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クリストファー・ノーラン監督、クリスチャン・ベイルトム・ハーディジョセフ・ゴードン=レヴィットアン・ハサウェイゲイリー・オールドマンマイケル・ケインモーガン・フリーマンマリオン・コティヤール出演の『ダークナイト ライジング』。IMAXで鑑賞。

C・ノーランによる『バットマン ビギンズ』『ダークナイト』につづく「バットマン」シリーズ第3弾にして完結篇。



Hans Zimmer - No Stone Unturned


“闇の騎士”バットマンがゴッサム・シティから姿を消して8年。ブルース・ウェイン(クリスチャン・ベイル)は屋敷にひきこもり、外界と接触を断っていた。その頃、移送中に脱走した傭兵ベイン(トム・ハーディ)が地下で計画を実行に移しはじめる。謎の女盗賊セリーナ・カイル(アン・ハサウェイ)は、ブルースに「嵐の到来」を告げるのだった。


劇場の入り口で鑑賞券を出したけど、IMAXなのに3Dメガネをくれないんで一瞬「あれ?」と思って、それから「あ、2Dだった」と気づいた。

「もしかしたら3Dで上映するかも」なんてあやしげな噂もあったけど、ずっと2Dにこだわってきたノーラン監督は、今回もやはり自分のやり方を変えることはなかったようで。

この映画のキャッチコピーは“伝説が、壮絶に、終わる。

まずおことわりを。

僕はこのシリーズはすべて映画館で観ていて、それぞれ楽しんできました。

ノーラン監督の前作『インセプション』も劇場の大画面で観ることにおおいに意義があったように、本作も「夏の超大作」として見ごたえのある作品でした。

観終わって、ほかの人たちとあれこれ感想をいい合うのはじつに楽しいでしょうね。

なので、これからあれこれ書くことは、場合によっては重箱の隅みたいなことかもしれない。

言い訳がましいですが。

今回の『ライジング』は、一応これまでの2作を観ていることが前提で話が進むので、いままでまったくこのシリーズを観たことがない“いちげんさん”は、最低限『ビギンズ』は観ておく必要があるでしょう。

主人公の現在の立場を理解するためにも、できれば『ダークナイト』も観ておいた方がよいかと。

そんなわけで、以下、『ダークナイト ライジング』および『バットマン ビギンズ』『ダークナイト』の壮絶な【ネタバレ】を含みますのでご注意ください。



観終わって、率直に「シリーズを無事締めくくれてよかったね」と思った。

これまでティム・バートンジョエル・シュマッカー(※ご冥福をお祈りいたします。20.6.21)が2作ずつ撮ったシリーズもそれぞれ連続性のあるものだったが(『バットマン&ロビン』がヒットしていたら、さらにシュマッカーが続篇を撮る可能性もあった)、ノーラン版はそれら以上に大河ドラマ的な内容になっていて、この『ライジング』は明確にシリーズ最終章のかたちをとっている。

さて、この作品は前作『ダークナイト』から直接物語がつながっているが、むしろ第1作目『ビギンズ』の続篇、もしくは「語り直し」といえる。

なぜ語り直しが必要だったのか。

2作目『ダークナイト』は日本以外の各国で大ヒットして、日本でも「神作」とかいってる人たちもいるぐらいすでに単独作品として高評価を得ているので、もはやこの上さらに物語を上書き補強する必要がない。

そのことはクリストファー・ノーラン自身よくわかっているんだと思う。

しかもその『ダークナイト』で悪役ジョーカーを演じたヒース・レジャーは、もうこの世にはいない。

もしも、彼がいまも存命でジョーカー役の続投が可能だったならば、おそらくシリーズはこういう結末を迎えてはいなかっただろうと思う。

でも、ジョーカーは死なないままこのシリーズから姿を消した。

そしてこの『ライジング』ではジョーカーの存在はスッポリ抜けていて、台詞によってさえこのキャラクターについて触れられることはない。

それを惜しむ声もある。

気持ちはわかるけど、でもシリーズで唯一バットマンに息の根を止められなかったメインの悪役であるジョーカー(スケアクロウさんは、まぁ狂言回しなので)はいわば“形而上的”なキャラクターで、つまり生きた人間というよりは、人の心のなかに棲み彼らを誘惑したり挑発したりする“悪意の象徴”のような存在として描かれていた。

