銀二貫 ~ 第6章-第10章 ②~
2月17日ブログ「銀二貫 ~ 第6章-第10章 ①~ 」の続き。
物語の行く末は割愛。
ここでは、この小説に度々登場する、3つの言葉をご紹介。
始末、才覚、神信心- この三つは、大坂の地で商いをする者にとって、日々の要(かなめ)となる大切な心がけであった。収支を計って身を慎み、知恵を絞るだけでは、ひとかどの商人とは呼べない。神仏に感謝する気持ちがあって初めて、真の大坂商人と呼べるのである。
(高田郁(かおる)著/銀二貫/株式会社幻冬舎発行/2010年8月発行」第3章「真帆」85~86頁より)
①始末、②才覚、③神信心
②才覚は、「知恵を絞る」という意味であるとして。
①始末という言葉の響きが、とても耳に残りました。
「始末」という言葉の意味は、現代では、
ⅰ)物事の始めと終わり。また成り行き、いきさつ。⇒「事の始末を見守る。」
ⅱ)ある物事の最終的な状況。特によくない結果。⇒「しまいには泣き出す始末だ。」
ⅲ)物事の締めくくりをつけること。後片付けをすること。処理。⇒「火の始末」、「店を始末して帰る。」
という意味で使うことが多いです。「始末書」など、どちらかというとネガティブに使われます。
しかし、ここでは、
ⅳ)浪費をしないように気を付けること。また、そのさま。倹約。 ⇒「用紙を始末する。」
という意味で使われています。「始末に始末を重ねて…。」
「始末」という言葉。
とても深い言葉に感じました。
また、大坂商人にとって、これまた欠かせないのが③神信心です。
2月3日ブログ「銀二貫 ~第1章「仇討ち買い」~ 」でも紹介したとおり、
天満宮、天神橋、そして東天に向かって手を合わせる、和助や大阪商人の姿が、その現れです。
最近、NHK大河ドラマをちらっと観た時、江(ごう)が織田信長が「私は神である」と言った織田信長に対し、「人は神にはなれませね。」と言ったのが印象的でしたが。
私は、ここでの③神信心は、そういった奢った態度を捨て、「謙虚に振る舞い、感謝する心」を意味するものであると捉えています。
2月6日ブログ「銀二貫 ~第2章「商人の矜持」②~ 」で紹介した、
「のれん」の言葉も好きですが、
この大坂商人の心得、
①始末、②才覚、③神信心
も、今後の経営・人生に役立つ、良い言葉だと感じています。
次回は最終章~銀二貫~。
このシリーズは最後にしたいと思います。
【関連ブログ】
1月21日ブログ「銀二貫 ~序章~ 」
2月1日ブログ「銀二貫 ~序章②~ 」
2月3日ブログ「銀二貫 ~第1章「仇討ち買い」~ 」
2月4日ブログ「銀二貫 ~第2章「商人の矜持」①~ 」
2月6日ブログ「銀二貫 ~第2章「商人の矜持」②~ 」
2月7日ブログ「銀二貫 ~第3章「真帆」~ 」
2月10日ブログ「銀二貫 ~第4章「同月同日の大火」~ 」
2月13日ブログ「銀二貫 ~第5章「再会」~ 」
2月17日ブログ「銀二貫 ~ 第6章-第10章 ①~ 」
2月20日ブログ「銀二貫 ~最終章「銀二貫」~ 」