
5.爆弾から逃げてきた住民=追い返す。
6.赤松の上官の佐官連中=真っ先に逃亡。
7.手榴弾を住民に配る。
8.朝鮮人軍夫が住民の食料を略奪。山分け。
9.朝鮮人軍夫を多数使用。住民の持ち物を略奪して住民は前線へ送り返す。
隣の島の部隊は住民を巻き込まないように行動した。
もちろん朝鮮人軍夫の略奪行為は厳しく取り締まった。
その結果
赤松部隊のいる島は住民玉砕大量発生。赤松部隊は捕虜になるも朝鮮人軍夫とも良好な関係。
隣の島の部隊は住民を戦闘に巻き込むことなく撤退。捕虜になった後、朝鮮人軍夫にリンチに会う。
住民処刑をひたすら自殺幇助だと主張して擁護した曽野綾子すらも何故朝鮮人軍夫による
報復リンチが赤松部隊だけおこらなかったのか不思議がっているありさま。
赤松部隊の連中は「言葉が分からず意思疎通ができなかったから放置した」などとほざいていたけど。
赤松部隊の連中は恥を知らないのだろう。
****************************************************
曽野綾子が「神話の背景」なる本で、
「軍による自決の命令はなかった」と主張している。
曽野は、あの本の中で、住民が自決する際に手榴弾を使ったことを認めています。
ところが、その手榴弾がどこからもたらされたかについては完全に口をつぐんでいます。
手榴弾なんていう武器を住民が普段から持っているはずもなく、 どう考えたって軍から渡されたとしか考えられないわけですよ。
ところが、なんとしても「軍による自決命令はなかった」という結論を導きたい曽野は、 都合の悪いことにはだんまりを決め込んでいます。
曽野の件の本が出版された後、沖縄の新聞社が詳細な反論を掲載しています。
また、その後に曽野と沖縄の研究者との間で討論会が行われています。
ところが曽野は、曽野討論会でも、「手榴弾の出所」についてまったく答えないどころか、 「(集団自決の問題は)現在の地球的な状況の中では共にとるに足りない小さなことになりかけていると感じる」 などといった逃げ台詞を吐くような始末です。
これ以来、曽野は沖縄に対して逆恨みをするようになりましてね、
沖縄の米軍基地反対運動に対しても、 「あまり基地のことばかり問題にすると一般の人は観光に行きにくくなってしまう」 とか書いて、「観光客が減って収入が減ってしまうぞ」と恫喝しています。
>尋問は師団内の後方部隊が行います。この部隊が尋問内容を口外する事はありません。マル秘部外秘項目ですから。また民間人の収容施設に一般兵士が近付く事も出来ません。
おめぇさんの説明によると
砲兵隊は後方にいるんじゃないですか?
また、沖縄の民間人をたくさん抱えているということは
もうある程度、制圧されているわけですから
どの兵が民間人と触れてもおかしくないわけですよ
その理屈で否定しようとすれば
立証しないといけない点が多すぎて
荒唐無稽に思えます
例えば、日本軍でも戦闘詳報なんてありますよね
それは、どの部隊でも書いてます
大陸では、中国の民間人とどうの、慰安婦とどうの
そういう記述がたくさんあるわけですよ
個人の将校の日記にも、もっと軍事的な内容について書かれていたりします
米軍の多くのの公文書をみてね
たとえば、欧州では、アジアでは、どこそこでは
これと同種の資料がどのように書かれているか
それをみないと
アメリカだけが、この公文書ひとつのみをもって
同師団砲兵隊の報告が虚偽だなんて言えないんですよ
これなんて、直接アメリカの関連機関に聞いてみればいいと思いますよ
おめぇさんのおっしゃることは
想像ではあっても、実証がないのです
砲についての説明のみです
ちょっとこれでは、論証としては難しいと思います
更に言えば
砲兵部隊だけの報告書ではありません
・歩兵第77師団の別の作戦報告
・軍政府分遣隊の4月1日付「作戦報告」
これらもあります
またね、林氏の捏造であるならね
藤岡氏が、喜んでそれを喧伝するじゃないですか(笑)
彼は英文を知っている以上、中身を見ているはずですよ
また、歴史学者が史料の捏造をすれば、歴史学から追放されます
藤岡信勝、西尾幹二、東中野、渡部昇一
彼らは歴史学者じゃないんですよ
歴史においては、一般人と同じだから
言いたい放題なんですよ(笑)
東中野先生にいたっては、宇宙人が乗ったUFOが実在するといかいう
そんな大学の先生です
秦先生は、そういう事実関係に触れて否定していません
歴史学はね、ネトウヨが言うような
みんな「サヨ」じゃないんですよ
実証的な、それに限らず科学を仕事にするものはね
「ウヨ」でも「サヨ」でもどうでも良いのです
科学的、論理的に、淡々と事実を調べていくんです
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- 肝心なことを言うのを忘れてました
米の公文書が、林氏の捏造だなんて
絶対にありえません!
