合言葉は、オー! ノォー! ダ、ショーイチロー!  …1980年に止まった時間を前へ進めます。 | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥

今日の音楽ネタは久しぶりに、また長げぇぞ。
   
   
   
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“伊丹哲也をカムバックする会” 改め、
闘いつづける1%戦友(とも)の会 ”として
この5月よりスタートしている、        (ええぇっ! そうだったの!
シンガーソングライター、伊丹哲也のファンサイトは、
「オー! ノォー! ダ、ショーイチロー!」
を合言葉に、次回、6月11日の“夏のLive”へ向け、
今日も、海外のビジネス・サイトが回り巡る80軒以上の、
そういうプログラムトラフィック・エクスチェンジ に載って
24時間体勢で“可能性を秘めた何者か”に閲覧されている。
   
“伊丹哲也”というアーティスト は、
現在、ギターとハーモニカを中心とした曲づくりと、
その一つ一つを最期まで歌いあげることに熱意を燃やし、
毎日の演奏で使う楽器ばかりでなく、
日々、自分の肉体という道具の自己管理も怠らぬ心がけを大切にしている。 
                           http://home.p02.itscom.net/fighting/
   
先の、椰子の木から堕ちて、みんなが騒いだ大怪我(…だよな
の、あとの静養中なので今日現在は どうかは判らないけど、
キース・リチャーズという人も長年 マルボロを吸っているように、   
ロックッンローラーにタバコは付き物だ。 (なんで ここで“タバコ”なんだ!
   
                   
-------- 余談 --------
                      ローリング・ストーンズのメンバー、
                      キース・リチャーズは、今回のツアーの休暇中、
                      椰子の木から堕ちた衝撃で強く頭部を打って、
                      ドリルで頭蓋骨に穴を開けるという大手術を行い、
                      
http://ameblo.jp/badlife/entry-10012594912.html
                      「もう今まで通りにステージでは演奏できないかも知れない」
                      などと家族に伝えたという一部の情報もあるようだけど、
                      あの“不死身の男”が、そんなことくらいでヘコたれるわけがない。
                      必ず不死鳥のごとく復活して、また再び日本にも来てくれる…
                                           と、俺は そう信じてやまない

   
んで、
まわりがソレ(喫煙)を「健康的でない」と考えたとしても、
WHOが何を世界に呼びかけようとも、
メロディや歌詞のフレーズを空気中から摑み獲る」という
インスピレーションをスムーズに働かせるためには、
その肉体(全身の筋肉)の細胞が活性化するのに必要な
肺という臓器の仕事(酸素吸入)を補うためにも、
“タバコを吸う”ことは、人によっては大事な行為なので、
健康管理と喫煙ということは別問題だ。
だからニコチン中毒の脳細胞の皺がどうしようと、癌や脳血管疾患、心不全とかを心配する以上に、
喫煙者の「タバコを吸いたい」という欲求は、自分自身で制御できるなら
他人に迷惑がかからない程度に吸うことの自由がある。
   
何かを創造するために「思い描く」「考える」「洞察…」ということについてはとくに、
人間の脳よりも先に、肝臓が重要な役割を成している。
その頭脳が活きるために必要な多くの血液が蓄えられている肝臓。
そこから心臓(ハート)の鼓動(ビート)で全身の筋肉の血管の中へ凄まじい速さで流されている血液は、
肺の呼吸が活発でないと、その肉体が正常に動き、動かされることも、
その本人にとっての正確な思考能力も、前へ進まなくなってしまう。
んまぁ、そんな話はどうでもいい。
今の哲也さんが、まだ煙草を吸っているかどうかは別として、
俺の解釈では、ある意味、煙草を吸うことも健康管理のうちの一つってことだ。
それでも、吸わない人には迷惑も多いけどな。
だから、吸っていい場所と吸ってはいけない場所さえ弁えてりゃぁ、
本人の自由だ。
   
