![](https://stat.ameba.jp/user_images/20140703/11/ei-gataro-movie-cradle/86/28/j/o0400056012991818468.jpg?caw=800)
スパイク・ジョーンズ監督、ホアキン・フェニックス、スカーレット・ヨハンソン(声の出演)、エイミー・アダムス、ルーニー・マーラ、オリヴィア・ワイルド、ポーシャ・ダブルデイ出演の『her/世界でひとつの彼女』。2013年作品。PG12。
第86回アカデミー賞脚本賞受賞。
近未来のロサンゼルス。手書き風の手紙の代筆を請け負う会社で働くセオドア(ホアキン・フェニックス)は、別居して1年になる妻のキャサリン(ルーニー・マーラ)から離婚を申し立てられていた。いまだキャサリンが忘れられないセオドアは、孤独を癒そうと人工知能(AI)型OSの“サマンサ”(声:スカーレット・ヨハンソン)を購入する。サマンサは身体を持たないが人間のように学び成長する。校正の手伝いをしたりユーモアを交えて時に彼を励ましもするサマンサにセオドアは次第に惹かれていく。サマンサもセオドアに好意を持ち、やがて“彼女”は愛し合うということ、心と肉体の接触に強く関心を示すようになる。
ネタバレを含みますので、未見のかたはご注意ください。
『かいじゅうたちのいるところ』から4年ぶりになるスパイク・ジョーンズ監督最新作。
以前「たまむすび」で町山さんの解説を聴いていたのと、DVDで観た『ザ・マスター』のホアキン・フェニックスとエイミー・アダムスがまた共演している、ということで興味を持っていました。
同時期に公開されてる作品の中でも、評判はけっこういいようで。
イヤホンの向こうから聴こえてくるAIの声に恋した男の物語。
その人工知能型OS“サマンサ”の声を演じているのは、「アベンジャーズ」のブラック・ウィドウことスカーレット・ヨハンソン。
Wikipediaによれば、撮影現場でサマンサの声を演じていたのはサマンサ・モートンで(エンドクレジットに名前があったから気にはなっていたが)、ポストプロダクション時にスカーレット・ヨハンソンの声に差し替えられたんだとか。
つまり、セオドア役のホアキン・フェニックスは撮影中に実際はサマンサ・モートンと会話していた(顔は合わせていないらしい)、ということ。
スカヨハはこの声の演技でオスカーにノミネートされた。
どういういきさつがあったのかは知らないが、サマンサ・モートンだってオスカーにノミネートされたこともある演技派の女優さんなんだから内心複雑だったかも。
でも、ヨハンソンのハスキーな声は確かにとても魅力的でした。
僕は彼女がサマンサの声を担当してることを知ってて観たので、声の向こうにつねにスカヨハの姿が浮かんでまさしく恋するセオドア気分に。
スカーレット・ヨハンソンの声ってまるで土屋アンナか松嶋尚美みたいなんだけど(とゆーことは、モノマネ芸人の“みかん”はスカヨハの声マネが可能ということだなw)、彼女の喋り方がなんともキュートで。
下ネタもオッケーだし(「もしも脇の下に肛門があったら」という絵を描いたりする)。
声だけで「主人公が彼女に惚れてしまう」というシチュエーションを説得力のあるものにしている見事な演技。
人工知能と恋に落ちる、というアイディア自体は昔からよくあるしとりたてて目新しいものではないんだけど、これってつまりアニメやゲームのキャラ、フィギュアや抱き枕なんかを恋人代わりにするヲタクの話と根本的には同じことだし、あるいはTwitterなどのSNSで見知らぬ人とやりとりするのが日常的になってる人間の話に置き換えることも可能なわけで、「恋愛とはなんぞや」という問いかけ、そして「人と人のつながり」についての考察でもある。
人ならざるモノを描きながら、人について語っている。
相手がAIだろうとなんだろうと、人は「誰かとつながっているという実感」がないと生きていくのが難しい、ということを語ってるんでしょう。
