Sunshine & Moonlight  そうは思えぬのだろうか?  | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥

    
   
自分でもここまで を何度か読み返してみるうちに
ちょっと気分転換に、あるサイトを経由 して
ここでまたスゲェ発見をしてしまった! 
ヤッタぁーッ!   
   
   
    一般的な概念では、汚れ多きものは良くないという見方や、
    到底真理を悟れないとも言いますが、ほんとにそうかな?
    純粋無垢はすばらしい。
    しかし汚れなくてはわからないこともあります。
    人間らしく、いろんな汚れや欲を持って生きていくことも素晴らしい。
    すべてを肯定した上で発見できることも多いと思っていますよ。
http://blog.livedoor.jp/assimilate/archives/50790204.html#comments  より。
   
と、そのように柔軟な姿勢で人の世を視ている、その言葉のつづきには、
    
    ちなみに「たましい」の世界も、そんなに綺麗なものじゃありません。
    霊界も神々の世界も、それなりに人間の世界と似ています。
    おもしろいですね。

    
という、目に見えない世界も、決してイッショクタではなく
色々に区別や判別があることを伺えさせる記述がある。 2007年04月09日 00:22 http://blog.livedoor.jp/assimilate/archives/50790204.html#comments
   
しかも更に、朝になってからここまでを読み返し
再びその発見の瞬間を確認してみると、なんと、
   
http://blog.livedoor.jp/assimilate/archives/50790425.html  2007年04月09日
   
コメント欄そのものが記事にされていた。
ここで俺は、かつて自分が想い描いた“あること”が、
現実的に俺の身近な場所で実行されていることにも気づいた。
それは…
    
http://ameblo.jp/badlife/entry-10028711466.html  March 23, 2007
 ☝ このページのコメント欄 の内容が(今のところは)、一見すると
二つに別れているようでも、実は俺が伝えるべきこととして書いた本質的なところは一緒で
とくに、
   
自分が今、この時代に生きていて、  2007-03-24 20:21:05 [コメント記入欄]より
 そこに 
どんなにマイナスな思いや雑念が絡んだり
誰かと誰かのやってることに不審を感じたり苛立ったり
モラルやマナーに欠ける連中に腹立たしかったり
そういう狭いところで不平不満のある人はネット上でも大勢います。
そこに巻き込まれないようにするにも
人によって困難な場合も色々とあるかも知れない。
であっても、書くことが好きで、そこに燃やす情熱や探究心、好奇心などに
あとちょっとだけプラスαすると活気的なこともあります。
 
これは、何者かの成功とか価値観の相違とかの問題ではなく、
また、他人から請け負った言葉でしかありませんが
俺が尊敬する役者さんで、ジャック・ニコルソンという人間がいる。
その人は、トム・ウェイツやキース・リチャーズとも仲良し。 
んで、 
「作品を通して、ヒトに刺激を与える。
それができれば、職人として文化と社会に対する義務を果たしたことになる。
ヒトが、
いま生きている場所、生きてる時間、)
自分の住んでいる世界に対する興味
常に持ち続けるよう刺激すること。
芸術は人間が旅立つための刺激剤なのだから…。」
ひとつの芝居を演じる現場。そこで収められる台本の一部のシーンで
あるインスピレーションを感じたら
たとえそれがどんなに間違ってるように見えても
そのインスピレーションに従え。」
これらは、1990年にジャック・ニコルソンが、
次世代の映画監督や役者に向けて云った言葉ですが
映画や文芸、絵画や音楽の枠に限らず
なにか生きるために必要な目的に向かって
一人一人の人間そのものが持つ可能性や成長…
その実現実行に必要なエネルギーを爆発させる点火材料としても
日頃、遣われずに封印されてしまってるような能力を引き出すためにも
そこには今の時代に生きる我々日本人にとっても、大きなヒントがあります。 
 
 また、俺の崇拝するミュージシャンの一人で 
マット・ジョンソンという人がいる。その人はやはり、1985年の5年後に… 
 
「この世はあまりにもネガティヴな人間が多すぎる。
ポジティヴな人生に肯定的なアイデアを伝えたい。
そして内なる自分 ---- inner self を発見し
自らを表現することの素晴らしさを知ってもらいたい。
人はその魂を解放すべきだ。
みんな、あまりにも一次元的なものの見方しかしていないし
どこかで恐れているのかも知れない。
若者は実質、中身のあるものを求めてはいるが
現代のポピュラーカルチャーの中には殆どない。
音楽・映画・TV… 文化を大衆化する目的のものすべてが
人気とり主義で内容に欠ける。
ただ得ることのできないスピリットを求めてはいる。
満たされた気持ちになれるヨーロッパの映画、文学、クラシック…
そういった高いレベルに触発される満足感を
ポピュラーカルチャーのフォーマットを借りて伝えたい」

 
と、その頃は、TheThe というバンドでU2の活動 に匹敵するほどの勢いで
大勢のファンを世界各国に増やそうという試みもあったのかどうなのか? 
最近はあまり主だった活動はしていない模様ですが
人間として正しく生きることの追究 をやめてるわけではないと思います。
そして、同じく20世紀末には、  引用日時2007-03-24 20:23:57
 フェリックス・ガタリという学者さんが 
 
「社会主義が崩壊した原因は
オルタナティヴな価値観を展開しえなかったこと
資本主義の人々も
商業的な価値観やメディアに押し付けられたライフスタイルしか選べなくなれば
やがて集団自殺に追い込まれるでしょう。
ファッションとしてのアートは商品。
本当の芸術はヒトを根源から揺り動かす。
芸術家アーティストの最も重要な役割は美学的パラダイムをつくるということ。
今日、科学的パラダイムは機能を失っている。
科学的パラダイムは美学的パラダイムに…