なんかクドクドと喫煙者支援のような話になっちまったけど、
世の中に、もしも“たばこ”という物がなかったら、
『煙が目に染みる』って アメリカン・ポピュラー・ソングも誕生しなかったし、
in door fire works ♪」の名曲をエルヴィス・コステロも歌うことはなかった。
そういう意味で、吸いたい人は吸ってください。
但し、未成年者は駄目だ。
背が伸びなくなるし、色々な意味で心と身体に目詰まりが生じる。
カッコつけても意味はない。
馬鹿な大人は、そういうことを覚悟の上で吸ってるんだ。
ケムリ吹かして身体を汚すことにカネをかけてる。(…俺も含めてアホな連中だ
キース・リチャーズや哲也さんのように精神力の強い人にとっては、
先に述べたように、喫煙も一部、想像力を働かせるための利点はあるけど、
俺の住んでいる部屋も、これほどまでに壁や障子の色が黄色くなるということは、
肺の中なんてヤニだらけだ。
んまぁ、それも出せばいいことなんだけど、
肺に溜まった“ヤニの塊”をどうやって身体の外へ出すのか? 
今日は、そのコーナーじゃないんで、それについては、いずれまた後日…。
   
んで、
メシを喰ったあとに美味い“いっぷく”。
次の仕事にとりかかるために必要な“ いっぷく ”
てのは実にカネもかかる。                    http://ameblo.jp/badlife/entry-10009166094.html
   
俺がこのサイトの別項目で時々テーマに取りあげてる一つ、
「四百四病のヤマイより、
貧乏ほど辛いことはない」
という諺(?)の、その意味と現代人の関係がどうあれ、
どんな場合も、それが自分の望む収入に繋がる・繋がらないの問題も大切だけど、
“仕事をする” “仕事ができる” “仕事がある”…ということは、
自分が人間として生きていて、このうえなく有り難いことだ。
それでも、
バリバリ働いて、働いた分だけの収入を得る…ということが必ずしも可能ではない人もいるし、
タバコを吸う自由を確保するために小銭を稼ぐことに必死になっている人もいる。
人間は様々だよな。
ただ、「好きなことをやって、それがカネになる」
ということは、簡単なようでパーフェクトにはいかない。
そういう意味では、音楽家も、役者も、物書きも、画家も、ダンサーも、フォトグラファーも、
“芸術の世界で生きる”という難しさは常に、経済との闘いでもあり、
そうした問題に苛まれる以前に、
自分がやりたいことを追究しなければならない。
気の済むまで。死ぬまで。
   
そういう気持ちや情熱の破片のようなモノは、
巷の諸所の管理職の方や一般的なサラリーマンの人たちには
あまりよく判らないことかも知れないけど、
「何も存在しないところから何かを新たに作り出す」
という仕事というのは、確かに経済的な利益をあげることとの両立が難しい場合が多い。   
「安全雇用で家族も安心!」のような、ある程度の経済的余裕を大切にする人でも、
自分の好きなことを仕事にしてる立派な人も世の中には沢山いる。
でも、そこへ辿りつくまでがタイヘンだ。
根気と努力。ある一定の期間は寝ずにシャバを飛び回る必要もある。
自分の周囲に限らず、誰に対しても、信用、信頼が第一。
とことん自分を犠牲にしてまで、他人の世話を最優先しなければならない。
奉仕することを義務として、それができることを常に感謝している。
“信頼の奴隷”みてぇなもんか? 
そういう人も世の中にはいるんだ。
こんな俺だから、そういう人たちとの付き合いは少なかったけど、
何人か知ってる。見たことある。
別に大金持ちというほどでもなかったけど、
話をしてみると、基本的に余分なことは考えない。
嫌なことは思いつめないし、常に前向きの姿勢だ。
ただ、肉体的に無理をしてる部分もあるので、
そういう人は、ちょっと太ってる場合が多い。
判りやすく云うと、カーネル・サンダースみてぇな人だな。
自分と奥さんで作ったサンドウィッチに自信を持って、
ぜんぶ売り捌き切るまで国道沿い(ケンタッキーのハイウェイの脇?)から引き上げない。
雨の日も風の日も、一日中、廃棄ガスを吸ってる過酷な立ち仕事。
しかも通りがかりの誰に対しても笑顔を絶やさない。
愚痴なんて言ってる暇はないんだ。
生活がかかってるんだからな。
まぁ、普通の人間ではないし、誰でも成れるわけじゃない。
世の中の『成功ナントカ』は、そこんとこを勘違いさせてるモノが多い。
どんなに努力しても、できない者にはできない。
最初から器が決まってるんだ。
この世には、そういう人間が2%しかいない。
あとの9割以上のうち半分くらいは兵隊だ。
残りの半分以下は誰かが上へ昇るための捨石か土台石でしかない。
たとえ自分が成功者の一員だと錯覚…メデタク思い込んでいようとも…。
   
