そんなねぇ~ レアとかベイクドとか選ぶ以前。味の基本が身にしみてシッカリしてりゃぁいんだよ。 | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥
最近食べたもので一番おいしかったもの  Fight Money ナシの☂ネタ: さいきん喰ったモノで一番うまかったの? ヤマザキのチョコ山かな。  参加中 
 
 
 「今日これだけやらせてもらって それで明日もメシ喰えるのなら…」 
 できることなら そういう思いで労働やってる癖がついてしまわないうちに 
 その現場に慣れるまで時間がかかっても 
 自分が今なにやってるのか? 
 単に喰ってくためなのか、世間体を気にして 
 「一応ちゃんとした会社で働いていたほうがいい」 
 という、安易にも 誰が用意したわけでもないのに 
 世の中の常識というレールに乗っけられた時間を過ごすのか… 
 そのうち、なんのためにやってるのか? 
 なんのためにやってきたのか?
 
 だいたい、その程度のところへ ぶつかっちまっても 
 まだ仕事があるだけ ありがたいよな。
 
 病気でも事故の後遺症でも先天性の障害でも 
 肉体がダメなために就職できないとか
 どんな仕事も手につかないほど精神状態が不安定…という、
 これも根本的に肉体そのもの、筋肉全体に流れる血液循環に問題あるんだけど 
 今後これから、そういったヒトが非常に多くなる。
 若いヒトに増えてくる。 
 
 んじゃぁ、その若者は社会に出る以前に 
 各種、大学、高校、義務教育を受ける以前に 
 保育園や幼稚園へ通って野っ原を走り回ってた以前に 
 産まれる前、母親の胎内にいたときは どうだったのか? 
 
 昨年までは、この問題について 
 大きく特集して いろいろ書いてきた。  
 でも、もう今は そんな話が通じるほど余裕ある人間は 
 世の中に非常に少なくなってきた。 
 単に ヒトの話が聞けないとか どのヒトも自分本位、自分勝手などという、
 表面的な問題ではなく 
 階級を失った人類が自然界に抹殺、抹消されるスピードが速まっている・・・・。 
 
 おっと、これじゃぁぜんぜん話がチンプンカンプンだよな。  
 
 ようするに 今日なんの気なしに生きてるようでも 
 オンナなら女が 男なら男が 
 ヒトとして生かされている役割、義務、責務…そういったことを怠り 
 自分自身を見失った者から自然界に棄てられるってことだな。 
 
 もうこれからは その年齢や性別に関係なく 
 容赦なく切り捨てられる。 
 それは、世の中からとか社会から必要とされなくなるわけじゃない。 
 自ら、自分自身で 「もう要らないかな…」 
 という選択に鎖し迫られてしまうってことだ。
 経験者なら判るとおもうけど 
 つい昨日までは少なかったのに
 そういうヒトで 世の中がいっぱいになりつつある。 
 
 んで、そういったヒトたちは今、具体的に 
 その肉体の、どこがどのように おかしくなっちまっているのか? 
 
 1980年代から90年代にかけては 
 膀胱と腎臓の関係からくる人間の背中側の筋肉全体の血液循環が 
 本来の人間として創られた状態 から外れてる年寄りとかが多かった。
 その筋肉のひずみ、ゆがみ、変形、冷え、硬直、重み、むくみ…ってもんが 
 世の中の全体的に、当時の60代後半から70代、80代、90代に多かったんだけど 
 世間的には いわゆる老化現象とか更年期障害ということで片づけられていたことも 
 いつしか、自律神経失調症とか慢性疲労症候群というクソな呼び名に替っていって 
 その後は、そういう、足腰、背中、肩、首、後頭部、マブタのむくみ…
 といった場所へ現れる いろいろな症状が年寄ばかりか 
 30代後半、40代、50代の働き盛りな年齢におちこんできてた。つい昨日までな。
 もともと腰にある腎臓ふたつが全身に流れる血液をキレイに掃除(濾過)して 
 要らないモノを膀胱へ送って小便で出すという関係が 
 朝昼晩にわたり機能的に おかしくなってきて 結果、
 人間の後ろ側の筋肉のバランスが その水分や血液の潤いも全体的に狂ってくる。
 ちゃんと小便が出なくなって部分的に足腰(とくに陰の部分)のあちこちに分散して 
 微熱がつづいたり、細胞の構造がおかしくなっちまう場合もあるんだけど 
 1980年代ってのは、そういうふうに人間の背中側が酷く疲れ過ぎた人間が多かった。
 とりあえず、その類いで心身のバランス狂ってる状態の人間の有様を
 ここでは仮に、
 
   Michael 【マイケル】って呼び方にしとこう! 
 