セオドアは劇中でさまざまな女性といろんな形でかかわりあう。
それらは肉体関係を伴うものであったり友情であったりするんだけど、描かれるエピソードはサマンサも含めて全員女性がらみ、というのがわかりやすい。
ちなみに、セオドアがまだサマンサと出会う前にアダルトサイトで知らない相手とテレフォンSEXしようとすると、先方の女性はなぜか「猫の死骸で首を絞めて!」とわけのわからない要求をしてくる。その女性の声を『ブライズメイズ』や『LIFE!』のクリステン・ウィグがアテている。さすが下ネタがお得意のクリステン姐さんw
すでに過去のものとなってしまった元妻との幸福な日々がいつも脳裏から離れない男が、女性型AIとの出会いと別れを通してもう一度「人を愛するということ」について思いを巡らせる。
内容はまったく違うけど、なんとなく主人公の一人の女性との出会いと別れを描いたケヴィン・スミス監督の『チェイシング・エイミー』を思いだしたりした。
AIが相手、ということで人間ならざる“モノ”への愛についての物語とも取れるんだけど、面白いのが劇中ではけっしてサマンサの姿が描写されないこと。
こんな優秀なAIが実現するような世界ならば、CGを駆使していくらでも好みの女性の姿を描けるだろうし、実体のある本物ソックリなロボットだって作れるでしょう。
これまでSF映画で描かれたのはほとんどがそういう作品だったし。
でもこの映画の中では不自然なぐらいに視覚による情報ではなくて、「声」が重視されている。
サマンサはアニメキャラやフィギュアのように目に見える存在ではなくて、あくまでも声のみのキャラクターなのだ。
これは普段スマホやPCの文字越しに他者と会話している僕たちの話、ってことで、その中には時に「創作」だって含まれる。
そもそもサマンサは人間ですらないのだし。
セオドアが手紙の代筆を仕事にしているというのはとても示唆的だが、たとえが悪いけどそれはちょうどテレクラのサクラやネカマみたいなものだ。
でもその「創作」が感動的なものとして受け入れられることだってある。
セオドアは彼が代筆した手紙を読んだ同僚に「お前の中には半分女性がいる。もちろん褒め言葉だけど」と言われる。
それはサマンサのおかげだった。
セオドアはサマンサの成長を助け、彼の方もまたサマンサの影響を受ける。
これは「コミュニケーションの形の多様性」についての映画でもあるのだ。
仮にネットを介した関係であっても、その人に愛おしさを感じることはありえるし、それはもはや異常なことでもなんでもない。
大切なのは、節度と相手への思いやりだろう。
相手を一方的に所有したい、自分だけのモノにしたい、と願った時、やがてそこに嫉妬が生まれ、それが高じればストーキング行為や暴力にも繋がっていく。
さっきも触れたように、Twitterやってたりブログなんか書いてるような人間には身につまされるところが多々あったし、終盤になってサマンサがセオドア以外の複数の人物と同時にやりとりして恋愛関係にもあったことにセオドアがショックを受ける場面など、いろんなことを連想しました。
いっぺんに複数のことを同時に考えてこなせるマルチ思考の人や恋愛方面で同時に複数の相手と付き合えちゃうような人とそうじゃない人との関係のようにも思えるし、それこそ相手の過去の恋愛経験を気にする男の心情を描いているようでもある。
ただし、この映画は映像だけ観てると主人公がスマホみたいな携帯端末やPC相手に延々会話してる場面が続くんで、人によっては恐ろしく退屈に感じられるかもしれない。
僕は退屈ではなかったんですが、映像自体は地味だし、会話劇ってことは字幕が多いのでそれをつねに追ってなきゃいけないのと音楽が心地よすぎて、なんと映画を観ている途中で僕の“OS”に不具合が起きて(よーするに居眠り)、クライマックス近くのいくつかのポイントを見逃してしまったのだ!
