考えても答えは出せないことの答え (おおまかに。)  | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥

あめネタ:死ぬまでにしたいこと

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ある日、人間の男と女がいて、SEXをして 
やがて、その一方の肉体から 
「オギャー」と産まれた元気な赤ちゃんがいました。
その子供は、目も耳も口も、カワイイ鼻もあって 
左の手は左側に
右の手は右側についていて右に在る形をしていて 
そういうふうに当り前に手足があり、肛門もあり、
五体満足な肉体で、乳を飲んでスクスクと育ちました。
そうしてそうして、保育園、幼稚園へ入り 
食べるにも飲むにもトイレで用を足すにも 
自分のことは、だいたい自分でできるようになり 
小学校へ通い、中学生になり、そういう義務教育を受け、
高等学校という場所へも進学することになりました。
その間に、右を見ても左を見ても自分の好き嫌いも色々に…  
そのようにいっぱい勉強もして、本も読んで 
自分や親兄弟とは別の他人とも出逢い  
立派な大人の仲間入りをした格好で社会へ出ました。
    
と、ここまでは、日本の明治・大正・昭和の常識のうち 
昭和の戦争時代のあとの、おおよその世の中。 
    
わるいが、そこにも、ひとつも
ゼロ 、原点はない
この自然界において生きた生命、命の数が、
今こうして目に見える形で生きている者の数より 
死んだ者の数のほうが多い世の中で 
ひとつひとつの… 
人間なら人間の創られ方の道理。その構造や義務、役割における、
創られ方の事実は、そういう誰もが判りきったようなことではない。
今の世の中には、自分と神の関係についても  
あまりにも不足箇所が多い。
    
それが男でも、女でも、たとえ性別の判りにくいような人でも 
ヒト独りが、「オギャー」と産まれたことは、既に結果であって 
単にこの世に姿カタチを現して存在した、その「産まれた」という事実が
原点ではないし、そこに、ゼロはない。
「この人類は、いつからはじまり、いつに終わるのか…」
という問題でもない。 
    
人間、誰もが、この世に産み落とされる以前、
母親の胎内に宿される以前に、ある特定の条件が整った“瞬間”に 
目に見える存在の誰が選んだわけでもなく、受胎。
精子と卵子がぶつかった瞬間から、細胞分裂がはじまる。
人間の心、精神、魂…などという言葉で云うなら、
人間の心ってのは、その最初の細胞分裂がはじまる前の、その受胎の瞬間に入る。
そこから、ヒトの肉体と心は同時進行で、生きる方向へ向かって 
生きる者は生きるし、死ぬ者は死ぬ。 
人間の母親の胎内で、通常の取り決めでは 
十月十日【とつきとおか】という歳月、妊娠期間を経て 
その母親の子宮の位置が妊娠前から自分の正常な場所にあるなら 
その間、母体にはツワリもなく、流産などの心配もなく、マタニティ・ブルーなどということもないし 
産むときも、産まれるときも、人が この世に生きて生かされる間の人生と同じくして 
押す人がいて、ひっぱる人がいて、正常な分娩があり 
その結果に、ヒト一人が この世に産まれてくる。 
    
それ以前の、人間の形として肉体になるずっと前の、
受胎の瞬間に入る人間の心、精神、たましい…というものの、
おおよその構造ってのも、これまた自然界にある取り決めで 
そのことがまず、現代の教育や社会常識はおろか 
これまでのあらゆる学問や教育 どの学識にも何の思想にも、どんな宗教や哲学にも… 
なかったし、その実態を解き明かせる者も、今までは存在しなかった…だよな。
品種改良された植物の交配や、交尾をする前の段階で 
人間が勝手に種類を操作してしまうような犬や猫の雑種動物とは違って 
自然界の動植物とは別に人間の魂は特別な構造になってる。
人間は常に、何世代にもわたり、自分の先祖から受け継いだ、
自分が生きるために必要な能力を 
受胎の瞬間という、その肉体ができあがる以前の細胞分裂がはじまる最初の段階で 
既に入ってしまっている。
その受胎の瞬間がハッキリとする以前に、SEXをした父親の精子の中や 
月に一度、定期的に排卵を迎える母親の卵巣の中とか 
アホな学者連中が唱える遺伝子とかって言うモノの中に 
次に産まれる人間の精神や魂、心が在るわけでもない。 
本来はすべてにおいて 
人間に与えられた生きるために最低限に必要な能力のひとつとしての性行為という、
この地球上では神聖な生命作用、神秘でも何でもない生命の動作…
子孫繁栄という、決して権利ではない義務によって 
ヒトはヒトとして、その肉体の最初の細胞分裂がはじまる瞬間に 
父親の先祖から2500種、母親の先祖から2500種という、ひとつひとつが 
その肉体がカタチになって生きるために必要な能力として 
合計、過去に自然界にまっとうして生きた5000人分の魂が、ひとまとまりとなって 
一人、人間の肉体を動かす精神の、自由意志として入っている。
そういう自然界の掟、定め、取り決め… 
普通の世間一般の人間の常識や 巷に溢れかえる『本』を読んだ知識だけでは 
そういうことは解らないので、今これを読んでいる人も 
「そうなのか。」「そうだったのか…」とは納得もできないし、理解しがたいかもしれないけど 
そういうことになってんの。誰もが産まれる以前から。人間ならな。 
    