 「えぇっ! おまえマイケルなの?」 
 てな具合にな。
 んで、そのマイケルっぽいヒトは 今でも 多いっちゅやぁ多いんだけど 
 両脚の膝の裏から下、ふくらはぎとかアキレス腱、外くるぶしの辺りの筋肉に
 正しく血液循環を促すことで 自分で治すことも可能だった。
 それによって 腰や背中、肩甲骨のあたり、首の重みや後頭部の痛みも 
 目がショボショボするほど朝から浮腫んで仕方ない場合も 
 だいたいスッキリ治すことができた。
 ところが、そういったことを知らず解らずして 世の中では
 年寄り連中に高額な健康機具や健康食品の数々を騙し売る時期も終わって 
 西暦で 90年代も終わりにさしかかる頃には 
 世界中の人間が、経済や現代医療の行き詰まりに悩むようになると 
 今度は みんなでこぞって、申し合わせたように 胃の関係が悪くなってきた。
 身体の中心軸に近く、食べた物、飲んだ物が通り抜ける消化器官。 
 この関係は人間の胃とか食道へつながって それらの内臓をしっかりと支えるための 
 おなか全体の筋肉脾臓 の中心、臍の下と、口のまわり、歯を支える歯茎。それから 
 人間の肉体そのものの、前側の筋肉…額とか顔の筋肉の柔らかい部分。頬骨のまわり。
 そういったところと密接に関わって、下半身では膝関節を中心に足首の前側… 
 でもって、肉体に起るすべての痙攣や痺れという問題に関わってきた。あの90年代に。
 それは今ここで云うところの、マイケルな状態が更に悪化したということじゃなく 
 自然界の激しい変化、情勢の移り変わり、時代の変貌と伴って 
 人間たちが自ら進んで 自業自得で 
 人間の胃にまつわる筋肉の異常を己に引き寄せ、招き起こしたって結果だ。 
 みんなで胃グスリ呑んでみても そんなもん、
 しっかりと原因を自覚できねぇもんが その場しのぎに何やってみても治るわけがない。
 よし、ここでもワカリヤスク、その状態に陥った連中(多くの文明人)を仮に… 
 
   Brett&Kane 【ブレットandケイン】 
 
 と、しとこう。
 …由来は、映画『1984』に主演の、John Hurt さん
 あの、映画『エイリアン』のフェイスハガーに やられる役をやってて 
 そこへ同じ宇宙船の乗組員としていた、Harry Dean Stanton さんの、
 それぞれ物語の役名からとってつけた。
 
 
 「体質的に」などと考えるまでもなく 太っていても痩せていても 
 腎臓と膀胱の関係からくる状態で 
 普段から小便の出もわるく 残尿感あったり 
 そのために尿道筋肉から体内に逆流した余分な水分が多くて 
 筋肉が冷えたり硬くなったり 疲れやすく、だるく 
 足のふくらはぎや坐骨のほか、「腰が痛い」とか「首が重い」だの 
 「後頭部が苦しい…」だの、あるいは 
 自分は「冷え性だ」などと単に思い込んでるだけの、いい歳こいたオバサンを含め 
 どこかしら全身筋肉に支障を来たしてるような連中を総称して、マイケル
 
 んで、
 つね日頃から鳩尾【みぞおち】のあたりに いつも違和感あったり 
 カレーうどん喰ってもスグに胃がもたれて 
 そっから先の動きが その歩き方まで 
 ひきつる胃のあたりを庇うような状態になっちまうヒトとか 
 そういうのを総称して、ブレット&ケイン。 
 
 このページでは、そう呼んでやることにする。 
 
 あのぉ~ 今ここへ書いてあることに 現代日本人とか 
 西洋文化圏の文明人のすべてのヒトが当てはまるわけじゃないんだけど 
 全体的に視て時代を追うごとに 
 そういう特徴が多かったってことだよ。人間の世界に。 
 