なぜなら、裁判でも争点になっているからです
提出された資料、この場合は米の公文書という史料ですが
それについて、本物かどうか調べられますから!
捏造されたモノであれば、偽証の罪に問われて
立派な犯罪です
英文を、対立者の藤岡氏ですら精査して
裁判で英文訳について争っているのです
捏造はありえません
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- アップがないから捏造
それはどうしても無理があります
また、砲兵部隊や尋問うんぬんの話も
想像でしかありません
実際に、林氏に聞くなりアメリカに聞いてみればいいだけですよ
これがアメリカの公文書になっていること
裁判資料になっていること
それが、この史料が間違いないことを示す証左です
これだけ確かなことであるにも関わらず
疑うのであれば
林氏に素直に疑問をぶつけるメールでも送ってはいかがでしょう?
アメリカにも聞いてみるといいですよ
それをやらずに、想像のみで否定されるのは
理解できません
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- この問題の全貌と、すべての証言を知らないので
正確なことは言えませんが
地域が時期が違うんですよ
スパイの疑いも含めて、日本兵に虐殺されたのは
・一度、アメリカ軍と接触して、戻された日本人
・自決を拒否した人
・逃げ出そうとした人
そういう人たちです
私は存じ上げないんですが
逃亡を企てたりアメリカとの接触をしたりと
そういう、なんの疑いもない状況で
日本兵に、スパイの疑いで殺された
沖縄の日本人はいるのでしょうか?
何もかもいっしょくたにして考えると
よく分からなくなります
軍にとっては、複雑な心理だったのかも知れませんが
軍が自決のために、手榴弾を渡したことは
疑いようのない事実です
いま私がやっている、死刑問題の議論でもなんでもそうですが
結論を決めて、そこから推理すると
しょせんは想像で推理するしかなくなります
偏見なく、結論も定めず
事実から出発して、考えるべきだと思いますよ
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- 本当に捏造だと思うのなら
米領事館でも大使館にでも
電話をして訴えたらいかがでしょう?