んで、ヒトの自由意志としての精神に潜在する5000の魂。人間の心ってのは 
「ああでもない、こーでもない」といろいろに考えたり、悩んだりもするんだけど 
人間の喜怒哀楽の調節や変化、朝昼晩の心のうつりかわりってのは 
人間の肉体の内側にある臓器の状態や位置によって 
そのバランスを作用する。 
それ については、今日まで幾つか断片的でも、ある程度は他のページにいろいろと書いてきた。
これからも詳しく書いてゆく。それが俺の役目のひとつだしな。
    
現世にカタチ創られ、実在するものすべ
て、
その者が生きて行くために必要な職責・職能は、
既に形創られる前、受胎された瞬間から
大自然の法則によって完全に決められている。
    
というのはそういうことだ。
そして、自然界の動植物とは別に特別な構造になってる人間の魂。
性欲も食欲も、生きる意欲も、春夏秋冬を通して 
朝に晩に昼に夜に淡々と変わる人の心、考え方。
その5000という限定数の魂を統率するために 
神魂という神の魂が、やはり受胎の瞬間に入っている。
そうして人間は別の世界で素晴らしく磨かれた魂、心が入れられ 
死ぬ時期も決められて 
そこから規則正しい細胞分裂が始まり、十月十日、母体の中で人の形に成って行く。
そしてこの世で生きるために必要なすべての能力を備えられ 
母体から今生に産み落とされ、出生する。
その心、たましい、精神、幽体は、生涯、その肉体を動かしている。
だから、人の形になる以前、精子と卵子がぶつかった受胎の瞬間には既に 
その者が今生で果たすべくして与えられた義務、職責・職能も完全に決められている。
    
と、こういう堅苦しい云い方だと、通じる話も通じない部分とか 
人によっては いろいろに疑問に思うこともあるかもしれないけど 
そういうことをもっとワカリヤスクするためにも、別な解釈で、 
http://ameblo.jp/badlife/entry-10003358652.html
たとえば
こういう内容も書いて、既に出版もしてきたし、ほかにも 
インターネット上のウェブログというフォーマットを利用させてもらい 
俺なりに書いてはきた。
    
いま肉体を持って存在している自分自身の誰もが 
自分の父親と母親の先祖の魂としての5000種の能力を兼ね備えた人間として 
その自由意志の暴走を抑えるための感情が 
神の魂としてあって、独り人間の中身である今の精神状態、その心を統率している。
生きている人間の魂の成長と同時進行にある肉体に
その、ヒトの言葉でいうところの“神様”の力による統率がとれなくなってくると、
人は様々に悩み苦しんでみたり、場合によっては現代医学の世話になって 
病院へ行って、それぞれに処方されるクスリとか治療を受けたりしている。
今のところはな。 
…要らないモノを出すにも、入れすぎると時間がかかるかもな。
    
神は存在する。
確実に、生きている人間の肉体の中に。
…言葉で現すなら「神魂」
【しんこん】として存在している。
それが現存するために命は生かされている。
…ええっと、その神とは、
これまでの宗教の思想や適当な学問や学識の中で謳われ、ホザかれ、騙られてきたモノではない。
すべてを創造した側の、その一点は 
この自然界に今まだ、地球上という素晴らしい場所も 
その独り一人の人間が生息可能な地域も用意している。    
そういう神の存在を否定しても肯定しても意味はない。
既に、自分自身が この世に 
創られ、産まれ、育ち、死に逝く… 
という針のような結果的事実より以前の、とっくの昔、
先に決められていたことだからな。
    
だから、いのち在って 
この世に最初から間違って存在させられた者はいない。本来ならな。
生きることは限りなく義務の遂行であって 
死ぬことが人間の目的や自由ではない。
あらゆる人間の苦悩や考察、肉体と精神のバランスが崩れた不具合は 
自分自身が招いたうちの単なる結果でしかない。
大丈夫、原因は俺が究明するよ。
    
禍福に門なし、すべて己の招くところによる。
    
    
    
    
今日ここに書いたことの、これは、
「誰がどこから仕入れたネタなのか?」とか、
そういう問題ではない。
人間の創られ方にある道理の、そのひとつ。
「世の中に通じない」とか、誰に理解される・されない…の問題でもない。
今までなかったことなのに事実として在ったことを書いている。
それだけのこった。
    
    
    
    
ああ、6時になっちまった。
仕事いかなくちゃだな。
メシ喰って、クソしてから。
    
    
    
    


    
    
    
    
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 http://ameblo.jp/badlife/entry-10033883007.html  より。 
    
    
 ほか。