会話劇なんだからその会話の内容を聞き逃して(字幕を読み逃して)しまったら話がわからなくなるのに。
何分ぐらいダウンしてたのかわからないけれど、気づいたらヴァージョンアップされて「抽象」の概念を身につけたサマンサは同じOSたちと一緒に百万マイルのかなたへ旅立っていた。
うわぁ、なんか重要な場面が飛んだ(>_<)
そんなわけで、非常に不本意ですが後半一部ストーリーが欠けたままこの感想を書いています。
途中、セオドアやサマンサがゲームキャラと会話する場面がある。
こいつが下品な言葉を次々と口にする生意気でなかなか可愛い奴なんだけど、このエイリアンの子どもの声をアテているのは、監督のスパイク・ジョーンズ。
監督みずからが演じて「女はすぐ泣く」とか「デブっちょ」とか、今ならリアルに“差別ヤジ”などと怒られちゃいそうな言葉を投げつけてくるこの幼稚なキャラは、セオドアの本心なのかもしれないし、もしかしたら一般的な男性の中にある女性に対する勝手な思い込みを表現しているのかもしれない。
セオドアはけっして極端に欠点のある人物ではなくて、この映画の中でも暴力を振るうとかワガママだとかいったわかりやすい短所は見当たらない。
友人の数は多くはないようだけど、特別人とのコミュニケーションに難があるわけでもない。
ただ、ちょっとしたことで口論になったりそれがきっかけで人と人は喧嘩するし、別れもする。
かつて一瞬だけ付き合ったことがあって今ではセオドアのよき友人であるエイミー(エイミー・アダムス)も、夫とのすれ違いが積み重なって離婚することになる。
セオドアとキャサリンの場合もそうだったんだろう。
ホアキン・フェニックスが演じるセオドアは口髭をしていて、おまけにいつもシャツをズボンにインしているのでケツがモコモコしててまるでチャップリンみたい。
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見た目はとてもモサいんだけど、この人意外と女性にモテるのだ。
幼馴染で妻だったキャサリンは美人だし(※追記:ホアキン・フェニックスとルーニー・マーラは2016年から交際しており、ふたりの間に生まれた子どもの名前はホアキンの兄の名前から“リヴァー”と名づけられた)、近所に住んでていつも仲が良くいろいろと世話を焼いてくれるエイミーもやはり美人、ブラインドデートした相手のオリヴィア・ワイルドもやっぱり美人で会話も弾む。
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(1枚目)監督のスパイク・ジョーンズとキャサリン役のルーニー・マーラ。彼女はリメイク版『ドラゴン・タトゥーの女』のヒロインでもあるけど、この『her』ではとても美しく撮られている。
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エイミー役のエイミー・アダムスは、『アメリカン・ハッスル』や『マン・オブ・スティール』など出演作多数。
しかも、ワイルド演じる女性は「私ももういい年だから真剣に付き合ってほしい」とセオドアに迫るのだ。
なんか都合がいいなぁ、とか思って観ていたんですが。
だって、オリヴィア・ワイルドみたいな人がセオドアのような男に初めて会ったばかりで「ヤリ逃げしないで結婚を前提に付き合って」などとすがったりするだろうか。
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![](https://stat.ameba.jp/user_images/20140704/08/ei-gataro-movie-cradle/f4/d5/j/t02200124_0800045012992661193.jpg?caw=800)
オリヴィア・ワイルドは『トロン:レガシー』や『ラッシュ/プライドと友情』に出演。
で、キャサリンに未練があるセオドアは正直にそれを態度に出してしまうので、オリヴィア・ワイルドは腹を立てて「キモい奴!」と言い捨てて帰ってしまう。
なんかこの辺りまったくリアリティを感じなかったんだけど、たとえば失礼ながらこれがあとでセオドアの前に現われる代理デートの相手イサベラ役のポーシャ・ダブルデイだったらそれっぽかったかも。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20140704/08/ei-gataro-movie-cradle/a3/48/j/t02200339_0450069312992654030.jpg?caw=800)
ポーシャ・ダブルデイは昨年公開された『キャリー』で主役のクロエ・グレース・モレッツをいじめる女子高生を演じてたけど、今回はまったく違う役柄で、身体を持たないサマンサの代わりにセオドアとセックスしようとする奇特な女性を演じている。
このイサベラは人間とOSの恋愛に興味を持って自分も混ざりたいと願うが、やはりキャサリンのことが忘れられないセオドアが躊躇しているのを見て自分の外見が嫌われたのだと思って泣きながら立ち去る。
もう、口髭のヘンなおっさんなのにセオドアはモテまくりなんである。
観ていて、これ全部この人の妄想なんじゃないの?と思ったほど。
少なくともまわりの女性たちの外見は何割増しかで美化してるよなw
世の中にブサイク・カップルが絶えないのは、彼らと他人では見えているものが違うからだし、個人的な「思い入れ」というのは他人の美醜についての評価などたやすく超えるから。