捏造が事実ならば
「林博史逮捕」の文字が、産経新聞をはじめ
新聞紙上を賑やわせることでしょう
疑うより、まずは行動です
みんなそうやって、国会図書館に足を運んだり
いろいろしているのです
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- この公文書に関しては、原文は入手しておりませんが
南京事件や従軍慰安婦の問題は
私も含めて、大抵のものは
史料に実際に目を通しております
また、これまで何度も繰り返し述べてきたように
この史料が捏造だという証拠は何もなく
逆に、状況のすべてが本物だと証明しております
・作る会の藤岡氏も原文を入手しているにも関わらず
捏造だ、偽モノだという指摘がないこと
・アメリカの公文書であること
捏造したのであれば、アメリカ政府から必ずクレームがつきます
公文書の偽造・改ざんは、本当に外交問題になりますが
なっておりません
・歴史学者が、史料を捏造すれば、それこそ一発アウトなこと
これをやれば、歴史学や勤め先の大学だけでなく
学問の場から、席を失います
日銀総裁が、インサイダー取引をしていたようなものです
・藤岡氏の唯一の反論(翻訳に関して)が、それこそ捏造だったこと
こういう状況から、このアメリカの公文書が
本物だと断定できます
そうであるのに、捏造じゃないか、原文を見ていないという批判は
道理に適っておりません
歴史学の前提を、知らずか意図して無視なのか
道理をまったく否定するのがネトウヨなのです
納得できないのであれば
アメリカの公文書センターや林氏に気の済むまでやり取りすればいいのですよ
ネトウヨは、そういうことを絶対に行いません
基本的に、公文書は絶対なんですよ
そこに書かれていることが、事実かどうか検証することはまた別の問題で
公文書の存在自体は、疑うことの出来ないものです
特に、今回のようなハッキリした状況証拠(上述したもの)があります
ネトウヨはね
史料がないと嘘をつき
史料を出せば、それが本物なのか、論証したのかなどと
理屈に合わないことを言うのですよ
それが本物かどうか、また検証の仕方を知りもせずです
最後にもう一度繰り返しますが
>資料原文から検証しておられません。皆さん新聞記事の鵜呑みです
これこそ的外れな批判です
藤岡氏のサイトで公開かれていた英文にも
ハッキリと自決を命じられたことが書かれております
この問題を否定したいモノが公表している文面の中にある言葉です
また、重要なことですが
この問題を事実だと捉える私のようなものは
この公文書だけで、そう主張しているのではありません
そういう、理屈のすり替えは関心しません
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- >Aと言う一次資料と、それを基にしたBと言う二次資料があります
これについても、史料や証言について
歴史学ではどう扱うか、上の方で書きましたよね?
携帯からしか見ていないようなので
わからないのかも知れませんが
一次史料だから、事実が決定する
そんなことはないんですよ
一次史料と二次史料、どちらが上か
そういうのは、ないにもかかわらず
ネトウヨはそういうことを言うんですよ
一次史料というなら、当時を体験した人の
沖縄のおじいちゃんやおばあちゃんの証言が
一次史料になります
また、証言はたくさんありますよね
玉石混合です
それからどうやって、歴史事実を見抜くかも
歴史学の手法を、すでに上で書いております
あまりにも、「作る会」などの勝手な理屈に影響されすぎで
歴史学の方法を履き違えておられます
>右でも左でもない、中立な方ですよ?
右ですよ
まあ右というより、エセ右翼の筆頭ですよ
彼を中立というのは、ちょっとさすがに偏った観方と思います
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- この問題はね、裁判資料をご覧になっているからわかっていると思うのですが
まずたくさんの当事者証言(一次史料)があるんですよ
次に、実際に日本軍のいるところでしか、集団自決は起きておりません
最初は、命令したことも認めていましたよね
上の理由で跡で否定されてますけど
遺族年金の受給もあります
そのために命令したということにした
それは嘘であることは、既に紹介しましたよね
当該法をみてもらってもわかります
おめぇさんは、何がなんでも否定したいから
歴史学の手法を無視し
「作る会」なんかが良くいう、一次史料がなければダメだとか
間違った方法を持ちだして
何がなんでもこの歴史事実を否定しようとされているように思えます
まったく、おっしゃるような「白紙」とは思えません
教科書に載ってるような歴史事実とされていることで
一次史料がないものなんて、ざらにありますよ
近年の、従軍慰安婦や南京事件、沖縄の問題なんて
他の時代に比べたら、史料が豊富にあるほうです
小さい規模の戦場でね
口頭で伝えられるような命令や
強要なり強制みたいなものには
古今東西、文書で命令を伝えるなんてことは滅多にないんですよ
小さい規模の戦場で
現場の指揮官が、となりにいる部下にわざわざ文書で命令しますか?
