ジェームズ・グレイ監督、マリオン・コティヤールホアキン・フェニックスジェレミー・レナー出演の『エヴァの告白』。2013年作品。



1921年。ニューヨークのエリス島。両親を失い戦火を逃れてポーランドから移民船に乗ってきたエヴァ(マリオン・コティヤール)は妹のマグダ(アンジェラ・サラフィアン)とともに入国審査を受けるが、マグダは結核のおそれがあるため隔離されてしまう。エヴァもまた船上での“素行”を問題とされて送還されそうになるが、ブルーノ(ホアキン・フェニックス)という男に救われる。泊まる宿や食べ物を与えてくれたブルーノは女性たちに客商売を斡旋する女衒だった。エヴァもまたマグダを救うために客を取ることを求められる。


この映画の脚本はジェームズ・グレイ監督の祖父母の体験を基に、主役にマリオン・コティヤールを想定して書かれたらしい。

主演のマリオン・コティヤールについては、2007年日本公開の『エディット・ピアフ~愛の讃歌~』で感動してからこのフランス人の女優さんが気になるようになって、アメリカ映画にも多数出演しているのでその後も姿を見ることは何度もあったものの、彼女の主演映画を観るのはその時以来。

昨年公開された『君と歩く世界』は残念ながら観逃してしまいました。

『エディット・ピアフ』は、とにかく彼女のクルクル変わる表情を見ているのが楽しかった。

『エディット・ピアフ~愛の讃歌~』(2007) 監督:オリヴィエ・ダアン
出演:シルヴィー・テステュー パスカル・グレゴリー ジェラール・ドパルデュー




ハスッパな喋り方やちょっとはにかんだような笑顔など、キュートだったり妙に老けて見えたり、不思議な女優だなぁ、と。

ウディ・アレンの『ミッドナイト・イン・パリ』で演じてたような、クラシカルな役柄が実に似合うんだよね。

で、今回彼女の主演映画が公開されるのでともかく観てみよう、と。


映画の原題は“The Immigrant(移民)”。

チャールズ・チャップリンの初期の監督・主演映画に、やはりヨーロッパからの移民を描いた『チャップリンの移民』(1917)という作品がある(原題は同じ“The Immigrant”) 。




『エヴァの告白』の冒頭のように、この映画でもチャーリーたちが移民船から自由の女神を見つめる。

それはまさしく“自由の国アメリカ”の象徴であった。

 


長い航海のあと新天地アメリカに降り立ってもエドナ・パーヴィアンス演じる娘はお金がなく、同じく無一文のチャーリー(店の前で拾った金は贋金だった)はレストランで無銭飲食をいかに誤魔化すか知恵を巡らせる。

最後は興行師がエドナとなぜかチャーリーも一緒に雇い入れることになって、しかもふたりは結婚、めでたしめでたし、という強引にもほどがある結末。

たわいない内容のコメディだけど、同じくヨーロッパからの移民を描いているだけに『エヴァの告白』はまるでこの『チャップリンの移民』の超シリアス版のようにも感じられてくる。

舞台となるのもほぼ同時代だし。

『エヴァ』の入国管理官や暴力的な警官たちも、チャップリンの映画でのコミカルなキャラクターたちをリアリズムで描いたらこうなります、といった塩梅で。

もちろん『チャップリンの移民』のエドナ・パーヴィアンスは映画の中で身体売ったりしませんが。

これ以降、ネタバレがありますのでご注意を。



映画全体を覆うオレンジ色のノスタルジックな色彩が美しいが、これもフランシス・フォード・コッポラ監督の『ゴッドファーザーPART II』(1974)で、のちのドン・コルレオーネが少年時代にアメリカに渡って入国審査を受ける場面があったのを思いださせる。




