月刊 『 育つ場所が ちがう 』 2007’Winter 次号予告…として。  | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥
    
    
たとえ どんな人生であっても 
「それもあり!」 
ってことで いいとおもう。 
この世に肉体を持って存在していることは事実なので 
どのように生きていようと 
その事実は何者にも否定できない。
たとえ自分自身であろうともな。 
    
生きている者の数より死んだ者の数が多い地球上で 
誰もが精子と卵子の結合によって 
結果的に今の肉体になる細胞分裂からはじまって 
そういうふうに親があって存在している人間の、その独り、
そのはじまりは 
タマゴでもないし、ゲームやケータイの電源ではないし 
いま在る命が送る人生で人類が終わることはない。 
    
と、それは今まで 
つい最近、昨日までは  
この自然界に人間が創られ、産まれ、育ち、死に逝く… 
という誰も否定できない事実としての道理において 
ごく当然の、当り前の人間の姿カタチの在り方のひとつだった。 
おそらく、それは今日までも、そして明日からも 
変わらないことであるべきこと…だったかもしれない。 
    
今まで通りには誰もが生きづらくなってしまった今の世の中、
この時代では、男も女も 
ヒトが人として生きることが 
昨日よりも去年よりも、数年前よりも、十年、二十年前よりも、
百年、二百年、3百年、千年、2000年前よりも 
独り一人にとって困難になってきた。
創られたときに決められた魂の中身と、
成長するに従って変形、変容、変貌させられてしまう肉体との
つりあいが保てなくなってくる。
50,60台より40代。30代より20代。20代の若者より、10代、幼児、胎児…と。 
なにが どこからはじまって、この結果に至っているのか? 
    
五体満足・不満足や心身の支障のそれぞれの諸事情に拘わらず 
その心に何を被せてしまうのか? 
いったい、いつ、どこから、なにによって、本来あるべき道理や
自然の摂理、法則、原理原則から遠のいてしまったのか? 
そこで今、今までも、
自分自身とは何者であったのか? 
なんのために今、肉体を持った命として、この時間帯に存在しているのか? 
    
については 
残念ながら、今の人類人の世でいうところの21世紀初頭の世の中の 
現行の教育や医学、行政や経済社会の常識の範囲内では答えは出せない。
無論、幾つかに枝別れした奇妙で奇怪な格好の宗教思想や、
これまでの人類史に転がってるような、何者かの考察とか哲学でも無理。
一人~数人、数十人、数百人、数千万人程度の、
馬鹿が馬鹿を集め募った中で何を言っても、 誰かが誰より利口ということではない。)
世の中の新聞や本に書かれてあることは 
ほとんどすべて、“出来あがってしまったあと”の結果でしかない。 
晴れ晴れとした空や浜に打ち寄せる波とか 
雨が降り注ぐ大地の匂いや月影とか…そういう姿に「ゼロ」は存在しても 
今の人類社会に「0」はない。 
水は法縁の器に従い、人は善悪の友による。 
この時代に生きる人間が見失ってる「ゼロ」の前後に 
様々に迷惑な必要以上のモノが羅列していても 
“出来あがってしまったあと”の結果だけに囚われる大衆意識へ流されると 
魂の成長は止まるか足踏み状態。
時間だけが勝手に経過するように感じてしまう気分で過ごすことが永くなる。 
そこへハマっちまうと重症だ。 
たとえアタマで病気と死の区別がついても、常に死と背中合わせの闇に浸る。 
自分の肉体のコントロールも難しくなるほど 
自由意志に統率がとれなくなってくる。 
頭痛・歯痛・生理痛(など)も そのうちだ。
「最近なんだか肛門がムズ痒い!」とか、鼻毛の色や硬さが
「これは はじめて!」なんて発見にも 
自分なのか? 他人の気うつりなのか? 
区別・識別・判別が必要だ。 
    
   なに? そんなヒマはない? 
   だろーな。ケータイ画面を覗くのが忙しいし 
   ゲームもアニメも容量のオーヴァーに関係なく 
   オトナ以上に子供は肝臓の血を脳味噌に遣う。 
   気をつけてな。ゾンビやエイリアンに喰われるかもよ。 
   奴等の好物は塩分控えめな味噌知ルじゃねぇぞ。 
   残さず食べる。 
   ネコソギ喰い尽くす。 
    