 んで、それだけで終わらない。
 おそらく、ちゃんと…人間というモノを ある程度トータルして診て捉えることができるヒトで 
 自分自身の肉体にも精神状態にも余裕あって元気な治療院の先生モグリでなく現役の開業医さんとか 
 偏屈な解剖学とか統計データに拘らず、長年、ヒトのカラダ診てカネもらってる病院の先生方が 
 今まだ世の中におられるなら、そういったヒトには通じる話かもしれないけど 
 今度、21世紀に入って、世の中の多くの人間が その特徴的に 
 どうなってしまっているのか? 
 人間が母親の胎内にいるときに膝を囲んでまるまっている状態で発育する段階でも 
 背中側というのは光が当たる陽の部分。これが背骨を中心にして とくに
 ヒトの形になって母親の胎内から産みおとされからは 
 腰にある腎臓と それと密接に関わる膀胱、尿道筋肉、生殖器の不具合や支障とも関係してくる。
 反対に 陰になっている前側の筋肉は 人間の前頭部とか
 胃にまつわる筋肉の異常につながってくる。
 して、さいきんは そういったヒトが徐々に成長して やがて肉体が破壊され死に逝く以前に 
 全体的にみてみて 人間の側面。とくにそれは ヒトの胆嚢【たんのう】と肝臓の関係。
 これが人間の頭部では側頭部に生じる様々な問題に関係してくる。
 
 まずもってして 
 人間ひとり、それを横から見たとき 
 姿勢よく真っ直ぐになってりゃぁ全体的な筋肉細胞への血液循環も酸素供給も 
 本来の創られ方 にそって正常なものを 
 
   “Mind Resolve” ~ ヒトとちがうこたぁわかってんだからもう確認作業はいいな。それよっか一秒でも充実した時間ふやす工夫しねぇとな。-naizoukasui&yohoro    “Mind Resolve” ~ ヒトとちがうこたぁわかってんだからもう確認作業はいいな。それよっか一秒でも充実した時間ふやす工夫しねぇとな。-Nips&Japs  
 
 こんな、エイリアンのデキソコナイみてぇな格好になっちまってるかぎり、
 その後ろ側も前側の筋肉も 
 ヒトひとり健康的に生きる人間として正常な血液循環があるわけがない。 
 そして さまざまに悩み苦しんで その、そんな肉体では 
 どんなになにを努力しようと 頑張りすぎる自分を褒めて励まそうと 
 その日そのときに考えたことのすべてが満足に実行できるわけがない。 
 なにごと承知でも、そんな肉体では 自分の考えた通りに考えたことが実行できない。
 「なせばなる」とか「やればできる?」 莫迦いってんじゃねーよ。  
 そんな無理すりゃするほど 肉体はもっとダメになるし 
 ひとつ考えたことが満足に成せなかった日には 
 その後悔や無念、心残りは必ず、次の行動にも祟ってくる。
 そのうち、「…あ~あ、やっぱダメだぁ~」であるなら 
 ぞくにいう胃痙攣とか神経性胃炎とか 
 ひどい場合は悩んだ胃の中が爛れて喀血するとか… 
 その程度で済んでいた時代も もうとっくの昔にすぎて 
 今は大勢のヒトが 思い通りにならないことが募りに募って 
 イライラが治まらなかったり ムシャクシャしたウサバラシに
 言葉で他人の心を傷つけることが平気になっちまったり  
 誰が誰を!という問題も ヒトの所為も  
 他人への押しつけも命令口調も見くだす態度も  
 他力本願な権利の主張の数々も まず問題は 
 その肉体の側面の筋肉に流れる血液循環の異常と 
 胆汁をマトモに分泌することを怠ってしまう胆嚢【たんのう】と 人間の肝臓の関係。
 結果的に胆道に砂や結石が詰まった経験あるヒトも 
 そういうことで悩んだヒトを親に持つヒトも 
 今まだ鈍間な現代医学では
 人間の身体を正しく診て 正しく原因を突きとめることができないために 
 それをそのまま中途半端にした結果に 
 最悪な場合、人間の側頭部のどちらかにある重要な血管に血栓が起ったり 
 エラの筋肉からコメカミにかけて 
 血液循環の鈍くなった場所がひきつったり 
 顔面神経痛みてぇなことになっちまってるヒトも 
 普段、クチにはしなくても大勢いる。
 