人類の持つ魂の役割には、そういう自然界に用意された階級がある。
しかも、一人一人が、生きるために過酷な自分との闘いの中にいる。
ところが、最近は自分の命を勝手に投げ出すような愚か者も増えていれば、
そういう大罪…自然界に対する反逆行為を奨める宗教や思想まである。
「思想」なんてのは煙草や麻薬より害だ。
平行して、巷の現代教育のほとんども、ある意味、世界のテロリスト集団を保護してる。
連中が見抜いた世の中の嘘は、連中の崇拝する嘘の思想(幾つかの宗教)と対立してる。
嘘と嘘の擦り合いだ。
そんなことしてるから、いつになってもアホな戦争は終わらないし、
そんな馬鹿げたことを何十年、何百年もやっている人類がある。
   
『ダ・ヴィンチ暗号解読』なんて流行らせてないで、エルサレムの奪い合いをどうにかしろ!
俺も、『バッパ・ガンプの海老漁で使った船の噺』とか、
『グリーン・マイル』、『キャスト・アウェイ』『ターミナル』…
ああゆう人間の夢や希望を題材にした映画は好きだけど、
今年のハリウッドには幻滅してる。
“映画”って芸術分野も、数字を追い回してカネを稼ぐための道具じゃないんだけどなぁ。
名優ハンクスも焼きが回ってきたぜ。
ジャック・ニコルスンも きっとそう思ってると思うよ。(最近は本心を隠してるようだけど
成りあがっても、せいぜい、ビル・げいつ一族どまりだ。
みんなに妬まれて世界中にコンピューター・ウィルスがバラ撒かれてる。
どこもかしこも不倫ドウズとマック・ポテトで大賑わい。
そういうアホな状況に振り回され、躍らされてるIT産業のピンから切りまで。
あんな処が協賛するから、日本のストーンズの Live だって台無しになっちまう。
本人たちのライヴ・パフォーマンスの素晴らしさはともかく、
形だけデカク騒げばいいってもんじゃない。 
(…ニューオーリンズ救済支援CDが日本のコンサート会場になかったことを
スポンサー・サイドへ逆恨みしてもしょうがねぇけど。)
   
そういう意味で、かつてのハリウッド進出の邦人俳優第4号、優作さんは、       ###
絶対に単なる娯楽作品には出演しなかったし、 
一号は三船大先生。2号はMr,高倉。3号は本郷 猛。五番目は…誰?
自分が持つ可能性より、いつどんな時も死ぬ覚悟で仕事に取り組んでた。
香港のドサ周り武芸団の一家にいた息子が、やがて曲芸名人と呼ばれるようになり、
更には、ハリウッド永遠のアクション・スターの鏡となり輝いて散った命…
アジアの名優、ブルース・リーや、日本の優作さんのように、
あそこまで辛く果敢ない、偉大なる男の人生もないかも知れないが、
俺の云う自分との闘いってのは、そういうことでもない。実は。
自分が死んでも、限りなく永遠に、末代の世まで、
大勢の人の心に生きつづけ、語り継がれる…
というほどの野望の実現。西側諸国においてばかりでなく。
富と名声はその次。
何をやるにも、どうせやるなら、そういう処を目指した方がいい。
死んでも実現しなければ、死ねないから長生きするかも知れないし、
そこへ向かって生きた日々の成長は、
いずれ訪れる肉体の絶滅を超えて、
人間に魂が与えられた意味の答えを見出せるかも知れない。
但し、途中で道を外れて自分に嘘をつかない限りは…。
   