『ゴッドファーザーPART II』では、シチリア島のコルレオーネ村出身のヴィト少年、ヴィト・コルレオーネは天然痘でエリス島に隔離されていた。

この『エヴァの告白』では移民の入国は容易ではなく、健康状態が悪かったり身元がハッキリせず親戚などの引き取り手がいなければ本国に強制送還されてしまう。




希望を抱いてようやくたどり着いた国アメリカは、楽園ではなかった。

それは冒頭の入国審査の場面ですでに思い知らされるのだが、しかしこの映画ではとにかくマリオン・コティヤールがやたらとモテるのだ。

ホアキン・フェニックスにもジェレミー・レナーにも一目惚れされるんである。

ようするに、これは二人の男に愛された女の物語。

そして、もしもエヴァが美人じゃなかったらこの映画は冒頭3分ぐらいで終わってるよな、ということ。

何もかもが、エヴァが美しかったから。

だけどそのことに彼女は無自覚だし、その美貌を利用してしたたかに生き抜いてやろう、という野心もない。

「生」に対する貪欲さがあまり感じられない。

両親の死や長きに渡る航海ですでに精根尽き果てていたのかもしれないけど。

『チャップリンの移民』では、「お金」や「食べること」の描写にやたらとこだわっているが(それはこの作品に限らずほとんどの彼の映画の特徴でもあるが)、『エヴァの告白』のエヴァは金は欲しがるものの食べることにはほとんど興味を示さない。

出された食事は少ししか口にせず、気にかかるのは何よりも大切な妹のことだけ。

では入国審査で排外された時、ブルーノに向かって「英語を喋れます」「どうか助けてください」と懇願したのはなんだったのか。

それは生きることへの執着ではなかったのか。




結局、彼女はブルーノの手引きによって男を相手に金を稼ぐ道を選ぶ。

マグダを救いだすには大金が要る、というブルーノの言葉を信じて。

カトリック教徒であるエヴァには、そのことが「罪」として大きくのしかかる。

ブルーノはエヴァの“最初の客”である金持ちの息子に「彼女は純潔(すなわち処女)だから」と言うが、移民船の一件から実際にはそうではないことがわかる。

あるいは、のちの告解の場面での「多くの罪を犯してきました」という言葉から、彼女にはそれ以前から盗みや性的な犯罪の経験が数多くあったのかもしれない(それにしては酒に酔って隙を見せたり、男慣れしているようには見えなかったが)。

ブルーノに助けられたあと、他の女たちとレストランでの食事中に彼女たちの金を盗んだエヴァは、あとでブルーノに咎められる。


余談だが、僕がかつてある店で働いてた時、従業員の女の子がロッカールームで他の女性の財布を盗んでクビになったことがある。

人の金を盗む、というのは誰にでもいきなりできることではなくて、やはりそれ以前になにがしか金にまつわる苦労をしていたり、目の前にあるモノは盗んでもバレなきゃオッケー、という環境に身を置いていた人間が習性としてやってしまうことだったりする。

盗みを働いて店をクビになった女の子は親の借金を抱えていて、その後フーゾク店で勤め始めたが客の男と生で本番ヤッちゃって妊娠、赤ちゃんを堕ろしたと聞いた。

転落そのものの人生であまりにも痛々しかった。


エヴァの手癖の悪さ、誰も信用せず(そのわりにはずいぶんと迂闊だが)、とっさに身を守るための物を手にしたりする習性は、それまでの彼女がたどってきた苦労をしのばせる。

野良猫のように人を心底信用することができない者は、エヴァのブルーノに対する行動のように恩を仇で返すようなことも平気でしてしまう。

いや、平気ではないかもしれないが、彼女は誰も心から愛せないのだ。自分さえも。唯一、妹以外は。


収容されている人々のレクリエーションのためにエリス島を訪れてエヴァの前でマジックを披露する“魔術師オーランド”ことエミール(ジェレミー・レナー)は、ちょうどチャップリンがそうだったように舞台芸人である。

『エヴァ』の舞台の1921年には、すでにチャップリンはハリウッド映画スターだった。

“盗賊の巣窟”の女主人がブルーノに「“映画”の人気が高まってきて、店で女の子たちを売り物にする商売が難しくなってきた」と言う。

監督のジェームズ・グレイが『チャップリンの移民』を意識していたのかどうかはわからないしストーリー自体はまったく別物だけど、あの映画は有名だからそれと同じタイトルを付けたことからもどこか念頭にあったのではないか。

それと先ほどの『ゴッドファーザーPART II』、あるいはセルジオ・レオーネ監督の『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』などもおそらく意識してると思う。