だから彼とバットマンの戦いに決着がつかなかったのは、ある意味とても理にかなっている。

クリストファー・ノーランはそこそこヒットはしたが(だから続篇を作ることができたわけで)『ダークナイト』ほどには観客の記憶に残らなかった『ビギンズ』にいま一度立ちかえって、“リヴェンジ”しようとしたのではないか。

もちろん、そうすることでシリーズの環をきれいに閉じることができるという狙いもある。




しかし問題は、『ビギンズ』で敵の首領だったラーズ・アル・グールに悪役としての魅力が乏しかったこと。

『ダークナイト』の悪役ジョーカーはいまなおみんなに語り継がれているのに、『ビギンズ』のラーズについての言及を耳にすることはない。

僕はよっぽど“かかし男”スケアクロウの方が、マスクをかぶった「怪人」してただけに好きだった。

だから、そんなカリスマ性に欠けた(ヒドいいいようだけど)前々作のラスボスの遺志を継ぐキャラクターが出てきても、「えぇっ!まさかあの!?」ってな具合にならないのだ。

それが『ライジング』の最大の弱点だったと思う。

そして、僕には『ビギンズ』でラーズ・アル・グールがなぜゴッサム・シティを破壊しようとしていたのか、最後までよくわからなかった。

『ビギンズ』は『ダークナイト』とともに昨年BSでバットマンの劇場公開作品が一挙放映されたときに観たきりなんで、こまかい場面はおぼえていないけれど、映画館で観たときにも彼がいう「腐敗した街」うんぬん、といった屁理屈にはまったく説得力を感じなかった。

演じていたリーアム・ニーソンはカッコよかったけど、まるで暗黒面に堕ちたジェダイもどきみたいで、ぶっちゃけ「シケた悪役だなぁ」と思ったのだ。

で、この『ライジング』でも、ようするにやってることはおなじなんである。

そのあたりは、前作『ダークナイト』から後退しているようにさえ思えた。

今回の敵ベインはかつて重傷を負ったためつねに生命維持用のマスクをかぶっていて、土木建築の会社とツルんでゴッサムの証券取引所を襲う。

そこで彼が行なうのは、大富豪にしてゴッサムの実力者ブルース・ウェインの会社の金をすべてうばうこと。

ブルースを無一文にしたベインはスタジアムを爆破、警官たちを生き埋めにして刑務所から囚人たちを解放する。

スタジアムでプロレスラーか『マッドマックス2』のヒューマンガスみたいにマイク・パフォーマンス(笑)をする様子が、おそろしくも頼もしい。

ここで彼はゴッサムの市民に革命を呼びかけるのだ。

武器を取り、金持ちどもを殺せ、と。

日本でもし、金持ちや政治家たちを殺せばこの国がよくなる、などと本気で信じてる奴がいたら、それは本格的に頭のなかが傷んでるか、脳の容量が極端にすくない人間のどちらかだ。

でもアメリカでは、ひと握りの大金持ちたちが国を牛耳っている、というのがリアリティのあることなんだろう(※追記:現在の日本もそうなってきているが)。

だから、僕はこれはもしかしたら「正義」と「悪」が逆転する物語になるかもしれない、と思ったのだった。

金持ちであるブルース・ウェイン=バットマンはまさに体制、搾取している者たちの側にいる。そして彼らを守るために戦っている。

「お前のやってることはほんとに正義か?」という問いかけは、前作『ダークナイト』でジョーカーが執拗にバットマンにしていたものだ。

たとえば、「人を殺さない」をモットーにしているバットマンの欺瞞。それは単なる自己満足なのではないか?

じつは今回もベインを殺すチャンスはあったにもかかわらず、そのときバットマンは彼を野放しにしたまま立ち去る。

このバットマンの「必要なときに敵を殺さなかったために、あとになって犠牲が増える」という失態のくりかえしには、その学習能力のなさにシリーズを通してけっこうイラつかされた。

ジョーカーは実存的な問いをバットマンに仕掛けてきたが、一方のベインはもっと現実的な社会の変革を掲げている。

抽象論に終わりそうだった前作の「善悪問答」が、では具体的に世界を変えるにはどうするべきか、という問題にさらに発展するように思われた。

これはやはりスゴい作品かも、と僕はワクワクしたのだ。

ところが、後半になってストーリーは一転する。

ベインが「革命」などと口にしていたのは、すべて茶番だったことが判明する。

裏で彼をあやつる者がいたのだった。

では、その目的はなんだったのか。

ゴッサムの破壊。




…またそれかよ!!