ということで、話がなんだか いつもの調子になってきちまったけど、
   
「俺はアンダーグラウンドにも属さない
そして あやつり人形にもなりはしない」
という哲也さんのメッセージの奥底にある、
その計り知れない野望というモノも、
俺とはちがって、きっとハンパではない。
   
   
   
ハンク・ウィリアムスという歌手は、生きている間は ほとんど日の目をみることはなかった。
時代の波に乗った形で、いくつかの曲のヒットに恵まれ、
ほんの短い間だけ、世間に脚光を浴びた時期もあったようだけど、
あの人の歌った歌と、その存在があった事実は、本人が死んでから、
亡くなってしまったあとでこそ、世界中の音楽アーティストに知られている。
モーツアルトやビートルズ、ベートーベン等の天才アーティストの作った名曲が、
いつの時代までも世の中に残ろうとも、
どんな歌手も、何の作詞作曲家も、どこの雑誌の音楽ライターも、CD販売業者も、
音楽関係者で「ハンク・ウィリアムスを知らない」という人は、業界のモグリ。
現在でも今のところはまだ、“アメリカン・カントリー・ミュージック”
というジャンル別けに収められてしまってはいるけど、
人間が“生きつづける”という過酷な試練を巧みに表現した歌詞を
あのように普遍的なメロディに乗せて歌ったのは、ボブ・ディランより以前に、
ハンク・ウィリアムスという人の歌が、アメリカン・ポピュラーの中に実在する。
しかも、その残された音源のほとんどには、ギター一本と本人の歌声のほかは何もない。
極めてシンプルで、それでいて幅広く音楽の歴史の中に埋もれている。
そして、その一つ一つの曲に込められた思いは、
聴けば聴くほど恐ろしい。
   
マット・ジョンソンという人が1995年に
THE THE というバンド名義で一枚のアルバムを発表するまでは、
俺も、ハンク・ウィリアムスという人の歌は一曲か2曲しか知らなかった。
   
   
 
 THE THE
 ハンキー・パンキー
   
 
マット・ジョンソンという人は、自分(たち)が演奏する音楽によって、
「人類の意識に変革をもたらす」というような大それたことを考えてる感じの人だ。
  
http://www.thethe.com/

最近こそ、巷のメジャー路線…ポップス業界から離れてしまっているけど、
U2のように世界中に根強いファンも多く、
その姿勢…“不可能への挑戦”は、今でも変わってないし、変える気もない。
90年代、とにかく自分の好みが激しく、
“ギター演奏”へのこだわり、探究心は、若手では世界一! というほどの、
ジョニー・マー という天才ギタリストの一人が、 http://www.makio-marr.org/
何年か そのバンド(THE THE )に在籍することを決意した理由。その裏づけには、
おそらく、マット・ジョンソンという人間の生きる姿勢と才能、それによって、
自分達の演奏を全世界へ浸透させる可能性を秘めたモノを感じ取ったからだろう…。
マット・ジョンソンという人の才能は、一種、人の世に懸け離れた、類まれな存在の一つとして、
廃盤になったCDやレコードを手に入れるために高額なカネを払う人(ファン)も多い。
知らない人は知らないかもしれないけど、その音楽活動暦も長い。
1970年代末期から今日に至るまで、どの曲の作詞・作曲の面でも、
人間がこの世に生きて生かされることの重大性や
人の死や孤独の恐怖から逃れられない葛藤と、人間に与えられた自由。
あるいは、明日の人類が手にするべきはずの、真の幸福を追い求める自己の闘争について…など。
そういうことをテーマに、歌い、演奏しつづけている。
楽曲によっては、重く哲学的に考える人もいるかも知れないけど、(おまえの云い方にも問題あるだろ
実はそうではない。
ウルトラ・ヴォックスの宗教ソング(?)とはちがう。
ピンク・フロイドの絶望的苦悩芸術(?)でもない。
常に、生きることへの探求、そして、人間の愛と自由と生の尊さを
自分が思い描く曲の完成度に到達するまで、限りなくパーフェクトに近い状態へ仕上げる。
そういう仕事をしている。
曲と歌詞の当て嵌め方(マッチング)にしても、
聴く人の心へスムーズに入り込み、時にはえぐり、
時には優しく語りかけ、また時には、
このまま不毛の地へ辿りつこうとするような人類の意識に対する、
爆発するほどの怒りや疑問を大迫力でコチラ側に突きつけてくる。
言葉一つ一つにも(英語だけど)妄想や騙る部分はなく、
すべてにおいて、現実に生きる人間としての実体験が基になってる。
ピーター・バラカン氏 も流暢な日本語で、「いやぁ、凄まじい!」というほどだ
   