 これら、人間の側面、側頭部の筋肉に異常が生じてるような連中
 このページでは そういうのを仮に 
 
   Henry 【ヘンリー】  
 
 というふうに呼んでおくことにしよう。 ザマミロ。 
 そして、 
 今日はもう、この問題について あまり詳しく書かないけど 
  
   人間の肝臓と胆のうの関係  
 
 興味あるひとは この先 にあるので あとでゆっくり読んでみてね。
 
 んで、この、1980年代~90年代のマイケル。
 90年代後半の、ブレット&ケイン。 
 21世紀初頭は、ヘンリー。
 という3段階。
 これはとくに、「あなたの臓器が今このように兇い!」などという浅墓な問題じゃない。 
 読んでいるヒトが何を どう勘違いしようと勝手だけど 
 臓器の名称や医学用語っぽい言葉を遣っていても 
 それは 巷の一般世間様常識に俗す学者っぽい方々が立派にお勉強された恥識とか 
 どっかのに並べられた我苦問や その他、たとえば 
 全国お祭りカレンダーで生計をたてるテキヤのみなさんを追い出しておきながら 
 もうそこには誰も寄りつかないような商店街の祭で安酒くらってるオヤジが 
 その人生に勝手に完成・完結したようなツラ構えで 
 なにごとも出来るフリ・解ったフリしてるようなデキアガリ田舎風情 の、
 クソと味噌を一緒にしたようなアタマの中身には関係なく 
 この自然界に生かされる人間、人類の、
 アタリマエの道理と事実に基づいて解説する手段としているだけのこった。 
 
 そういう意味で、
 1980年代~90年代のマイケルさん、90年代後半の、ブレット&ケインさん、 
 21世紀初頭の、ヘンリーさん。という、おおまかに識別した、退化する人類の3段階。 
 
 てなわけで、
 世の中の人間が今、その自分の肉体が自分の自由にならないために 
 中身の精神が肉体に追いつかない…という状態になってきた。
 単に「なってきた」と決めつけて申しわけないけど ホント今、
 世の中には そういったヒトが増えてきて 
 どこか街あるいてて右みても左みても 若いヒトほど 
 その顔つきからして辛そうで 
 なにかを悔やんだり妬んだり僻んだり落ち込んでるヒトが多い。 
 もしもいつか、その限界を超えようもんなら 
 さっき飲んで呑まされたようなクスリの成分 も効かずに 
 本来は肉体によって生かされるべき中身 の自由意志が 
 今の自分では想像もつかないところまで暴走しちまう場合も勃きてくる。
 それによって 自分以外の他人へ迷惑をかける犯罪に至ってしまったり 
 もう誰も決して取り返しつかないほどにまで 
 命を粗末にしちまうような結果自殺、自殺未遂を含む自然界に対する叛逆行為
 ハメられることもある。 
 
 いいか、それが世の中の若いヒトのぜんぶじゃねぇよ。 
 もう産まれる以前から 身の周り なんでも便利で快適な世の中で 
 今日を生きるために必要以上の知識で利口になりすぎた人間を 
 今まだ日本の義務教育現場が 
 旧いシキタリやクソな教育常識、オトナの都合で縛りつけるかぎり 
 それはもう なにか命の育みや その尊さを重んじて人間らしさを培う場所ではなく 
 犯罪者予備校でしかない。 
 他の省庁より必要以上に異常なまでに
 公職員の数が無駄に多すぎる文部科学省配下の、あらゆる教育現場がな。
 
 これが過激すぎる表現かどうかは 
 今後の世の中の動きそのもの 
 もうあと何年もしないうちに 今よりハッキリしてくることなんだけど 
 これからの世の中に またもや 
 
     なんで?!   
 
 というほど残忍で非道な青少年犯罪が増えてきても 
 日本の教育現場にセコセコ税金まわしてる教育関係機関は 
 嘘にクソをなすりつけた状態で 
 人間が人間として生きるためには役に立たないことばかりを 
 肉体がダメになった者へ植え付け詰め込まさせてゆく。 
 仕方ない。 
 それによって今より未来に生きる人間が どのように苦しもうと 
 過去、いま生きてる者の数より死んだ者のほうが多い事実も明確な世の中で 
 自分だけが生きて死んで世のなか終わるような格好のオトナ連中いっぱいだ。
 雑務に追われるばかりの大人の都合で 
 「何時までにやりなさい!」「早くしなさい!」 
 その、勝手にくくられた制限時間にも追いつけず そこから外れた者が 
 昨日も、今日も、また明日も? 「またかよ!」ってことで 
 「あいつはダメだ」「…自分はダメだ」・・・・・ 
 そうやって、そんな些細な積み重ねの日常から
 世の中にイジメや くだらんツマハジキとか 
 誰かを悪者あつかいしないと ひとつにまとまれない、そんな
 小さく貧しい集団構造がデッチアゲられる。社会にも、教育現場の片隅にもな。
 ヘンリーさんも マイケルさんも ブレット&バターさんも 
 俺もふくめて  こんな腐った世界の人間(?)見習って生きるより 
 クソな社会常識から外れにハズレれても 
 自分が今こうしたい!と想ったことが 他人の迷惑でないないかぎり 
 それはとことん、どんどんやったほうがいい。 
 普通であるとか凡人でいたいとか「周りにあわせて」とか 
 そんなこと気にすることねぇし、
 そんな決まりはもう どこにもねぇんだよ。 
 