どうやらクリストファー・ノーランは、この「影の同盟」と呼ばれるどこかイスラム原理主義者を思わせるテロリストたちを、バットマンが倒すべき「絶対悪」としてどうしても描きたかったようだ。

オサマ・ビン・ラディンを彷彿とさせる指導者のラーズ・アル・グールは、もちろん現実に存在すれば人々の脅威だが、でも現実のテロリストに「悪の魅力」を感じないのと同様に、僕には魅力的なキャラクターとしてはまったく映らなかった。

テロリストが絶対悪なのは異論がないけど、でも言い方は悪いが、僕にはそれは1作目の焼き直しにしか感じられなかった。

それよりも、ノーランはいまこそアメリカの内に巣食う「悪」をこそ描くべきだったんじゃないのか?

そのお膳立てはみずから整えていたにもかかわらず。

ベインたちのようなならず者と結託して甘い汁を吸っている者たちが、ゴッサムの内部にいるはずなのだ。

それはあの土木建築会社のボス程度の小物ではない。

アメリカを内部から破壊していくのは、なんだかよくわからないテロリストの忠義や復讐心などではなく、ずばり「金」だ。

そのために証券取引所を登場させたんじゃなかったの?

『ダークナイト』でジョーカーは大量の札束を燃やしてみせた。こんな紙くずのために人々が争い殺しあうのをあざ笑うかのように。

それでも現実に人々は金で日々の糧を得ているわけで、だからこそそれをより多く手に入れようと画策する者があらわれる。

持てる者はさらに富み、貧しい者はさらに奪い取られていく。

その金の流れのからくりを、ベインたちに暴いてほしかった。

しかし、市民に武器を取って戦おうと呼びかけたはずのベインは、けっきょくは脳みそまで筋肉でできてるならず者の一人でしかなかった。

だから彼の最期もそれにふさわしくあっけない。

トム・ハーディが演じるベインは、その鍛えあげられた肉体と不敵な面構え、マスク越しに響く声がとてもカッコよく、このシリーズのなかではほかにいないタイプの武闘派ヴィラン(悪役)だったので僕は好きなんですが、俳優の演技力ではなくてキャラクターの設定とストーリー上の問題から、ジョーカーを超えることはできなかったと感じた。

 
2枚目の画像は『バットマン&ロビン』のベインとポイズン・アイヴィー(ユマ・サーマン


最後の最後に、ありきたりのアクション映画の悪役になってしまった。なんか「北斗の拳」のちょっと賢い敵の小ボスみたいな。

さんざっぱら仲間を殺しておいて、突然乙女チックなキャラになっちゃうし。

僕は『ダークナイト』を公開当時に観たとき、「ふつうの市民が敵になったときに“闇の騎士”のほんとうの戦いがはじまるのではないか」と思ったんだけど、残念ながら『ライジング』でそれが描かれることはなかった。

けっきょく、ゴッサムの多くの市民はみずから武器を取って革命をおこそうとする気配も見せず(武器をもって警官たちに攻撃を仕掛けていたのは囚人たちだけ)、自分たちの手でテロリストたちから街を守るために立ち上がるわけでもなく、おびえながらバットマンの戦いを見守るしかなかった。

ほんとは最後に市井の人々が立ち上がる(ライジング)ことで、バットマンが街から立ち去る意味もさらに深まったと思うんだけど。

やがて「どんでん返し」があり、ゴッサムは核の危機にさらされる。

バットマンは、わが身を犠牲にして街の人々を救う。

このあたりで映画館で鼻をめっちゃグズグズいわせてる女の人がいて、ちょっとギョッとしてしまった。

ファンなのかしら。いや、別にいいけど。

こうして“闇の騎士”は去り、その称号はそれにふさわしい者に受け継がれる。

このへんは僕もちょっとふるえたけど、でも、後半は広げた風呂敷をバタバタといそいでたたんだ、という印象が否めなかった。

街を占拠しているにもかかわらず、ブルースや警官たちがウロチョロ好き勝手に動きまわれるほど手薄なテロリストたちの監視体制。

穴蔵からの脱出も、それが「ヒーロー復活!」とアガるほどのスゴいことをやっているようにも感じられなかった(背骨伸ばしたら腰痛が治った、ってカイロプラクティックか?)。