今の地球上に人類が生息を可能にしてゆくためには
その移行が重要な課題で、それは放っておいて成るものでもなく
一人一人の人間の意識に関わってくる
。)
例えば教育の基礎をそれに置き換えるべきだ。
そうすることによって人間の質は変わってくる。

既存のシステムに安住せず、個人個人が
美学的パラダイムを生活に取り入れる必要がある。
そこで芸術家アーティストの創造活動が参考になる。
突然に予想外のアクシデントで生じた亀裂をも柔軟に取り入れ
当初のイメージから、どんどん自由に逸脱してゆく。
そんな生き方のできる弾力性をみんなが持てば
人類は解放に向かう
。」
by Felix Guattari 1992 
 
こういう他人の言葉を珍しく並べている俺ですが、  2007-03-24 20:24:55
 この3者のメッセージの共通点にあるものもすべて、 
●●さ ”ということであって、
こういう感じに近いことに既に気づいていた日本人も
1985年頃までは大勢いたわけです。世界人類に先駆けて。
ところが、あらゆる情報と
モノが溢れかえったことで
ヒトの心の豊かさよりも
カネや数字の追い回しが優先順位を狂わせた時代、
今はもう、いないに等しい。この国の中には。
いるとするなら、『雨を見たかい
を歌った伊丹哲也という人間だけかも知れない。)
本質的には誰もが平和や幸福、本来の自由を望んでいる…と思う。今でも。人間なら。
ところがそれは一人一人の意識の中で漠然としたイメージでしかない。

 ------- 以下略 ------- 
   
というこのあたりの内容のうち、
1992年のFelix Guattari という学者の言葉を引用した中に、
    
    既存のシステムに安住せず、個人個人が
    美学的パラダイム(この言葉が曖昧だよなを生活に取り入れる必要がある。
    そこで芸術家の創造活動が参考になる。
    突然に予想外のアクシデントで生じた亀裂をも柔軟に取り入れ
    当初のイメージから、どんどん自由に逸脱してゆく。
    そんな生き方のできる弾力性をみんなが持てば
    人類は解放に向かう

   
ここだ。ここがまず、俺の身近な場所でも実行され、
前述のジャック・ニコルソンやマット・ジョンソンのメッセージも含め、
これらは過去、世界中のあらゆる哲学者が途上してきた部分を覆す方向にある。
   
…ええっとですねぇ、今日はなんで、
巷の、その日暮らし・その場シノギの方々にはチンプンカンプンなほど
こんなにまで懇切丁寧に書いているのかというと、
   
    2007年03月22日  http://blog.livedoor.jp/assimilate/archives/50778623.html
    2007年04月04日  http://blog.livedoor.jp/assimilate/archives/50787670.html
    2007年04月07日  http://blog.livedoor.jp/assimilate/archives/50789134.html
   
つい最近、これらのページを読ませて頂いて、
今こうして、こんなにも長々としたモノを書く気持ちになったスタート、
動機には、とくに、2007年04月07日 の内容にある、最後のひとこと。
   
   そうは思えぬのだろうか? 
   
恐れ多くも、 ここからはじまっているわけです。 今日は何でも正直に書いてます。)
俺は、人類を代表して、その答えを見つけるべき衝動に駆られ、今ここに至る。
そして、ありがたいことに、
    
    2007年04月09日  (以下、一部略)
    
    一般的な概念では、汚れ多きものは良くないという見方や、
    到底真理を悟れないとも言いますが、ほんとにそうかな?
    純粋無垢はすばらしい。
    しかし汚れなくてはわからないこともあります。
    人間らしく、いろんな汚れや欲を持って生きていくことも素晴らしい。
    すべてを肯定した上で発見できることも多いと思っていますよ。
    
    自分を否定して生きるより良いでしょうね。
    もっとも、その汚れに慣れてしまったらダメですが・・。
    汚れとは「体験」のことで、欲とは「希望」だと思います。
    汚れてる自分を「それでも素晴らしい」と思えるといいね。
    人生はおおらかに生きるべきだから。

    
このような独立したページにまでして頂いた暁には
この歴史的事実の発見を無駄にはできない。今、この瞬間にも。
う~ん、なるほど、そうだったのか…。
 
過去、世界中のあらゆる学者やすべての思想も、宗教も、
本来の人類の発展、人類意識向上に対して、
ほぼ完全に途上してきた部分を覆す方向も加速されてきたぜ! そういうオマエが Dangerous!
   
   
   
   
そして今、俺がここまで書いてきたことには 俺自身のかつての体験を通してのことも多いけど
常に持ち出して比較してもいいとして、
そういう判断における二つ以内の問題提起に…
過去の自分と現在の自分。昨日の自分と今日の自分の比較。数分前と今の自分。
他人と自分ではない。誰かと誰かを比較しても意味はない。最初から創られ方がちがう
そして常に、自分自身と照らし合わせるべきことは
この自然界における基本的な人間の創られ方そのものだ。
誰も外れることができない事実。
誰もそこから外れて生きることができないはずの道理、基礎、絶対条件。
んまぁ、それについてよく判らない人は、何度でも、
http://ameblo.jp/badlife/entry-10026826079.html
  このページなりを読み返してみてくれ…さい。
俺は今日もまた、その先へ話を進める。
人類の意識向上。未来における次世代の人間による地球の遣い方と、その修復改善のために。
   
   
    新たなるBansoukou Worldようこそ! …この番組の提供は自然界。)
   
      http://ameblo.jp/badlife/entry-10030370981.html  ☚