    どこにある?! 
 
 どのオトナも今、自分のその肉体にも心にも余裕なくて 
 いつ自分を見失ってもおかしくないほどギリギリのところで 
 あたふた、フラついてるようなのが多い。
 
 ある日、来日していたU2というバンド のメンバーが…
 たしか、2006年の11月の金曜日だったか 
 ちょうど その時期、日本のマスコミがこぞって
 イジメによる自殺問題を騒ぎたててた報道の一部 を知ったのか 
 ギタリストのエッジさんは 
 とある日本の音楽番組へ出演している最中、自ら 
 その日そのとき、その瞬間にテレビ観てるヒトたち(日本国民)へ向けて
 ひとこと云いたいことがあるということで その場にいた通訳をつうじて  
 ヴォーカルのBONOと顔を見合わせる間もなく 
 
    自分らしくいてください。 たとえ どんなことがあっても。  
 
 そんなこと、現代日本人に向けて放ったミュージシャンはいない。前代未聞だ。
 人間として首を傾げるほど 
 
    どうして? そんなことに… 
 
 おそらく 当時の過剰なまでに
 イジメを苦にした自殺報道による便乗自殺を促すメディアの狂った部分も知った上で 
 翌日へ控えるコンサートも忙しい中、
 ただただ、今そこにいて そこでこっちを見ている若者へ向けて、 
 
   自分らしくいてください。 どんなことが起っても。  
 
 その会場…スタジオの同じ場所には 後ろのほうに 
 ニッポンのアイドル垂れんとのみなさんも いろいろ腰かけていたんだけど 
 だれ独りとして そんなことはクチにせず 
 ただ番組進行の段取り通りに生放送に出演していた。…されていました。 
 んで、そのあと U2 の4人組による歌と演奏が2曲あった。
 
 さいきんの日本人の多くは U2 というバンドの位置づけを 
 そこいらに転がってる大勢のうちのひとつくらいにしか思ってねぇんだろうけど  #### 
 俺は あの番組を観てて驚いたよ。 
 いま自分が生きてる世界に起きてる問題が
 他人ごとには想えない外国人がいるのに 
 同じテレビという箱の中にいる日本人は どれも 
 自分の身近、同じ日本人の世の中に起ってる事実が
 結局、他人ゴトでしかないんだ。
 恥ずかしかったね。 
 
 
 
 
 よし、んじゃぁ、こうしよう! 今日は徹底的に比べてやる 
 そいつらテレビの仲の連中と 俺と U2の、なにが ちがうのか?  
 もちろん、日夜お忙しい方々と ヒマな俺と 
 今も世界中を飛びまわって歌ってる人たちでは 
 その肉体と精神の余裕は異なる。当然だよな。 
 ただ今日まで生きてきて 
 聴いてきた音楽がちがう!  大きくちがう。 
 
 ここが重要だ。 
 たとえば 
 
     Dexter Gordon “Cheese Cake”
 
 こんな感じで。 
 JAZZだけど  この曲 は U2ばかりか 
 たいていのロック・ミュージシャンなら一度は耳にしたことがあるはずだ。
 今の時代には もう失われた音のひとつ。 
 そこに役割分担がしっかり してて 
 「自分には なにもなくても音楽がある!」なんて 
 そんな あまっちょろい権利主張型のアタマでの演奏でもない。 
 「いま生きるために これしかねぇんだよ」っていう音。 
 そういうのを いっぱい聴いたかどうかで 
 次に聴く音楽がホンモノか?ニセモノかどうか? 
 判断できるセンスが備わるヒトもいる。 
 それで 今そこに生きてる自分自身を確認できるヒトもいる。 
  
    なに、知らない? 
 
 そりゃ残念。 でも、今日、ここで聴くことができた。
 
 
    よかったじゃん!