エミールはさっそく美しいエヴァに目をとめて、彼女に白い花を手渡す。

 


やがて“盗賊の巣窟”に雇われた彼は、エヴァのことでブルーノとトラブルを起こして店を滅茶苦茶にしてしまう。

どうやら彼もまた、エヴァを救い出してくれる「白馬の王子」ではなかったようだ。

エミール役のジェレミー・レナーは、つい先日『アメリカン・ハッスル』で見たばかりだけど、最近は非アクション系の作品に積極的に出てるようで。

今回も『アメリカン・ハッスル』に続いてマッチョではない役を演じてました。

エミールは実はブルーノの従兄弟なのだが、彼は過去にギャンブルや酒で幾度も失敗しており、かつてブルーノが救い出した女性とともに逃げたのだった。それ以来ブルーノはエミールを信用していない。

人のよさそうな顔で調子よく話しかけてくるのだが、言ってることとやってることがチグハグで胡散臭く、たしかにまったく信用できない。

全国ツアーに行くから一緒に来ないか、とエヴァを誘い、妹のことがあるので彼女が断わると別れを告げて去っていく。

しかし、しばらくして「ケンカしてツアーは中止になった」と言ってエヴァのもとへやってくる。

帰ってきたブルーノの前にわざわざ姿を現わして、彼が隠していた銃で「エヴァを自由にしろ」と脅す。

この余計な行為のためにエミールは命を落とすことになる。




エヴァと一緒に働いている女性たちは、白馬の王子などいないことをよく知っている。

だから顔が広いブルーノの下で働き、客を取って生活している。

それで問題はなかったのだが、エヴァに惚れているブルーノは冷静さを欠いて貴重な収入源である踊りの仕事も失ってしまう。

美しい女は破滅をもたらす。

それにしても、女の人たちの垂れ乳が一杯映りますが、ビタ一文ありがたみがないのがスゴい。

そのかわり、マリオン・コティヤールは一切脱ぎませんが。

いや、別にどうしてもマリオン・コティヤールのおっぱいが見たいわけじゃないけど、他の女性たちには思いっきりほっぽりださせておいて彼女だけきわどい格好さえ一切見せない、というのはどうも不自然だったんで。




エヴァは売春をしていたわけだけど、娼婦の描写ならミュージカル映画の『レ・ミゼラブル』の方がよっぽど痛々しかったぐらいで、この映画ではベッドシーンは皆無。

ずいぶんとお上品な映画だこと。

この映画にはろくな男が出てこないので観てると男性不信になりそうだけど(って俺も男ですが)、ブルーノもエミールも、紳士的なところはある。

エヴァを求めてはいても、むりやり襲いかかるようなことはない。

それでも人間としての弱さや卑屈さによって、しばしば彼らの中の善良な部分が帳消しになってしまう。


チャップリンが映画の中でヒロインに対してつとめて紳士的に振る舞うのは、現実では男は女性に対してつねにそういうわけじゃないからだ。

チャールズ・チャップリン本人はかなりの「たらし」だったことは有名(そして真性のロリコンでもあった)。

優しい言葉と温かい食事で釣った女性を商売道具として使う。または自分の女にする。

ブルーノのエヴァに対する愛は、まさしくこのチャーリーが映画の中でヒロインに捧げる愛のリアル・ヴァージョンに思える。

一目惚れして食事や寝る場所、仕事を世話してあげた。

そのかわり、彼女に自分を愛してほしいと願った。

しかしエヴァはブルーノを愛するどころか彼に感謝すらしない。

教会での神父への告解で、エヴァはブルーノに自分を利用させていることを懺悔する。

「あなたの罪は許されます」と言う神父に、エヴァは涙を流しながら「私は地獄に堕ちます」と答える。

彼女はブルーノのことだけでなく、自分さえも許せずにいる。

彼女の苦しみを「生きるか死ぬかという時に贅沢だ」と言う者がいれば、それは人間の尊厳をみくびっている証拠だろう。


喜劇である『チャップリンの移民』では激しい船揺れの中での食事シーンやのどかな博打シーンなど滑稽に描かれていた移民船も、エヴァの説明によれば不衛生で人々はスシ詰め状態、食料もなく性的暴行が横行していた。