という夢を見た。
いつだったか? 忘れたけど。
必要以上の、知識と美貌と経済でゴッタ返す日常生活に疲れて眠った夜に。 
    
肉体的にも精神的にも、どちらであっても何か辛く苦しいときや 
一時的に独りでいる時間が長く感じられてしまったときとか 
そういったモノが、どっかで用意される薬物のように気を紛らわせることはできても 
結局は、自分以外の人生が謎っただけの『単なる参考資料』に過ぎないので 
たとえば 
今の時代にとある一部の支配層の差し金に近いメディア全般が
追い求めているモノにしても、流行り廃りの時間の経過を過ぎると 
ゴミでしかない。 
そのイイ例が、パルプはじめ有限資源を徹底的に無駄にしている出版物の在庫とか 
テキトーに狭い範囲で流行してる雑多な雑音CD。その量産、二番煎じの既製品とか… 
亜細亜圏のインターネットの中身なんてのも、今のところはほとんど 
そういう20世紀の“人類の英知くん達”が膿ダシタ護美でしかない。 
    
もうちょっと進歩が必要だ。 
生きるために必要以上のモノの整理整頓。 
    
たとえ どんな人生であっても 
それもあり!で いいと想う 
誰が、いつ、どこで、どのように生きようと 
今この世に肉体を持って存在している事実は
たとえ自分自身であろうとも何者にも否定はできない中で 
何が自分自身に必要なのか? 
    
交換条件のない愛という、
枯れかけた草木を活かす心の潤いなのか? 
女としての素直さなのか? 
男としての逞しさなのか? 
最低限の権利が生かされていることへの感謝なのか? 
    
ヒト独りが平気で己の人生を投げ捨てるような…
そういう者が多くなってきてしまった世の中で 
騙されつづけた結果に肉体と精神のバランスを失った者が 
自分の産んだ子供に残忍・残虐なことをするような… 
意気地なしな育児に悩み苦しむ者が増え続ける社会で 
放課後の公園や塾の付近の空き地ではなく 
毎日毎日、大勢の生徒が登下校している立派に営業中の学校校舎の一室で 
子供が子供の喉をカッターナイフで掻き切る現実の世界で 
ヒトが人の人生から何を見習い、どこに楽しさや希望とか夢を共有しているのか? 
    
「神や仏はヒトを救わない」と吐き捨てられるような世の中で 
国の象徴と謳われる東京都千代田区の日本の真ん中に御住まいの方々は 
いま現実に己自身が人間の姿カタチをして存在している時代に 
どこを見て、何を残そうとして おられるのか? 
言葉だけの平和、ウワベ、見栄や体裁を見繕った“平和に病める国民のみなさん”が 
手を振り、SS以外は尻を向けず、日の丸の旗を振る光景を高いところから眺め 
この、「美しい」と呼ぶには厳しい【はなはだしい】国が本当に健全で豊かな国家であると 
自信をもった笑顔でいられるのか? 明日も? 
And I think to myself what a wonderful world … 
思想や旧いシキタリを超えて、今こそ 
云いたいことは本音で云ってもらいたい。 
なぜなら、あの日、玉音放送を聞かされた年寄り連中は 
いま未だ黒船来航時代から変わってない国民意識に気づかず 
今日までを過ごし、まもなく、その戦争体験者世代としての反省の経験や教訓を 
次の世代へ ほとんど正確に伝えることもないまま 
この世から消え去ろうとしている。 
サヨナラ眼が三角。
また来て人生は四角くい? 
小さくまとまっちまうので、大きく丸くはなれないのか? 
俺は毎日、ヒノマル弁当 喰ってるぞ。 
国旗ハタめくぅ基にぃ あつまれぇ、融通の利かぬ自由に乾杯! 
    
ありゃりゃん! こりゃりゃん! オヘソがないっ! 
やっこりゃまった、ト罰チリ、憫マガル♪ キビシぃーっ!
 