んで、俺が感じて思うに、
“伊丹哲也”というアーティストも、そういう面があるシンガーソングライターの一人。
…と、勝手に思い込んでしまっている俺がいる。
ある意味、ハンク・ウイリアムスのあとを受け継ぐような、
そういう才能…というか、普通にはない音楽意識と体験の持ち主だと思う。
それは、いつもこのサイトで紹介している、ご本人のサイトの Gallery1 & Gallery2 のコーナー
そこにある一つ一つの楽曲を聴いてみても判る通り、
   
「これは本当に一本のギターだけで演ってるのか?」
という、ソロとは思えないほどの、その巧みなギター演奏のテクニックと
魂から振り絞るような歌声の、見事な歌唱力。
そして、あの歌詞と曲の組み合わせ方…。
あれは普通、そう簡単に一人の人間にできることではない。
   
たとえば、『一片の塵』と題された曲 
現在はサイト上でも未発表状態。 / …すみません、前回の紹介でタイトルの文字を間違えました。) 修正済み
の一部に、
   
♬ 哀しいだろ、おまえらも  風の中で吼える
  どうして生かされているかを 考える間もなく従うだろう
   おれが苦悩しているのに、あいつは成り上がって行った
    おれは風のように踊り、塵のように這いつくばった
     孤独な旅はどこまで、このおれを連れ去るのだろう
      風の中で舞っているのは、ほんの一片の塵なのだ
   
という、リズミカルに淡々と歌われる二節目があって、
後半の盛り上がり部分には、
   
♬ 救いのない空に手を伸ばし
    一体なにを摑めというのだろう
        風の中、舞いあがるよ
            一片の塵のように
   
♬ 虚しいだろ成功者も 時の河に沈み 河の深さに嘆くだろう
   どうすべきか、どうあるべきか
      風の中で吼えているのは、ほんの一片の塵なのか
      風の中で舞っているのは、ほんの一片の塵なのか
   
   

(…自分でも歌えるように、公開されていた 2~3日間、何回も聴きこんで覚えたつもりなんですが、
どこか違っていたらゴメンナサイ。
ただあまり正確に歌詞の内容を掲載してしまうと、
世の中には暇な方もいて、前に、ジャスラックのウンヌンの一件で
このファンサイトが削除される方向へ突っつかれたこともあったので、
「未発表の歌を聴いたファンのウルオボエの歌詞…」ということでお許しください。
掲載内容に不都合があるようなら、いつでも訂正および内容の一部を差し控えさせて頂きます。
ご用件のある方は堂々とコメント欄へお書き込みください。よろしくお願いします。)
   