そんな中で彼女は男たちに乱暴される。

そのことで彼女は「売女」扱いされ、移民管理局に排外されたのだった。

性の被害者が「ふしだらな女」とみなされるのは、いつの時代も変わらないようだ。

モラルというものを笠に着て弱い立場にある者を見下し、排斥する。


移民船の中で本当は何があったのか。

教会でのエヴァの告解で彼女が語ったことすべてを信じてもいいのか、それとも彼女は何かを隠しているのか。

僕にはエヴァが祖国ポーランドで受けてきた苦難が想像できないし、映画の中でハッキリと描写されているわけではないので、彼女のことがイマイチ掴めなかった。

あれだけ心の中では激しく葛藤しておきながら、一見すると手馴れたように男たちの相手もする。

エヴァの客の労務者風の男性が「また頼むよ」って感じで満足そうに帰っていくのがなんかいい。

エヴァも「寒いから気をつけて」なんて、一応気遣ったりもする。

けれどやっぱり彼女はそんな自分自身を嫌悪していて、ブルーノの家を抜け出して叔母の家を訪ねて安心したのもつかの間、体面を気にする叔父によって警察に突き出される。

いっそ「妹を助けるため」と完全に割り切って男たち相手に大金を稼ぐことに邁進するか、そうでないなら断固として売春など拒否してくれればわかりやすいのだが、エヴァは揺れ続ける。それが観ていて実にもどかしい。

それを「人間が抱える矛盾」ととるか、それとも「キャラクター描写の欠陥」ととるかは悩めるところだが。


ホアキン・フェニックスは『グラディエーター』の若き皇帝役もそうだったけど、劣等感を抱えて強がる男が似合う俳優だなぁ、といつも思う。

 


今回彼が演じるブルーノも女たちを束ねる一見頼りがいのある男だが、一方ですぐキレるか細い神経の持ち主でもある。そしてエヴァに一目惚れしたことで、これまで築いてきたものが一気に崩れていく。

ホアキン・フェニックスの、笑っているような怒っているような、泣いてるような、そのすべての感情が一緒になった表情は見ていて飽きない。

僕はそんなに観ていないけど、出演作も定期的に公開されてますよね。


この手の映画はどうしても長くなりがちだけど、この作品は2時間ほどなので(それでも正直途中でちょっと退屈してしまったのだが)観やすいと思います。

さまざまな理由でさまざまな場所からアメリカに渡ってきた人々は、こうやって命からがら自分たちの生きていく場所を手に入れていったのだ、ということ。

そこには当然「選ばれなかった人々」もいる。すべてが生存競争という容赦ない現実。

だからこそ、掴み取ったチャンスを生かして彼らは生き延び、“自由の国アメリカ”で新たな「祖国」に忠誠を誓い、アメリカ国民であることを誇りに思うのだ。


この映画に登場する人々は、皆誰もが愚かだ。

それは主人公であるエヴァも同様。

誰一人としてなんの罪もない「善人」などいない。

女を食い物にする女衒のブルーノ。

調子のいいことばかり口にするが、結局はギャンブルにうつつを抜かし見果てぬ夢ばかり追い求めているエミール。

自分が生き残るために親戚のエヴァを捨てる叔父。

イノセントな存在として描かれているのは、エヴァの妹マグダだけだ。

彼女はエヴァが自分以上に大切に想う存在である。

そして、ブルーノが彼女たち姉妹を助けたのも、汚れてしまった彼自身の中に残っていた「これだけは守り抜きたい」という想いだったのかもしれない。

偽悪的に振る舞ってみても、エヴァが最後に告げたようにブルーノは根っからの“悪人”ではない。

彼もまた、自分自身を愛せない人だったのだ。

だからこそエヴァに愛されたいと願った。

その気持ちは叶わなかったが、しかし彼はみずからを犠牲にしてポーランドからの移民である姉妹の命を救った。

はずみとはいえ血を分けた従兄弟を手にかけたブルーノは愚かすぎる男だし、殺されたエミールはそれに輪をかけたバカだが、哀しいのは彼らの行動がすべて「よかれ」と思ってやったということだ。