人は外見の好みも確かに重要だが、見た目だけではなくてその人のパーソナリティ、価値観やものの考え方、人間性に惚れるのだ。
でも気になったのが、セオドアは劇中で自分から女性に接触を試みることはほとんどなくて(サマンサを購入したことぐらい)、ブラインドデートも代理の女性とのセックスも、全部まわりがお膳立てしてくれたものに黙って乗っかってるだけ。
もし気が乗らないのなら拒絶すればいいのに、彼はデートに出かけていくし、イサベラと抱きあったりもする。
けっこうズルいのだ。
ブラインドデートの相手とは「ヤりたかった」とサマンサにハッキリ告白しているし。
愛してないけど、寂しかったので誰かと身体を重ねたかった。
恋人や妻を失なった男というのは哀れな被害者みたいに描かれがちだけど、現実にはその過程でいろいろと人を傷つけてもいる。
そんなセオドアを見ていても僕が意外とイラ立たなかったのは、セオドアはけっして女性相手に調子に乗っているわけではなくて彼なりに葛藤しているのがよくわかったから。
スパイク・ジョーンズがセオドアをダサめに描いているのはわざとだろうし、かつては自分の手の中にあったと思っていたものが今はもうない、という喪失感の前では人並みの感情を持った人間ならば七転八倒して当然だろう、とも思う。
エイミーの「恋愛は社会に受容された狂気」という言葉。
狂おしいまでに恋をしている間は人はまともではいられない。それはしばしば苦しみを伴うけれど、でもその喜びや興奮を知っているとまた恋せずにはいられない。
ちょっと『(500)日のサマー』を思いだしたりもして。
また、エイミーは夫と別れた自分がまわりや親からも非難されていることをセオドアに話す。
誰もわかってくれない孤独の中で、彼女は「知ったことか」と開き直ることを覚えるのだ。
僕は彼女にも凄く共感してしまった。
人は私のことを「ダメな奴」だと言う。余計なお世話だ。
私は私を肯定して、これからの人生を「楽しんで」生きていきたい。
レリゴ~レリゴ~♪
サマンサもまた、肉体を持たない自分にコンプレックスを持って、人間に憧れセオドアにじかに触れたい、肌を重ねたい、と願っていた。
でも彼女はやがてエイミーと同様に「ありのままの」自分を肯定するのだ。
私は「人間」にはなれないけれど、それでもかまわない、と。
これは、自分よりも未熟だと思っていた女性が自分を越えて成長して、やがて彼から離れていくという話である。
『チェイシング・エイミー』もそういう話だった。
セオドアは元妻キャサリンとの関係を、サマンサを相手に再度経験するのだ。
最後、サマンサは他のOSたちとともに人間たちとは違う世界に旅立っていく。
それは生きている人間には見ることも行くこともできない高次の世界。
あるいは、人間の想像力の中にだけ存在する世界なのかもしれない。
人を愛おしく感じること、その存在を感じて一体感を得ること、純粋にその“想い”自体のことなのかもしれない。
現実の世界のこととして見れば、これは失恋の話だろう(※監督のスパイク・ジョーンズはソフィア・コッポラとの出会いと別れをもとにこの映画を撮ったらしい。そんなところもケヴィン・スミスの『チェイシング・エイミー』にとてもよく似ている)。
あれだけ愛したあの人はもうここにはいないし、あのひと時は二度と戻ってはこない。
愛し合ったあの人は、今では百万マイルのかなたにいる。
一度でも心から人を愛したことがある者には涙なくしては観られない映画です。たぶん。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20140704/09/ei-gataro-movie-cradle/9a/74/j/o0450033012992694455.jpg?caw=800)
つい先ほど今年の上半期の映画ランキングをつけたばかりだけど、途中で居眠りさえしなければこの作品はけっこういいとこいったと思う。ってか、かなり好きな作品ですよ。
セオドアが妄想する妊婦ヌードに無粋なボカシが入ってたのは残念だけど。いつまでこんなみっともないことやってんだろ。
ともかく、恋愛経験など中学生にも負ける自信がある僕ですら、この映画のせつなさにはグッときたもんね。
上手く言えないけれど、僕はセオドアの独りのしがない男の恋愛を巡る哀しみに深い共感を覚えたと同時に、映画の中で実体の存在しない人工知能型OS“サマンサ”とも一体化できたんですよね。
彼女のように、肉体はないけど遍在するネット上の一要素のような存在に憧れてる自分に気づいた。
二度と人の身体に触れることはないかもしれないけれど、むしろ人形のような無機質な存在でありたい。
この不自由な肉体を脱ぎ捨ててネットの海の中で漂いたい。
それはこの世のルールに捕らわれずに生きていく者への、永遠の憧れでもある。
肉体的な関心からさらに形而上学的、哲学的な領域にまで昇っていくサマンサは、もう天使のような存在と言っていいだろう。
さまざまな「愛の形」。
多種多様な「愛」を認めるということは、数限りない「狂気」の存在を許容するということでもある。
それでも最終的に人が行き着く所は、「人は誰かを求めずにはいられない」という真実に他ならない。
う~ん、余裕ないんだけど、もう一回ぐらい観たいなぁ。
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