ヒトびとの意識の末端、民衆の底辺が大きく動き出す余力などなく 
耐震強度が軟弱な、携帯・あにめ・ゲーム産業にフヌケにされていても 
人間の肉体を動かす心ってのは 
「ここまで苦しくなると、もうどうにもならん!」 
ということで、長らくの慰め合いも厭きると、もはや妥協や保留には とどまらない。
いずれ必ず集団で自由意志を暴走させてしまう。 
アタリ前田のフリッカー! 
そんなアホな時代を繰り返して、人間としてこの世に生きる意識を低下させることはねぇだろ。
60兆という地球上に現存するか・しないかの生物生命の種類と同じ数の、
独りの人間の肉体を構成する細胞の数。 
大気も、海原も、大地もあって、そこに生かされていながら 
人間同士という同じ生物種族だけは、殺し合いを繰り返してきた数千年。 
そこから意識の向上を踏み間違えたわけでもねぇのに、今は 
「生きているのがラクだ!」
と、それを実感できる者は…いない。 
いるのか? どこに? 
トラの穴? 抜け忍? カムイ? 寒い? 弔い? 
いや、サマヨイです。 
おお、そうか! 君もデビルうぃ~んぐ高崎! 
いや、破れて飛べません。 
赤い羽根ボキンでしたぁ~っ。 
who~。…憑かれた。 ?。 
    
この国において、昭和60年という時代の還暦は いったいなんだったのか? 
1985年という西暦に合わせて 
押しつ押されつ、諸外国との経済追求の提携や同盟、フェアな競合に逸らされる毎日を過ごし 
あのとき清算すべきことは、なにひとつ今日の今日まで見送ったまま 
世の中は今、こんなになっちまったよ。 
次世代はもっと生き辛いことになっちまう。 
還暦を過ぎ去った年寄り連中の 
この世は この人生で完結す!的モードな生き方を虐げられても 
ご先祖様には判るまい! 
もう肉体はねぇからな。 
ところがどっこい、世界第2位の自殺大国、大ニッポン盆栽帝国! 
老人ボケも肥満も過労死も、癌の死亡率も交通事故も
この人類世界史上、トップクラスを誇る。 
なげやり、なりあがり、出来あがりの3拍子で 
ヒラキナオリに近い侘しい個人主義? 
あら、西洋カブレ? 
ロック・ミュージックの世界浸透に乗り遅れた我が国で? 
そりゃ御眼出隊! 給油活動に連合軍も大喜び! 
テロ対策? どこが? 侵略戦争、カネで参戦じゃん! もう8回ウラだろ。 
えっ!? 優勝したの? 尻ぃ頭で? 
バーゲンのハーケンクロイツ? 
旧約聖書も高級ブランドか? 2000年以上も前のが? 
ああ、先物取引もネットで大丈夫なんだったな。安心。暗心… 
原油価格を操ってるの誰だ? 
俺じゃねぇことは確かだな。 
減反政策をオモテ面に古米ココマイ捨ててまでアマクダリ先でキックバックに媚び諂い、
折角しぼったジュースをぉ~っ、水で薄めて横流しぃするのわぁ! もぉまっぴらだぁあ~ 
食管法と米の販売自由化で自分達以外に儲ける者が増えると 
コマッタさんもマガッタさんも、ノコッタ残った! 
米の相場の操作は相撲賭博のようにはいかない。 
WTOで他国に尻を叩かれる盆栽帝国では 
80、90の爺さん婆さんが作った大量の米を倉庫へ積みあげたまま 
売り捌き先を捜すにも、同じブランドをアホのように造らせ杉田玄米! 
しかも、「オラの人生で この家系も完る!」という意識も薄弱な高齢者農家では 
農薬を遣わない稲作のやり方なんて、もう覚えちゃいねぇっつーの。  
それよっか、惚ける以前に、毎年の異常気象の変動が読めねぇ! 
Nobody told me thered be days like these! 
  Strange days indeed ..most peculiar, mama
 
    
本来の人間の世界に与えられた自由は 
死や成功という限定範囲、個人の小さな限定枠にはない。
常に、生という光の中にある。 
必要以上の知識。必要以上の美貌。必要以上の経済。 
眼をくらませる情報の数々。 
魂がサングラスかけてりゃぁ、闇は明けねぇだろ。いつまで経っても。 
    
どこの誰がどう生きてようと 
誰に許可なく勝手きわまりない醜い有様でも 
どんな人生であっても、それもあり! 
でいいんだよ。 
この世に肉体を持って存在してる、その事実は
何者にも否定できはしない。 
たとえ自分自身であろうとも。 
    
ああ? 俺は 壊れた目醒まし時計じゃないよ。 
どこにでもいるような、40男です。この程度の。 
一応、人間。 
    
さて、60億人の仲間の中から、誰と友達になろうかな。 
    
って感じで、毎日ワクワクなの。 わりぃけど。