   
という歌が、たとえば、U2の“Staring at the sun ”。
あの曲のアコースティック・ヴァージョンのような曲調で演奏される。
しかも、それほどまでに濃い内容でありながら、実に、3分33秒というコンパクトな形で…。
まさにあの歌(『一片の塵』)は、“闘いつづける1%戦友”のテーマ・ソングのようなもんで、
男なら誰もがグッときてしまうような(…少なくとも今の俺はな)、
今の時代を真剣に生き抜こうとする一人一人の人生に、
「このまんまじゃ終われねぇだろーよ…」
と、云わんばかりの覚醒ソング! 単なる社会諷刺風のメッセージ・ソングではない
   
かつて誰が、何者が、そんな歌をハッキリとした形に現し、 
かつてどこのミュージシャンが、その歌をサラリと歌う短い時間に収めることができただろうか? 
今や、どれも同じに聴こえてしまうような、旧い時代に流行ったボブ・ディランの長ったるい名曲にもなかったし、
スティーリー・ダンや、イーグルスのドン・ヘンリーも歳を取りすぎてしまった。
ヴァン・モリスン(元・ゼム)やピート・タウンゼント(The Who)にしても、若かりし日から今日まで、
自分達がやり残したことを何とか次の世代へ受け継ごうと頑張ってはいるけど、
残念ながら、特定の範囲の“旧世代ロック・ファン”以外は、
不屈なる“親父ロッカー”のメッセージに耳を傾けることはない。
日本でも、それに近い歌を かつて自分で作って歌っていたはずの一流ミュージシャンも、
今は丸くなってしまったか。
あるいは、もう歌手は引退してしまったような格好で茶の間のテレビの中にいるのか…。
いずれにしても、闘いつづける揺るぎない精神の凄みを感じられる瞬間は、今はもうない。
             (…でたよ。こんなこと書いてるからコメント欄が見放されちまうんだ)
   
   
今の伊丹哲也 ”というミュージシャンは、
30年に渡る音楽活動の中で培われた、
人間として、プロのアーティストとしての経験、演奏の実体験を
“今日の時代を生き抜く人間の力”を信じて歌いつづける男の歌として
ハッキリとした形に現している。
それはたとえば、
(…なんか、しつこく引き合いに出して恐縮ですが…
知らない人に興味を持ってもらうための“表現力の乏しさ”が浮き出てるんだよなぁ
…)
たとえば、(おお! それでも続けるか!?
エッジの独特なギター奏法が輝く、U2というバンドの数々の名曲、名演や、
かつてのボブ・ディラン、エルヴィスやレノンの魂。
グリマー・ツインズ(Stones)共同制作のロック・ミュージックの持つスピリット。
TheThe というバンドのマット・ジョンソンの光る一撃…。
そういったモノに通じる部分がある。
   
「トム・ウェイツやジョー・コッカーが好きだ」というご本人は、
そういう才能に恵まれながらも、
カネはない。名声もない。 (失礼。)
本日、5月25日が誕生日。                 http://home.p02.itscom.net/fighting/
昭和33年生れなので、今年、48歳になる(と思う)
http://ameblo.jp/badlife/entry-10006211162.html
   
んで、そんなスゴイ作詞作曲能力と、演奏経験、歌唱力に優れた、“現在の伊丹哲也”。
(…飛行機のパイロットには、飛行時間によりベテランやプロとしての階級があるように、
音楽家も演奏に取り組んだ時間が長ければ長いほど、
昨日や今日に売れている人たちとは違うでしょう。
「ライヴ・ステージの活動を こなした」という数もしかり…)
そういうプロのミュージシャンの強力なサポートに、
現在、assimilate こと、山田邦喜氏というドラム・アーティストの存在がある。
    
   
ここで、assimilate さんの、ドラム・ソロ Live のお知らせをしておきます。
(…あぁ、ここまでもってくるのに長かったなぁっ)
    