なぜベインは市民たちに起爆装置の件であのような意味不明な“嘘”をついたのか。

バットマンを殺さずにわざわざ生かしておいたように、「希望があるように思わせてそれを断つ」ということが目的なんだろうけど、だからどうしてそんなことするのか。

人々を正義の名のもとに粛清したいのなら、世のなかの矛盾や欺瞞、悪を嘘偽りなく暴いて観客が心のどこかで同調してしまいそうになる論理を提示しなければ説得力がない。

完全なアナーキストだった前作のジョーカーと違って、ベインたち「影の同盟」のメンバーには彼らなりの思想や政治的信条があるはずで(ジョーカーの手下たちは金で雇われた捨てゴマにすぎなかった)、ベインは街の人々を煽動すらしかけていたのに、なぜそれをやり遂げずに皆殺しにしようとしたのかまったく理解に苦しむ。

だから、敵の正体がただの狂信的なテロリスト集団だったことが露呈してしまってからは、映画が終わっても「最強の敵を倒した」というカタルシスがなかったのだ。

あとですねぇ。観た人ならわかると思うんだけど…“黒幕”の断末魔の演技ね。

「ポクッ」って逝っちゃうの。

「えっ」って感じの凄まじい演技でしたよ、もちろん悪い意味で。

あれはいくらなんでもヒドい。なんでオッケーにしたんだろ。

いいかげん映画も終わるというところで「まさか、君は!」とかいってようやくバットマンの正体に気づくゴードン(ゲイリー・オールドマン)とか、僕はてっきり彼はとっくに知ってるもんだとばかり思ってたから(病院のシーンで覆面してるだけでしゃべってたし)「え、いまさら!?」とビックリ。

前作で非業の死を遂げた元恋人レイチェルのことでアルフレッドにあれほど怒っておきながら、その舌の根も乾かぬうちに彼が薦めたミランダと暖炉の前でイイ感じになったり、最後は“あの人”ともイチャついてるバットマンにも、おかしいだろアンタ、と。

僕だけでなく、キャラクターの言動の一貫性のなさや後半のストーリーの弱さを指摘する感想はさまざまなところで目にする。

「終わらせたかったんだねぇ~」って。

編集についても、どうも全体的に場面が飛び飛びでシーンとシーンがスムーズにつながっていないような印象をうけた。

僕はクリストファー・ノーランという監督さんは「単純なことを複雑そうに深遠っぽく見せることに長けた人」だと思っていて(なんかバカにしてるようで失礼な言い草ですが)、今回の作品を観てもその考えは揺るぎませんでした。

映画はなによりもまず「映像ありき」なんだから、それはそれですばらしい才能だと思います。

予告篇にも出てる、まるでカブトガニみたいなフォルムのバットウィングならぬ“ザ・バット”の勇姿。




これは場面によってはじっさいに実物大のものを台車に乗せて街なかを走って撮影しているようだ(もちろん合成も使っているが)。




そういう「撮影現場で撮れるものは極力現場で撮る」というノーランの姿勢は、マイケル・ベイにも通じる「映画屋」としてのこだわりが感じられて好感がもてる。

後半のバットモービルならぬ装甲車“タンブラー”との市街戦は迫力満点だし、キャットウーマンもあの極太タイヤの“バットポッド”で活躍する。

メンヘラ気味に描かれていたティム・バートン版(『バットマン リターンズ』)とはまったく設定もキャラも異なる、峰不二子的な女盗賊のノーラン版キャットウーマンは、演じるアン・ハサウェイの『魔女宅』のホウキにまたがったキキみたいに突き出したお尻がスクリーンに映ると、おもわず口笛吹きたくなってしまった♪

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アン・ハサウェイは『ゲット スマート』のときに「この人はアクション物にも向いてる気がするなぁ」と思ったんだけど、その後もそういうジャンルでの出演作を目にすることはなかった。

今回ついに本格的にアクション系のヒロインを演じていて、僕は彼女は「ポスト・ミラ・ジョヴォヴィッチ」にもなれるんじゃないか、なんて思いましたよ(ちょっと雰囲気も似てるし)。

キャットウーマンのスピンオフ作品がぜひ観たい(ハル・ベリー主演のがあったって?観たけど途中で寝てしまった)。

作品の出来としては、僕も一部の人たちから神格化されてもいる『ダークナイト』にはおよばなかったと思うけど、でも最初に書いたとおりスクリーンではとても見ごたえありました。

もし劇場で3作連続上映なんて催しがあったら、ぜひ参加してみたいですね。

めちゃくちゃ疲れそうだけど。

ノーラン監督、ひとまずはシリーズ終了お疲れさまでした!



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