レオス・カラックス監督、マリオン・コティヤール、アダム・ドライヴァー、サイモン・ヘルバーク、デヴィン・マクドウェル、ロン・メイル、ラッセル・メイル、古舘寛治、福島リラ、水原希子、ナスティア・カラックスほか出演の『アネット』。2021年作品。PG12。

 

原案・音楽はスパークス。メンバーのロン・メイルとラッセル・メイルは出演もしている(音楽監督はクレマン・デュコルとフィオラ・カトラー)。

 

 

 

ロサンゼルス。スタンダップ・コメディアンのヘンリー(アダム・ドライヴァー)とオペラ歌手のアン(マリオン・コティヤール)は熱愛の末、アンが娘のアネットを産む。しかし、夫婦の成功格差を言い訳にしてヘンリーは母娘を置いて夜遊びに耽り、ヘンリーの過去の女性たちへの暴力行為も暴露される。

 

ネタバレがありますので、これからご覧になるかたはどうぞ鑑賞後にお読みください。

 

フランスのレオス・カラックス監督の初の英語映画、またミュージカル初挑戦作品ということで、映画ファンの間では話題になっているので興味を持ちました。評判もいいようですし。

 

もっとも、僕はカラックス監督の映画って90年代にドニ・ラヴァンとジュリエット・ビノシュ主演の『汚れた血』をヴィデオで(多分、TVでオンエアされたのを録画したんだと思うが)、また、『ポンヌフの恋人』を劇場公開時に観たきりで、それ以来ご無沙汰だったし、滅多にフランス映画を観ないこともあって、恥ずかしながらレオス・カラックスと今年初めに亡くなったジャン=ジャック・ベネックスの区別もちゃんとついてないぐらい無知だったりします。

 

『ポンヌフの恋人』についても、劇中に登場するポンヌフ橋をわざわざ映画のためにオープンセットで作った、という舞台裏のエピソードぐらいしか覚えてなくて、どんなお話だったのかもほぼ記憶にないし。

 

でも、主演が今売れまくってるアダム・ドライヴァーと『エディット・ピアフ~愛の讃歌~』(2007) が好きだったマリオン・コティヤールで、しかもミュージカルということなので、観ておきたいな、と思って。

 

 

 

 

で、いきなり結論ですが、とてもユニークな作品だし観てよかったけれど、面白かったかどうかで言うと僕は面白いとは思わなかったし、そんなに好きなタイプの映画ではないです。

 

「愛が、たぎる。」というキャッチコピーとともに嵐の中で大波がザバァ~ンとなってる中でダンスする二人が写っているポスターを見ると、波瀾万丈なメロドラマみたいな内容を想像するし、そういうところもないではないけれど、僕が観終わって思い出したのはラース・フォン・トリアー監督、ビョーク主演の『ダンサー・イン・ザ・ダーク』(2000) でした。

 

 

 

ミュージック・クリップ風の演出と、何よりも内容が暗い。

 

ただし、『ダンサー~』のようにダンスシーンはなくて、登場人物たちが台詞の代わりに唄う。歌が台詞の役割を担う。逆に唄わない素の芝居の場面はある程度限られている。

 

 

 

歌で物語を紡いでいく手法をとっている。映画、というよりもステージのショーを観ている感覚。

 

スパークス作詞作曲の歌は全曲聴き応えがあって、特に冒頭の歌はワクワクさせられて「これは好きな感じかも」と思ったんだけど、通常の劇映画のようにわかりやすく物語が描かれていなくて歌の歌詞からそれを読み取る必要があるし、場面転換もブツ切れ気味で、ストーリー自体も「クズ男が夫婦や親子の関係を破壊した挙げ句、捕まる」という救いのないものなのでゲンナリしてしまった。140分もあるのに、ミュージカル映画を観た!っていう満足感が得られなくて。

 

 

 

『ダンサー~』もそうだけど、ヨーロッパの人ってなんでこんな暗いミュージカル映画を作るんだろう。

 

なので、楽しく唄って踊るミュージカルを期待すると大いに首をかしげることになると思いますが、最初に「ユニークな作品」と評したように、既存のミュージカル映画のイメージからはみ出た、いろいろ変わったことを試みている映画として、頭が柔らかい人には面白く感じられるかもしれない。

 

あいにく僕はこの映画を観ながら全然ついていけてない自分の頭の固さを痛感したし、なまじ音楽が耳に心地よいものだから幾度も意識が遠退きかけて、鑑賞中に何度も「俺は一体何を見せられているんだろう」と思ったのでした。

 

