4. バイバイまた明日
「ファンに媚びたりはしない 」
その精神も今日まで貫き通し、既に この三十数年間で
数百曲にのぼる作品をつくりあげているという Tetsuya Itami は
自身のサイトに添えられた掲示板の中で
心配をかけない。 = 他人に迷惑をかけない。
ファンに対しても、その心配りに人間として魅力的なところが多い。
こちらこそ 投稿者:青天 投稿日:12月26日(火)01時13分2秒
いやいや、こちらこそ、ありがとうございました。楽しいクリスマスプレゼントでしたよ。お礼を言うのは俺の方さ。
またひとつ年を重ねましたね。今日は長くおふくろと電話で話した。人は人に生かされているから、ってね。
ある哲学者の言葉 『分かると言う事は腹に入れて初めて分かる』 くだけて言えば、
安っぽく分かってるよ。なんて言うもんじゃないって事さ。それを体験してこそ分かるってもんだ。
だから俺はほとんどの事は分からない。しかしひとつやりとげればすべてが分かるとも言われている。
不思議だと思わないか? きっとすべてのものは繋がっているんだろうな。
今、2時間ばかり歌っていた。曲が出来た。
『 WAKIN' TOWN 』がいいなんて言うからさ思い出したんだ。俺らしさってやつをな。
そうするといてもたってもいられなくてな。衝動にかられたって奴だ!
まあ、俺には曲作りってのはさ、射精行為となんら変わらないんだけれどな。女性の皆様、すいまそん!
という感じで、その知性と繊細さで、どんなに女性ごころをくすぐろうとも
ご本人は“音楽というオンナ”、恋人、愛人をこよなく愛し、 過去において
それがたとえ相思相愛に感じられなかったことがあったとしても、産まれ持った唯一の才能で
一曲一曲が光り輝き、どこまでも転がりつづけることを信じて
“曲づくり”という無から有に変わる瞬間を見逃さず、その子づくりに励む。
見栄や体裁を飾るような者からすると、勘違いにも
「継続は力なり」(?)「そのスタンスはどーのこーの」などという、
ウスッペライ表現で片付けられそうなことも、もはや、
「なぜ?なんのために? そんなにつくりづづけるのか?」
ヒト知れず苦悩の日々に置かれていた頃の問いかけなど何もなかったかのように
この、『バイバイまた明日』という曲が、今この時代に存在する 。
ダブルヴォーカルで歌われるサビの部分が、
最近では往年のギター反逆児、ピート・タウンゼント等も歌ったりしている 、
エヴァリー・ブラザーズの曲で “ Bye Bye Love ”。
を彷彿とさせる…そんな感じもする自分としては、もしも誰かに
2008年新春に紹介された新作12曲 のうち、「しいていうなら、どれがいちばんいいか!」
そう訊ねられるなら、迷わず 「この曲!」(『バイバイまた明日 』)と応えるかもしれない。(今なら。)
はじめて聴いたとき、それほどインパクトつよく
メロディアスな展開とリズミカルなギターワーク、そしてなにより
POPな仕あがりの曲調を最大限に活かした歌詞そのものが心にぐっときた。
リスキーなハートにはキャッチーな感じ?
とにかく無駄がなく、聴く側を驚かせるところあっても最後には安心して受け入れられる。
そのむかし、1980年代。世間ではもう[伊丹哲也 ]という名前の4文字も忘れかけられていた頃、
ロディ・フレイム (Roddy Frame )という、これまた歌とギター演奏が光るスコットランドのミュージシャンがいて
当時は AZTEC CAMERA
というバンド名で一躍 脚光あびて洋楽フリークを湧かせていた。
2006年にも来日して現在も地道に活動中らしいけど、