否定論者はね、それがわかっているから
直接的な命令文書がないから「なかったんだ」
そう屁理屈をこねているにすぎないんですよ
実際にこれまで、おめぇさんも含めて
この問題を否定する有力な証拠は一切でてませんよね
否定論者の「否定の理屈」
これまで嘘が暴かれてますよね
なのに、なぜおめぇさんは
そういう否定するのに不都合は一切無視されるのでしょう?
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- 訳文は、まあある意味二次史料ですけど
外国人(この場合は日本人)が、他国の文書史料をどうみるかに置いて
厳密には二次史料といえるかも知れませんが
中身を解釈する以上、翻訳することで意味が違わないかぎり
その区分はどうでも良いことです
この場合、一次史料と二次史料の比較検討とは言わず
訳の検討というのです
で、林氏の訳については
原文を確かにみていないですけど
どこからも、クレームがついてないですよね
対立する藤岡氏からもです
沖縄タイムスに掲載された英文についても
http://www.okinawatimes.co.jp/com/dbinfo.html
ここか、史料センターでみつかるのではないでしょうか?
藤岡氏が英文をみて、問題にされた訳は
藤岡氏の曲解だと理解いただけでますよね?
あとは、原文をみていないのに
それでなぜ正しいといえるのか
事実から出発したといえるのか
そういうことですよね?
公文書というのは、政府の正式な史料ですので
それを否定するのは、米政府がその存在や訳を否定するか
決定的な他の資料(史料でなく)でも出てこない限り
否定しようがないんですよ
沖縄タイムスにも英文が掲載され、藤岡氏もそれを見ているわけですから
私は南京事件や従軍慰安婦問題の、中国側の史料の原文を読んでおりません
訳文を参照しております
だけど、原文を読んでいないから
それが事実に即していると言えるのか
そういう批判は、どこにもありません
私以外に対してもです
なぜなら、史料の正当性とその訳を
誰も否定できないからです
今回の林氏の訳文も
彼が紹介した英文に、誰からもクレームがついておりません
米政府からも、対立する藤岡氏らのグループからも
日本政府からも、歴史学会からもです
そのことが、この公文書とその林氏の訳に問題がないことの証左です
歴史史料は膨大な数があります
その原文に、必ず目を通していない以上
その訳文や現代語訳を信じるのはおかしい
その指摘こそ、理解できません
ある程度の社会的な条件をクリアすれば、信用がおけると言えます
私がこれに従ったところで
事実に即した行動でないというのは、いいがかりにすぎないのではないでしょうか?
この公文書だけが、事実を争うというのなら
また別ですよ
この公文書じたい、どうのこうのではなく
軍の強要による自決があったかどうかが問題なんですよ
さまざまな証言史料を含む、史料により
それがあったことは明白な事実です
これまで、コメント欄でも
なぜそれが言えるか述べてきました
そこで、こういう公文書もあるよということです
この公文書は、歴史事実と符号しておりますよね
この公文書がなくても、この問題は否定できません
ただ、新たな史料が出てきたということです
そういう新史料によって、歴史事実は補完されていきますけどね
原文を必ず目を通さなければ、事実に即した歴史解釈でないといえるのであれば
学生や学者の全員がそうでしょう
誰かの現代語訳や、翻訳物を利用して、解釈をしてますから
学者が学会で発表する論文が
学会の参加者全員が史料の原文を目に通すわけではありません
そこは、客観的な、社会的な評価で信用されるわけです
これまで述べてきたものです
ここまで出所と保持している場所がハッキリしている場合はね
その訳文なりを利用している研究者や私のような者を否定しようとしたら
その原文を実際に否定しないといけないんですよ
それもせずに、原文に目を通していないからという批判は
歴史学のあり方を否定していることになります
問題がすり替わっているんですよ
この問題を考えるときに、公文書だけが問題になっているのであれば
おめぇさんのご指摘も分からなくないですが
この公文書の存在自体は、社会的に認められているのに
みていないから、それを利用してモノを言うのはおかしい
そういう指摘は、いいがかり的なものでしかありません
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