一方で、舞台の上から観客を挑発するようなスタイルのヘンリー(コメディアンなのにちっとも笑えないのがこれまたイライラさせられるんだが)は、先日アカデミー賞授賞式でウィル・スミスから平手打ちを食らったクリス・ロックを思わせるし(アダム・ドライヴァーへの協力としてエンドクレジットに彼の名前もあった)、ヘンリーの暴行を複数の女性たちが告発する場面は、ここのところ連日報道されている映画界での男性監督や男性俳優などによる性暴力の問題を連想させて、そういう部分で妙にタイムリーなところはあった。

 

アンとヘンリーの赤ん坊・アネットが人形で表現されているのが奇妙なんだけど、最後にその人形だったアネットが生身の人の姿(デヴィン・マクドウェル)になって、母や仕事で組んでいた指揮者(サイモン・ヘルバーク)を殺して自分のことも見世物にした父親を拒絶する場面と、先ほどの女性たちのヘンリーの暴力の告発とを併せて見れば、「アネット=人形」の理由は明白。

 

 

 

「人形」だった“娘”が最後に本当の自分の姿と歌声を取り戻す話なんだよね。

 

また、この映画はカラックス監督の娘・ナスティアに捧げられている。ナスティア・カラックスは映画の冒頭でレオス・カラックスとともに出演している。

 

これは父の娘に対する想いを描いた映画で、最悪の夫、最悪の父親、最悪の男性を描くことで、ある種の反面教師として男性である自分自身を見つめ直すことをうながされる。

 

繰り返すように音楽は素晴らしいのでそれだけでも観る価値はあるだろうし、けっして難解ではなくて描かれているのは「今現在」を反映したものだから、ただ唄って現実逃避するだけの作品ではない。愛着を感じる人もいるでしょう。

 

アネットの人形がリアルな造形で、それでいて絶妙に「人形」なのがいいんですよね。アネット人形の不憫な感じは実に見事で、とても可愛らしいからこそ、人形だった彼女が人間として映し出されて自己主張するあの場面でハッとさせられる。

 

アネットは人形ではなくて人間なのだということを、観客はあらためて思い知らされる。

 

この映画には、出産場面で産婦人科医役として古舘寛治が、また同じ場面では看護師役で福島リラが、それからヘンリーを告発する女性たちの中の一人で水原希子が出演しているし、「ベビー・アネット」の公演先として六本木の地名も出てくるけど(中国とごっちゃになってるっぽかったが)、それは日本がこの映画を共同製作しているからでもあるのでしょうが、子どもを見世物として扱い、女性に性暴力を働く男を描く映画で日本人が出てくることに何か意味が込められているかのように感じてしまうのが少々哀しくもあった。

 

 

 

 

僕は出演作を観るのは2014年の『エヴァの告白』以来となるマリオン・コティヤールは相変わらず綺麗だし、心なしかいつも以上に顔が長く見えるアダム・ドライヴァー(笑)も、彼らの歌声が聴けたのはよかった。ラストで収監されたあとは老人のように老け込んで見えたり、アダム・ドライヴァーはもはや安心と信頼のクズ演技で。

 

ヘンリーが指揮者を殺す場面では、長身でガタイのいいアダム・ドライヴァーに比べて指揮者役のサイモン・ヘルバークは小柄でわりと華奢な体格なので、ヘンリーが指揮者をいたぶるように突き飛ばして一方的に暴力を振るい、最後に撲殺するところは観ていて本当に不快だった。

 

 

 

あの美しかったヘンリーとアンの家が、ヘンリーが逮捕されたあとはプールも干上がり木製のチェアもうち捨てられて廃墟のようになっている様子は、『ゴッドファーザー PART III』の冒頭でかつてのコルレオーネ家のタホ湖のコテージが廃墟になっていた様子を思い出す。

 

監督のカラックスさんがこの映画のヘンリーの言動にこれまでの自分の人生を投影させていたのかどうかは知りませんが(企画の原案はスパークスの二人だし)、「暴力」を批判する内容であることは確かで、それは去年アダム・ドライヴァーが出演した『最後の決闘裁判』のテーマとも通じるものがあるし、「ミュージカル」という一見華やかな形式を用いてこういう物語を描いたことはいかにも今っぽくはある。

 

だから、ちまたでは高く評価されているらしいのも理解はできるんだけど、これは個人的な映画の好みもあるだろうし、もしかしたら観たタイミングのせいもあるかもしれないけれど、僕は満足感よりも「疲れ」の方をより強く感じてしまって、しんどかったです。楽しいミュージカル映画を観たかったなぁ。

 

 

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