今年第3回目のライブということで、メールを頂いたので、
読者の方へも宣伝…。 (実は今日の本題は これです。記念すべき、ご旧友の誕生日ですが
   
   
   
assimilate
 <山田邦喜>  solo Drums
   
             2006/6/9(金) あさがやドラム
    
      18:30 開場  19:00 開演  (出演順未定) ¥1400+Drink
      *出演時間等はお店にお問い合わせください。   
    
      (JR阿佐ヶ谷、徒歩10分 ・ 地下鉄、南阿佐ヶ谷、徒歩2分)
       http://homepage2.nifty.com/asagaya-drum/

                              でんわ 03-5347-3663
   
       杉並区成田東5-35-12 山清ビルB1F 青梅街道沿い
         (隣がホテル「アミスタ」向いはEssoのG.S)
  
      アーティスト assimilate [ ドラム奏者 山田邦喜 ] 公式サイト 
                      http://www.assimilate.jp/
   
  
と、紹介しておきながら、
ざんねんながら俺は行けるかどうか判らない…というより、ちょっと無理かも。
田んぼの手入れとかで忙しい。実は。
(…今年はあまり手伝ってないけど。農協組合員の筆頭者なのに。すんません。)
   
で、興味のある方は…というより、
もしも読者の中で、実際にバンドで演っていたり、
「独学で太鼓を叩いてる…」というような人達がいるなら、
¥1,400は安い、安すぎる。 (いつもらしい。)
場所も阿佐ヶ谷だから、都内近郊の方は昼間の仕事帰りでも
開演時間にはじゅうぶん間に合うと思う。

   
伊丹哲也さんの毎回のLiveには欠かせない存在でもある、
ドラム・アーティスト assimilate さん という人は、
これまで何度か このサイト上でもコメント交流もあって、 (恐れ多くも)
一部の読者は既にご承知の通り、
過去にはフランク・ザッパ と共演(ある期間、サポート・メンバーだった)もあって、
日本のミュージシャンには数少ない貴重な経験が多々ある存在。
   
ちなみに、フランク・ザッパというのが何者なのか判らない若者やオバサンも多いと思うけど、

       http://www.zappa.com/warning-page/noflash.html
簡単に云うと、一人の脳味噌の中に世界中の音楽が詰まっていて、
それが一度に凄まじい音で奏でられてしまう…という、
単なるロックでもなければ、前衛音楽でもなくぅ…
そうだなぁ…たとえば、比べ物にはならないけど、
石井竜也監督ひきいる米米クラブや、
今村ねづみサン率いるTHE CONVOY
の舞台パフォーマンスとか、
ああゆう…あれに近い醍醐味が、いっきに飛び出てくるような演奏をやってた。
顔は、もちろん日本人ではない。 (どこの国の人だったか?)
ワーグナーとニーチェの親戚のような、それでいて、いかにもバター臭い感じのするオジサンだった。
もう死んでしまって、この世にはいない。
http://www2.tokai.or.jp/moon-rise/sub310/sub310.html
http://www3.ocn.ne.jp/~zip2000/frank-zappa-1.htm
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%91
 

ただ、残された録音の音源は何万、何十万曲あると云われるほど、
生前に発表されたレコードやCDも正規のモノだけで、
おそらく数百枚の発表作を越えていたと思う、たしか。
とにかく、年間に発表した枚数というのが、一時期はハンパではなかった。
「一度 聴きこむとヤミツキ」というより、中毒になってしまうので、
俺は恐くてあまり聴く機会を避けてたけど、別にキライとかじゃない。
たぶん、今の日本のCD業界の現状では、そのすべての入手は不可能だし、
もしも中毒になって、次から次へと出された音源を買い揃えるには、
経済的にタイヘンだ。
しかも、運良くどこかで、その量をぜんぶ聴くとなると…恐ろしい。
生きているうちに全部聴くことができるのか?
今は“ベスト盤”というのもあるかも知れないけど、
どれがベストで、何がいつ頃に演奏された何の曲なのか? 
日本で出されてる編集盤なんてのは当てにならない。
それほど数が多い。
で、そんな話もまた長くなっちまったけど、
そういう怪人と一緒にプレイした経験がある日本人は、たぶん、
assimilate さん 以外にはいないんじゃないかな。
だから、assimilate さんもフツーの、その辺にいるドラマーではない。
    
