銀二貫 ~第4章「同月同日の大火」~ | 北浜・西天満で働く弁護士のブログ

銀二貫 ~第4章「同月同日の大火」~

1月21日ブログ「銀二貫 ~序章~

2月1日ブログ「銀二貫 ~序章②~

2月3日ブログ「銀二貫 ~第1章「仇討ち買い」~

2月4日ブログ「銀二貫 ~第2章「商人の矜持」①~

2月6日ブログ「銀二貫 ~第2章「商人の矜持」②~

2月7日ブログ「銀二貫 ~第3章「真帆」~


【あらすじ】

大阪天満の寒天屋問屋の主・和助は、仇討ちで父を亡くした鶴乃輔を銀二貫で救う。大火で焼失した天満宮再建のための大金だった。引きとられ松吉と改めた少年は、商人の厳しい躾と生活に耐えていく。料理人嘉平と愛娘真帆ら情深い人々に支えられ、松吉は新たな寒天作りを志すが、またもや大火が町を襲い、真帆は顔半面に火傷を負い姿を消す…。

高田郁(かおる)著/銀二貫/株式会社幻冬舎発行/2010年8月発行」裏表紙より。


青色部分が第4章のあらすじ。

第4章は「同月同日の大火」


1777.12.19

天満火 :堂島蜆橋北東詰、小茶屋の二階より出火…淀川岸まで焼抜け

1783.12.23

内平野町出火:内平野町二丁目米屋平右衛門家尻より出火…凡1500戸焼失

(2月1日ブログ「銀二貫 ~序章②~ 」より。)



 大阪市の消防記録にある

 1777年12月の「天満火」と、1783年12月の「内平野町出火」を、題材にしていると思われます。


 この本でも出てきますが、


 天明の大飢饉1782~1788

 ⇒悪天候や冷害で農作物の収穫が激減。東北地方の農村を中心に飢餓や疫病の被害発生。

江戸時代に起きた「江戸四大飢饉」の1つで、一番甚大な飢饉。日本の近世史上においても最大といわれている。

  *その他3つの大飢饉(①寛永の大飢饉(1642~1643)、②享保の大飢饉(1732)、③天保の大飢饉(1833~1839)


 浅間山の大噴火1783.8.5)

 ⇒ 噴火による直接被害も甚大であったが、更に、日射量低下による冷害をもたらし、農作物には壊滅的な被害が生じた。これが、深刻な飢饉状態に拍車をかけた。


 ⇒さらに当時は、幕府で「重商主義」政策がとられていたこととも相まって、米価の上昇に歯止めがかからず、飢饉が全国規模に拡大することとなった。

 ⇒また、農村部から逃げ出した農民が、各都市部へ流入し、治安の悪化が進行した。江戸や大坂で米屋への打ちこわしが起こり、その後全国各地へ広がった。


*ウィキペディアを参照してざっと記載。便利ですが、正確性は保証できず。各自でご確認くださると助かります。 (ウィキペディアに関連したブログ:1月25日ブログ「梅田北ヤード2期地区(ただし、まだ構想段階…) 」)



 異常気象、野菜などの農作物の高騰、世界各地での民衆の暴動…。

 現代に通じるものがあります。



 天災・人災が、集中砲火のように起こった、近世史上最悪の時代。


 「天下の台所」ではなく、正に「火の車」の中で生き抜き、

今の街・文化の礎を築いた、古(いにしえ)の人達。


 これは、そんな偉大な人々を、さりげなく描いた時代小説のように思います。


 さて、「真帆」はどうなった?(裏表紙に書いてありますが…)




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2月13日ブログ「銀二貫 ~第5章「再会」~

2月17日ブログ「銀二貫 ~ 第6章-第10章 ①~

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