エヴァという美しき移民の娘のおかげでエミールは死に、ブルーノは警察に追われることになる。

最初に書いたように、もしエヴァが美人じゃなかったら起こりえなかったことだ。

マリオン・コティヤール、おそるべし。


ただ正直なところ、僕は彼女ならもっと切羽詰ったキャラクターも可能だったのではないかと思うんですよね。

エディット・ピアフを演じられた人なんだから。

エヴァには堕ちるところまで堕ちた女性の凄まじさは感じなかった。

教会の神父の前でエヴァは自分を責めるが、映画館でそんな彼女を見ていて「罪深い女」などと思う者がいるだろうか。

「女」が文字通り身体を張って生き抜いていく映画は他にもたくさんある。

僕には、エヴァにはまだまだ余裕があるように見えてしまったのでした。

妹を救うために別人へと変わるエヴァが見たかった。

そこまでしてこそ、この世で生きることがいかに困難に満ちているのか観客は実感できたのではないだろうか。

この映画は1920年代のアメリカが舞台となっているけれど、僕にはヒロインが生きる場所を探し求めて彷徨する姿が自分とは無関係な世界の話だとは思えませんでした。

仕事や夜眠る場所を得ることはとても大変なこと。

貧すれば鈍する。

自分の信用を失うことを恐れてエヴァを警察に引き渡した叔父のように、人はおのれのために時に家族すら売る。

この映画に登場する人々は、明日の自分かもしれない。


どうしようもなく愚かなやりとりの末にエミールを殺したブルーノは、警官たちに殴りつけられてボロボロになりながらもエヴァとマグダを救いだして独り去っていく。

そこにはヒロイックな勇姿ではなく、痛みと悲しみに満ちた男の後ろ姿があるだけだ。

かつては好きだった女性を従兄弟に盗られ、今度も惚れた相手には最後までキスの一つもされずに去っていくあまりに哀れなその姿には涙を禁じえない。

映画『サーカス』(1928)で、浮浪紳士チャーリーはかつて助けた少女にサーカス団のイケメン団員をあてがってやって、独り去っていく。

悲恋とも呼べないような独りよがりの恋は終わりを告げる。




自分がどんなに相手のことを愛していると思っていても、相手はそうは思っていない。

同情や親愛の情から抱きしめようとしたら「触らないで」と言われてしまう。

さらに「あなたが大嫌い」とまで言われてしまう。

人に「報われない愛」を施すというのは、自分が「愛されたい」という欲求を封印して一方的に相手に尽くすことだ。

ブルーノこそ、結果的にはエヴァに指1本触れずに彼女に尽くしたといえるのではないか。

たしかに彼女に身体を売らせて「売り上げ」の半分を取ったけれど。

それでも彼が身を挺して彼女を守ったおかげで、エヴァとその妹は助かったのだ。

最後にブルーノはエヴァに、入国審査の時に役人に金を掴ませて君を排外させたのは俺だ、と告げる。

しかし、「助けてほしい」とブルーノに声をかけたのはエヴァの方だ。

ブルーノがエヴァを救ったのは、彼女が生きるために“働く”意志を彼に示したからだ。

ブルーノが最初から彼女を陥れたなどというのは嘘だろう。

なぜこの期に及んでそんな嘘をつく必要があるのか。

なぜならブルーノ自身、エヴァと同様に自分を憎んでいたからだ。

だからこそ彼は自分を罵って「俺のことは忘れて二人で新しい人生を始めろ」とエヴァたちを送り出す。

 


「喜劇王」と呼ばれたチャップリンは1950年代に赤狩りによってアメリカを追われ、20年以上もその地を踏むことはできなかった。

それでも彼は大切な家族を得ることができた。最後には失われていた名誉も回復できた。

エヴァとマグダの姉妹はその後どのような人生を送ったのだろう。

そしてブルーノは?

彼らは名もなき多くの者たちの一人として消えていったのかもしれない。

それでも「生きたい」と訴えたエヴァの声とその姿は歴史の地層となって、今も“自由の国”を守り続けている。



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