んまぁ、過去の経歴がどうあれ、大事なのは“”だ。
いま現在、生きている魂が奏でる音をナマで聴くことができるという貴重な瞬間は、
ライヴ会場で聴いてみないと絶対に判らない。
世の中の何のアーティストを題材に、どんなCDコレクターや音楽評論家が何を言っても、
既に他界して、現実の世界にいない者には、
生きている肉体を持った人が奏でる音は出せない。
当たり前だけど、大事なことだ。
だから俺も、さっき、ハンク・ウィリアムス自身の音源ではなく、
わざわざマット・ジョンソンのモノを紹介したまでだ。 (…10年前のCDだけど
そんなことより、
俺のように安っぽく、他人の悪口や皮肉の多いような表現力の貧しさとは違って、
現在の“ドラム・アーティスト、assimilate ”の素晴らしさを
もっと丁寧に、巧みな文学的表現を用いて書いている人もいる。
あのページには感動した。
   
ここです。
   
   http://yorutofukami.blog60.fc2.com/blog-entry-12.html
   
この詩的で、自身の演奏体験を絵画のように表現できる人も…
う~ん、なにかがちがう。
俺も一度、深海さん の歌と演奏を聴いてみたくなった。
   
   
   
   
   
   
   
よし、俺はアンダーグラウンド・シーンから這い上がり、操り人形たちの糸を切る! 
音楽を演奏することも聴くことも、
カネの世界に支配された中に うごめいているより、
もっともっと自由に、世界中へ拡がる場所や空間、そういう時間帯が整備されるべきだ。
   
まず、佐渡にも、ちゃんとしたライヴハウスが必要だ。(…一応、どっかにあるらしいけど
   
   
   
   「どうぞ、誰でも いつでもお越しください。
    この空間を使って、自由に思いのまま、存分に演ってください。
    楽器もすべて、お望みの物をご用意いたします。
    照明も音響設備も日本一のライブハウスです。
    ギグやライヴ演奏は、即日、音声・映像ともに最高音質で記録保存が可能です。
    次回お越しの際には、量産したモノ(CDおよびDVD)を販売することもできます。
    予算のない方も、売り捌いた金額を折半で清算する形で構いません。
    当店は、そのようなサービスをウリにしております。
    集客の問題も心配ありません。
    毎晩、国内外の観光のお客様がお越しくださり、満席状態で賑わっております。
    屋上のレストランでは常時お食事もできます。
    米も牛肉も日本有数の味と品質を誇る佐渡産のモノを使用しております。
               (…ちなみに佐渡牛というのは、ほとんどの松坂牛ほかの種牛です)
    魚介類も常に、その日の朝に捕れたモノしか扱っておりません。
    夏場は透き通ったイカの刺身が最高です。
    冬場は口の中で溶ける美味さの寒ブリをお召し上がり頂けます。
    酒も超一流、連続金賞受賞蔵の価値ある品々をはじめ、
    佐渡の六つの蔵元の、選りすぐりの地酒をご用意しております。
                (…内緒ですが、地下は合法カジノになっております)
    『明日の夜、そこで演りたい!』
    どうぞどうぞ、遠慮なくご一報ください。
    年中無休、毎日やっております。
    スケジュールの都合はどうにでもなります。
    但し、巷のテレビやラジオで“流行っている焼印”を押されたアーティストの方には
    申し訳ございませんが、キャンセル待ちとなります。
    当店は、本物の音が出せるアーティストの活動を優先しております。
    ご了承ください…
   
   
いつか、そういう宣伝内容を含む広告を
毎日、世間の6大新聞の朝刊一面へ掲載してみたい。
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   「…どんなライヴハウスだ!?」
   
   
          いいじゃん、一軒くらいあっても。
   
        まだ誰もやってないぜ。 チャンスだ!
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   夢は実現するために、理想は自分に勝つために…